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女奉行捕物帖  作者: 浅井
夏風に咲く徒花
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夏風に咲く徒花

 小十郎の身柄が火盗改から南町奉行所へ引き渡され、白州場で裁かれる。

 白州場に引き出された罪人は、大抵の場合往生際が悪そうにして、文句の一つや二つを吐いて奉行に向かって厳しい視線を送る。だが、小十郎は泰然としたまま動かない。

 吟味方の根岸衛栄が前口上を言い、忠春が口を開いた。


「それで、なんでアンタは事に及んだの?」

「それは貴様らが良く分かっているだろう」


 小十郎はそう答えるも、忠春はピンとこない顔をする。小十郎はため息をついて言った。


「よくそれで奉行がやってられるな。どうせ死罪に決まってるだろうから全部教えてやるよ。そもそも旗本奴連中に話しを持ちかけたのは俺だ。あの町を押さえるには人手が足りないからな」

「でも他の町じゃ当たり前のようにやってるわ。アンタの手腕の問題じゃないの?」


 忠春が言い返す。現に、小十郎が起こしたような事件は忠春の元に一件も上がって来ていない。

 小十郎は腹の底から笑いながら言う。


「本当にそう思ってんのか? お前はこの江戸をしっかりと治めてるって本当に思ってるのか? だとしたらお前は大層な笑い者だぞ」


 小十郎の横にいた同心が、掴みかかろうとするも忠春がそれを制止する。

 横にいる同心は小十郎を睨み付けるも、何にも気にすることなく笑いながら話を続けた。


「残念ながら江戸の町役人は、俺と似たようなことをやっているぞ。それが表に出るか出ないかの差だ。そう言う意味じゃ、俺は運が無かったのかもしれないな」


 黙って聞いていた忠春だったが、ため息をついて呆れながら言う。


「アンタのその言いぐさじゃ、ただ自分の行動を正当化する屁理屈にしか聞こえないわよ? 何一つ具体性も無いし、聞いて損をしたわ」

「……まぁいいだろう。そう思いたきゃそう思ってな。だが一つだけ教えてやるよ」


 小十郎は負けじと言い返した。


「お前が思っているほど町人はいい連中じゃねえ。所詮は私利私欲が全てで、公儀の事なんか何一つとして考えちゃいねえぞ。そんなんじゃ連中から思うように使われて捨てられるのがオチだな」


 威勢よく小十郎は啖呵を切る。またも、横にいた同心が掴みかかろうとするが、再び忠春は制止する。


「……言いたいことはそれだけ?」

「あと一つだけある」

「何?」

「……倅はどうなる」


 いままでは突っ張っていた小十郎だが、忠春に問いかけた声は小さく、やけに感傷的だった。


「これまでの犯行に関わってはいたけど、誘拐の一件で活躍しかたらね。療養所から出たら人足寄場送りよ」


 忠春はそう言う。本来であれば縁座もあるので遠島を申しつける所だが、弥七自身が忠景に居場所を吐いたことにより事件が解決した。その功を加味しての人足寄場送りということだ。

 それを聞いて小十郎はケラケラと笑い出した。


「俺が血反吐を吐いて働いたって言うのに、てめえだけ最後に裏切って助かるってか。まぁいいだろう!」


 空に向かって高笑いをする。嗚咽交じりの笑い声が初夏の空と白州場に響き渡る。


「……本当ならアンタも磔刑モノだけど、今までの功績を加味して獄門よ。別に感謝しろとは言わないわ」

「好きにしろ。この浮世には未練なんかねえからな」


 何度も罪を犯したといえども、これまで浅草を収めてきた功績もある。裏で罪刑の審議をしていた際に、色々な所から”大甘だ”と言われたのだが、忠春が押し切って決定した。

 気を利かして言うも、小十郎は不敵に微笑むばかりだった。


「……それじゃこれまで」


 釈然としないまま、忠春はそう言い残して白州場を後にした。

 小十郎には涙を流して反省をもらいたかったわけではない。ただ、あそこまで晴れ晴れとした気分で居られるのは、何とも言えない心苦しさが忠春に残った。





 道場は平穏そのものだった。事件以前のように、子供たちを指導する秋の姿が目立つ。

 変わったことといえば、街の若い男達が道場に多くやってきたことだろう。真に剣を習いに来ているのか、はたまた、秋の姿見たさなのかは知らないが人数が増えてにぎやかになるのは間違いない。

 遠巻きに秋の指導を眺めていると、秋が一声かけると、ひと段落ついたのか生徒達が休憩に入った。男達の大半はその場に倒れ込み、ぜえぜえと息を吐いている。


「ケガは大丈夫なんですか」


 忠景が壁にもたれかかっていると、手拭いをで汗を拭きながら秋が心配そうに話しかけてきた。


「ええ。大した傷じゃないです。それよりも、秋殿に嘘をついて本当に申し訳ありませんでした」

「もういいんです。誤解は解けましたから」


 秋は笑顔を見せてそう言うも、忠景は何度も何度も頭を下げる。


「いいんですって。今では逆に感謝してるくらいですから」

「なぜでしょうか?」


 だが、秋は気にしなさげに言い返す。忠景は不思議そうな顔をして聞いた。


「紆余曲折はありましたが、こうやって父上の事件も解決しました。まぁ、スッキリはしませんけど……」


 秋は軽く笑って見せる。


「それに、私決めたんです」

「どうしたんですか?」


 色白の顔を赤くしていった。


「養生所に弥七の見舞いに行ったら”私を娶らせてくれないか”って」

「……お受けするんですか」


 秋の顔は赤みを増していく。


「……はい。アイツも私も身寄りがいませんから。二人で一緒に道場を切り盛りしようってことになりました」

「それは、おめでとうございます」

「へへへ。ありがとうね」


 頬に指をやり、秋は無邪気な笑みを見せる。こんな笑顔を毎日のように見れる弥七を思うと少々羨ましくも感じる。


「実は、私からも秋殿に一つお願いがあります」

「なんですか?」


 忠景は言った。


「南町奉行所で剣術指南役をお受けしてもらえませんか?」

「わ、私がですか?」


 秋は驚きの声を上げる。


「はい。秋殿ほどの腕前を持つ人に指南役を頼みたいんです」


 秋は顎に指をやって宙を向いて、数秒ほど考え込む。

 返ってきた返事は簡単なものだった。


「わかりました。お引き受けします。でも、一つだけ条件があるんです」


 忠景が聞き返すと、秋は言う。


「佐々木道場の師範代になってもらえませんか」

「私がですか?」


 今度は忠景が驚きの声を上げた。


「忠景殿は十分な腕前をお持ちです。庄屋の一件で十分思い知りました。私が教えることはなにもありません。それに私の道場も人手不足ですからね」

「いや、私はまだまだで……」

「もっと自信を持って下さい。もし、この話を断られるのなら、指南役の方もお断りを致しますよ。道場の方を任せられる人がいなくなりますから」


 秋は発破をかける。ケガを負ったが、腕自慢の旗本奴を何人も斬り伏せるほどの実力は持ち合わせている。おかしな話では無い。

 それに、ここまで言われたら秋に返す言葉は一つしかない。


「……分かりました。私も大変に光栄に思います」

「そうですか。それじゃあ、よろしくお願いしますね」






「……ということだそうだ」

「なるほどねえ。秋殿と弥七がねえ。まぁおかしな話じゃねえよなぁ」


 浅草聖天町の茶屋”てら屋”で、周作は茶をすすりしみじみと語り合う。

 ここ最近は日差しが天から降り注ぎ気温もかなり上がった。爽やかな春は去り、熱い夏がやって来る。町人達は羽織を手にかけてせかせかと歩いている。


「そう言えばお前ともここで会ったんだよな」

「ああ。そうだな」


 二人は春先の事を思い出す。驟雨の中、忠景がここで一休みをしていると身なりの汚い男がやってきた。それが周作だった。


「あん時は愛想の悪い男かと思ったけどなぁ」

「ふんっ、余計なお世話だ」


 周作が茶化すも、忠景は軽く受け流して茶をすする。


「それにしてもお前は悔しくないのか?」

「……何がだ?」


 多少声を荒げながら忠景は鬱陶しげに聞き返すと、周作は笑いながら言う。


「秋殿を弥七に取られたことだよ」


 周作の言葉で、忠景は口にした茶を吹き出した。初夏の浅草に綺麗な薄緑色の飛沫が舞い散る。眼前には虹も出来た。


「は、はぁ?」

「方や誘拐の方棒を担いだ男と、命を救った恩人。お前が結ばれたっておかしくないだろう」


 急いで袖で口を拭って言い返す。 


「馬鹿な事を言うな。俺は悔しくとも何ともないさ。むしろスッキリしたよ」

「ほう。どうスッキリしたんだ?」

「俺は誰かの命を背負うにはまだ早い。カッコのいいことを言ってもあんなザマだ。まだ修練が足りないよ」


 忠景は再び茶をすすった。


「……それでだ。周作に剣術指南役を頼みたい」

「奉行所のか?」

「ああ。そうだ」


 周作も、秋と同じようにしながら考え込んだ。


「ちょうどお玉が池で道場を開くんだ。”南町奉行所御用道場”なんて、箔が付いていいかもしれないな」

「引き受けてくれるのか」

「ああ。いいだろう。だが、一つ条件がある」


 返事にどこかで既視感を覚えつつも、忠景は聞き返した。


「条件?」

「俺の道場で師範代を務めてくれないか」


 逆に忠景が考え込んでしまう。それを見て周作は忠景の腕前を褒め称えるのだが、いまいち忠景の反応は悪い。忠景一人で唸っているばかりだった。


「不思議なもんだな」

「どうしたんだ?」


 唸っていた忠景が口を開く。


「お前と同じことを秋殿に言われたんだ。”道場の師範代にどうか?”って」


 それを聞くと周作は大笑いする。


「ハハハ、そりゃそうだろう。普通の道場主ならお前ほどの男を野放しにするなんてことは無い。どこの道場でもお前は師範を務める実力はあるさ」

「そりゃ買いかぶり過ぎだ。俺はまだまだ足りないよ」

「それにだ。俺に娘がいたらお前を婿にして取りたいほど俺はお前を買ってるんだ。秋殿も同じだろう」


 周作が真面目に言うものだから忠景は気持ち悪くなる。だが、悪い気はしない。


「周作が父親になるのか。それだけは勘弁願いたいな」

「おいおい、ここまで言わせておいてそりゃぁねえだろう!」


 二人して大笑いする。


「それでどうなんだ? 引き受けてもらえるか?」

「ああ。喜んで引き受けよう」


 忠景は手を出す。周作も同様に手を出して握り合う。


「さて、そろそろ時間だな。秋殿の所だけじゃなくて、たまには俺の道場にも顔を出してくれよ」


 周作は勘定を置いて去っていった。後ろ姿を眺めると、足取りはいつも通り軽薄。懐に片手を突っ込んでフラフラと遠ざかってゆく。

 剣の腕前を何度も見た。気迫だけで相手を圧倒させるほどの実力を持つほどの男は江戸、引いては日の本にもそういないだろう。だが、あの軽い男が”北斗の男”と呼ばれる千葉周作には見えない。だが、紛れもなくあの男が千葉周作なのだ。

 忠景は、江戸は広いのだなとしみじみと思わざるを得なかった。





 小十郎に判決が下った同日の夜。

 水野忠邦の屋敷では連日のように会合が行われている。

 参加者は忠邦・忠之・耀蔵の三名。暗がりの中で頭を突き合わせて話し合う。


「ほう、浅草の町役人が死罪になるのか」

「ああ。お前の予定通りだろう?」

「まあな。南町奉行所のお手並みはさすがだな」


 忠邦と忠之はほくそ笑む。その中で一人分かっていない耀蔵が聞いた。


「なぜ町役人が死んだのが好都合なのですか?」

「ったく、よくそれで忠邦の側近が務まるな。てめえが優れているのは体だけか?」


 忠之が指をさして言うと耀蔵は黙って睨みつけ、左腰の刀に手をかける。


「二人とも落ち着け。耀蔵、元より町役人と町人の繋がりは江戸統治にとっても邪魔だった。分かるか?」


 忠邦は二人を制止しながら言う。耀蔵も怒りを押さえて少し考え込むと、ハッと気がついたように言った。


「……なるほど。町役人は。しかし、近すぎると私たちの意向が優先され辛くなる。そういうことですね?」

「そういうことだ。忠之、まだネタはあるんだろう?」


 耀蔵の答えに忠邦は満足げに微笑む。忠之は口角を上げる。


「当然だ。江戸の半分以上の町で、これと似たような事件が起こるぜ」

「そこに私たちの手の者を送り込むのですか」

「なあに。私たちの手の者である必要は無い。奉行所の連中が選んだ人間でもいいだろう」


 忠邦が言うも、耀蔵は首を傾げて聞き返す。


「どういうことですか?」

「南町の娘は思っていた以上に青い考えを持っている。次の町役人には浅草の男のような考えを持つヤツはまず起用しないだろう。そうなれば町人らとは一線を画した町政がされるだろうよ」


 耀蔵はなるほどと言った表情で頷いた。


「そもそも今までは町人達とべったりくっ付いていた。だから浅草のように排他的で利己的な町が野放しになっていた。だから、それを終わらせて武士による直接統治を始める」

「ああ。もしもダメな人選なら俺が動いて適切なヤツがなるまでやってやるさ」


 忠之は誇らしげに歯を剥いて笑う。鋭い八重歯が見え、まさしく歯を見せる狼だ。


「しかし、町衆からの献金は減るでしょう。それについて忠成様はお黙りにならないのでしょうか」


 耀蔵は不安げに言うのだが忠邦は表情を崩さない。


「確かに。それどころか私たちの懐も寂しくなる。だが、そんなことはもうどうでもいい」

「と、申されますと?」


 耀蔵が聞き返すと、忠邦は懐から煙管を取り出して火をつけて口に運ぶ。


「金で何とかなる時代は終わった。これからは実力がものを言う時代だ。それに、私もここまでくれば出世の道は間違いない。老い先短い忠成や、他の老害連中に媚びへつらう必要はもうないのさ」

「……それでは、あの娘を野に放しておいてよいのですか?」


 忠邦は口にしていた煙管を吹かして言う。


「あの娘は間違いなく私のことを嫌っている。必死になって追い落とそうと動くかもしれない。だが、所詮は私の掌で踊っているだけだ。どうってことないさ」

「お怖い人です……」


 耀蔵は忠邦と同様に薄く笑う。


「ハッ! 何がお怖い人だ。自分じゃ何にも出来ねえで、他人をコキ使うただの木っ端役人じゃねえか」


 忠之は耀蔵の言葉を小馬鹿にしながら、忠邦に毒づく。

 耀蔵は忠之を睨み付けるも、忠邦は余裕を見せた。だが、目は笑っていない。


「フンッ、そうかもしれないな。 ……お前はもう下がっていいぞ」

「へいへい、御苦労さまでしたっと」


 高笑いを上げながら忠之は屋敷を後にした。

 後ろ姿をじっと見つめ、襖が閉りきり足音が遠ざかると耀蔵は忠邦の懐に潜りこみ抱きつく。


「……あの男、いつ処分しますか」

「まだ泳がせとけばいい。ジキに息の根を止めるよ。文字通りにな」


 忠邦は薄く笑う。

 耀蔵も同様に微笑んだ。それと同時に忠邦に抱きついて腰に手を回し、首筋に舌を這わせる。いつもの鋭い目は消え、切れ長の目じりを垂らし恍惚の笑みを浮かべる。


「本当にお怖い人です。でも、それが最高にいい……」




夏風に咲く徒花(完)

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