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女奉行捕物帖  作者: 浅井
春一番は冬に吹く
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奈良武士考

 大阪から奈良までは平八郎の言っていた通りで、大した距離では無かった。

 明朝に奉行所を出発して大阪城からはひたすら東へと街道筋を直進し、生駒山暗峠を越えてると奈良に着く。合計で一刻(2時間)ほどの道のり。奈良へは明け五つ半(9時)ほどに到着した。

 忠春らは奈良奉行所の門前に立った。江戸南町奉行所や大坂西町奉行所に比べると、少々小さいがそれなりに威厳はある。


「なるほど。ここが奈良ね。やっぱり、町によって雰囲気も違うのね」

「ええ。所変われば人も変わるといいますが、町だって違うんです。ほら、道中もそうだったじゃないですか」


 江戸には武士が多く、大阪は町人が多い。奈良は坊主が多かった。ここに来る道中でも、黒衣を着た百人近い坊さんとすれ違った。

 それに、周囲には寺社がたくさんあるからか、仏具職人や墨汁の卸問屋が並んでいた。どこを通ってもほのかに香木の高貴な香りと墨汁の苦い香りが街中に漂っている。

 門番に名乗って奉行所に入ると、一人の老人が忠春らを出迎えた。


「ようこそ奈良へ。私は奈良奉行所の塚原出雲と申します。よろしゅう頼みます」


 奈良もやっぱり上方だった。言葉の語尾が関東とは違う。関東では下がる音が上に抜けていく。


「大阪西町奉行の大岡越前守忠春よ。よろしく頼むわ」

「忠春様のお噂はかねがね聞いとります。なんでも稀代の名奉行だとかなんとかで。そんなお方が大阪にいらっしゃるなんて、まったく心強いですわ」


 出雲は笑って見せる。顔中に散らばるシワが更に細くなった。背は低い。忠春の目線ほどの所に禿げあがった頭のてっぺんが来るほどだ。


「ありがとう。褒めた所で褒美なんて出ないわよ」

「ヘヘヘ、それも分かっとりますよ。では、こちらにどうぞ」


 出雲に案内されて付いて行くのだが、奉行所内部の作りは基本的に一緒だった。白州があって御用部屋がある。


「ここが奈良奉行所の白州です。散々立たれているので説明はいらんですな。いやぁ、あ。ワシの娘なんか忠春様に比べれば月とスッポンですわ。当たり前ですけど、ワシの娘が月ですからね」

「なかなか言ってくれるじゃない。今度会わせてよ」


 そして、出雲はおしゃべりな男だった。事あるごとに小ネタを突っ込んでくる。忠春も機嫌を良くして返した。このくらいの冗談であれば笑って受け流す度量は持ち合わせている。


「さすがは南町奉行を務めたお方だ。上方の冗談にも付き合ってくれるんですな。それに、衣装も中々のものを着られておりますな。馬子にも衣装なんてことはなく、地味で簡素な黒縮緬もサマになっとりますな。まさしく関東の武士そのものですわ」


 穏やかな物腰だが、出雲の言葉は嫌みたっぷりだった。


「……なんだかんだで二年はやっていたからね。生まれは三河の西大平だけど、長いこと江戸で暮らしてたからね。大体の武士はそんなもんでしょうよ」


 忠春は素っ気なく言い返すと、続けて出雲は忠春を舐めまわすように見て言う。


「忠春様の太刀と脇差は肥前拵ですか。やっぱり関東の武士は質実剛健ですなぁ」


 質素な白塗りの鞘を指差して言う。先祖の太刀と江戸を去る際に渡された同田貫も肥前拵だった。鍔もなんてことのないものだったし、脇差は同田貫だ。それが出雲の眼に映ったのだろう。

 対する出雲の二本差しはいずれも黒漆塗りの鞘。一見すると地味だが、鍔や目釘、石突といった金具と言う金具には金字で蒔絵が描かれている。なんとも豪勢で悪趣味な装飾だった。


「……アンタは中々派手なものを指してるのね。上方の武士っていうのはやけに羽振りがいいのね。まったく羨ましい限りよ。私みたいに貧乏だと、いろはかるたにあるように”安物買いの銭失い”なんて出来ないからね」

「そら上方の武士ってのは商人や坊さんの上に立ちます。身なりで劣って連中に舐められちゃ終わりです。それと、いろはかるたの”や”は”闇夜に鉄砲”でっしゃろ」

「おいおい、出雲さんよぉ。その言い方は……」


 出雲は歯を見せて嫌味っぽく言って見せる。八重歯には金色の被せ物を付けていた。続けて嫌味を言う出雲に、背後にいた衛栄が刀の柄に手をやって迫ろうとするが、忠春は右手一本で制する。


「確かに。アンタの言う通り上下関係は重要かもしれないわね。今後の参考にさせてもらうわね」

「……忠春様、ヤツのものいいはあまりに不遜極まりないです。ガツンと一発かましてやったほうがいいのでは?」


 義親も衛栄と同じように、額にしわを寄せて先を歩く出雲を睨みつけた。


「なんてことは無いわ。私とは趣味が合わないだけよ」


 忠春は諭すように言いながら微笑むと、黙ったまま出雲に付いていった。







 忠春らは出雲に、奈良についての簡単な説明を受けた。

 奈良の人口は三万人足らず。そのうちの三千人ほどは僧侶関係で占められている。

 ちなみに、江戸の人口は百万人を越えており、大阪は四十万人弱、京は三十万人強ということを考えると、当時の大きな都市に比べれば規模は小さい。しかし、日の本規模で見れば割と大きな都市だった。

 ただ、奈良は寺社が多い。興福寺や東大寺といった寺があるので訴訟関係も寺絡みが多いようだ。

 江戸では寺絡みの訴訟事は寺社奉行に任されていたので、江戸から大阪や奈良に渡った奉行や役人たちは難儀したことだろう。


「……江戸とは仕様が違っとります。お聞きになってもさっぱりでっしゃろ」


 そんなこともあって、出雲の説明を忠春が冴えない顔をして話を聞いていた。それに、出雲も気が付いたようだった。


「言葉で説明をするよりも、町を実際に見て回った方が分かるでしょう。私が案内します」

「ええ。よろしく頼むわ」


 と、出雲が言いだしたので忠春一行は町に繰り出した。







 奈良奉行所から南東に数町ほどいくと東大寺がある。

 敷地内の林を抜けると開けた緑地があり、二重唐破風造りに破風の間には観相窓のある大仏殿が見える。一間ほどはあろう柱の間をくぐると目の前に「東大寺盧舎那仏像」。通称「奈良の大仏」が現れた。


「ほえー、こりゃまた立派な大仏ね。大きさなんか鎌倉の倍以上はありそうね」


 忠春は足元から大仏を見上げて言う。大仏殿は薄暗いが、この日は雲一つない涼やかな快晴。太陽光を浴びた青銅製の鈍く光る胴体が、背後のに照り返して光り輝く。あまねく世界に仏の光を届ける。


「そりゃそうです。日の本で一番大きな大仏ですからな。

「焼き打ちっていうと、松永弾正のが有名ですよね。その度に再建するんですから大したものですよね」


 義親も壮麗さに驚いている。出雲は誇らしげに言った。


「ええ。弾正以前にもあったんですわ。しかし、大仏は日の本中の心の拠り所。そう簡単に終わったりはしまへん」


 これには忠春も納得した。盧舎那仏の腫れぼったい目を見ていると、どこか心が休まるような気がした。時の権力者が壮大なことをした気が何となくわかった気がする。

 同じように春日大社・興福寺も回った。興福寺は五重塔、春日大社では真っ赤に塗られた南門や御殿に行き、住職や神主と面会をした。住職同士の揉め事もあれば、

 それらの行程が終わったのは陽が宙天を過ぎた未の刻(2時)で、忠春らは小腹がすいていた。


「朝もろくに食べてないからお腹が空いたわね。出雲、何か食べられる場所は無いの?」

「ええ。すぐ近くに知ってる店があります。そこに行きましょう」


 出雲を返事をすると大きく胸を叩いた。ただ、その顔は自信と言うよりも、悪知恵に満ちた顔をしていた。







 軒先の煤けたような看板には「豆腐屋せんと」と書かれている。紺色の暖簾越しからは豆が蒸される温かい香りと、格子窓からもくもくと湯気が立っている。


「表にあるのは卯の花よね。江戸でもよく見かけたわよ」


 店外には桶にいっぱいに入れられた真っ白な『卯の花』、別の言い方をすればオカラがたんまりと置かれていた。


「そうです。しかし、こちらでは『キラズ』って言います。商売をやってるっていうのに『オカラ』じゃ縁起が悪いですからね」


 平八郎の説明に「なるほど」と頷いていると、出雲が真っ先に暖簾をくぐって行った。


「らっしゃい。どなた様でしょうか」

「塚原出雲だ。与兵衛、元気にしてたか?」

「出雲様ですか。今週分はとっくに払いましたが……」


 店主は与兵衛と言うらしい。色黒の肌に汗をたらして、頭には手拭いを巻いた職人風の若い男だ。


「んなことは関係あらへん。俺達は腹が減ったんや。6人分ほど食事を出さんかい!」

「そんな、突然言われましても……」

「やかましい! ここにおられるのは大阪西町奉行の大岡越前様や。そんなお偉い方がこんな店にわざわざ来てやったんや。光栄に思いな」


 出雲の言葉に与兵衛は縮こまった。


「いやいや、そんな上から言わなくても……」

「上方では町人に舐められてはアカンのです。ほら、何でもいいから食い物を出さんかい!」


 忠春は衛栄らと顔を見合わせて苦言を呈するが、出雲は態度を変えない。それどころか、更に毅然と言葉を浴びせる。与兵衛もやれやれといった表情をして店内へと戻って行った。

 脇差の件でもそうだったが、遠国奉行所の与力よりも店を持っている町人の方が金は持っている。しかし、この態度はどうなのか。


「……あの態度ってどうなの? 略奪まがいのことをしてさ」

「ま、まぁ、分からなくもないですけどね。出雲さんの言う通り相手に舐められてたら真っ当な捜査なんて出来ません。ある程度の権威は必要でしょう」

「ああ。アイツの態度は間違っちゃいないかもな。ああいう横柄な役人はどこにでもいるだろう。だからといって、それが正しいとも思えないし、出雲の態度には色々と含む所がありそうだな」


 忠春は義親とそんなことを話しながら軒先に置かれた長椅子で座って待っていると、店主の与兵衛がお盆を持ってやって来た。


「つまらんものしか出せませんが、どうか召しあがって下さい」


 お盆の上にあったのは、茄子の奈良漬をちょこんとのせた冷ややっこと高野豆腐の煮物。

 出された食事に出雲は食らいついた。


「なんだ。このようなものしか出せないのか!」

「そりゃそうです。突然やって来て何か出せなど、そんなことを豆腐屋に求めるのがおかしな話なんです」


 怒りで出雲の顔は赤くなっていく。このまま見ていれば出雲からは言葉よりも先に手が出る。忠春は笑顔を繕って言った。


「まぁまぁ、私たちは別にかまわないわ。押しかけてきたのに、馳走になるってのがおかしな話なのよ。与兵衛さんありがとう。頂くわね」


 忠春は出雲をなだめると、奈良漬を一切れほおばった。

 噛むたびにシャキシャキと音を立てる白瓜に、酔わせるような酒粕の香りが鼻腔に届く。


「すごい美味しいわね。奈良漬は江戸でも何度か食べたことはあるけど、味の深さっていうの? 酒粕の旨味は段違いにいいわね」

「米と一緒に食べはしましたけど、豆腐と一緒に食べてって言うのもいいですね。豆腐が甘いし、口の中でとろけます」

「漬物はお袋がこさえたものです。大阪のお奉行様に褒めてもらえて喜びますよ」


 余りの美味しさに豆腐をかき込んでいる二人を見た与兵衛は、まんざらではないように微笑んで見せた。

 隣にいる衛栄と平八郎は高野豆腐を頬張った。


「こりゃぁうめえ。江戸でも早々味わえるもんじゃねえな。味も上方風の薄味で、ちょうどいい塩梅だ」

「美味しいです。奈良に来た際には是非共寄ろうと思います」


 衛栄だけでなく、平八郎も頷きながら食べている。

 この中で一番大きく出たのは塚原出雲だった。


「いやぁ、皆さまに気にいってもらえて光栄ですよ。私の考えは正しかったようですな」


 出雲の顔は平穏そのもので、一人で大声を上げて笑っている。

 そんなことよりも、忠春は目の前を見てあることに気が付いた。


「こんな町中にも鹿がやってくるのね。どれくらいの数がいるの?」

「五百頭くらいでしょうか。東大寺から春日大社にかけての緑地で放し飼いにされとります。鹿にとってはこの辺りも住みかなんでっしゃろ」


 確かに、大仏殿や春日大社の敷地内には鹿が歩きまわっていたのを見かけた。興福寺の五重塔脇でつがいでのんびりと日向ぼっこしていたり、大仏殿脇の緑地で寝そべっていた。


「あの緑地のほうが気持ちよさそうですよね。わざわざこんなところまで出る必要はあるんですかね」

「確かにそうよね。エサだって緑地の方がありそうなのに」


 忠春と義親は声を揃えて言う。

 そんな中、衛栄は奈良漬の酒粕で酔いが回ったのか、笑いながら話しだした。


「いやぁ、これだけいれば食う物に困りませんね。米や魚が不作でも鹿を食べればいくらでも冬を越せるでしょうな!」

「ハハハ、奈良では鹿は神の使い。殺しなんかしたら即刻斬首です」

「……衛栄、お前、無作法だな。お主が西町の与力でなければ切り捨てていたぞ」


 出雲は笑って受け流すが、平八郎は冷めた目で見つめる。平八郎に関しては元からだから関係ないかも知れない。


「コイツは知らないかもしれないけど、私は知ってたわよ。鹿島や宮島でも鹿は神聖視されてるわね」

「ええ。春日大社は鹿島から勧進されたものですからね。意外と知られとらんですわ」

「いやいや、私はあくまでも場を和まそうとですねぇ……」


 忠春からも見放された衛栄は小さくつぶやく。

 豆腐屋を出て奈良奉行所に戻った頃には陽が沈んでいた。忠春らは奉行所で帳簿や訴訟関連の文書に目を通す。思えば西町奉行所のよりも先に目を通したかも知れない。


「帳簿とかも見せてもらったけど、大体は大丈夫そうね。訴訟事があれば大阪に持って来なさい」

「ははっ! 末永くよろしく頼みます……」


 出雲を筆頭に奈良奉行所の与力らが頭を下げる。忠春は満足そうにうなずくと、奈良を後にした。

 ただ、上方といえども、江戸と同じような悩みを抱えていた。高慢な役人に、飢える町人。都市部ですらこうなのを見ると、近隣の農村に至ってはもっと酷いありさまなのが予想される。

 大阪への帰り際、東大寺らがある林を眺めると、大仏殿のある場所だけが篝火に焚かれていて豪勢な唐破風造りの屋根が暗闇に赤く浮かびあがっていた。世の中に慈愛の光を与える大仏なのだが、こうやって見てみるとどこか世を憐れんでいるようにも思えた。

奈良漬に豆腐はマジで合います。試してみてください。マジ美味いです。

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