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女奉行捕物帖  作者: 浅井
科戸の風ぞ吹きはらはむ
79/158

ハコの中身

 平八郎らが奉行所に戻ったのは暖かな日差しがどこかに消える夕暮れ時だった。

 日中ですら肌寒い大阪はこの時間になると更に寒くなる。特に、平八郎らはもっと心寒かっただろう。

 平八郎と老同心三名は、陰を背負って無言のまま奉行所戻って一室に座り込むと一言もしゃべらない。自身らの栄光を誇るかのようなあの瞬間を見せつけられたのだ。それは当然のことだっただろう。


「……このまま黙っててもしゃあないやろ。平八郎様、どうなさるんですか?」


 半刻ほど黙っていた平八郎らだった。が、疲れ切って沈み切った部屋の沈黙を破ったのは主税だった。


「デクの言う通りうや。連中が人望を集めてるのは変えようのない事実や。まずはそれを受け入れなアカンな」

「せやな。何もせんでコトが解決するはずあらへん。ほら平ちゃん。解決策になるようなことを何か言うてみいや」


 又兵衛が言うと三郎は深く頷いた。平八郎も同じように首を振った。


「新光門ってのがこれ以上ないってぐらいに怪しい連中ってのを身を持って理解したわ」

「なんやなんや。あん時の平ちゃんの表情は『わかった。これからも精進しなさい』って目やったやんか」


 又兵衛は笑いながら小馬鹿にする。しかし、平八郎の表情は明るかった。


「あんな無駄に真っ白な装束に加えて、大音量で読経を聞かされてさ。胡散臭さだけなら天下一よ。それにさ……」


 平八郎が溜めて言うと、老同心三名の送る視線はより熱いものになる。


「あの場で言ってた通り、あの施設はどう考えても寄付だけで成り立ってるはず無いでしょ。何かウラがあるに決まってる」

「せやな。薬一つにしてもタダやない。薬種問屋からもらってるにせよ、送る側に利点なんてなに一つないで」

「そうやな。悲田院に来るような連中が身銭を切ってくれるとは思えへん。こりゃ何かあるで」

「そういうこと。大金をつぎ込む利点がなきゃあんな施設が運営出来るはず無いのよ。なんていうか、もっと効率よく稼ぐみたいな……」


 悲田院に駆けこむぐらいの病人は、湿布一枚にしてもそう簡単に買えるはずが無い。

 それに、病気が治った所で援助をする問屋に金が落ちる訳でも無い。生き馬の目を抜いて商売をする商人たちが、胡散臭さと奇怪さを併せ持った新光門を援助をする利点が見受けられないのだ。

 平八郎は手を顎にやって思案する。三郎が呟くように言った。


「平八郎様の言うことは分かる。せやかて商人も人間や。困っとる人に手助けしたっておかしく無いやろ。普段あくどいことをやっとるさかい。一抹の善良な心がそうされとるのかもしれへんで」

「三郎の言う通りかもしれないんだけど、うーん、そういうものだとは思えないんだよね。とりあえず新光門本部の台帳に信者の身元を徹底的に調べましょう」


 三郎の言葉を濁しつつも大方の方針は固まった。平八郎は続けて話し続ける。


「新光門がおかしな連中ってのは間違いないとして、それともう一つ。ちょっとした案があるんだけどいい?」

「どうかしたんですか」

「相手の内情を探るには直に情報を得るのが一番手っ取り早いわよね。それでさ。三人の中で新光門の本部に潜入してみたい人っている?」

「そそ、そりゃ危険すぎや。わざわざ最初から連中の総本山に潜り込むみたいな危ない橋は渡らんでもええやろ。もっとやるべきことがあるはずや」


 平八郎が最初に視線を送った又兵衛は大慌てで首を横に振った。


「そ、そうや。まま、まずは連中の周りを調べてからやろ。それからでも遅くないんとちゃうか?」


 平八郎が視線を右に動かすと、又兵衛の隣に座っていた三郎も同様に首を横に振った。平八郎は仕方なさそうにため息交じりに言う。


「そっか。なら仕方ないな。私が行く。ちなみに決行は明日だから。”善は急げ”って言うしね。それじゃ私はこれで……」


 そう言い残すと平八郎は急いで立ち上がって部屋を後にしようとした。

 平八郎の勢いに圧倒されて背中を見送るように座り込んでいた三郎と又兵衛だったが、数秒ほど立つと応用に立ちあがって平八郎の元に駆け寄った。


「ちょちょちょ、そりゃあきまへんって。西町の与力が変な宗教にハマったって話が流れたらシャレになりませんよ」

「せやせや。平ちゃん一人なんて危ないわ。あそこには連中が数百人規模でおるんやで。何かあったらどうしようもないやろ」


 なだめるように又兵衛と三郎は平八郎の背中を追って、ほのかに香の香る黒羽織の裾を掴んだ。だが、当の平八郎はなんてことなさそうに言い返す。


「わかったって。戻るから。それでさ、他の連中はどうか知らないけど、色白の教祖があそこまで言うんだから大丈夫だと思うんだけどね」


 平八郎は老人二人に引き摺られて無理やり元居た部屋に連れ戻される。

 当の老人二人は平八郎を連れ戻したものの「さてどうしようか」とバツが悪そうに顔を曇らせた。すると、その横でずっと黙っていた主税が口を開いた。


「……わかりました。ワシが行きますわ」

「へぇ。主税が行くんだ。ほんとにそれでいいの?」

「ええんですわ。平八郎様に危ない橋は渡って欲しく無いし、又兵衛と三郎がああじゃどうしようもありません。それに自分で言っとったじゃないですか。”あの教祖なら大丈夫かもしれない”と」


 主税の言葉に平八郎は意味ありげに微笑んだ。だが、平八郎を部屋に無理やり引き戻した老同心二人は、そんな表情を見ることも無く主税を引っ張って部屋の隅に引っ張っていく。


「おいおいデクええんか? あそこに行ったら結ちゃんと出くわすで」

「夫婦であんなのにハマってるって笑えないわ」

「ユイちゃんを足抜けさせなきゃいけへんときに夫婦そろって何しとんねんや」


 二人は続けざまに主税を問い詰める。だが主税は黙って微笑むばかりだ。


「なに笑うてんねん。デクさんよう、お前が行ってなんになるんや……」

「せや。お前さんが行く方が危ないやろ。嫁に続いてお前さんまで入信なんてアホすぎるわ。どこぞの宗教狂いじゃあるまいし……」


 不敵に笑う主税に対して額にしわを寄せて詰め寄った。


「おいデクなんか言えや。お前が行った所で何の得にもならへんぞ」

「二人してアホか。三郎に又兵衛さんよう。ちょっと黙って今自分で言った言葉を思い出してみい」


 言われるがままに二人は黙り込んだ。自分で言った言葉に気がついたのだろう。二人の表情は、力に対して言った一語一句何度も咀嚼するたびに柔らかくほぐれていった。


「ああああああっ!」


 又兵衛と三郎は揃って悲鳴に似た声あげた。主税は「やっとわかったか」といいたそうに息を吐いて微笑む。


「そういうことや。気づくのが遅いわ。ホンマによう今まで同心をやっとったな」

「そりゃ妙案やわ。デクが行くのが一番ええなぁ」

「気がつかんかったわ。デクちゃん。気張って行けや」

「それで、決まった? 主税が行くの? それとも私でいいの?」


 部屋の隅でこそこそやってた三人は元居た座布団の上に戻った。主税は表情を硬くして言う。


「平八郎様、ワシが行きます。しっかりと連中の尻尾を捕まえてきますわ」

「……それじゃ主税、頼んだわよ。三郎に又兵衛、二人は町の見廻りをお願い。私は文書をしらみつぶしに当たるから」





「これはこれは主税殿、いや、デク殿とお呼びすればいいのでしょうか」


 翌朝、主税が四天王寺の新光門本部にやって来ると、恭しく腰を曲げた作林がやって来た。


「どちらでもええわ。それよりも、本部の方を色々と案内してくれへんか。ちょっと興味が沸いてな」

「もちろんですよ。デク殿、私について来て下さい」


 言われるがままに案内されると一人の老女が目の前に現れた。


「私が直々にデク殿をご案内したいのですが、悲田院での回診に事務仕事と、しなければならない仕事が多々あるので。申し訳ありませんがこの者に案内させますがよろしいでしょうか?」

「……まぁええわ。かまへん。よろしゅう頼んだで」


 主税に負けないくらいの大柄な男は、信者を呼ぶとそいつらに主税を案内させて参道を駆けていく。

 目尻に皺をためた腰の曲がった老女は、一礼すると主税の先で喋りながら施設の説明を始めた。


「参道の右手は道場になっております。曹乙様の教えを熱心に聴いているんです」

「曹乙ってのはアレか。あの真っ白な……」

「はい。長い放浪生活で聞かれた天啓の教えを私たち信者が受けています。週に一度だけ曹乙様直々に教えを受けられる日があるんですが、その日は道場が一杯になるんです。曹乙様のご尊顔を一寸でも近くで見ようと座席の争奪戦にまでなるんですよ」


 説明役の老女は、頭巾の下に隠れている皺の深い目元を緩ませて熱心に語る。

 道場には一段上がった上座に高そうな袈裟を掛けた信者が説法の準備をしていて、その下では続々と信者が勢ぞろいし始めていた。


「……それで、道場の正面にあるのが悲田院のアレやな」

「はい。あそこでやって来た患者の面倒を見ています」


 主税が聞くと老女は頷いた。

 本部に併設された悲田院の広さは境内全体の半分を占めていて、茣蓙やら大きな日除けの番傘が敷き詰められている奥には黒っぽい堅牢な大きい建物があった。

 主税はそれを指差して聞いた。


「寝台やら番傘やらが並んどる奥にある建物はなんなんや」

「そうですね。奥にある建物は重病人の建物になっています。あそこは大変危険ですので、限られたものしか入れないようになっているんです」

「危ないって言うのはなんなんや。足場でも悪いんか?」

「労咳やライ病患者を置く建物ですので、専属の医師のみが入れると聞いています。私も奉仕をしたいのですが、残念ながら許可はおりてません。信心が足らないのですね」


 老女は下を向いて歯ぎしりをするくらいに心から悔しがっていた。だが、老女に足らないのはきっと信心では無くて技術と知識だろう。

 このように、信者の人当たりはよく愛想も悪く無かった。それに、信者に一を聞けば十ぐらいの内容を勝手に答えてくれるので主税の捜査は楽なものだった。

 しかし、唯一どう足掻いても聞けない情報があった。


「それで、ここが曹乙様の社殿になんのか」

「そうです。曹乙様がいつもおられる社です。御本尊が安置されているほかに、曹乙様の居住場所でもあります」


 前に来た時は遠くからだったがいまいちわからなかったが、こうやって間近で見ると並の社では敵わないくらいの立派な建物だった。

 柱の金具や擬宝珠は丁寧な金細工で装飾。柱や梁の内側にも曹乙の教えなのだろうか、曹乙の説話が木目を生かして丁寧に彫られている。


「この中には入れへんのか?」

「ここは曹乙様はもちろんのこと、作林様を始めとする主座の方々しか入ることは許されとりません」


 信者の老女は眼を伏せて物悲しげに言う。ここまで来ると狂信者だ。曹乙のことを敬愛しているのだろう。

 老女の話を聞いて説話彫刻を眺めつつ、社の周りと探っているのだが中を覗けそうな場所も無いし、床下に潜り込めそうな空間も無い。


「そりゃしゃあないな。それじゃ他の所を案内してくれへんか」

「それでは道場の方に参りましょう。今日は見学ということで、修験の様子を見ていて下さい」

「わかったわ。のんびり見させてもらいます」


 言われた通りに主税が道場に戻って縁側に座ると、信者の老女は一つ微笑んでどこかに去っていった。

 道場の壁にもたれかかって一人、境内を組まなく見回した。たまたま茣蓙の上で信者の若い女が足を引きずった老人を熱心に介護している。


「おっちゃん。ケガは大丈夫か? これを飲めばおけばだいぶ良くなるで」

「若い姉ちゃんありがとうなぁ。ここに来てだいぶ良くなったわ。ホンマにありがたいわ」

「礼は曹乙様に言いや。私かて最初はロクでもない人生やった。せやけど、曹乙様にお会いしてから全てが変わったんからな」


 白装束の小柄な女性が湯呑みと白い薬を病人に手渡すと、病人は何度も何度も頭を下げて礼をした。

 参道を挟んだ向かい側では、こんな風に信者と患者との救護が繰り広げられている。

 俯瞰で見る限りでは、新光門の連中に一抹の私心は無く、自らの善意と曹乙に対する信仰心のみで動いているように見えた。


「デク殿。新光門はどうですか。そんなに悪い所じゃないでしょ」


 時機よく作林がやって来て主税の横に座り込んだ。


「ええ。普通の寺と大して変わらんな。せやけど、ちょっと聞きたいことがあんねん」


 そう聞くと、作林は差し当たり無い柔和な笑顔を浮かべた。


「曹乙様の由来は分かったわ。色々と苦労してこうなったんやな。お前はどうなんや。どんなワケがあってここにやって来たんか?」


 主税が睨みつけるように見ると作林の目の色が変わった。一瞬だが、柔和な笑顔は消えて頭巾の奥に見える眼が鋭く光った。


「なぁに。大したことじゃありませんよ。詳しく話せば夜を迎えてしまうのでまた今度の機会にしましょう」

「ワシはかまへんから、その由来を……」

「私の方が時間がありません。新光門の事務一式を取り仕切ってますので話したくても話す余裕が無いんですよ。それに、デクさんのような入信者は山のように来るので、私はその対応をしなければなりませんので」


 頭巾の隙間から見える目尻をハの字に下げて残念そうな目線を送ると、「それではまた」と言い残して作林は急いで山門へと向かった。

 主税は作林の姿を目で追った。話したくないがために適当にはぐらかしたのではなく、山門には確かに若い男女が腕を組んで突っ立っている。


「ようこそ新光門へ。此度は何ようでしょうか?」


 白粉姿の艶っぽい表情で長い髪をなびかせる女と、横にいる男の表情は常に緩くして顔を赤らめた男の二人。

 男の方はここに来たのが初めてなのだろう。不思議な空間に呑まれて辺りをきょろきょろと見回して心ここにあらずと言った感じだ。


「そそ、その、連れにな、誘われてきたんやけど、初めてでもええんか?」

「そりゃもう。誰だって最初は初めてですから。ささ、私について来て下さい」


 そう言うと作林は男女を連れて境内を案内し始める。

 人がまばらだった道場は信者でいっぱいになっており、いつぞやの大音量の読経が流れ始めた。


「まぁ、最初はこんなもんやろうな」


 意味不明なこれを延々と聞かされるのも苦痛だし、留まってもこれ以上得るものはもうないと感じた主税は奉行所へ引き返した。





「これが改帳ね。出すべき文書はこれで全部?」

「はいこれで全部にございます」


 奉行所には数名の村名主が訪れていた。

 この頃に行われた宗門改で近隣の村々の役人を呼び寄せて、村の人口動静や事情について詳しく聞いていた。


「簡単に見させてもらったけど、昨年と大した変わりは無いと」

「そうです。昨年に比べれば大して変わりはありませんわ。平穏無事といって差し支えないでしょう」


 上座に座る忠春が尋ねると、村役人の一人は言う。


「どの村も人は大して減ってないし、なんてことないわね。何かいいたいこととかある?」

「ええ。二、三ほどございます」

「いいわ。言ってみなさい」


 忠春が言うと村名主たちは言葉を続けた。


「まずはお礼をさせてください。ここ数年の飢饉ですが、奉行所からの回米のお陰で餓死者を出さずに済みました。まことにありがとうございます」

「江戸でも同じようなことはやってたからね。大阪はここ数年の不作で大変でしょう」

「仰る通りの酷い有様ですわ。これ以上収穫が減ったら明日生きてるかもわからんし、このままのジリ貧じゃ生活は成り立ちまへんわ」


 この頃の大阪は慢性的な飢饉が続いていた。年を追うごとに作物の取れ高は右肩下がりで、農村では日々の生活が危ういといった現状だった。

 それを見かねた奉行所は、飢饉が起きた際に市場で溜まっていた米を買って、その米を各村に格安で販売・分配して餓死者を出さないようにしていた。その効果は大きく、近辺の村々で餓死者は出ていない。


「今年も取れ高次第では米を回すって事になってるから。安心しなさい」

「そりゃぁもう。ありがとうございます」

「他にもあるんでしょ。遠慮はいらないわ。言ってみなさい」

「わかりました。我々の村に白装束の変な連中がやってくるんですわ」


 村名主は気味悪そうに言う。白装束の変な連中と言えば一つしか思い浮かばない。


「それって新光門とかいうやつ?」

「さすがは奉行様。耳は聡うございます。その連中が村にやって来るんですわ」

「『ナントカ様の教えだ』とか言ってけったいな説法を始めるんやから。農作業の邪魔で邪魔でどうしようもないんですわ」


 村名主の代表格以外の老人たちが声を揃えて言う。

 忠春は直に見たことは無いが、たびたび平八郎から報告は受けていたのでその姿は容易に想像がついたし、街中だけでなく、どうやら大阪近辺の村々にも出没していたようだった。


「確かにね。今は閑農期だけど色々と邪魔でしょう」

「そうなんですわ。特別何かをして来るって訳やないんで特にどうということも無いんですがね。気味悪くてしゃあないんです」


 起きてから顔を洗って飢饉のために少ない朝食を取る。そんな環境で気合を入れて『ひと仕事がんばろう』と意気込むなんてことのない日に、農道具を取りに庄屋に集まったら変な白装束の連中が大声で読経を始めている。

 何もされないとしても、意気は下がって仕事に身は入らないだろう。


「この手の連中ってのは、相手が心身共に酷い時にやって来るって言うからね。今はそういう時期なのかもしれないわね」

「確かにそうですわ。聞いた話だと何人かは連中の教えにどっぷりはまったとか聞いてます」

「こういう時期こそ何かを頼らなきゃやっていけないでしょう。ヤツらが真っ当かどうかは知らないけど、変な連中に唆されないように気を付けたほうがいいわね」

「お奉行様の仰るとおりですわ。村一同気をつけます」


 村名主達は頭を下げた。意気を吐くと忠春は言葉を続ける。


「まだ何かあるの?」

「ええ。最後にもう一つございます」

「いいわ。言ってみなさい」

「ありがとうございます。その、村から子どもが消えるんですわ」


 その言葉に忠春は目を丸くした。


「それって貧しさのあまりって訳じゃないの? 町に子どもを出す年季奉公とかじゃ……」


 忠春は言う。生活費を稼がせるために子どもを町の商家に出稼ぎへ行かせる話はいくらでもあった。しかし名主たちの顔は晴れない。


「その手の話なら寺請証文をきっちり書かせます。しかし、出されとらん件もあるんですわ」

「だったら逃散なんじゃないの?」


 証文を書かない場合は逃げた人は必然的に無宿人となるし、村から逃げたとなれば逃散になる。忠春が言うが、相も変わらず村名主達の顔は晴れなかった。


「ワシらもそう思ったんやけど、それがどうやら違うんですわ。とある家の子どもだけが綺麗におらんですわ」

「ウチの村もそうや。一家逃散って訳でも無くて子どもだけおらんねん。ホンマに不思議な話しや」

「そういえばワシの村もあったなぁ。あの時は”神隠しにあった”ゆうて大騒ぎになったわ」


 村名主の席が再び騒がしくなった。どうやら同じような事件がどの村でも起こっているらしい。

 ここまで多いのであれば忠春も見過ごすことは出来ない。


「分かったわ。神隠しなら仕方ないけど、人攫いだったら大きな事件だからね。それについては、こっちでも探ってみるから」

「ははぁ。ありがとうございます。言いたいことは以上です。これからもよろしゅう頼みます」


 忠春が言うと名主達は一礼をして続々と奉行所を後にしていった。

 座布団やらが片付けられる中、上座には忠春と義親・衛栄の三名が残った。


「義親に衛栄、さっきの話をどう思う?」


 提出された宗門人別改帳を眺めつつ、忠春は横にいる二人に聞いた。


「さっきの話って言うと子どもが居なくなったって話か?」

「当たり前でしょ。それで衛栄、どうよ」

「単なる逃散なんじゃねえのか? 奉行所から援助があるのに逃げられちゃ名主の面子が立たねえ。それを”神隠し”だとか”人攫い”に見立てたとか」


 村名主はあくまでも農民であり武士では無い。名主はその地域で力のある農民がなる職ではある。自分の村で逃散があったとなれば幕府や奉行所への聞き覚えは悪いし、村の名誉にも関わる。

 忠春は衛栄の言葉に何度か頷くも、続けざまに義親に視線を送った。


「私も最初はそんなように感じました。しかし、どの村も似たような事件があったとなれば話は別です。組織だった人買い業者がいるのでは?」

「なるほどね。二人の言い分は分かった。それじゃ、その両方の線で行きましょう」


 腕を組んで聞いていた忠春はそう言う。不思議そうに義親が聞き返した。


「どういうことでしょうか?」

「衛栄の言い分については奉行所の与力同心を村に抜き打ちで送るの。この人別改帳と照らし合わせれば一発でわかるでしょ。出された物を信頼はしてるけど、この文書が正確がどうかも分かるしね」


 忠春は麻紐で片綴じされた帳簿をヒラヒラと揺らした。提出された宗門人別改帳は幕府の正式な情報になるが、これは自分たちで編纂したものでは無く村から提出されたものなので内容が正確かどうかは定かではない。

 それもこの不作続きだ。何があってもおかしくはない。


「義親の言い分に関しては見廻りを上手くやってもらえばいいわ。もちろん与力同心関係ないわ。アンタ達、問題ないでしょ?」

「今、物凄く厳しいことをサラッと言うんですね」


 衛栄が毒づくが忠春は気にしない。それどころか調子づいて言う。


「大丈夫だって。アンタたちなら出来るわよ。なんたって私の配下なんだから」


 忠春は屈託のない笑顔を義親と衛栄に振りまいた。横にいる子飼い二人は顔を見合わせると仕方なさそうに微笑んだ。

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