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女奉行捕物帖  作者: 浅井
木枯らし西に吹く
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雪遊び

 江戸に早い冬がやって来た。

 11月を迎え、例年であれば肌寒い程度だが今年は違った。江戸に面白いように雪が降った。

 雪が降るだけならいいが、この年は積もった。

 忠春が朝目覚めて縁側を覗くと、一面が銀世界。一歩、真っ白な庭に足を踏み入れると、忠春の細いふくらはぎの中ほどまで積もっている。

 外桜田の屋敷から奉行所に向かう忠春と義親だが、大通りで見かけるのは雪遊びではしゃぐ子供たちばかりで大人の姿が見当たらない。

 どこの通りを歩いても道端には雪の土手が連なり、子供たちが小さな穴を掘ってカマクラを作って遊んでいる。

 忠春は、寒さでかじかんだ両手を口元に近付けて息を吐く。


「やっぱり今日は寒いから外に出る人は少ないわね」

「はい。そのせいで昨日は酒が飛ぶように売れていたそうですよ」


 義親が言うには、こんな寒い日にわざわざ外に出ないで、家の中で一杯傾けた方が心も体もあったまるからだそうだ。


「そりゃそうよね。出仕しないでいいんだったら、冬至じゃないけどゆず湯に入って温まって葛湯を飲んで家に籠もってたいし」


 忠春は震えながら頷く。誰だって用が無ければ外になどでたくは無い。それも、気温の上がらない朝方であればなおさらだ。

 ため息交じりに忠春が言うと、義親はニッコリと微笑んで言う。


「温まりたいんだったら今晩は鍋でも食べましょうよ。この時期なら紅葉鍋とかいいんじゃないですか?」

「いいわね。鍋よりもソバが食べたいわね。あったかいかけ蕎麦なんかいいわ」

「それでしたら、神田のあの店がいいかもしれませんね。値段は安いし量も多いですし」


 昨年の初秋に食べた大振りの海老天を思い出す。あの店ならば山菜のかき揚げも大層なものが出て来るだろう。


「奉行所からちょっと遠いけど悪くないわね。昼になったら適当に誰かを連れて、市中警固がてら行くわよ」


 忠春がまだ来ぬ昼ご飯に思いを巡らせていると奉行所の門前に到着する。だが、門番の小浜と平梨の姿が見当たらない。


「おかしいわね。小浜と平梨がいないなんて」


 篝火だけが煌々と焚かれる門を見て、忠春が首を傾げている。横にいた義親が何かに気がついたようだった。


「忠春様、中庭から声がしますよ」


 中庭の方に耳を傾けると、確かに声が聞こえる。


「食らえっ! この野郎っ!」

「当たらねえよ! まだまだぁ!」

「なにくそっ! 小田流投擲奥義"雪連弾"ですぞっ!」

「ハハハ、みなさん中々筋がいいですね」


 大声が上がると笑い声が沸き、雪の中をドタドタと動き回っている。

 何をやっているのだろうと、不思議がりながら忠春は中庭へと足を向けた。


「ちょっとアンタたち、何をして……」


 忠春が中庭に辿りついて顔を出したのと同時だった。忠春の寒さでほのかに紅潮した顔面に白い雪玉が命中する。

 賑やかだった中庭は一瞬にして凍りつく。横にいた義親は手を額に当てた。


「わ、私は知りませんよ! 当てたのは小浜です!」

「平梨だ! 平梨がやったんだぞ!」

「お、俺じゃねえよ! 当てたのは国定だろうが!」

「ワ、ワタクシではありませぬぞ! あの球筋は忠景殿ではっ!」

「……俺じゃない。投げたのは好慶だ」


 好慶は小浜に罪をかぶせ、小浜は平梨に話を振り、平梨は国定のせいにして、国定は忠景に、忠景は小浜に罪を着せる。

 雪合戦をしていた各々が『忠春に当てたのは自分では無い』と主張し出して、蜘蛛の子を散らすように逃げだそうとした時だった。


「……ちょっと待ちなさい」


 忠春が静かに言うと、顔にこびりついた雪を手のひらで払い落として周りを見回した。


「……な、なんでしょうか」


 雪合戦に興じていた奉行所の者らは、寒さと忠春の威圧感に震えながら声を揃えて言う。


「遊んでいたのも構わないわ。ここ最近は捕り物も無いし、旗本奴の音沙汰も無い。でもね……」


 奉行所の者らがびくびくと震えていると、忠春はその場にしゃがみ込んで雪を掴んだ。


「こんな面白そうな遊びに、私を混ぜないとはどういう了見なの? ほら、早く混ぜなさいよ!」


 忠春はにんまりと微笑むと、えいっと声を張り上げて雪玉を放った。


「いや、混ぜるも何ももう投げてるじゃないですか!」

「ごちゃごちゃうるさいのね、ほら食らいなさい!」


 好慶が胸元にこびり付いた雪を振り払いながら言うと、すぐさま忠春が好慶めがけて雪玉を放り投げる。

 忠春のしなやかなにしなった腕から放たれた雪玉は、雪で湿った空気を引き裂いて好慶の顔面に直撃した。

 なぜ、この様に遊んでいられたかというと、遠山景元の活躍もあって、晩秋を迎えた奉行所は平穏そのもの。真夏の忙殺具合が嘘のようだった。

 旗本奴の捕縛に北町奉行所も順調に成果を上げ、ほとんどの関係者は捕縛・足抜けをさせた。水野忠之一人を残すのみとなっていて、こうやって自然と触れ合う時間も取れている。


「いやぁ、実に楽しそうだねぇ。私も加わりたいなぁ」


 忠春らが雪合戦にいそしんでいると、縁側に屋山文が現れた。

 文は、ニヤニヤと目じりを下げて雪合戦の様子を見つめている。


「文ちゃんじゃない。早く加わりなさいよ」

「それじゃぁ、私も加わっちゃおうかな!」


 文は大声を上げながら両手を大きく広げて雪の中に飛び込むと、うつ伏せになって雪の中で両手両足をバタバタとさせる。


「いやぁ、やっぱり雪はいいね! なんか、心が躍るって感じだね!」


 ひょっこりと立ち上がり無邪気に微笑む文だが、元より薄手の文の着物はしっとりと濡れる。

 奉行所の男達の視線が地肌が薄く見える胸元に集中した。


「ちょ、もう終了よ。遊んでないでさっさと仕事に戻んなさい!」

「ええ? 別に減るもんじゃないし、見られたってさ」


 文は二の腕の内側で丸々と育った胸を寄せてみせる。当然のように視線はさらに集中し、女日照りな同心数名はその場に崩れ落ちた。


「ったく、アンタももう少しね……」


 忠春が腕を組んで呆れていると、文は思い出したように言う。


「そういえば、こんなのが落ちてたよ」


 濡れた深い谷間をまさぐると、雪で湿った一通の文書を取り出した。





 忠春らは雪遊びを止めて御用部屋に戻った。

 雪で湿気った文書と、濡れた体を火鉢で乾かし終えて封筒を眺める。

 薄汚れた長方形の紙には何も書かれていない。忠春が怪しがりながら封筒を切った。


「こ、これはどうなの……」


 真っ先に文書を読んだ忠春は眉間にしわを寄せた。

 忠春が集まった与力同心たちに文書を見せると、一様に眉間にしわを寄せて唸った。


「い、いやぁ、さすがに悪戯の類では?」


 好慶が声を上げる。他の同心らも似たような反応である。

 差出人不明の文書にはこう書かれてあった。


――今晩、江戸神田岩井町の四つば屋にて旗本奴の討ち入りあり


「確かにな。予告通りに連中が動くわけ……」

「忠春様、文書の通りに行動するのも悪くないでしょう」


 衛栄も好慶に同意して唸っていると、御用部屋の襖が開いて政憲がやって来た。


「政憲、どういうことなの?」

「今なら余力があります。何名か神田に回したって問題はないのでは?」

「そうですよ。とりあえず動いてみましょうよ」


 義親も政憲の意見に乗っかってそう言う。


「わかったわ。義親、アンタが指揮を執りなさい」

「ははっ!」


 忠春がそう命ずると、義親は10名ほどを選抜して神田岩井町に向かって行った。





 翌日、忠春がぬかるんだ大名小路を進み、奉行所に出仕をしてすぐだった。

 一人の同心が御用部屋飛び込んでくる。


「忠春様! あの文書の示す通りの場所で事件があり、旗本奴の一団を捕らえました!」


 同心の報告を聞くと、忠春と政憲は声を上げる。


「まさか、文書の通りにコトが動くなんてね……」

「ええ。不思議なことがあるものです」


 忠春と政憲の二人は腕を組んで感心していると、別の同心が駈け込んできた。


「た、忠春様!」

「今度は何なの? まさか、もう一通文書が来たんじゃないでしょうね」


 忠春が冗談めいて言うと、同心が体を跳ねあがらせて驚いた顔をする。


「な、なぜお分かりになったんですか」


 今度は忠春が驚かされた。


「ちょ、早く見せなさい!」


 駈け込んで来た同心の手から、文書をサッと奪い表裏を確認する。

 昨日と同じように差出人は書かれておらず、雪解けのせいか泥汚れがついているだけだった。


「中身は何でしょうか」

「今開くわよ」


 忠春は震える手で封を開けて文書に目を通した。


――今晩、水野忠之は手勢を連れて浜松藩上屋敷を襲撃する


 二尺ほどの細長い紙のど真ん中に一行だけ書かれている。忠春はため息をついて横にいた政憲に文書を手渡した。

 政憲は文書を読み終えると小さく微笑んだ。


「なるほど。こう来ましたか」

「浜松藩って言うと忠邦の屋敷でしょ? 旗本奴の連中がそんな所を襲いに来るはずないじゃないの」


 旗本奴と水野忠邦が繋がっているのはほぼ間違いない。

 忠邦の庇護下に置かれているはずの


「とりあえず、張らせるだけ張らせましょう。忠之らを捕まえられれば御の字、でなければ……」

「まぁ、そうよね。忠邦に何か怪しい動きがあればそれはそれで悪くないし。といってもねぇ……」


 二人が顔を合わせて悩んでいると、四つば屋を張らせていた義親らが奉行所に戻ってきた。


「忠春様! 無事、旗本奴の一隊を捕らえてまいりました」

「ご苦労さま。それで、現場には何かおかしな人影とかなかった?」

「襲撃のさなかに人影は無かったんですが、不思議な点が一つだけありました」


 腕を組んで聞いていた政憲が義親を真っ先に問いただす。


「それはなんでしょうか」

「先ほど小伝馬町の牢屋敷に送って来て、そこで簡単な尋問を行ったんです。不思議なんですが、我々が何もしていないのに、自分の素性やらをペラペラと喋り出すんですよ」

「自分の素性をですか……」


 義親は大きくうなずいて話を続けた。


「はい。それと、捕らえられた一人がおかしなことを言っていました」

「おかしなこと?」


 忠春が聞き返すと、義親はうなずいて話を始める。


「水野忠之について聞くと、"最近の忠之は常に苛立っていた。前によく見かけたていた若い女が顔を見せなくなったからだろう"なんて言っていました」

「若い女ねぇ、アイツなら女に困ることはなさそうだけど……」

「はい。奴らが言うにはその女に今晩会いに行くとか言っていましたよ」


 義親の答えに忠春が首を傾げていると、政憲が口角を上げて喋り出した。


「なるほど。なんとなく話が見えてきました」


 忠春と義親が顔を見合わせる。


「先ほどの文書は本物かもしれません。急ぎ、屋敷に送る人員を選抜しましょう。今回は四つば屋とは違って難敵です。精鋭を集めなければ」


 政憲の顔から笑みは消え、好慶を呼び出して奉行所のものを集めるように指示をする。

 だが、眼前にいる忠春と義親の顔は冴えない。


「ちょ、ちょっと待ってよ。それってどういうことなの?」

「申し訳ありませんが、説明をしている暇はありません。また後で説明します」


 忠春が問いかけるが、政憲の表情を見て本気さが伝わる。

 とは言っても、時間もそれほど残っていない。忠春はため息をつくと、誰を連れて行くかを考え出した。





 奉行所が騒がしくなり始めた頃と同刻、浜松藩上屋敷は不思議な静けさに包まれていた。

 屋敷の表では、屋敷周りの雪かき、藩政の報告や他大名との面会などでざわついていたが、屋敷の一番奥にある離れはそんな忙しさとは無縁のような静けさを保っていた。


「耀蔵、首尾はどうだ?」

「忠之は、今晩忠邦様の上屋敷にやって来るはずです」


 離れでは忠邦と耀蔵の両名が密談していた。


「ノコノコとやって来たヤツを誰が仕留めるんだ?」

「はい、奉行所の連中がやって来るはずです」


 耀蔵が口角を上げると、忠邦は息を吐く。


「それでどうする気だ? 忠之捕縛ををヤツの手柄にさせるのか?」

「そんなことはどうでもいいのです。今わの際までは絶頂を味わわせ、すぐさま絶望を眼前に見せつける。それが我らに食らいついてきた者の末路です」


 耀蔵は頬を崩して笑うと、釣られるように忠邦も笑みを見せた。


「ハハハ、耀蔵らしいな。嫉妬に狂った女はこわいものだ」

「……べ、別に嫉妬など!」


 忠邦の言葉に耀蔵は顔を赤らめて頬を膨らませる。両名が話している内容とは無縁の表情だった。


「いずれにせよ、手は打ってるのか。それならいい」

「はい。全ては忠邦様のためです」

「そうだ、お前に紹介したい人材がいるんだ」

「私にですか?」


 忠邦が合図を送ると奥座敷の襖が開き、二人の男がやって来た。


「この男は後藤光亨みつみち。金座御金改役をやっている」


 耀蔵は目を細めて見つめる。いや、睨みつけると言う方が正しいだろう。


「鳥居耀蔵さんですね。私が後藤光亨と申します。ミッチーと呼んでください」

「は、はぁ……」


 おにぎりのような輪郭に、垂れぼったい眼が特徴的で、頭の上にちょこんと銀杏髷が乗っている。体格は普通の人の倍はあろう恰幅が良く、いかにも豪商といった感じの男だ。

 耀蔵を見ると、光亨は両目を瞑り手を合わせて拝む。


「いやぁ、耀蔵さんのような絶世の美女に会えるとは思ってもみませんでしたよ。城中で何度か見かけましたが、近くで見ると違いますなぁ。眼福眼福……」


 耀蔵が光亨を汚物を見るように冷めた視線を送った。忠邦はため息をつきながら言う。


「……金が要り用になればこの男に頼れ。お前も忙しくなるだろうからな」

「いくらでもお貸ししますよ。特に、出世をされる方に対してはね」


 光亨は歯を見せて微笑んだ。前歯の金歯が昼間なのに薄暗い部屋で光った。

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