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女奉行捕物帖  作者: 浅井
科戸の風ぞ吹きはらはむ
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上本町の三人

「ようデク。相変わらずでかいのう」


 明朝、主税が奉行所にやって来ると男が話しかけてきた。

 大阪灘で泳いでいるガザミのように平べったく、背は低いが体つきはがっしりとした男。平八郎の組下で、古くからの同僚の岡部又兵衛だった。


「なんだ又兵衛やないか。お前も呼ばれとったんか」

「ワシもやで。忘れんといてや」


 続けざまに話しかけてきたガザミの隣にいたのは、クルマエビのように華奢な男だった。丸眼鏡を掛けた5尺6寸程の男の頭頂部は少々薄い。

 二人との付き合いの長く平八郎配下の老同心新藤三郎だ。


「三郎もおったんか。まぁ、平八郎様の組下やし、当たり前と言えば当たり前やな」

「そりゃそうや。ワシも同心やし」

「にしても朝っぱらからワシら三人を集めるってこたぁ、平ちゃんも気合入っとるんやろうな」


 又兵衛が笑いながら言う。

 仲の良い三人のおっさんによるごくごく自然な風景のように見えるが、主税の頭に一つの疑問が浮かんだ。


「生真面目な三郎は分かるとして、こんな朝早くなのになんで又兵衛がここにおるんか。いつもなら寝坊しとるやろ」

「せやなあ。不真面目とはいわんけど、いつも時間なんて守らんやんけ。又兵衛、体でもおかしくしたんか? 熱でもあるんか?」


 わざとらしく三郎が言うと、又兵衛の額に手を当てた。


「なんや熱はないんか。じゃったら、医者にでも連れてってやるわ。ほな、はよいこか」

「せやせや。適当な町医者に診てもらいや」


 又兵衛は「じゃかましいわ」と苦笑しながら、三郎の手をどけると主税に歩み寄る。


「……そんなこと言わなくたってわかっとるやろ。今回の相手ってのはよ、デク、お前んとこのカミさんやろ、大丈夫なんか?」

「せや。お前んとこの雪ちゃんが死んでからやったっけな。色々とやりづらいやろ。この一件から降りたってえんやで」


 二人の顔つきが変わった。

 主税もそれを察した。ふうと息を吐くと言葉を紡ぐ。


「ああ。仕事やからな。アイツに何かあっても言い逃れは出来へんな」

「そりゃそうやろ。デクの妻のことは、いずれ平八郎様や大岡様へも知られるで」


 取り調べる相手の関係者が身内にいるとなれば、そこから攻めるに決まっている。そうなれば結は出頭されて責具に遭うだろう。

 又兵衛と三郎は気にかけて言うも、主税は無言のまま表情を硬くして言う。


「結ちゃんのことをウチのも心配しとったで。デクの話になる度に結ちゃんの話になるからな」

「ああ。ワシの所も同じや。結ちゃんの顔もここずっと見てへんし、ホンマにええんか?」


 三人は奉行所に入った頃からの友人だった。そのため、妻同士の仲も良かった。


「んなこと知らん。アイツが自分でああなったんやからな。ここでワシがここで降りたら平八郎様も不思議がるやろうし、この一件が進めばいずれバレる話や。いちいち気にする必要なんて無いわ」

「ったく、変な所で義理堅いというか、強情というか、その性格変えた方がええで」


 又兵衛と三郎は肩をすくめると主税は顔をしかめる。


「いっそのことカミさんとも離縁すりゃええんや。あの親父もとっくに死んだし問題ないやろ」

「又兵衛の言う通りかもしれんなぁ。これじゃデクの身が持たんで。 ……って言いたいけど、なんだかんだであのカミさんと十年近く寄りそっとるんやからな。イカれてるのが日常になっとるんから大した問題じゃなさそうやな」

「……口の減らない男らやな。それ以上言うとさすがに怒るで」


 三人はひとしきり声を上げて笑い終えると、息をぜえぜぜえ吐きながら腹を押さえる。


「……とはいえ、ワシらはこんな事も三十年以上言っとるんやな。ほんま、早いもんやで」

「そういえば三郎、お前のとこのガキはいくつになる」


 主税が子どもについて聞いてきたので二人は顔を見合わせた。


「見つめ合ってないで答えい。あそこまでワシに言って来るんやし今さら気にするなや」

「……言われてみりゃそうやな。ウチのは二十と十八や。どっちも元気にしとるで」

「ワシも上二人は同じやな。それと、一番下の娘二人が十になったわ」


 三郎に続いて又兵衛が言うと主税が言う。


「ってことは仕込んだのが四十過ぎになんのか。おいおい、顔は地味なくせしてやることはやっとるんやな」


 主税はしてやったりと口角を上げてにやけた。三郎も続けて言う。


「あの不細工なカミさんはお前より年上だったやろ? それを、ようやろうって気になったなぁ。健気な蟹男やで。子種も海産物並やな」

「その割に、いっちゃん下の娘はえらく可愛かったなぁ。ホンマにお前の子か?」

「ほんまに不思議でならんわ。といっても、あの不細工なカミさんが間男作るなんて考えられへん。仮にワシに頭下げられても勘弁願いたいしな」


 又兵衛は眉を顰めて顔を赤くする。その姿はさながら茹で蟹だ。


「……不細工不細工やかましいねん。ちなみに三郎、お前とは勘弁してくれって。ただ、デクちゃん。お前とはいいっていっとったで。きっとそのタッパに見合った一物があるとかなんとかいっとったわ。詳しく聞きたいか?」

「うわ、んな話聞ききとうないわ。悪かった。ワシらが悪かったって」


 口を押さえて主税が細い目を目を細めると、今度は又兵衛がしてやったりと口角を上げた。


「ったく、ほんまに失礼な男らやわ。ほら、平八郎ちゃんも来たようやで」


 襖越しに歩く音が聞こえる。トタトタとこぎみよい歩幅のから察するに、やってきたのは平八郎だ。





「主税と三郎は分かるとして、なんで又兵衛がこんな早くに居るの。何かあったの?」


 平八郎は部屋に入って腰を下ろすと、先に集っていた三人を見て驚いたように言う。


「なんやなんや。真面目に来たら来たで色々と言われんのかい! それやったら家で寝とりゃ良かったわ」

「それはそれで困るんだけど、又兵衛はこんな時間に来ないじゃない。今日はどんな風の吹き回しかなってさ」

「ワシかて朝早く起きる時もあるわ。なんで怒られなきゃいかんねんな!」


 又兵衛は顔を赤くして語気を荒げる。沸点が低いのはいつものことなのだが、平八郎は嫌味っぽく微笑んで言う。


「別に怒っちゃいないって。そんなに言うってことは、何かやましいことでもあるの?」

「べ、べ、そんなこたぁ……」

「……あのアホはほっときましょ。それで平八郎様。新光門をどう捌くおつもりで?」


 つむじを曲げてそっぽを向く又兵衛を無視しつつ三郎が平八郎に聞いた。


「私が朝早くに呼んだワケは分かってるようね。それじゃ、単刀直入に聞くわよ」


 こんな朝早くに平八郎とその組下三人が集まった理由は一つしか無い。大阪に根を張る不審集団新光門のことだ。

 平八郎に向かう三人は、額に汗をかきながら置いてあった茶に手を伸ばす。


「あなた達の身内に新光門の仲間とかいないの?」


 三人は口に含んだ茶を一斉に噴き出した。


「ちょ、いきなり何をいっとるんですか」

「せやせや、そんなあくどい連中の身内がいるはずないやろ」

「とりあえず聞くだけ聞いてみただけよ。仮にさ、身近な所にいたとすれば一番手っ取り早いじゃない」


 近い所に連中の一味がいて、そこを伝っていけば必然的に真実に辿りつけるだろう。


「ま、まぁ、そりゃそうかもしれへんけどなぁ……」

「でしょ? 昨日、連中を見かけた時は結構な人数を引き連れてたし、案外近い所にいるんじゃないかって思ったんだけど」


 雄弁に語る平八郎をしり目に、横目に同心三人が顔を見合わせる。


「それでどうなの? 知り合いにいたりしない?」

「その、それが……」


 黙ったまま動かない三人だったが、主税が口を開こうとした。


「そそ、そんなもん、おるはず無いやないですか。そんなんがおったら平ちゃんに真っ先に報告しますわ。そんなん、当たり前やろ。ワイかて何十年も奉行所に勤めとるやんか」

「……ええ。ワシも知りません。何かあれば真っ先に報告します。なんだったら、この後手分けして捜索に行きましょ。運が良ければ連中に出会えるかもしれませんし」


 慌てた又兵衛と三郎が主税の言葉を遮って唾を飛ばしながら喋り倒しはじめた。

 平八郎はその不自然さに首をひねるも、腕を組み直して言葉を続けた。


「又兵衛はともかく、三郎が言うならそうなのかもしれないわね。昨日、色々と調べてみたんだけど、奉行所への届け出は無かったのよね。それに、連中の根城も良く分からないし、」


 先日の騒動の後、平八郎は奉行所の書庫に籠もって報告書を確認していた。

 しかし、山のようにある報告書の中に新光門の文字は一つも無かった。東町奉行所に問い合わせてみても報告は受けてないとのことだった。


「連中は常に集団で動いとります。それらが『神罰が下るぞ』とか『断るお前は仏敵だ』とか言われたら、気持ち悪うて言い出しにくいやろ」


 平八郎は「一理あるわね」と深くうなずいた。又兵衛らが話を続ける。


「町人はビビっとるんやろうな。まぁ分からなくもないけどな」

「せやなぁ。ワシは会ったことはあらへんけど、話を聞いとるだけでも連中の気味悪さは伝わってくるからな」


 三郎がそう言うと、平八郎はため息をついて立ち上がった。


「結局は地道に聞きこむしかないわよね。うーん、身近な所に居ると思ったんだけどなぁ」


 平八郎が天を仰いで先に歩いていく姿を見ると、三人は顔を見合わせて苦笑いする。





「忠春殿ですね。こうやって話すのはお久しぶりです」

「……ひ、久しぶりでございます」


 忠邦が引き攣り笑いで顔を上げると、忠邦は嬉しそうに嫌味ったらしく言って見せる。


「なんてツラをなさるんですか。あの時は喧嘩別れみたくなってしまいましたが、そんなに警戒しなくてもいいじゃないですか」

「しらじらしいわね。こんな所にわざわざ呼び出して、今度は何を考えてるの?」

「おやおや、書状を読まずにここに来たんですか? よくもまぁ、奉行の大役が務まりますね」


 忠邦は大阪にやって来て一月ほどになる。就任当初、二人は饗応やらなんやらで顔は合わせていたが大阪城代の忠邦も忠邦で多忙の身。

 挨拶程度は何度かしていたが、こうやって城内に呼び出されて面と向かって話したのはこの日が最初だった。


「まぁまぁお二人とも。今の状況っていうのはある意味で感動のご対面なんですから落ち付きましょうよ」


 薄笑いを浮かべる忠邦と、それを睨み付ける忠春。二人には数えきれ無いくらいの因縁がある。

 その二人の間を取り持ったのが、忠春と同じように呼び出された東町奉行の高井実徳だった。

 血色のいい柔和な笑顔に、垂れ下がった眉。がっちりとした大柄な彼を一目見た十人の内、八人はいい人だと思うくらいに穏やかそうな男だ。


「実徳殿、お気遣いありがとうございます。しかし、何が感動のご対面よ。ありえない。ほんっとにありえないんだから! さっさと用を言いなさいよ」

「まぁまぁ忠春殿。ここは落ちついて下さい。それより、堺奉行の松平石見様はまだ来られないのですか?」


 ここに招待されたのは大阪東西奉行と堺町奉行の三名のはずだった。

 しかし、堺町奉行所の松平石見守正卜がいない。


「ええ。石見は体調を崩して床に臥せっているようです。本人に色々と聞きたくて大阪に呼んだのですが、来れそうにないと返事がきました」


 忠邦はそう言うと二人に書状を見せた。

 右筆ではなくて自筆なのだろう。弱弱しい筆致で書かれた文字を読んだだけでこっちの加減が悪くなっていくようだ。


「石見殿はここに現れないということは、彼の加減は相当酷いのですか」

「先日、配下の者を石見に会いに行かせたのですが、歩くことも困難だと言ってましたから。そんな状態で奉行職を続けさせるわけにはいきません」


 忠邦によれば、堺奉行の容体は書状の文字の通りだったらしい。きっと激務がたたったのだろう。


「それは難儀な話ですね。ここまで来ると胆蜜丸に頼らなければいけませんな」

「そうでしょう。しかし、堺奉行程度の財力じゃ手を出せる代物ではないでしょう」

「ええ。私だって胆蜜丸には手は出せない。まぁ、欲しいとも思いませんが」


 二人の会話を聞いていた忠春だが、聞き慣れない単語に首を傾げた。


「その、”胆蜜丸”とは?」

「秘薬ですよ。私は実際に見たことはありませんが、どんな難病でもすぐさま回復すると言われてますよ」

「どんな難病でも、ですか……」


 そんな便利なものがあるのかと忠春は感心した。


「忠春殿はそんなことも知らないのですか。よく江戸で奉行が務まっておりましたね」


 嬉しそうに忠邦は口角を上げて毒づいた。忠春は口を尖らせて言う。


「べ、別にいいでしょ。そんな、効くんだが効かないんだかよく分からないような危なっかしいものに手を出す方がおかしいのよ」

「ハハハ、ごもっともな話です。私や忠春殿のように健康体な方には必要ありませんしね」


 実徳は忠春に同情するも、当の忠邦はどうでもよさそうに二人を見つめている。


「それにしても、胆蜜丸はそんなに高いものなのですか」

「そりゃそうですよ。なんでも、人の臓物を三日三晩煮込んで作るといった手の込んだもので珍品中の珍品。手に入れるには国と交換しなければならないなんて言われてますから」


 価値は国一つ。予想外の値段に忠春は目を丸くした。


「江戸でしか手に入らないもののはずなんですが、大阪でも裏で流通しているとか聞いております。とはいえ実物を見たことが無いのが大半なので、ヤモリの黒焼き辺りを胆蜜丸と偽って売ってるんでしょうね」

「そんなに高いものならば、父上には申し訳ないが危篤になっ時はすんなりと……」


 父忠移は今年で五二になる。人生五十年と謳う歌もあるのでそろそろ死ぬかもしれないが、その時は潔く死んでもらおうと忠春は内心で思った。

 下らない話が続いたことに忠邦が苛立ったのだろう。脇息に肘を突き立てて握り拳に頬を乗せると、懐に仕舞っていた鉄扇を音を立てて開く。


「……下らない話はもういいでしょう。今日、町奉行のお二人呼んだのは堺奉行の後任を誰にしようかということです。お二人が知っている中で、推挙したい人物がいれば教えてほしいのですが」

「私からは特にございません。忠春殿のお考えは?」


 実徳から話を振られるも、身の回りに奉行職を任せられるような人物は思い当たらない。

 それに加えて身近な所のゴタゴタで、その件ついて考える暇も無かったので忠春はこう答えるしかなかった。


「悔しいけど特に無いわ。アンタに一任するしかないようね」

「そうですか。それならいいです。堺奉行については所司代と詮議します」

 

 不敵な笑みを浮かべて答える忠邦に不穏な予感がするも、忠春に特に言うべき言葉は無いしそれを探る手筈も無い。


「お二人の考えはわかりました。堺奉行は私に任せてください。大岡に高井、大阪の治安をよろしく頼みましたよ」


 忠邦が懐に忍ばせていた扇子が音を立てて広がる。もう帰っていいぞという合図なのだろう。

 忠春と実徳は一礼をすると、御殿をあとにした。


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