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女奉行捕物帖  作者: 浅井
木枯らし西に吹く
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忠之との決着

 忠春を筆頭にした三十名ほどの小隊は、予告のあった浜松藩上屋敷の眼前にある寺に詰めていた。


「……それにしても、本当に奴らはやって来るの?」


 忠春は格子窓から水野屋敷を見つめてため息交じりに言う。

 そもそも浜松藩は七万石を抱える上屋敷のため、大名関係者であろう人通りがかなり多い。だが、怪しい男女は一人も見られなかった。

 

「俺にはこないような気がするんだがなぁ」

「確かに。ただのイタズラじゃないんですか?」


 忠春の両脇で上屋敷を眺めながら衛栄と好慶が言う。


「文書の筆跡からして、投げ込んできた者は同人と考えてよいでしょう。それに、イタズラだとするならば、大きな事件でもなかった昨日の襲撃を店名まで明かして知らせられるとは思えません」

「政憲様の言われる通り、文書の指示通りに動いて捕まえられましたからね。そうだとは思いますけど……」


 好慶がそういうと、衛栄が好慶の肩を小突いた。


「なんだよ。さっきはイタズラみたいに言ってたくせに、よく言うぜ」


 衛栄の行動は冗談を分かっていても、何も進展の無い部屋に重い空気が張り詰める。

 そんな空気を引き裂くように、欄干に顎を乗せて屋敷を見つめていた忠春が跳ね起きた。


「そうだ! 今思い出したんだけど、アンタはなんで本物だって判断したの?」


 他の奉行所の者たちも頷いた。ここに来る前に政憲が言い残した言葉を思い出す。

 忠春が振り向くと、政憲は待ってましたとばかりに笑顔を見せて忠春に指先を向けた。


「忠春様、昨日に旗本奴らを捕らえた際、義親殿が喋っていた話を思い出して下さい」

「簡単にペラペラと話しだしたってこと?」

「そうです。そこで、忠春様に問題なんですが、忠之がよく会っていた女とは誰だと思いますか?」

「いや、そんなこと私に分かる訳……」


 忠春は宙を向いてうなりながら頭を捻る。政憲は笑顔を崩さないまま新たに問いかけた。


「忠之が密に連絡を取り合わなければいけない女ですよ。それも、忠之に指令を与える人間です」

「というと、鳥居耀蔵?」


 答えを聞くと、優秀な回答を受け取った教師のように、政憲は満足そうに言う。


「ええ。これが真実かどうかは知りませんが、思い浮かぶのは鳥居耀蔵以外にありません」

「と言っても、あくまでも予想なんでしょ?」


 忠春の指摘に政憲は苦笑する。


「ハハハ、まぁ、そうなんですけどね。しかし、私の推理が正しければ忠之が屋敷にやって来た理由も分かるでしょう」

「連絡を取りたいがために来たってことよね。まぁ、わからなくもないんだけどさ……」

「ええ。そうだと思います」

「……しかし、一つだけ分からんことがあります」


 横にいた衛栄が腕を組んで不満そうに言う。


「なぜ奴らが忠之を始末するんですかね。わざわざ殺す理由が見当たりません」

「それについては忠春様は知っているでしょう」

「いやいや、私が何でも知っているような言い草は…… って、あ、あああっ!」


 最初はきょとんとしていた忠春だったが、政憲の助言に閃いたようだ。


「だから私らと手を組もうとしたのね」

「そうです。忠之は用済みになった。そういうことなのでしょう」

「でも、それならまどろっこしいことをしないで直にやって来て言えばいいのに……」


 忠春が言うと、横にいた衛栄はケラケラと笑う。


「いやいや、仮に鳥居耀蔵の野郎がノコノコとやって来て、文書に書かれていたことを喋った所で忠春様は信じましたか?」


 衛栄の言葉に忠春はぐうの音も出なかった。


「だから耀蔵は差出人不明の文書を投げ込んだ。私はそう考えますよ」


 忠春は納得して再び窓の欄干に顎をのせて覗いていると、衛栄が何か閃いたようで口を開いた。


「そうだ。一つ作戦があるのですが、ちょっといいですか?


 部屋に詰めていたものの視線が衛栄に集まった。 

 衛栄は咳をすると喋り出す。


「忠之がここに来るとして、奴らの行動をあえて見逃すって手もあるんじゃないですかね」

「どういうこと?」


 忠春が聞き返すと、衛栄はほのかに口角を上げる。


「忠邦を殺させるんですよ。その後に屋敷に踏み込んで忠之を捕縛する。どうですか、いい作戦じゃないですか?」

「確かに。上手くいけば忠邦と忠之の両名を召しとることが出来ますね。


 周りにいた奉行所の者らも衛栄の意見に同意をしたようだった。自らの手を汚さずに、確実にどちらかを仕留めることが出来る策だ。

 しかし、忠春はきっぱりと切り返す。


「確かに忠邦は私たちの敵だだけど幕府の要人なのよ? そんな手を使えば私たちもあいつ等と同格に成り下がるわ。そんなことだけは許せない」


 忠春は衛栄を睨みつけて言う。衛栄は軽く微笑んだ。


「……そうですね。私が悪かったです。申し訳ありません」

「別にいいわ。絶対にヤツは私が必ず倒すんだから……」


 すると、義親は部屋に飛び込んできた。


「た、忠之が手勢を連れてやって来ました!」


 義親の言葉を聞くと、部屋にいた全員が格子窓に顔を近づけた。

 白い袴羽織を着た一団。その中の一人は派手な刀を三本差し、獲物を狩る狼のように屋敷を鋭く睨みつける。

 間違いなく水野忠之だった。


「あんた達、準備は出来てる?」


 忠春が言うと、部屋に詰めている奉行所のものは黙って頷く。

 奉行所配下三十五名は、得物を構えて寺を飛び出した。


「それじゃぁ、全てを終わらせに行くわよ」







 忠春らが寺を出ると一面は真っ白に染まっている。

 止んでいた雪も再び降り出し、行き交う人の波も嘘のように途絶えた。

 浜松藩上屋敷の門前にいるのは忠之を筆頭にした旗本奴十名ほどと、忠春ら南町奉行所三十五名。参戦した人数は赤穂浪士の討ち入りに及ばないが、両陣営の放つ熱気なら引けを取らない。まさしく最終決戦に相応しい舞台になった。


「水野忠之! 今度は逃がさないわよ!」


 忠春は忠之を指差して言う。


「ああ? やっぱり耀蔵の野郎が嵌めやがったのか」


 忠之は驚くそぶりも見せず、鋭い八重歯を見せて微笑む。

 忠春は熊毛の采配を振る。与力・同心たちが刺又を構えながら飛び出して旗本奴の周囲を取り囲んだ。


「観念しなさい。アンタたちはどう足掻こうともうお終いよ」


 采配を忠之らに向けて大声で勧告する。

 だが、旗本奴らは観念するどころか大声を上げて笑いだした。


「ようよう! 忠邦さんよぉ! ここにきて裏切るとはいい度胸だなぁ!」


 唐木の大きな門に向かって叫ぶも、門からは何も返事は無い。

 忠之は叫び終えると目を剥いて微笑んだ。薄い唇の隙間に鋭い八重歯が見える。


「よし、ヤろうぜ、ヤってやろうぜ! 闘争だ!」


 旗本奴十名は刀を抜いた。浜松藩上屋敷の門を背後し、奉行所に囲まれようとも誰一人として怯まない。

 それどころか、誰一人として背中を見せないで与力たちを睨み付ける。

 その姿を見せつけられ、逆に奉行所の方が旗本奴たちに気押されている。完璧かと思われた横隊だが、刺又の穂先がプルプルと震えだした。


「どうした、ビビってんのか? 他の連中は得物を構えて囲むだけで投降したかもしれねえが、俺たちは違えんだよ。覚悟は出来てんだ。さっさと采配を振れよ」


 忠之は白い息を吐きながら大声で笑うと、忠春は深呼吸をして叫んだ。


「いままでの悪行を見捨ててはおけない! 旗本奴を一人残らず捕らえるのよ!」


 忠春が采配を前に振ると、与力同心達は大声を上げながらドッと刺又を突き出した。





 雪の中の混戦は初めて見る光景だった。

 倍以上ある獲物の長さと、四倍近い人数差がある中でも旗本奴達は怯まず奮戦する。

 とはいえ、五・六名は簡単に苦痛に満ちた呻き声を上げて捕らえられるが、残った旗本奴達は返しのついた針の森をかいくぐろうと戦い抜く。


「忠春よぉ! 前の決着がついていねえよなぁ、さっさとヤろうぜ」


 真っ先に針の森を掻い潜った忠之が叫びながら忠春に歩み寄る。自慢の白い羽織は血に塗れ、浅黒い斑点がいくつも見える。

 だが、忠之自身には傷一つない。


「上等じゃないの、かかって……」

「忠春様が出る理由はありません! 我々にお任せを!」


 忠春が刀を抜いて忠之の元に駆け寄ろうとするが、好慶が忠春を突き飛ばし、同心数名がかりで忠之に飛び掛かった。


「ちょ、ちょっと!」

「おいおい、俺は忠春と相手してえんだよ。ヤりてえんだよ。治まりがつかねえんだよ!」


 奉行所の同心が両脇から同時に斬りかかる。しかし、同心らが上段から刀を振り下ろす前に、横なぎ払いで簡単に斬り伏せられた。

 忠之の剣先の速さに場はどよめいた。

 しかし、忠之に隙が生まれた。好慶はそれを見逃さなかった。


「覚悟しろっ!」


 ガラ空きの首元めがけて好慶が突く。

 抉るような剣先が忠之に襲いかかる。見ていた者は好慶の勝利を確信しただろう。


「……しょっぺぇなぁ」

「な、なんだと、ごほぉっ」


 だが、好慶の刀は届かない。好慶の渾身の突きは忠之に易々と弾かれ、逆に腹から真っ赤な血が噴き出した。

 

 好慶は剣術に優れていない訳ではない。それどころか、奉行所の中では腕の立つ方だ。忠之の剣術が尋常でなかったのだ。


「よ、好慶!」

「……雑魚はすっ込んでろ。忠春よォ、早くやろうぜ」


 倒れ込んだ好慶に目をやることも無く、忠之は忠春の元にゆっくりと歩み寄る。


「俺らの行動が武士の救済だ、商人の駆逐だなんだって言われてっけど、んなことは知らねえよ。俺はただ斬り合いてぇんだよ」

「は、はぁ?」

「俺達にはこんな平穏はいらねえんだよ。ただ、命のやりとりがしてぇだけなんだよ」


 忠之が口角を上げると、浜松藩上屋敷の右後方にある神谷町から轟音と共に火の手が上がった。


「な、なにが起きたの!」


 瓦屋根や木材の破片が宙に舞い、黒い煙が天へと昇る。すぐさま、火の見櫓から危険を知らせる鐘の音が鳴り響き、通りからは悲鳴が聞こえる。


「言っただろ。俺たちは覚悟が出来てんだよ。火付けだろうが、殺しだろうが俺の知ったことじゃねえ。ほら、早くてめえらが消しに行かねえと火の手は江戸中に回っちまうぜ?」

「き、貴様ぁ!」


 忠之は腹の底から笑った。脇では薄手の装束で逃げ回る町人に悪びれることも無く、心の底から行動を楽しんでいるのだろう。

 横にいた義親が刀を抜いて忠之に飛びかかろうとする。が、忠春が義親の前に歩み出て白鞘から刀を抜いた。


「……義親、アンタは火消しを指揮しなさい」

「し、しかし!」


 忠春は息をつくと忠之を睨みつける。


「やっぱり、最後はアタシの手で片付けないといけないみたいね」

「そうだよ。そうこなくっちゃいけねえよな!」

「上等じゃない。アンタみたいなクズはあたしの手で潰してあげるわよ。光栄に思いなさい」


 忠春は刀を正眼に構えると、忠之は獲物を狩るような鋭い八重歯をチラつかせた。






 忠春と忠之は出先を伺って、刀を構えたまま動かない。

 すぐ脇で行われている火消し組や奉行所の救援活動が、どこか遠くの世界で起きている話のように別世界に、藩邸前は静まり返っていた。


「これで終わりよ!」

「ああ! これで終わりだ!」


 忠春と忠之は大声を上げながら駆け寄って斬り合う。

 右上段から袈裟切りをしようとする忠之と、刀の柄をガッチリと掴んで胸元めがけて突き伏せようとする忠春。

 剣術には作法がある。刀の握り方一つにしてもそうだし、斬り方一つにしてもそうである。

 だが、二人の斬り合いにはそのようなものは無かった。道理を超えた戦いが、ここにはあった。


「……は、はぁ、はぁ、はぁ」


 勝負は一瞬で決着だった。

 忠春の突きだした一撃が、忠之の刀を弾きとばしてそのまま左胸を貫通した。

 忠之は目を丸くして下を向き、傷口をただただ見つめるのみでその場に立ちすくむ。


「お、おいおい、俺が女、な、なんかに負けるなんて、ありえ、えねえだろ……」


 両膝をついた忠之は、生気を失った目で忠春を見つめる。


「女だからって舐めないで。やる時はやるのよ」


 忠春はそう言い放つと突き刺した刀を引きぬいた。

 傷口からは勢いよく血飛沫が舞い、辺りの雪化粧を真っ赤に染める。


「お、面白れえなぁ、こんな、時代が、やって来るなんてな……」


 胸を貫かれた忠之の顔は、悔しがったり苦痛に歪むのではなく、少しずつ口角が上がって笑みを見せる。


「アンタが時代に取り残されているだけなのよ。今は平穏な時代なの。アンタに居場所はないわ」

「血で血を争う戦いに、互いの存亡をかけての謀略戦。平穏な時代にこんな戦いで死ねるなんてなぁ。ああ、いい戦いだった、ありが……」


 忠之は忠春の言葉を聞くと安らかに微笑んだ。赤子が母親に抱かれて眠るようにだ。


「ふ、ふざけんじゃねえっ!」


 脇に控えていた衛栄が、忠之が言葉を残す前に斬り伏せた。


「も、衛栄!」

「ふざけるんじゃねえ。な、なんでてめぇみたいなクズが大手を振って死ねるんだよ。おかしいだろ!」


 衛栄は涙を流しながら何も言わずに微笑む忠之に突っかかる。


「く、糞がっ! てめえのお陰で何人の市民が泣いていると思ってるんだよ! それなのに! それなのによぉ!」


 斬り伏せられた忠之は仰向けでいる。その顔は、安らかそのもので後悔など微塵も感じさせない。

 忠春も衛栄と同様の気持ちでいた。それどころか、場にいた奉行所の者らは全員そう思っていただろう。

 彼らの事件の陰では何名もの死人も出ているし、生活が立ちゆかなくなった者たちも多数いる。そんな人々の無念を顧みることも無く、忠之は幸福のままに死んでいった。

 いくら後悔を重ねた所でこんな風になってしまった以上、忠春らにはどうすることも出来ない。


「忠春様! 火は無事に消し終わりました!」


 立ちすくむ忠春の元に、火消しに行かせた同心が報告にやって来た。目線を向けると、もくもくと立ち上っていた白煙は黒煙と変わり、逃げ惑う人々の安堵の声が聞こえ出した。家屋や商店の消失も町の一区画で済んだという。

 だが、忠春は同心の報告に特に何も言うことが出来ず、ただ呆然とその場に立ちすくむことしか出来なかった。

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