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女奉行捕物帖  作者: 浅井
六甲颪と四月馬鹿
88/158

超兄貴

「なるほど。こんな風になってるのね」


 その後の合議により、各相撲部屋を回ることとなった。

 忠春が最初に訪れたのは堀江にある天津風部屋。相撲部屋の入り口である木戸門は力士が通るため普通よりも幅広に作られている。

 門前に立つ忠春に、義親が寄ってきて耳打ちする。


「忠春様、今回の訪問というのは……」

「……奉行所後援の相撲興行のためってのがお題目でしょ。分かってる。八百長に関しては悟られないようにするからさ」

「説明は不必要でしたね。それに、今から回る相撲部屋に手紙の主がいるかもしれません。上手くお願いします」


 奉行所内でのたび重なる詮議の結果、開かれている今場所とは別に、奉行所が後援となって西国大名家のお抱え力士と大阪相撲の交流戦を行うことになった。

 今回、忠春らが相撲部屋へ顔を出したのは各力士への慰労と、親方衆への説明を兼ねたものと事前に説明してある。


「これはこれはお奉行様。こんなむさ苦しい所へおおきに。ワシが天津風部屋の親方をやってる天津風三太夫といいます。よろしゅうお願いします」


 幅広の門をくぐると忠春らを出迎えたのは七代目天津風、天津風三太夫である。背は義親より頭一つ高く、十年ほど前に現役を退いたとはいえ体重は忠春の三倍以上はあるかもしれない。坊主頭と地黒の肌が天津風の親方たる威厳と威圧感をより一層高める。


「相撲興行だなんて突然の話で申し訳ないわね。内容は書状を送った通りよ。大丈夫かしら?」

「いやいや、そんなことあらへんです。最近は江戸相撲に押されとっていい力士も集まりません。そんな折の興行なので願ったり叶ったりですわ。懸賞金も用意してもらえるなんてホンマにありがたいです」


 食いつきはいい。天津風は垂れ下がった頬を緩ませる。


「見知った商家とも協力してるし、寄合からも幾ばくか出るみたいだから。そっちの方も問題ないわ。思う存分戦ってちょうだい」

「お奉行様の方で、寄合所にも話を通されとるし何の問題もありまへん。他の部屋の連中もそう言っとりました。全部お任せします」

「そうなの。それはありがたいわ。出来れば相撲部屋を案内してくれるとありがたいのだけど」


 忠春は試した。天津風は目を細めて言う。


「そりゃ光栄の至りです。虎徹山、ちょっと来い!」


 天津風が言うと、端に立っていた大男がこちらに寄って来た。


「親方、なんでしょうか」

「こいつは虎徹山源五郎。部屋一番の古株です。こいつと説明しましょう」

「そりゃ心強いわね。それじゃ、よろしく頼むわ」


 虎徹山は現役の力士なので顔つきは天津風よりも引き締まっている。背丈は天津風と大して変わらないが、現役力士な分だけ体格はいい。


「今、土俵ではぶつかり稽古をやっとります。まぁ、体を慣らすための準備運動とでもいっときましょうかね。それで、受けておるんがウチの部屋一番の力士、天桧山毅四郎です」


 結われた大銀杏は光沢を持ち、童顔で背丈は六尺に満たないと力士にしては少々小柄ではあるが、体つきは投げ飛ばされている他の力士とは全く違う。

 それに、虎徹山や他の力士はぬめりとした丸っこい巨体だが、天桧山はゴツゴツとしていて体の筋が浮いて見える。

 忠春らが来ようとも練習に身が入っているからか一瞥たりともしない。他の力士たちが浮足立っている中、異様な存在であった。


「なんか雰囲気が違うわね。体つきもそうだし、気迫みたいのも他の力士の比じゃないし」

「さすがはお奉行様。目のつけどころが違いますね。アイツは24と若いのですが、大阪じゃ一、二を争う関取です。今場所も6戦無敗。大阪相撲始まって以来の最年少小結ですから。来場所には関脇・大関やな」


 あくまで稽古とはいえ迫力が違う。天桧山自身と同じぐらいか、それよりも若い力士達のぶちかましを軽々といなして左右へ投げつける。


「天桧山は天才です。もちろんああいう風に努力はしとりますが、天賦の才能なんでしょう。齢36の私よりも巧みな土俵運びをしますから」

「お前が自慢げに語ってどうするねん。若い頃は三役やったろ。もっとしゃきんとせんかい」

「へぇ、虎徹山さんも強かったのね」


 忠春が言うと、体重は3倍以上ある虎徹山は恥ずかしそうに笑って答えた。


「まあそれなりです。膝を壊しちまったので昔のような取り組みは出来ませんけどね。今は平幕と十両の行ったり来たりですわ」

「それじゃ天桧山を紹介しましょ。稽古いったん止めい! 天桧山、こっちにこんかい!」


 雷のような声であった。天津風の声により土俵では動作が止み、天桧山が小走りでやって来た。


「親方、どうなさいましたか」

「なにいうとんねん。ここにおるのは西町奉行の大岡様や。さっきお前の話をしとった」

「ええ? なんで大岡様がここにおるんですか」


 取り組みは堅実かつ強胆でも、普段は少々抜けている所があるのだろう。もっとも、あれだけ稽古に真剣であれば、忠春らの存在に気がつかなくてもおかしく無いかもしれない。


「西町奉行の大岡越前守忠春よ。稽古を見させてもらったわ。なかなかやるじゃない」

「いやいや、御謙遜を。三方一両得や旗本奴などの江戸での活躍は大阪にも伝わっております。それに、先の奈良奉行所の裁きは感涙物です。私なんぞより大岡様のほうがやり手といいますか、とにかく凄いでしょう」

「そ、そうなの。ありがとう。明日の取り組みも期待してるわ」


 それに腰も低い。なかなか好感が持てる男である。忠春は思わぬ反応に自然と笑みを浮かべた。


「相撲じゃ鬼のような男ですけど、普段はこんな感じです。まぁ、人当たりもいいので悪か無いんやけどなぁ」

「兄貴もおったんですね」

「あ、兄貴?」


 天桧山のキラキラとした視線を追う。その先には苦笑する虎徹山があった。


「だからその呼び方はやめいや。お前はもっと堂々となぁ……」

「何言うとるんですか。俺を育てたのは虎徹山の兄貴でっしゃろ。それに、俺は兄貴の相撲を見て育ったんです。14年前に大関上げた大金星。あれは忘れられへん。それに10年前の瀬戸潮との戦いかて……」

「もうええで天桧山。あと、その言い方はええ加減やめいゆうとるやろ。さっさと練習に戻れ」

「ま、まぁ、仲が良いのはいいことだから別にいいんじゃないの?」

「お奉行様からの公認もろうたからええやないですか。それじゃ親方、俺は稽古に戻るんで。お奉行様、ゆっくりしてください」


 喋りながら天桧山は土俵へと戻っていった。天津風は諦めたように肩をすくめる。虎徹山もため息交じりに頬を掻いた。





 忠春らは力士の手形と直筆の名が入った掛け軸を貰うと、同じように大阪の相撲部屋10軒ほどを巡察した。

 どの相撲部屋も概ね似たようなもので、奉行所後援の相撲興行に関しても親方達の反応はすこぶる良く、特に問題はなさそうであった。 

 相撲部屋は新地・天満・堀江・中之島などと大阪各地にあったので、大阪中をぐるりと回って奉行所へ戻るべく堀江の辺りを歩いていた時である。


「なぁお姉ちゃん、さっき虎徹山に会うとったな」


 見知らぬ一人の少女が声を掛けて来た。


「……そうだけど、お嬢ちゃんはどっから来たの、迷子?」


 丸顔につぶらな瞳。黄色い虎柄の洒落た着物は少々だぶついている。

 左右に控えている同心与力は刀に手を掛けて身構えるが、忠春は平然と少女に近寄ってしゃがみこんだ。


「ウチは寅子。家はそこの甲子長屋や。それで虎徹山は元気にやっとったか?」


 寅子と名乗る少女はすぐ右を指差した。用水路を踏み板で隠した細い路地の先に洗濯物や桶などが置かれている。


「顔色は悪く無かったし多分元気なんじゃないかな。それでさ、寅子ちゃんはなんでそんなに虎徹山の事を聞きたがるの?」


 顔を傾けて笑みを浮かべると、一呼吸置いて寅子は喋りつづけた。


「あのな、アタシ、虎徹山がめっちゃ好きやねん。アタシんちみんな虎徹山好きで5つの頃からずっと追っかけてるんよ。大工のお父ちゃんは強かった時の話をしてくれるんや。それがな、めちゃくちゃすごいねん。今はパッとせえへんけど、昔はな、大阪随一の力士やってん。あの大関の山嵐から大金星取って関脇になったしな。ほかにも技だって多彩やったんで……」


 これを一息で喋り切ると、それから半刻ほど虎徹山話を聞かされた。絶え間なく喋りつづける寅子。忠春らが苦笑しつつ話を聞いていると日が傾き始める。天桧山と話させれば数日は優に語りあえるだろう。


「……わかった。わかったから。寅子ちゃんがどれだけ虎徹山を好きなのは十分にわかったわ」

「ホンマか。一人でも虎徹山通が増えてほしいんよ。今はちゃうけど、昔はお父ちゃんもお母ちゃんも虎徹山が好きやったからなぁ」

「ほら、日も落ちて来たから長屋に帰りなさい」

「そうやなぁ。お父ちゃんもお母ちゃんも心配するもんな。お姉ちゃん、お話聞いてくれてありがとうな。またお話しようや」


 手を振りながら細い路地を進んでいった。

 つまらない話ではないが、想定外な時にこれだけ長く聞かされると億劫になる。忠春一行はやっと終わったと一息ついた。


「あの虎徹山という力士にも熱心なのが付いているなんてな。女の趣味はよう分からんわ」

「しかも15.6の女の子だからな。中々通好みするもんだ。相撲好きなら男前の天桧山を応援したがるんやないんか」

「俺だったら間違いなく天桧山を応援するわ。カッコええし強いしの二冠やな」


 茶屋の長椅子に腰かけた、掛け軸の束を抱えた護衛の同心達はこぞって呟く。寅子は同心達の言う通り背丈と見た目からして15歳前後だろう。落ち目も落ち目の、見てくれもそんなに良くは無い力士を応援するモノ好きが居たものだと感心してしまう。

 対する天桧山は天津風が言う通りの希望の星であろう。

 実際に相撲部屋を回って分かったことだが、他の部屋に所属する三役に比べると実力はまだまだかもしれないが、見た目・風格・将来性は天桧山に軍配が上がる。


「……私だったら天桧山を応援しちゃうかもしれないな。あの子には悪いけど」

「天桧山関も、虎徹山関も昔は強かったと話していましたがどうなのでしょうか」

「まぁ、30後半にもなって十両に居られるんだから弱い訳じゃないんだろうけどね。でもそろそろ引退になるのかな」


 一般的に体勝負の力士という職は長く続けられないだろう。

 虎徹山は齢36。今場所が終われば引退となるに違いない。


「そうなったらあの子はどうするんですかね。他の部屋を応援するのか、はたまた大相撲を見なくなるのか」

「さあね。それよりも義親、親方達を見てどう思った?」


 そもそもここに来たのは寅子や天桧山・虎徹山と話したがためではない。投げ文の真偽を確かめるためである。


「まだ分かりません。天津風部屋の親方は落ち着き払っていましたし」


 前日に決まった突然の訪問だったが、どの部屋の親方達は忠春らを普通に応対していた。逆にそれが奇妙でもあった。


「ちょっとやそっとじゃ尻尾は出さないわね。それで、明日は春場所を見に行くんでしょ」

「はい。衛栄殿が勧進元と話を付けたそうです。大阪相撲の視察とかなんだとかで」


 実際の取組を見なければ判断のしようが無い。怪しい点がいくつか上がればそこを攻めて行けばいい。

 それに、忠春が待ちに待った初めての相撲観戦でもある。

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