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女奉行捕物帖  作者: 浅井
夏風に咲く徒花
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正月

「十兵衛殿に樋口殿。今日もお願いしますね」

「はいよ。秋殿の為ならなんでもいたしますよ!」


 周作は道場の中で調子よく叫んだ。

 忠景らは浅草の一件から外されたのだが、仕事の折を見て秋の道場に足しげく通っていた。


 ”大きな仕事が舞い込んでくるぞ”


 忠之から直々にいわれたのだが、一月経っても音沙汰は無い。

 それどころか、あの時以来小十郎の行方も掴めていない。

 あれはなんだったのか。起こらないに越したことは無いのだが、忠景はどうにも胸のつっかえが取れない。

 竹刀を担いだまま考え事をしている姿が不思議に見えたようで、秋が忠景に話しかけた。


「どうかしましたか?」

「いや、小十郎殿はどこに行かれたのかなと」

「確かにそうですよね。おじ様はどこに行かれたのか……」


 秋は心配そうに言う。


「ケッ! あんな人殺しどうでもいいだろ!」


 横で聞いていた佐吉が吐き捨てるように言う。


「佐吉! またそんなこと言うのね! 冗談でも言ってはいけないでしょ!」

「嘘じゃねえよ! 俺は見たんだ!」


 佐吉は目に涙を浮かべ、秋らに必死に訴えかけた。


「まったく、小十郎おじさまの話になるとすぐこれだからね」

「嘘じゃねえんだって! なんならその時の事を話したっていいんだぜ!」

「はいはい。今度聞いてみるわよ」


 この問答を何度も繰り返したからなのか、秋は素っ気なく返す。


「……くっそぉぉぉぉぉ!」


 ニベにもしない秋たちの態度に怒ったのか、大声を上げながら佐吉は道場を飛び出した。


「ちょっと! 佐吉!」

「私が追いかけてきます」


 忠景は竹刀をその場に置いて佐吉を追った。





 大人の足と子供の足。どちらが早いかと言えば明白だ。

 1町もしない所で、佐吉は簡単に捕まった。


「ったく、いきなり飛び出してどうしたんだ?」

「だ、だってよぉ、お、俺がよぉ、ほん、本当のよぉ……」


 佐吉は人目をはばからず、顔をぐしょぐしょにして大声で泣いている。

 普段から嫌味を言って、ふてぶてしい姿とは大違いだ。明らかにおかしい。


「わかった。俺が話を聞こう。顔なじみの茶屋があるから団子でも食って落ち着きな」


 捕まえた場所の目の前がちょうどてら屋だった。忠景は親父を呼び団子を二皿頼んだ。


「それでどうしたんだ? 小十郎が人殺しだって」


 茶を口に運び、長椅子に座らせて聞いた。


「俺、見たんだよ。今年の正月に主水おじちゃんを殺した所を!」


 忠景は口にした茶を吹いた。薄緑色の液体が小路にしぶきを上げる。


「お、おい、嘘じゃなかったのか」

「当たり前だろ! 口は悪いけど、嘘で他人に人殺しなんて言わねえよ!」


 佐吉は口を尖らせて言う。

 ここまで言うのであれば本当なのかもしれない。それに、本当であれば小十郎捕縛の決定的な証拠にもなる。


「詳しくきかせてくれ!」

「な、なんだよ怖い顔して…… 今年の正月に秋姉ちゃんの屋敷に遊びに行ったんだよ」


 佐吉は語り始めた。



――



 年が明けて二日目の昼、佐吉は佐々木道場にいた。

 普段から剣術稽古でお世話になっており、佐吉が通う道場の主である佐々木主水へ親子で挨拶に来たのだ。


「ウチのバカ息子が毎度お世話になってます」

「いやぁ、気にしないで下さいって。私も佐吉も楽しんでやってますから」


 主水はケラケラと笑いながら答えた。


「それにしてもいいんですか? 誰からも謝礼も受け取られないようで」

「なぁに気にしなさんな。あくまでも剣術に慣れ親しんでほしいだけですから」


 主水は常に明るく優しい男だった。

 そのため周りには常に人だかりが出来ていて人望もあった。


「正月からシケた話はやめましょう。お酒と作り過ぎちゃったので、おせち料理を持って来たんです。美味しいかわかりませんけどどうぞ」


 佐吉の母親は三段積みの重箱とヒョウタンを手渡した。

 商人の景気の良い時代なだけあり、重箱を見ただけで中身も豪華だとわかる。金蒔絵の鶴が黒漆の空を舞っている落ち着いた重箱だ。


「豪勢な箱に料理ですな。お酒は”剣菱”ですか。正月から富士見酒とは縁起がいいですなぁ。にしても、高級酒をどうなさったんですか?」

「いやぁ、馴染みに樽廻船の主がいましてね。ちょいと融通がきいたんですよ。後で店の者に運ばさせますので」


 佐吉の父親は自慢げに言い、主水は羨ましそうに驚いた。


「ははぁ、そりゃ申し訳ございませんね。それにしても、商人さんは景気がいいですね。もしよろしければ”浪花正宗”をお願いしたいものですな」

「お侍さんが正宗とは粋ですね。まぁ、景気がいいといいましてもねえ……」


 佐吉の父親は懐から絞り染めの手拭いを取り出して顔の汗をふく。


「江戸には上毛だとか陸奥の余所モンが多くなって大変なんですよ」

「豊かな所に人が集まるのも道理でしょう」


 主水は腕を組んで言う。

 数十年ほど前に、日本全土を大寒波が襲い農作物の収穫が激減した。それと同時に陸奥の岩木山・上州の浅間山が大噴火を起こす。そのせいで激減した収穫高は更に減り、大飢饉が起きる。このままでは農村で暮らせないため、働き口を探して江戸や大坂に農民が殺到した経緯がある。

 しかし、佐吉の両親の顔は浮かない。


「確かに道理です。しかし、地元の若衆やら食い詰めた武士やらとの喧嘩が後を絶ちませんからねえ。その処理が大変で大変で」

「なるほど。若い男が顔を合わせてやるとすれば喧嘩くらいですからな」

「はい。もう顔役の宮本様ともども、私たちの町を守るためにてんやわんやですよ」


 佐吉の父親は深いため息をついた。


「それは知りませんでした。しかし、小十郎は幼馴染みですから。あいつをコキ使ってやって下さい」


 客室から主水と佐吉の両親の朗らかな笑い声が漏れた。

 大人同士はこんなやりとりをしているのだが、佐吉がその横でじっとしていられるはずもない。


「秋姉ちゃん! 三十数えてくれよ!」

「ったく、待ってなさいよ!」


 道場を舞台に秋とかくれんぼを始めていた。

 佐吉が隠れ場所に選んだのは台所だった。

 普段は簡素な台所なのだが、この日は違った。お世話になっている町人達がお礼にと様々な料理や酒を置いているので、六畳ほどの台所どころか、勝手口まで荷物でごった返している。


「……こりゃ隠れるにはもってこいだな!」


 佐吉かまどの中に隠れた。


「よーし、探すわよ!」


 道場の方から遠巻きに秋の声が聞こえ、かくれんぼが始まる。

 剣術道場以外にも秋らの屋敷が併設されているので、門構えは狭く見えるのだが実際はかなり広い。

 結構な時間が経ったのだが秋の姿は見えない。


(ん? なんだろうな)


 すると、ガラガラと戸が開いた。


(やばい! 見つかった! ……ってあれ?)

「今なら大丈夫ですぜ」

「ああ。元より織り込み済みだ」


 見つかったのかとドキドキしていたのだが、違った。聞こえてきたのは秋の声ではなく、聞き慣れない男達の声がした。





 台所にはかまどに隠れた佐吉と、男二人しかいない。

 男達はガサゴソと音を立てながら辺りを物色している。


「おい旦那、主水の好きな酒はなんなんですかい?」

「浪花正宗のはずだ。確かここに甕があったはずだが……」


 酒甕はかまどの周りにあった。

 男二人は、静かに近づいてくる。


「よし、こいつを取り替えるぞ」

「しかし旦那ぁ、主水の野郎は本当にこいつを飲むんですかね?」

「あいつは飲むよ。長い付き合いだからな」


 中年が言った。


(あいつ、どっかで見たような……)


 佐吉はかまどの戸を少し開けて台所の様子を覗いた。

 男達は勝手口に置かれた小さな酒甕を、手にしている酒甕と入れ替えた。

 その方割れは浅黒い肌に、山吹色の着流し。フサフサとした黒い髪で白い筋が何本か走っている。

 宮本小十郎だった。

 普段から道場に出入りをしていたので、佐吉には一発で分かった。


「そんな長い付き合いの男を殺すだなんて、一体何があったんでい?」

「てめえには関係の無い話だ。甕を置き換えたらさっさとズらかるぞ」


 若い男が小十郎に話しかけるが、終始小十郎は苛立ちを隠せていない。


(主水さんを、こ、殺すだって?)


 思わず大声を上げてしまいそうだったが、両手で口をふさいだ。


「今、声が上がりませんでしたかね?」

「気のせいだろ。さっさと行くぞ」


 小十郎と若い男は後にし、佐吉はかまどから出て、二人の後ろ姿を一人ポツンと眺めている。

 すると、秋が台所にやって来た。


「ここにいたのね。よくもまぁこんな小さな穴に入れるわね」

「う、うん……」


 秋が隠れ場所に感心しているのだが、佐吉は特に言い返すことが出来ない。


「それじゃぁこれまでね。これから小十郎のおじ様と弥七が来るのよ」

「え、ええ? 小十郎のおっちゃんが来るのか?」


 甲高い声を上げる佐吉に、秋は不思議そうな顔をして答えた。


「そんなに驚かなくてもいいじゃない」

「だめだ! あいつとは会っちゃだめだ!」


 佐吉は必死に言った。

 必死の形相の佐吉を見て秋はキョトンとしている。


「ほら佐吉! そろそろ家に帰るわよ!」


 そんなやりとりをしていると佐吉の母親が台所にやってきて、佐吉を引っ張ってゆく。


「それじゃぁな佐吉! 正月が明けたら稽古をつけてやるからな!」

「ちょ! 主水のおっちゃん!」


 道場の扉の前で主水の手へ佐吉は必死に手を伸ばした。だが、その手は届かない。

 両親が首根っこを掴んで道場を後にする。

 結果、その直後に小十郎がやって来てささやかながら宴があり、その後の聖天詣でで主水は急死する。



――



 忠景は頭を抱える。

 思っていた以上の事実を聞かされた。


「なぁ、信じてくれるよな!」


 佐吉が忠景の目を見つめた。

 可愛げのない子供だが、その目は何の悪意も無い、ただ純真な透き通った目だ。

 話した内容にもウソ偽りはなさそうなので、尚タチが悪い。


「なぁ、あの時見たことは本当なんだよな?」

「ああ。命を張ってもいいぜ!」


 忠景の問いかけに、佐吉は堂々と答え、自身の右胸を親指で指した。


「……心の臓はこっちだよ。だが分かった。信じよう」


 ため息をつきながら佐吉の親指の位置をずらし、忠景は言った。


「本当か?」


 佐吉は嬉しそうに反応する。


「ああ。道場に戻って稽古の続きだ」


 忠景は代金を椅子に置き、佐吉の手を引いて道場へ戻った。

 佐吉は心の枷が外れたようで足取りは軽い。人混みの少ない広小路をところ狭しと駆けまわる。

 それとは対照的に忠景の足取りは酷く重い。そもそも自身の正体をバラさなければならない上に、新しい問題まで降りかかる。


(……こいつは弱ったぞ)


 秋にこの話を伝えるべきなのか。茶屋から道場、距離にして数町ほどの短い距離なのだが、忠景にとって千里ほどに感じた。

用語解説


『大飢饉』いわゆる天明の大飢饉。大寒波と世界中で火山が大噴火で、日射量が低下して東北の農作物は大凶作。1780年から1790年にかけて日本の人口は100万人減少しています。

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