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女奉行捕物帖  作者: 浅井
科戸の風ぞ吹きはらはむ
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古傷

「ねぇデクさん、どうしてそんなに大きいの?」

「ううん、なんでかなぁ」

「真面目にやってきたからでしょ」


 時は亥の刻を半分ほど過ぎた頃だろうか。

 主税は、三郎の手配で新光門の山門が手に取るように分かる場所に張り込み宿を取っていた。昼間は新光門に入りこんで捜査し、夜中はこうやって日夜連中の動きを狙っている。


「……それでどうなんか。文さん」

「出て来ないね。デクちゃんが大きいからじゃないの?」

「タッパは関係ないやろ。それよりもアンタは何者なんや。忠春様の肝いりとは聞いたけども」

「私は屋山文。忠春様の親友かつ同心よ。ついでに栄ちゃんは私のダーリンだから。情報収集に隠密働きなら私に任せてね。ちなみにダーリンってのは毛唐の言葉で……」


 どん詰まりの平八郎は、新光門への踏み込みが決まった所で忠春らと協議した。そこで『多分、見張りに役立つと思う。多分だけどさ……』ということで文が派遣された。


「その台詞5回は聞いたわ。ワシが聞きたいのはそういうことやない。生まれや経歴や。順を追って説明しい」

「生まれは江戸じゃ有名な瓦版業者の屋山家。私はそこの箱入り娘。はつちゃんの後を追って大阪に来たって訳。これでいい?」


 文は胸を張ってスラスラと言って見せる。だが、主税は依然として不信感でいっぱいだ。


「……話にならへん。平八郎様は何考えとんねんな」

「知ってると思うけど、今年の初めに起きた奈良奉行所の裁きの物証・情報その他もろもろは私が全て担ったの。あの時に主税さんもいたわよね?」


 主税は頷いた。その時の主税らは野次馬の整理をしていたが、遠目から見てもあの裁きは見事なものだった。いい噂を聞かない役人が、忠春の言葉で崩れ落ちていく様は胸がすっとした気分だったし、その周りで文がウロウロと何かしていたことも知っている。

 だが、主税の顔は一向に晴れない。


「確かにおった。せやけど、んなことがあるかい。お前さんを奉行所でたまに見かけとったって、溜まり部屋でゴロゴロしとるか、衛栄様にくっ付きに行っては庭に突き飛ばされとるくらいしかしてないやろ」

「当たり前じゃない。普段は外で情報を探ってるんだから。奉行所内でする仕事なんてほとんど無いし」


 文は向きになって言い返す。白い肌がみるみる怒りで紅潮して行く。


「んなこたいくらでも言えるわ。せやったらワシは普段は昼行燈。せやけど夜になったら暗殺者の仕事人や。どうや凄いやろ!」


 「アホ抜かせ」と小さくつぶやくと、腕を組み直して窓の外に神経を尖らせた。

 口を尖らせていた文だったが、ほのかに口角を上げて主税の耳元で囁く。


「……そうそう、いい情報から教えてあげる。デクちゃんの奥さんって新光門の熱心な信者なんだよね。いやぁ、それだけに今回の一件は色々と大変でしょう」


 同じように顔を赤くした主税の顔から血の気が一気に冷めた。見張っているのが分からないように部屋の明かりは極限まで落としている。蝋燭一本が部屋の奥で煌々と燃えるのみで、部屋の中で見えるのは互いの顔の影くらいなのだが部屋にいる誰もが主税の顔色の変わり具合を分かっただろう。もっとも、部屋には文しかいないのだが。


「な、なんで知っとるんや。誰に聞いたんか?」

「そりゃぁ、それが仕事ですから。あと、情報元は隠す。これが記者の鉄則ね。別にそれで強請ろうとか考えてないよ。確か、名前は松橋結。生まれは奉行所の与力の娘で、デクちゃんとの間に子どもが居たとか……」


 文は意地悪そうに小さく口角を上げて微笑む。主税は自然と出たため息と共に頷くしかない。


「……もうええ。アンタの実力は分かった。すまんかったな。認めざるを得ないわ」

「それよりもはつちゃんに聞いたんだけど、人相書は持って来たんでしょ?」


 主税はくだびれた長い指で蝋燭のたもとを指し示した。

 ぼうっと光る蝋燭の前に山積みになったしわくちゃの紙の束が置かれている。


「過去の事件で、行方をくらました事件の人相書を片っ端から持ってくるなんて考えつかないよね。あの発想には私も一本取られちゃったな」


 文は両手を広げて息を吐く。

 先の協議で張り込み宿に文を派遣する事が決まったと同時に、忠春が言った「改帳に無いって事は地元の人間で、なおかつ罪人とか流れ者ってことじゃないの?」ということで、過去数十年分の迷宮入りした事件の人相書を持ってきている。


「意外と枚数は少ないのね。これだけあったら顔も簡単に覚えられそうだな」

「未解決なんて数年に一件起きるか起きへんかってくらいなもんや。せやから40枚くらいやろ。こっちに来る直前に又兵衛が急いでまとめとったな」

「さすがはデクちゃん。奉行所の古株は言うことが違うねえ! それじゃ、ちゃっちゃとお顔を覚えようかな」


 文はパラパラと人相書を細い指で弾いて、小さく微笑むと視線を人相書に戻した。その目は真剣そのものだ。


「そういえば、デクちゃんってここずっと新光門に通ってたんだよね」

「そうや。全く訳のわからん天啓の書とかいうモンを読まされたわ」


 主税は潜入中に、全く興味が無いものをひたすら読まされ続けた。内容も無いし、どこかで聞きかじった様な単語が鬼のように出て来る。それに加えて意味が全く分からない。道場で行われていた修行に関しては思い出したくもなかった。


「……色々と大変だったみたいだね。それじゃさ、新光門で作林はどんな役回りだったの?」

「真剣に患者を診て回ってたわ。容体の悪いやつがおったら直接看病しとったな。薬もかなり使っとったな」


 参道を挟んで向かい側にある悲田院にも足を運んで探った所、作林が医者であるのは患者の証言もあって間違いない。それに口をそろえて『医者としての腕も悪く無い』と語っている。


「なんだ。作林って意外といいヤツなんじゃないの? 私が調べた所でも悪い噂は聞かなかったし」

「煽ったって何も出えへんし、どうでもええわ。大阪の治安は守れても内内のことすらロクにままならへん。ここずっと新光門を追ってきてなんとなくわかったんや。ワシ自身ってものがな」

「へぇ。なんか面白そうだね。ちょっと聞かせてよ」

「大した話やない。娘が死んでアイツが落ち込んでた時、ワシはなんもしてやれんかった。それどころか、どこか心の中で馬鹿にしてたわ。そんなんじゃ呆れ果てて曹乙の所に助けを求めるっちゅうこった。ワシは正しく『木偶の坊のデク』や。図体ばかりでホントは小さい人間なんやな、ホンマにな」


 主税はどうでもよさそうにして言う。言葉の節々からは哀愁が漂っている。文もそれ以上は追及しなかった。


「……そういえば、デクちゃんの娘さんって病気で死んじゃったんだよね」

「それも又兵衛から聞いたんか」

「いや、三郎さんが言ってたよ。あ、いや、誰が言ったなんて知らないな。なんでも……」


 文の言葉に主税は頭を抱える。三郎の禿げ頭が脳裏に浮かぶと、更に頭を抱えたくなった。


「ホンマにどうしようも無い連中やな。それやったら大体は聞いとるんやろ?」

「流行病にかかっちゃったって聞いてるんだけどさ。大阪で流行病だなんて江戸じゃ聞いたこと無いんだよね」

「そうなんか。大阪じゃ結構な話やったけどな」


 主税は不思議そうに首を傾げた。


「ふうん。一応、私の家は瓦版屋だから津々浦々の情報が入って来るんだけど全く知らないのよね」

「大阪中で話題になったっちゅうても死人もそんなに出えへんかったからな。それに大阪ゆうても病にかかったのは同心屋敷ばっかやった。たまたま医者の腕も悪うて娘は死んじまったけどな」

「なるほどね。あ、ちょっと面白い事が思い浮かんじゃったんだけど喋ってもいい?」

「まぁええわ。言ってみいな」

「……下種の勘ぐりかもしれないけど、デクちゃんの家が狙われたって事は無い?」


 思いがけない言葉に、主税は立ち上がって文の元に詰め寄った。


「なにいっとんねん。それやったらあれか? 何者かが瘴気でもばら撒いたって言いたいのか? だったらなんでウチ以外の同心はピンピンしとるんや。それに、そんなものをどうやってばら撒くって言うんや。冗談も大概にせい」

「妖怪まがいの瘴気をばら撒くのかぁ。なおかつデクちゃんの子どもだけを殺す。なんていうか、めちゃくちゃな話だね……」

「滅茶苦茶も滅茶苦茶や。って、お前さんが言い出したことやろ」


 何者かが意図的に主税の家周辺に瘴気を呼び込んで意図的に殺した。そんな器用なことが果たしてできるのか。

 それを言い出した張本人の文も呆れたように苦笑して頬を引き攣らせると、主税は話にならないと元いた窓際に戻っていく。


「まぁええわ。いずれにせよ死人がロクにいなかったのにウチの子だけ死んでもうた。それだけにアイツもかなり落ち込んだんやろうな。今となっちゃ何もかもが手遅れやろうけど」

「そんなことないでしょ。一度割れたお茶碗だってくっ付けようと思えばくっつくじゃない。破片が粉々になってなければだけど……」

「ただ、最近アイツとハラ割って話したんや。言いたくてもこっ恥ずかしくていえへんかったこととか全部吐き出したわ」

「……それでどうだったの?」

「さぁ。それはアイツのみが知ることや。ただ、あの反応だと粉々になっとたのかもしんな。ワシにゃよう分からへん。ほれみい、言った通り大した話やないやろ。この話はしまいや。お前さんはさっさと顔を覚えてくれや」

「はいはい。わかってますって。しっかりと覚えますよーだ」


 文は再び人相書に目を落とした。横目でそれを見た主税は小さく息を吐いた。


「……しっかし、アイツもれっきとした関係者やから何かしらの処分は免れそうにないな。ま、それはワシも一緒か」

「アハハ、この顔面白いね。普通こんな所にホクロなんてある? ねえねえデクちゃん。こいつって知ってる?」


 吐き捨てるように主税が小さく呟くが、当の文は聞いていなかったようだった。人相書を読みながらクスクスと笑う文は主税に問いかける。


「まぁええわ。そのツラは『ホクロの籠介』やったっけ。その反応やと顔なんか見なくても分かるわ。それになんや、捕まえた奴のも紛れとんのかい。又兵衛の野郎、しかっかりと仕事せいや……」


 主税の脳裏に軽薄そうに微笑む又兵衛の顔が浮かんだ。口からは自然とため息が出る。


「おっ、流石はデクちゃんだね。大正解だよ。ねえねえ、このホクロってのはどんな事やったの?」


 主税は目線を山門から動かさないまま答えた。


「ただの盗人や。確か猫目一家に便乗して手当たり次第に忍び込んでかっぱらいをやっとった」

「ただの小悪党ね。それで『猫目一家』ってのはなぁに?」

「義賊気どりの盗賊や。十年以上昔やなぁ。大阪から京・堺の蔵を荒らしまわった大悪党や。連中は『悪徳商人か汚職に塗れた蔵屋敷からしか盗まん』とかいっとったけど、ワシらからすれば単なる盗人でしかない」

「なるほどねぇ。大阪って商家が多いし悪徳っぽいのもたくさんいそうだしね。そうそう、これデクちゃんの名前が入ってるけど、覚えてたりするの?」


 文が一枚の人相書を示す。主税は顔を紙に向けた。すぐさま目の色が変わる。


「確か入りたての頃やな。ヤブ医者を追って小間使いのガキ一人だけ逃した時やったっけ」

「……名前は林太郎か。酷い傷があるんだね」


 あどけなさの残る顔には、右こめかみから口元にかけて淡くなった朱色で直線が引かれている。


「忘れもしない古傷や。言いたくないけども、あの事件は証拠が不十分やった。大阪で人気のあった町医者を御用医師が束になって潰そうとしたなんて噂もあったなぁ。とにかく、証拠が集まり切って無かったのに、功に焦った上役が踏み込めゆうて踏み込んだんや」

「林太郎ってのを斬っちゃったの?」

「裏口を見張っとったらそのガキが現れたんやわ。かなり殺気どったなぁ。小さな刀をこさえてこっちに飛び掛かって来たわ」

「それでこの傷がついたんだ」


 文は爪先をこめかみに突き立て、口元へ素早く動かした。

 頷いた主税は「ふぅ」とため息をつくと、すぐ横にあった湯呑みに手を伸ばした。


「乗り気やなかったのが刀に現れたんやろな。『あの場所にいた者は全て斬って良し』ってお達しやったから斬るには斬ったんやけど、こめかみから頬にかけて刀傷を与えて逃がしてしまったって訳や。ま、ワシが同心失格なのは間違いあらへんけど」

「そこからデクってあだ名が付いたんだよね。これも又兵衛さんに聞いたんだけど、確か、デクちゃんたちの上役ってのは……」

「又兵衛も口が軽いなぁ。アイツも同心失格やな。察しの通り平八郎様の親父さんや。結局、頭領の一味はみんな処分されたから真相は分からへん。それで。親父さんはあの一件が評価されて株が上がったとかなんとか聞いたわ。その人相書の赤い線はワシにとっても、ヤツにとっても耐え難い古傷やな。それと、さっきの話とこの話は無かったことにしといてくれや。お前さんなら分かってくれると思うけどな」


 湯気が立たないくらいに温くなった茶をひと飲みすると、再び視線を山門に戻す。

 それから主税は口を開かない。ただ、ずっと山門を見つめるばかりであった。





 主税と文が見張り続けて二刻ほど経ったときだった。


「おい、起きてくれ」

「ふにゃ、どうしたのぉ?」


 主税は人相書を両手に抱えたまま、畳にうつ伏せになっている文を叩き起こす。


「ヤツだ。現れたで。ワシは面が割れとるし、この図体や。どうせお前さんは忠春様の申しつけで作林の事も探っとったんやろ。顔なんか見なくたって風貌その他は織り込み済みか?」

「御名答! それじゃちょっくら行ってくるよ」


 文は合羽を羽織ると、急いで部屋を駆け下りて行った。

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