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女奉行捕物帖  作者: 浅井
科戸の風ぞ吹きはらはむ
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突入せよ

 新光門本部は物々しい雰囲気だった。

 風を受けてはためいていた白い幟旗は全て下げられ、市井の人々を見下ろすように建っている山門も仲から閂がされているのだろうか、押してもびくともしない。


「……連中、気が付いたんか」

「その可能性もあるな。平八郎様、裏手から何名か忍び込ませますか?」


 山門前に30名、新光門の裏手には元から潜ませていた5人組の3個小隊が待機していた。

 また、これまで茶臼山一帯を調べたところ、新光門本部から外へ抜ける隧道は確認出来なかったので完全に包囲していることになる。建物に屋根も当然あった。


「大丈夫。私が確かめる」


 山門の前に整列する奉行所の一隊。それを囲むように町人達がざわついている。

 平八郎が一歩踏み出て透き通る声で叫んだ。


「西町奉行所の大塩平八郎よ。お前たちには数多の罪状の容疑がある。即刻山門を開けよ! 我々の指示に従うのだ!」


 ひと声で場は気味が悪いぐらいに静まり返った。新光門本部は尚も静けさを保っている。


「……ものども掛かれ! 山門をぶち破れっ!」

「おおおおおおおおお!」


 丸太の先端に金具を取り付けた破城槌を数名掛かりで山門にたたき込む。

 低い衝撃が辺りに何度も走ると、山門に小さな隙間が見え始める。


「全員、刺又構えい! 門が開き次第、隊列を整えて飛び込むぞ!」


 門扉がきしみ始めると、三郎が号令する。汗を飛び散らし、白い息を吐いて一心不乱に破城槌を叩き続けると閂が悲鳴を上げた。

 しかし、依然として門内は静けさを保っている。物音ひとつ聞こえないし、応戦するようなそぶりも見せない。

 とはいえ呼びかけにも応じず、閂を掛けて来るものを拒んでいるということは、何かあるという事には違いが無い。


「突撃準備! 門が開くぞぉ!」


 勢いそのままに門は破られた。しかし、山門の奥はやけに静かである。


「……やけに静かやな」

「……連中、いないんか?」

「それは無いはず。隊列を整え次第、一気呵成に踏み込みこむの……」


 平八郎が言い切ったのと同時。斜め左にそびえ立つ黒い蔵から黒煙が上がった。


「へ、平八郎様! 火の手が上がりました! 隊を分けましょうか!」


 三郎がうろたえて声を震わせる。平八郎は冷静だった。

 火の勢いは凄まじく、あらかじめ何か忍ばせておいたとしか考えられない。


「このまま突き進むのよ。一人たりとも逃さないで」


 平八郎が差配を振ると、同心達は縦隊を組んで新光門本部へとなだれ込んだ。

 30名近い同心達が7尺ほどの刺又を揃えて参道中央を行進する。辺りは整然とされていて、庭の手入れも行き届いている。それに、何者かがこちらの動きを覗っているような視線も感じた。


「新光門に刃向かうとは不届千万! 我々の教えを知れ!」


 参道の半ばまで進むと、道場から三人組が飛び出してきて襲いかかって来た。


「分隊を分けて連中に刺又を向けい! 近づいてくるのを阻止するんや!」


 又兵衛の号令で参道を直進する本隊から5名が横隊を組んで対応する。


「うおおおりゃぁ」

「ぐぎぎぎ、このまま曹乙様を捕らえるなど不敬、不敬極まりないぞ! い、いずれ、己、らに天罰が下るのは、必定っ! せい、せいぜい、恐れ慄くがいい!」


 刺又の無数に生えた棘白い衣服を絡められると、体が言うことは聞かない。道場の壁や砂利道に抑えつけられた三人組は揃って言う。

 三人組は何する訳でもなく簡単に捕らえられたのだが、その必死の形相と、曹乙への無二の敬愛ぶりが奉行所の同心達の心に恐怖を覚えさせる。整然と隊列を組んでいたが、少しずつ綻びを見せ始めた。


「……構うことは無いわ。又兵衛は何人は連れて道場を制圧していって。さっきみたく抵抗しようとする信者がいるかもしれないし」

「平八郎様はどうするんですか」

「本堂に向かう。こっちは数人いれば大丈夫だから。三郎、行くわよ」


 返事をすると老同心二人は10名程度を引き連れて道場へと向かった。


「それじゃ、行くわよ……」


 目の前には本堂がそびえ立つ。

 同心らは息を合わせて先ほどと同様に、破城槌を門扉に叩きこんだ。


「連中、何を考えてるんやろうか……」


 本堂の銅扉は、破城槌の衝撃を完璧に受け取って、何の抵抗もせずに簡単に開いた。

 それが同心達の恐怖心をより一層煽る。


「へへ、平八郎様、本当によろしいんですか?」

「……気にすることは無いわ。進んで」


 真っ暗な本堂に、朝日を浴びて平八郎らの影が奥へと伸びる。影の先には蝋燭の淡い光に照らされて祭壇に向かって黙って手を合わせる曹乙一人のみがいた。

 曹乙は姿を見られて驚くどころか冷静だった。手を合わせながら平八郎らの方を振り向くことなく淡々と語り出す。


「よく来られました。物騒なものはしまいなさい」

「曹乙さん、あなた達には数多の罪状が掛けられている。大人しく投降しなさい」


 同心達は震えながら曹乙へと刺又を向ける。平八郎も息を呑んだ。


「……いいでしょう。反抗はしません。奉行所へと連れて行って下さい」


 曹乙は静かに立ち上がると平八郎の目の前まで来て言う。


「そ、それでいいの?」

「信徒が何を言っているかは知りませんが、私を捕らえたからと言って天罰が下るとかそういうことはありません。全ては因果応報。それだけです」


 そう言うと曹乙は白い手を黙って差し出す。


「私たちは大きくなりすぎました。いずれかはこうなる運命だったのでしょう。仕方ありませんね」


 ここまで素直に応じたことに、同心達は尚も震える。平八郎と三郎は顔を見合わせた。





「本隊が突入したようやな」


 本部の裏手に控えていた主税率いる10名は、平八郎らが上げた鬨の声を藪の中で聞いていた。

 新光門信者の声なのだろうか、周りでうごめく野次馬の声なのかは分からない。束の間の静けさの後、とにかく辺りは騒然とし出した。


「我々も突入しますか?」

「あくまで逃げ出すヤツらを逃さないのがワシらの役目や。血気に逸って突入した所で何の意味もあらへん」


 新光門本部の周りには、捕物の際に逃亡者を出さないために同心や目明かしが配置されていた。

 主税はその一隊を率いて西側を担当している。


「火や! 建物が燃えとります!」


 すると、白漆喰の壁越しにあった建物から火の手がドッと上がる。まばゆいばかりの火炎だが、美しくとも何と無い。


「どうしますか! すぐに突入した方が……」


 主税らはほぼ四角形になっている建物の左辺にいる。位置的に火が燃えているのは立ち入り禁止の真っ黒な蔵であろう。


「確か、あそこにはかなり危ない患者がおるんやったな」

「それやったら尚更です。デクさん、はよう行きましょう!」


 若い同心が主税を急かす。

 それと同じぐらいに主税の判断も早かった。


「お前を筆頭に2人を差し向ける。あそこは重病の患者がおる建物やしあの大火事や。煙も吸わんように口と鼻はしっかりと隠していけ。すぐに火消しも来るから無茶はするなよ」


 若い同心と目明かしが「おう」と返事をすると梯子を掛けて塀を乗り越えていく。

 ちょうどそのすれ違いざまだった。塀の向こう側から二人の声が上がると、大きな黒い影が茂みに飛び降りてきた。遠目で見ても分かる位大柄な男で、黄金に輝く錫杖を持ち顔を頭巾で隠している。


「逃亡者です! 早う追いましょう!」


 そんなヤツは一人しかいない。主税の判断は早かった。


「……お前らは残っとれ。ワシ一人で十分や」

「せ、せやけど、ええんですか?」

「全員で追ったら他の連中が逃げ出すやろ? ここには5人もおりゃええ。とにかく見張っとれ」


 同心の斉藤が言うも、主税は大男を追った。

 枯れきって腐食し始めた木の葉に、乾ききった枯れ枝を踏みならす。先に走る大男も、背後から小枝が折れ割れる音がして追手が居ることを悟ったらしい。それが、大阪随一の大男であることも同時に確認した。

 大男は難波村の南へと向かっていたが、走る速度を緩めて茶臼山を駆け昇ってゆく。


 茶臼山の頂はなだらかな平地が広がっている。

 今ではただの雑木林と雑草の生い茂るのみだが、かつて日本を二分した大阪城の大戦で豊臣方の最精鋭であった真田信繁がこの地に本陣を置いて戦況を覗っていた。


「久しぶりやなぁデクさんよ。このツラを当然覚えとるよな?」

「ちょうどええわ。林太郎、過去の因縁を解こうやないか」

「主税ぁ、俺もてめえを探してた所だ。入りこんできた本隊にゃ、オノレの姿はなかったしな」


 吹きさらす生駒からの寒風の中、作林が五尺はあろう錫杖を地面にたたきつけると遊環がふわりと浮いて音を鳴らした。喧しく鳴いているカラスが飛び立ってゆく。


「アホ抜かせ。仲間放っぽり出しといてそのもの言いか。単身逃げ出しといてカッコつけんなや」


 主税は刀を抜く。なんてことのない普通の太刀だが、身長があるだけに脇差ぐらいにしか見えない。


「主税よお、どうせ死ぬんだからいいことを教えてやる。オノレの娘、殺したのは俺だ。流行病でもなんでもねえ。俺の手で捻り殺してやったよ」

「あ、ああ?」

「この傷を付けられた時、必ず復讐してやるって誓った。そして諸国を回って医術を学んだ。それがヤツとの約束だった」


 作林は再度錫杖を叩きつけて中段に構える。


「昔の病騒ぎはな、俺らが起こしたったんだよ。死なない程度に調合した薬を使ってな」


 誇らしげに作林は語る。主税は黙ったまま上段に構えて錫杖の穂先を見つめて続ける。


「お前たちはコトの真相をしってるんだろ? 俺の傷を付けたあの事件は冤罪だ。ヤツ、いやお師さんは何も悪いことはしていない。それを分かってた癖に功名目当てで捕まえやがった。絶対に許せない」


 捕まった主犯格の名前など覚えていない。それなりに年を取っていた男だったような気がする。


「もうええやろ。真相はワシも知らんし、一端の同心は言われたまま動くしか無い。娘が死んだのも過ぎた話や。お前を恨んだ所で帰ってくる訳でも無いしな。潔く縄につけ」

「お前がどう思おうが俺の知ったことではない。俺はお前を殺す。おら、覚悟しやがれ!」


 作林は態勢を低くして一直線に主税へと斬り込んだ。喉仏めがけて輪形が飛び込む。

 主税は半身になってそれをかわす。輪形の先端は鋭く研がれており、かすめた首筋から血が滴った。


「おら、打ち返してみやがれ!」


 数歩後ずさってすぐさま錫杖を構えなおすと、作林は主税めがけて再度突きにかかった。

 主税は刀のハバキで受けると左へ弾き返した。受け流されて力の生き場を失った錫杖はあらぬ方向に持っていかれて作林は再び体勢を崩した。


「うおりゃぁっ」


 後ろに仰け反った作林に一太刀浴びせようと、主税はその場で反転して刀を振り下ろす。


「諸国を廻って杖術も学んだ。死にさらせデクが!」


 錫杖の石突も輪形と同様に尖らせていたらしい。石突が主税の左頬を抉り、血飛沫辺りを飛散。

 しかし、主税の一撃も届いていた。身長が高いだけに、腕の長さ分だけ刀の届く範囲が長かった。

 主税の一振りが、作林の顔をしっかりと捉える。


「これで満足か。これで満足なのか?」

「お、おおこの、デクが、お師さ、作兵衛さ……」


 額から流れ出る血で真っ赤に染まった唇を数度動かして呟くと。すぐに作林は息絶えた。


「主税様!」


 主税を追い掛けて茶臼山を駆けあがってきた若い同心が大声で叫んだ。その後続には塀を乗り越えてきた者もいる。


「こっちは片付いた。そっちはどうや?」

「蔵の火もなんとか収まり、本部は制圧のこと。教祖曹乙も無事捕らえたのことです。それよりもその傷は大丈夫ですか」


 傷口を手で触ると、ねっとりと血の後が付いている。それも、かなりの量だった。

 主税は顔を懐中鏡で確認すると、荒い鏡面でもわかるぐらい頬の肉が削がれていた。傷跡は残るだろう。


「ワシは問題ない。それとようやった。分隊をここに集めい。こいつを回収せなあかん」


 指差した先には作林の遺骸。同心達は担架を作ると黒布をかぶせて運搬し始める。

 ふと山の頂から本部の山門を見ると、連れて行かれる新光門信徒らの姿が小さく見える。続々と列をなして歩く中には結の姿もあった。


「それと主税様。一つおかしなことがあったんです」

「……なんや」


 煤塗れになって顔中を黒くした目明かしが息を切らしながら話した。


「あの蔵の中に重病人なんておりませんでした。それどころか、薬の類いや布団の一つもありません。あったんは、何かの骨みたいなのと人が数人入れるくらいに大きな鍋でした」

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