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女奉行捕物帖  作者: 浅井
六甲颪と四月馬鹿
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卯月の馬鹿

「『神に捧げる丸い土俵の上、衆人環視の中がっぷりよつに組みあう二人の男子。付けているのは局部を隠すまわしのみ。男二人は激しく巨体をぶつけ合い、歓声の渦の中で腰に手をまわして体を密着云々』って。アンタさぁ……」

「ええ? けっこう頑張って書いたんだけど。これじゃダメかなぁ」


 朗らかな陽気が心地よい卯月の昼間のこと。大阪西町奉行大岡忠春は、抱え同心かつ無二の友人である屋山文から手渡された報告書を見て絶句する。

 それと同時に文の白々しい声が忠春の私邸を包み込んだ。


「……お前、本気でそれを言っているのか?」


 忠春の横に控えていた内与力根岸衛栄は頭を抱えながら聞く。文の言葉は変わらない。


「臨場感にあふれた表現でしょうが! 衛ちゃんは頭が固いなぁ。義親クンなら分かってくれるよね?」

「え、ええ? 私ですか? いやぁ、文章には疎いもので…… 平八郎さんならどう表現しますか」


 反応に困った内与力の小峰義親は、即座に同席していた与力大塩平八郎に話を振った。ちょこんと正座して下を向いたままずっと話を聞いていた平八郎は頭を上げると言う。


「……却下よ。却下却下却下! これじゃ公序良俗もへったくれもないじゃない! 文殿の頭をかち割ってその中身を見てみたいぐらいです!」


 感情を爆発させて耳まで真っ赤にして平八郎は言う。至極真っ当な感想だとその場にいた誰も(文を除く)が思ったことだろう。


「えー? 結構な自信作だったんだけどなぁ」


 文は頬をふくらました。今度は忠春がため息をついた。


「いやさ、文ちゃんの実力は大いに認めるわ。パッと見てその情景が何となく浮かんできちゃうし。でもダメでしょ。大阪相撲の報告書を書いたって言うのに、これは何よ」

「そういうことです! こんな表現じゃ陰間茶屋での一コマ二しか見えないじゃないの! 忠春様、こんな女やっぱり駄目です。さっさと江戸に返した方が……」


 平八郎は呆れて頭に手をやる忠春にすがるように泣きついた。それに文の何かに火を付けてしまったようだ。


「いやいや平ちゃんさ、どう見たって大阪相撲じゃないの。それにさ、はつちゃんだって誰もが陰間茶屋なんて言ってないのにさ。ああっ! まさか平ちゃんって……」

「な、何を言うか! 私は男色なんて……」

「ははん、この好き者め、このこのぉっ! それだったらお姉さんに言ってくれればいくらだって紹介してあげてもよかったのに」

「こ、この、このおおお無礼者め!」


 もう、こうなっては訳が分からない。平八郎は狼狽して文に掴みかかるし、文は面白がって平八郎を茶化し続ける。衛栄や義親が間に入っても関係ない。それが延々と繰り返されるので、忠春は頭を抱えるばかり。

 なぜこんなことになってしまったのか。それは前日、奉行所に投げ込まれた一通の手紙に端を発する。





 前日の明朝の事であった。朝番の同心が眠気まなこのまま奉行所内を見廻っていると、門前に一通の書状が置かれていた。

 差出人は不明。封筒には荒っぽい字でデカデカと「大阪西町奉行大岡忠春様」と書かれているのみである。

 同心は出仕してきた忠春に即刻報告。手紙の中身を要約するとこうだ。


「大阪相撲は八百長に塗れている。天津風部屋親方・楠部屋親方以下十数名、全ての部屋の親方衆が関わっていて、春場所の取組の大半はデタラメそのものである」


 忠春は即座に合議を招集。相手が見えている以上、やることは決まっている。材料を集めて情報のウラを取り、親方衆に付きつけるだけだ。数月内偵すれば分かる話だろう。

 そんな中、忠春が言葉を漏らした。


「そういえばさ、私、相撲って見たこと無いのよね。相撲会所は寺社奉行の管轄だったから関わりは無かったし。でも、雷電為右衛門とか谷風って横綱は凄かったって聞いたことあるけど……」


 忠春がこぼしたふとしたひと言が新たな展開を見せた。衛栄がわざとらしく頭を抱えて喋り出す。


「なんてこった。そりゃ人生の半分を損しているようなもんです。あんなに面白くて白熱する競技はありませんぜ。投げ文の真偽を確認する際に相撲部屋を回ったっていい」

「確かに。あの忠景殿でさえも相撲には詳しかったんですよ。一緒に見に行ったこともありますし」


 相撲は江戸で大きな娯楽であった。貞享の頃(一七世紀末)に元大名家抱え力士の相撲浪人たちが寄り集まって株仲間を結成。この頃から相撲が組織的な興行となって今に至るまで親しまれてきた。

 それから観戦の合間のツマミを販売する「相撲茶屋」、力士の順位表である「番付」、力士最強の称号「横綱」など、相撲観戦に欠かせない物が出来あがった。


「なんだったら見に行けばいいじゃないですか。最近は人気が落ちてきたとはいえ大阪は相撲の本場。雷電や谷風に負けないぐらいの力士がいるかもしれません。ちょっと唾を付けとけば江戸に帰った時の自慢にもなる。ちょうど今、勧進相撲もやっていることですし」


 所変わった大阪でも相撲は大の人気を誇っていた。江戸と同じように相撲部屋が様々あり、手紙に書かれていたように部屋数は十を超えた。


「いちいち癪に障るけど名案ね。衛栄、アンタもたまには使えるじゃないの。義親、今日の昼、相撲を見に行くわよ」

「残念ながら今日は無理です。奉行所での仕事が溜まりに溜まっています」


 現実は非情であった。忠春自身も分かってはいたが自然とため息が出る。


「……そうなの。それじゃ明日とか明後日以降ならどう?」

「ま、まぁ、それならなんとかなるかもしれませんが……」

「それならさ、私が今日、はつちゃんの代わりに私が相撲を見に行って、見たままを伝えてあげるよ。文章に自信はあるし」


 衛栄が言うには天神でやっているらしい。西町奉行所からそう遠くは無い。


「悪く無い考えね。それじゃよろしく頼もうかな」

「はーい! それじゃ、明日中に報告しに来るね」


 忠春は二つ返事で了承。文もようようと仕事に取り掛かった。

 そして文が自信満々にしたためた文書、冒頭の件に戻るのである。





「それでどうだったの。露骨に手を抜いてたりなんなりしていたの?」


 二人が落ち着いた所で忠春は問う。


「うーん、まぁまぁかな。私も江戸で数回見たけど、そんなに大差とか無い気がするよ。大きな裸の男同士がひっついたり、腰に手をまわされて顔を赤らめたり……」

「……それはもういいから。分かった。ありがとう。意外とこの子はダメね。武術だったりそう言う系統はとことん使い物にならないのかも」

「……酷く言うんだね」


 文は呟くと、平八郎も答える。


「とりあえず話は理解しました。相撲はあくまで娯楽とはいえ、組織ぐるみでこういった行為が行われているというのであれば、私たちが放っておくわけにはいきません」

「さすがだな優等生。にしても一つだけ疑問があるんだが」

「なんだ髭男」


 衛栄が聞くと平八郎は冷たく問い返した。新しい奉行の実力を認めたとはいえ、連れて来た配下の人間にはまだ冷たく接している。


「ここは俺たちの屋敷であり忠春様の私邸だ。そこになぜおまえがいるんだ」

「なんだ。そういうことか髭男。忠春様、聞きたいことがございます」


 予想はつく。目の前にいる衛栄と文以外で平八郎が不満に思っていることといえば一つしかない。


「なぜ曹乙の一件が切支丹の犯行ということになっているのですか」

「あー、あの件ね……」


 奉行所内でもあの一件はしこりに残っていた。


「私だって思う所はあるわ。見込み違いがあったし、あの場で色々といわれるなんて思ってもみなかった。それに、曹乙の首をはねたというのも納得は出来ないし」


 単なる新興宗教であった新光門がいつの間にか切支丹にされ、当初は遠島にしようと思っていた新光門の教祖は獄門打ち首に。首が晒されるまでになった。 


「ならばあの男になぜ食い下がらないのですか。日和った判断なんて私の求める忠春様ではございませぬ!」

「まぁ、そこまで言ってもらえるのは嬉しんだけどさ。平八郎、あのね……」


 忠春は黙り込む。平八郎にそこまで言われるのは、短い今までで培ってきた信頼の証であろう。しかし、そうも言っていられない。

 口を開こうとした忠春に変わって、衛栄が口を荒げて割り込んだ。


「あのなぁ平八郎、世の中にはどうしようもないことだってあるだろ。大阪城代には城代の考えがあるんだ。それに、ただの治安維持が切支丹捕縛になったんだ。功名が増えたんだからそれはそれでよかった思った方がだな……」

「何を抜かすか髭男! 身に覚えのない功名なんぞ犬にでも食わせてやればいい! 忠春様、もしもそんなものが自分の出世に関係するのであれば、この大塩平八郎、泥に塗れた栄誉など辞退いたしますのでそのつもりでいてください」


 衛栄は忠春と顔を見合わせる。それから「何を言っても無駄だ」といった表情のまま肩をすくめて、すごすごとその場から退散していく。文も同様に部屋から出て行った。


「……口を慎みなさい。平八郎のその熱意はいいと思う。直情径行とでもいうのかな、愚直なまでに政道を正そうとする志は認める。正直言って私もあの男は嫌ってるし、どうにかしなきゃいけないと思う」


 忠春は言う。平八郎はまず三つ指を立てて頭を下げた。しかし、平八郎はなおも食らいついた。


「出過ぎたまねを申し訳ございません。しかし、そこまで言われるのであれば、大阪城代水野忠邦にそう申せばよいではありませんか。はっきり言って市中での評判は最悪です。この数月、あの男の行動を見てわかったのですが、江戸から流れついた風評通りの男でしょう」

「でも言い過ぎよ。とにかく堪えなさい。アイツが幅を利かせないように高井殿と私で大阪を守るの。 ……それが最善策よ」


 今はそう言うしかない。東西奉行所の案を通しに行った後、自信に満ちていた大阪東町奉行高井実徳に影が差していた。

 人脈に乏しい忠春にとって力強い盟友である実徳を失うのは自身の失脚にもつながる。そうなると、忠春が大阪にやってきた意味がなくなってしまう。

 だからこそ、忠邦に食らいつく場面では食らいつくが、妥協できる所は妥協しなければならない。冷静に考えて、あの一件は妥協しても良かったと忠春には思えた。


「切支丹捕縛になったのだってさ、アンタが『そんなことはない』って思ってるなら、世間が何と言おうがそれでいいじゃない。仮にさっき言った通りの事を言われたって周りを通り過ぎる風ぐらいに思ってさ」


 かといって、そのことを正直に喋っても平八郎が納得するはずが無い。今はとにかく宥めるしかない。


「……忠春様がそこまで仰るのであれば一旦は堪えましょう。しかし、納得は出来ません。失礼いたします」


 平八郎は頭を下げると長い髪を振り乱して去っていく。忠春と義親は安堵のため息をつくと思い思いに話しだす。


「平八郎殿もなかなか言うんですね。あそこまで啖呵を切るとは思いもしませんでした」

「思っていた以上の堅物振りね。私と同い年だなんて思えない。でもさ、それだけ強く思えるんだったら衛栄が言ったぐらいに思っておけばいいのにね」


 初めて出会って以来、平八郎とある程度打ち解けたので若干柔和になったかと思えば、ここにきて態度を硬化させる。気苦労がまた増えた。


「まぁ、今だから分かるんだけど、私も最初はあんな感じだったんだろうなって思うのよね。アンタや政憲はきっと苦労したんでしょう」


 隣で聞いていた義親は無言を貫いて苦笑するのみだった。

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