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女奉行捕物帖  作者: 浅井
木枯らし西に吹く
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 南町奉行所の門前に義親らが集まって、ああでもない、こうでもないと大声で話しあっている。

 この時期に老中から呼び出された、それがどういう意味なのかを必死に論じ合っているのだろう。

 そんな中、気だるそうにとぼとぼと歩く忠春を見つけると、奉行所の者らは忠春の元へ一斉に駆け寄ってきた。


「忠春様! 何があったのですか!」

「ま、まさかとは思いますが、ご老中になられるとか?」

「いやぁ、心配して損をしましたよ!」


 衛栄を筆頭にして絶え間なく言葉をぶつけてきた。

 忠春は黙りこくっているが、衛栄らの言葉は止まない。


「またまたぁ、何かいいことがあったから私たちを驚かそうとしてるんですよね?」

「なるほど、いきなり重大発表とかしてっていうアレですね」

「ハハハ、忠春様もタチが悪いことをしますね。もういいじゃないですか、何があったのか教えてくださいよ」


 思い思いに言葉をぶつけるが、忠春は何も言わずに呆けている。

 ただ、心神喪失状態の忠春の耳に唯一入ったのは義親の声だった。


「忠春様、此度はどうなされたのですか?」


 義親は落ち着いた口調で心配そうに問うと、忠春は力なく返事をする。


「明日、私は南町奉行の職を解かれるって」

「え、ええええええ?」


 抑揚のない忠春の声と内容に、周りにいた奉行所の者たちは思い思いに大声を上げた。


「いやいやいや、流石にそれは冗談ですよね?」

「ちょっと、冗談がきつすぎますって。これは笑えませんよ」

「そ、そうですって、本当は、今回の一件でお褒めの言葉を預かったんですよね?」


 額に汗を浮かべたら衛栄と好慶がそう言うが、忠春は黙ったまま立ちすくむ。

 だが、何も言わずに下を向く忠春の姿を見て他の者たちは言葉が本物だということを悟った。


「お、おいおい、マジかよ……」


 頭に手を当てて平梨が呟くと、忠景が輪を抜けて江戸城に向かおうとし出した。


「忠景、どこに行く」

「……このような不条理、認められるか」

「お、おい! アイツを止めろ!」


 小浜が声を上げると、周りにいた者たちは忠景を押さえかかる。

 だが、顔を真っ赤にした忠景は抵抗を止めない。


「は、離せ! このようなことがあってなるものか! 俺は討ってやるぞ! 連中を討ち取ってやる!」


 忠景は止めようとする腕を振りほどいて刀を抜き、沈む太陽を浴びて光り輝く本丸御殿に向かって大きく叫んだ。

 衛栄や義親は忠景を必死に止めてはいるが、内心同じように思っていたのか本丸御殿を睨みつける。


「……やめなさい」


 止めたのは忠春だった。輪の中に割って入って忠景の腕を掴んだ。


「し、しかし!」


 忠春の方を振り向いた忠景の顔は涙でぐしょぐしょになっている。忠景を押さえようとしている奉行所の者らも同様に涙をにじませている。

 凛とした声で忠景が言い返すも、忠春は静かに言い返す。


「いいのよ。上様の決定なら仕方ないわ。例え、誰かに唆されたとしてもね」


 俯いて呟く忠春の眼から涙が伝わり落ちて力なく笑った。

 忠景は黙って刀を鞘にしまった。沈む日を背にして、周りにいたものらも同じように立ちすくむしかなかった。






 奉行所の仕事を終えた忠春が屋敷に戻ると、縁側で母の大岡みつが一人たたずんでいる。

 みつは足元には米粒が撒かれていて、それを小雀たちが必死についばんでいた。


「忠春、どうしたの? 今日はやけ早いんだね」


 みつが忠春の姿に気がついて問いかけると、忠春はバツが悪そうにして顔を伏せる。


「いいえ、いろいろとあったので……」

「……そう。色々と大変なんだねぇ」


 横にある湯呑みを両手で丁寧に飲みながら呟いた。


「忠春、ちょっと話をしない?」

「なんでしょうか母上」

「ちょっとした昔話よ」


 みつは忠春を呼び寄せる。

 忠春はみつの横に腰掛けると、置かれていた湯呑みに口を付けた。


「話っていうのは、私の父、つまりは忠春の祖父の増山正寧はロクでも無い人だったってことね」


 なんてことないようにみつが話すと、忠春は口に含んだ茶を一気に噴き出して咳ごむ。


「ちょ、いきなりなんて話をするんですか」

「とはいっても、別に悪い意味じゃないんだよ。優しかったし、たくさん遊んでもらったからね」

「ならば、なぜロクでもないと言うのですか」


 忠春が聞き返すとみつは微笑んで言う。


「伊勢長島藩の藩主としてロクでもないってことだよ。藩政を顧みないで趣味ばかりに走って、本当に藩主なのかって疑っちゃったわね」

「あ、ああ、そういうことですね。確かに長島の家は派手でしたよね」


 忠春が西大平で育っていた頃に、何度か長島藩に足を運んだことがあった。

 拠点の長島城は天守閣こそなかったが立派な建物で、御殿の中は豪華絢爛そのもの。今思えば江戸城本丸にも引けを取らなかったかもしれない。

 帰りには祖父の正寧から、自身で書いたという絵画をたくさんもらったのを覚えていた。


「あの派手な御殿と趣味のおかげで、藩の財政は火の車よ。そのくせ立身出世には興味が無いって、大名としてどうなのよって思ったのよ」


 母の言う通りで大名であれば立身出世を志し、少しでも良い役職に就こうとするのが常道だ。

 しかし、祖父の正寧は趣味に生きた。それで色々と気苦労があったのだろうか、みつの語り口調に熱が帯び始める。


「それで、私は大岡家に嫁いだんだけど、先祖はあの大岡越前公なのよ? 色々と期待もするじゃないの」

「でも、父上は……」


 忠春は父の姿を思い浮かべた。真面目一徹だけど、どこか頼りない姿。みつはため息をついた。


「そうなのよね。あの人も父と同じように、立身出世には興味が無かったわ。真面目に仕事をこなすだけの人だった」

「……では、母上は父上との婚姻を後悔しているのでしょうか」


 目を伏せて忠春が聞くと、みつはあっけらかんと言う。


「いいえ、そんなことはないわ。あの人と過ごして昔の私が間違ってたって思い知らされたのよ。それで、一つだけ重要なことを学んだわ」


 不思議そうにして、忠春はみつの顔を見た。


「人間は役職じゃなくて、どう生き抜くかってことよ」

「どう、生き抜くか……」


 忠春はみつの言葉を繰り返す。


「そう。重要な役職を得ることが全てじゃない。その過程で大事なモノを失ったら、そんなものに価値は無いってね。まぁ、甘い考えかもしれないけどさ」


 みつは湯呑みをすすると「ふぅ」と息を吐いた。


「そんな父はもう死んじゃったけど、兄に家督を譲った後は巣鴨の下屋敷でずっと生き生きしてたしね。私だって忠愛や忠春とも過ごせたわけだから、その考えは間違っちゃいないのよ」

「……」

「まぁ、こんな感じね。アンタも大変かもしれないけどさ……」


 みつは優しく忠春の肩を抱いた。

 家で弱い姿は絶対に見せたくは無かった。だが、押し殺していた感情が堰を切るように忠春から流れ出す。


「無理ばっかりしないでいいのよ。少し立ち止まってみるのもいいんじゃないの?」

「は、は、は、母上ぇぇぇぇっ!」

「……いいのよ。泣きたいときは泣きなさい」


 忠春は泣いた。大声を上げて泣いた。だが、みつは何も聞かずに、忠春を温かい目で見守り背中を抱いた。

 一通り泣きつくすと、忠春の気持ちも落ち着き周りを眺める余裕が生まれると、あることに気がつく。


「そういえば父上の姿がありませんが、どこにおられるのですか?」


 普段であればする仕事も無いので家にいるはずの父忠移の姿が無い。

 はつは忠春の頭を優しくなでた。


「ああ、あの人ならフラッとどこかに行ったよ」

「フラッとって、そんなのでいいんですか?」


 もう少しまともな返事が来ると思いきや、適当な返事だったので拍子抜けする。


「どうせ夜になれば帰って来るでしょ。それよりも、こんな寒い所で長話をしちゃったから寒くなって来たわね。早く中に戻って温まりましょう」


 みつは立ち上がって優しく微笑むと、忠春は頬を目を細めてつり上げ、母についていった。







 江戸に朝が来た。

 忠春は両目を擦ってあくびをしながら広間に行くと、昨晩いなかった父の姿があった。


「ち、父上! お話があります」

「なんだ、どうしたんだ?」


 広間で味噌汁をすすっていた忠移が返事をする。

 忠春は静かに忠移の元に歩み寄り、横で正座をして言った。


「私は、本日限りで南町奉行の任を解かれることになりました」

「……そうか」

「何か言わないのですか」


 何か言われるんじゃないかと忠春は父の顔を上目遣いで見る。

 はつが忠春となって武士になった時のことを思い出すと、この様な形で父と母、さらには先祖の名を汚すことになったことで何か言われるものと信じていた。それ以上に、忠春自身がそれについて重く思っていた。

 が、忠移は優しく微笑むのみだった。


「私が何か言うことも無いだろう。どんな仕事だっていつかは終わらなければならない。そういうことだ」

「……そうですか」


 いっそのこと何か言われた方が楽だったかもしれない。昨日、母にはああいわれたが、町奉行という職は忘れられない。

 天職を幕府内の権力抗争で失った。それも、一方的な命令でだ。忠春は昨晩の内に、気持ちの整理を行ったはずだったが、心は快晴の天気と対照的に沈んでゆく。

 忠春が答えを受けて黙ってうつむいていると、忠移は桜の木を指差した。


「……ちょっと中庭を見なさい」


 春には満開の花を咲かせていた中庭の桜の木も、この時期になると木の葉一枚も残さない。ポツンと一本だけ佇んでいる。


「父上、どういうことですか」

「桜はあんな風に木の葉が落ちたとしても、春が来れば満開の花弁を見せてくれる。今が寂しいとしたって時がたてばいいこともあるさ」


 忠春は枯れた桜の木を見つめた。

 桜の腹には厳しい寒さを耐え抜くべく藁を何重にも巻いている。


「まぁ、木の幹が腐って無ければだけどな。どうだ、忠春の幹は腐ってるか?」


 忠春は目を瞑って自分自身問うた。


――私はまだやれるのか


 帰ってきた答えは一つだった。役職が何になろうが、忠春のなすべきことは一つしかない。

 将軍を、幕府を守り、江戸に安寧をもたらすことだ。


「……大丈夫です。私の幹はまだ腐ってはおりません!」


 忠春は胸を張り、口角を上げて右胸を親指で差した。


「うん。それなら大丈夫だ。お前も大岡家の血筋なんだ。真面目に努めていればいいことがあるさ」


 忠移はそう言って優しく微笑むと食事に戻った。

 忠春も、用意された膳の前に移動してあさげを食べ始める。

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