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女奉行捕物帖  作者: 浅井
科戸の風ぞ吹きはらはむ
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素顔のままで

 作林は茶臼山麓の新光門根拠地を出ると、河底池を南に下った。コンニャクで有名な庚申堂を横目に見つつ提灯を提げながらひたすら歩いて行く。

 当然、暗がりの中なので人通りはほとんどない。半里歩いて人一人とすれ違うかぐらいに通りはまばらで、ボウボウに生えた雑草が真冬の冷たい風に揺れてすすり泣く音しか聞こえない。


「……かなり南にきたね。安倍晴明神社を通り越しちゃったけど」


 四天王寺から半里ほど。安倍晴明神社の辺りまで来ると大阪の景色は一変する。

 寺で溢れていた四天王寺の面影は無く、あるとすれば地平線の彼方まで見えそうなくらいに広い田畑がある。建物があるとするならば、緑の海原の中にポツリポツリと小島のように神社が建立されているぐらいのものだ。この暗がりでは街道沿いにある神社の石灯籠が数少ない光源であった。

 そんな何も無い田舎道を文はひたすら歩く。そして茶臼山から半刻程経った頃だ。作林は万代池のほとりにあるあばら家に入って行く。


「……他にも何人かいるね」


 あばら家は文字通りの肋屋で壁も屋根も崩れかかっていて、外からでも室内が簡単に見える。中を隠れ見るには容易い。


「遅かったな作林はん。足抜けしようって男はどうないしたんや?」

「ああ。しっかり処分させたわ。熱心な信者にやらせたから抜かりはないやろ」


 作林の他にも数人の男たちがすでにたむろしていた。

 ボロ引き戸を勢いよく閉じるとあばら家が数寸傾いた気がする。


「この10年くらいで、稼げるだけ稼いでやったんだ。もう後残りなんて無いだろう。あの女のままごとに付き合うのも終わりにしようや」

「当たり前だ。これだけあれば顔を直しても釣りがくる。何もしなくたって遊んで暮らせるだろうよ」


 作林が笑うと、他の男たちも同じように笑いながら散らかっている徳利を傾けた。


「それやったら、あの女はどうするんや」

「曹乙、いや、キョウやったな。あのアホなんざどうなろうが知ったこっちゃないわ。ありもしない助けを死ぬまで請いてりゃええ」

「それじゃどうするか? 逃げるなら早い方がええやろ。明日にでも逃げ出すか?」

「そりゃ早すぎや。あの女を上手いこと説得せなアカンし、施設を破却せなアカン。色々と消さなきゃいけへんのがぎょうさんあるからな」

「んなことはどうでもええやろ。アイツの味方は死にかけの爺さん婆さんか、頭のイカれた乞食ぐらいや。何か言ってきたら二・三発かましたれば万事解決や」


 仲間の内の一人は大口を開けて笑う。作林も同様に笑った。


「帳簿の類いは燃やせばええし、残された大釜を見たってなんのこっちゃ分からんやろ」

「確かにそうやな。濁り薬を煎じてたくらいにしか思えへんやろ。道修町の連中が何度か新光門にやって来て探っとるとかいっとたしな」

「そういえばそんな話もあったな。まぁ、それ以降音沙汰が無い所を見ると、奉行所の連中も空振りに終わったんやろ。そりゃ薬売りもバレたらコレやからな」

「連中もアホや。高く売れるからって胡散臭い所で原材料を調達するんやからな。自分らで底なしの泥沼に入りこんできやがった。ホンマ、金にがめつい奴らやで」


 文も道修町や大店とのつながりがあることを、平八郎らの資料や聞き及んだ情報で掴んでいた。が、。

 懐に手を運んで即座に懐紙へと筆を走らせる。


「前に鄙に飛ばされたけど、この10年でヤルことはやったしな。腐れ商人もどうだってええ。上方さえ離れちまえば縁もゆかりもあらへん」

「それに、林太郎にゃ腕っ節があるからな。金をいくばくか渡して脅してやりゃ簡単に逃げられるやろ」


 盃片手に顔を真っ赤にした男が作林の肩に手を掛けた。聞き知った言葉が聞こえて、文の集中力はより一層高まる。


「……昔の名前で呼ぶな。俺は主座の作林。修羅場をくぐり抜けた仲だが、これだけは忘れるんじゃねえ」


 作林が怒気を込めて言い放つと場の空気が凍る。肩に手を掛けた男も、作林の一喝で酔いがさめたのかすごすごと引き下がる。


「そう怒んなや。しかし、奉行所の同心がやって来た時はホンマに焦ったで」

「けど、言いがかりやったからな。日ごろから悲田院で上手いことやっといた甲斐があったわ」

「せやな。何か情報を掴んどるのかと思いきや、どうやらそうでもなさそうやな。切れ者を忍ばせて来るかと思いきや、あの大男は間違いなく腑抜けや。なんも怖くないわ」

「遠巻きに覗いとったけど、アイツは駄目や。図体ばかりでかくて頭の中身は空っぽやな。あれじゃ家庭もロクなもんじゃない」

「そう言ってやるな。お前はらはアイツがどんなのか知らないだろ?」


 作林は手を後ろに回して汚れ一つない頭巾を天高く放り投げる。

 乾いた風に揺られてヒラヒラと落ちていく頭巾。作林のこめかみから右頬にかけて、三日月のように湾曲した縫合後が残っている。

 文も目を丸くした。


「あっ! あの顔は……」

「……あの大男は昔、この傷を付けてくれたからな。次、現れた時がヤツの最後だ。ガキだけじゃねえ。アイツのタマを取ってやるよ」





 張り込みから三日経った。大阪西町奉行所は臨戦態勢が取られていた。

 いつもであれば奉行所中を駆けまわる同心たちは、鎖帷子・陣笠・刺又と装備を固めて門前で屹立している。

 老同心三名も同様で、先頭に立つ平八郎の横をガッチリと固めている。


「平八郎、準備はよさそうね」

「はい。既に数名は新光門の根拠地の周りに配備しています」


 平八郎は横で構える三郎に目をやった。


「ええ。万時抜かりはありまへん。昨日からデ、いや主税が張り込んで配置までやっておるので」

「ごくろうさま。しかし、昔、取り逃した男が敵の大幹部だったとはね」


 忠春は脇から古くなって黄色く褪せた人相書を取り出して言う。


「はい。私も予想外でした。忠春様の慧眼には感服いたします……」

「そんなことはどうでもいいわ。今回の捕物は平八郎に全部お任せするから。やむを得ずに連中を殺す必要があったら、気に病むことは無いわ。殺してかまわないわ」

「分かっています。ただ、関係者はきっちりと連れて帰ってきて余罪を追及してやりますので」


 平八郎は意気込んでいる。小さな体に余る位大きな笠に帷子を着た姿は七五三の晴れ姿を思い起こさせるが、威厳はあった。

 それ以上に、配下の同心たちが子ども隊長の周りで佇立している様に威厳を感じたのかもしれない。


「よろしく頼んだわよ。それじゃいってらっしゃい」


 平八郎麾下30名は隊列を整えて四天王寺の新光門へと向かって行く。


「ふぅ。あれだけいれば幹部級の信者は取り漏らさないでしょうね」

「そうですね。平八郎殿も気合十分って感じでしたし、ここずっと大きな捕物はありませんでしたから力も入るでしょう」


 忠春と義親の二人が彼らの背中を見送る。すると横に文がやって来た。


「文ちゃん、最後の最後にお手柄だったわ。平八郎の所にあなたを送った甲斐があった」

「へへ。ありがとね。それじゃ、私は捕物の取材に……」


 文は微笑むとすぐさま踵を返して隊列に付いていこうとする。


「ちょっと待ちなさい。文ちゃん、今日はいつもみたく調子に乗らないのね。見張りの時になんかあったの?」


 忠春が聞く。普段通りの文であれば二・三調子のいいことを言って突然現れる衛栄にこっぴどくやられるのが筋だ。

 だが、今日の文は妙にしおらしい。


「……いんや。なんにもなかったよ。普通に張り込んで、普通に尾行して、普通に情報を聞いただけ」


 文は忠春の目を見据えてニッコリと微笑む。「何にも無いよ」とも見えるし「これ以上聞かないでね」という風にも見える。

 忠春がどちらを選択したかは分からない。ただ、適当に受け流した。


「……まぁいいわ。それならいいんだけど」

「それじゃ私は新光門の所に行ってくるね。この一件について記事を書かなくちゃいけないもんね」

「はいはい。今回は御苦労さま。またよろしくお願いね」


 文は両手をブンブンと振り回しながら「はーいっ!」と大声を上げて四天王寺へと向かって行く。

 そんな背中を見送っていると横に控える義親が口を開いた。


「それよりも城代にはどう報告するんですか?」

「ありのままを伝えるだけよ。『美人局や詐欺まがいの行為で町人から金品を召しとっている宗教団体を捕まえた』って。それで『処分については東西奉行と詮議の上でしっかりと決めさせてもらいます』。それ以外に何かある?」

「いや、特にはありませんが……」


 義親は言う。だが、妙に歯切れが悪く、すぐに忠春から目を逸らしてよその方を向いてしまう。


「含みのある言い方ね。はっきり言いなさいよ」

「まぁ、別にいいですけど……」

「それじゃ、俺が代わりに言ってやりましょう」


 バツが悪そうに義親がしていると、背後から衛栄がやって来た。


「急にどうしたの。まぁ、代わりに言うんだったら言ってちょうだい」


 衛栄は咳をして喉を整えるとはっきりと言った。


「簡単なことです。連中の親玉をどう処分するかって話だ。曲がりなりにも教祖を名乗るほど厚かましく、なお且つそれを信じる輩が数百・数千はいるんですよ。処分を一歩でも誤ったらエライ目に遭うって事だな」


 衛栄はスラスラと言いきると、義親は何度も頷いた。忠春も話を聞きながら何度も頷いている。


「なるほど一理あるわね。でも、今回の一件については教祖の曹乙じゃなくて、周りにいた連中の処分が中心になるでしょ」

「それなら教祖の処分はどうするのですか」

「あの手の頭領って殺したらヤヤコシイことになるから遠島ね。実徳殿には説明すれば分かってもらえるだろうし」

「なら俺たちも安心です。血気に逸って殺すんじゃないかってヒヤヒヤしてましたから」

「江戸で学んだから大丈夫だって。あの一件の二の舞は勘弁だから」


 昨年の冬だった。旗本奴の伝説を忠春自らの手で作ってしまった過去がある。それだけに、一種のカリスマ的な人間の処罰は慎重になっていた。

 それだけに、今回の一件は仔細は異なるものの狂信者を生みかねない者の処分問題である。忠春が冷静になるのも当たり前であった。

 そんな忠春の反応を見て、義親・衛栄はしみじみと語る。


「なんていうか、忠春様も大人になりましたね。昔だったら平八郎じゃなくて忠春様が分け入って指揮を執ってただろうよ」

「確かにそうですね。衛栄殿も私も武具を着込んで敵陣めがけて突進してましたよ」

「……失礼なことを言うのね。まぁ、あながち間違っちゃいないけどさ」


 忠春は肩をすくめて苦笑した。


「やっぱりそうじゃないですか。それじゃどんな心境の変化があったんですか」

「そりゃぁ、決まってるでしょ……」


 義親が言うと忠春は言う。


「上に立つ者ってのはドッシリ構えなきゃいけない時もあるってのを学んだのよ。前は動きまわることが部下に信頼される秘訣なんて思ってたけど、時にはしっかりと周りを見て差配を下すのも信頼を勝ち取る手段なんだなって思ったの」

「まぁ、あれだけ事件があったら嫌でも学びますよね。じゃなかったら政憲さんの所に戻ってやるところですから」

「別に戻りたかったら戻っていいから。人では予想外に足りてたしね。それじゃ、仕事の続きをするわよ。書類や文書はいくらでもあるから早く来なさい」


 衛栄が茶々入れするも、忠春は足早に奉行所へと入って行った。

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