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女奉行捕物帖  作者: 浅井
夏風に咲く徒花
53/158

対面

 店の外では人相の悪い浪人数名が待機していて、店から出てきた小十郎の左右をガッチリと護衛している。

 忠景には駕籠が用意されていて、無理やり押し込められる。

 それから半半刻ほどは経った頃だろうか。


「着いたぞ。出てきなさい」


 小十郎の荒々しい声で降ろされた忠景が目にしたのは、とある大屋敷であった。

 忠景は既に大屋敷の中にいた。そのため、ここがどこだかは分からない。それに、建物はかなり大きい。ざっと見て奉行所ほどはあるだろう。

 忠景は辺りを見回すがこれと言ったものは見当たらない。

 ただ、石畳の玄関口にある石灯籠には「立ち沢潟」が彫られている。


「……ここは!」


 すると首筋に思い一撃を食らった。

 意識が朦朧としてくる中、かすかに小十郎の声が聞こえた。


「すまんね。ちょっとだけ我慢してくれよ」





 どれだけ時間が経ったのだろうか。忠景は見慣れない部屋にいる。

 襖はすべて閉じられていて明かり一つ差してこない。室内は裸火のろうそくが灯っているだけ。

 目の前には見知らぬ男が座っているのがぼんやりと見えた。


「お前、なかなか良い目をしているな」


 男のざらついた声が耳に残る。


「……貴様は何者だ」


 忠景が問いかけるとその場から立ち上がり、一歩づつ歩み寄って来た。

 男の目は鋭い三白眼で、さしずめ獲物を狙う狼のように炯々としている。


「俺は水野忠之だ。この状況下でも堂々とした態度を取るんだな」

「……!」


 名前を聞き、差し違えてでも殺ってやろうと決意した。忠之に気がつかれないよう、密かに手を腰に伸ばす。

 だが、刀が無い。石畳で気絶させられた時に奪われたのだろう。


「小十郎よぉ、こいつは何者なんだぁ?」

「柳生宗景という浪人でございます」


 忠之は微笑みながら叫ぶと、奥から小十郎が手揉みをしながらやって来た。

 道場では私よりも偉いものはいない、といったくらいに高飛車なこの男が、腰を曲げて丁寧に応対する。


「茶筅髷で柳生か。ますます気にいった」


 忠之は忠景へ近づき、顔を覗き込んだ。


「なぁ、俺の所に来ないか? こんなクズなんかよりも金払いはいいぞ」


 何も言わずに、忠之を睨みつける。それに小十郎が慌てふためく。


「ば、馬鹿野郎! お前は何を……」

「お前は黙ってろ。柳生、なかなか面白い男だな」


 横で慌てふためく小十郎に忠之が肘鉄を食らわせ、話を続けた。


「それに聞いたぞ。浅草の商家での一件で活躍をしたそうじゃないか」


 依然、黙っている忠景を面白がったのか、忠之はヘラヘラと笑いながら近づき耳元で言う。


「近いうち、お前に大きな仕事が舞い込んでくるはずだ。その時もよろしく頼んだぞ」


 そう言い残し、高笑いをしながら忠之は屋敷の奥へと消えた。


(近いうちに大きな話だと?)


 忠景が呆然としていると、再び首元に強烈な一撃が走り気を失う。





(ここはどこだ……)


 忠景が目が覚めると、雷門付近の裏路地にうつ伏せのまま倒れていた。

 身なりが乱れていることは無く、そばには刀一式が置かれているだけ。

 重い体を動かして仰向けに寝転がると、水無月の空がまぶしい。日ごろの雨で地面がジトっとしていたのも気持ち良く感じた。


「……報告しなければな」


 裏路地でぼんやりとしている暇は無い。忠景は刀を腰にさし、奉行所へと戻った。

 




 忠景が奉行所に戻ると人だかりが出来た。

 「大丈夫か」と、至る所から心配する声があがる。

 好慶が忠景に気がついたようで、そそくさと近づいてきた。


「忠景殿、昨晩は大丈夫でしたか?」

「……詳しい話は後だ。それよりも忠春様はどこに?」

「奥にいますよ。ついて来て下さい」


 好慶は忠景と連れて奥へと行く。

 部屋には忠春と政憲の二名が控えており、忠春が話しかけた。


「御苦労さま。何か情報は掴めた?」

「……大変な事になりました」


 忠景は仔細を説明した。

 小十郎が忠之と繋がっている話、近いうちに大きなことを起こすといった話。

 話がどんどん進んで行くうちに、忠春らの顔が青ざめて行く。


「これは大変な事になりましたね……」

「確かに。しかし、これは好機です」


 好慶は頭に手を当てて困ったように言うのだが、政憲はそんなそぶりを見せない。

 踊りだしそうなくらいに嬉々と言う。


「ええ。間違いないわね。これで一気呵成に旗本奴達を潰せるわ。これ以上詳しい話は無いの?」


 忠春も同様で笑顔を見せた。


「得られたのはここまでです」


 忠春は眉間にしわを寄せ少々悔しげな顔をしたが、すぐさま口角を上げた。


「それでも何ヶ月も待った甲斐があったわ。御苦労さま。忠景は当分休んでいなさい」

「ははっ!」


 大きく返事をして、後ろに控えていた好慶と共に御用部屋を去ろうとした時だった。


「それと、一つお願いがあるのですが……」


 忠景は踵を返して、頭を下げながら言う。


「どうしたの?」

「奉行所に剣術指南役を置いてもらえないでしょうか」

「け、剣術指南役?」


 忠春もいきなりの言葉に、びっくりして聞き返す。


「はい。奉行所には腕の立つ者たちが多いです。しかし、それ以上に鍛錬を積み、不逞の輩に備えることも重要かと思います」


 忠景が言い終えると、忠春は少しの間、天を仰ぎ考え込み答えた。


「確かに理にかなっているわ。もちろん指南役のアテはついてるんでしょ?」


 忠景は自信満々に答える。


「はい。二人ほど候補がおります」

「そう。私としては大賛成よ。相手の都合がついたら教えてちょうだい」

「ははっ!」


 忠景は再び頭を下げる。そして、御用部屋を出て行った。





 忠春と政憲は御用部屋に残って話を続けた。


「忠景の男振りが上がりましたね」

「確かにね。何ヶ月かの潜入で成長したんじゃない?」


 忠春は嬉しそうにそう言う。齢は忠景の方が上だが、部下が成長するのは素直に嬉しい。

 そんな忠春を見て、政憲は意外そうに言う。


「簡単にお認めになられるのですね」

「そりゃぁ、認める所は認めるわよ。それとも、私がひねくれ者とでも言いたいの?」


 忠春が少し怒ったように言い返すと、政憲は微笑むだけでお茶を濁した。忠春は話を続ける。


「……そんな話じゃなくて、旗本奴が近いうちに何か起こすって言うのは看過できないわね」

「ええ。我々や北町奉行所、火盗改とも連携して事に当たらなければなりません」


 政憲の言葉に忠春が腕を組みして言う。


「北町はいいとしても火盗改が素直に受け入れてくれる?」


 南町奉行所と火付盗賊改方は、別に敵対している訳ではないのだが捜査でたびたび衝突することがあった。

 ”どちらが先に下手人を見つけたのか”、”証拠の取り合い”、”居酒屋での喧嘩”など。全ては些細な話の積み重ねだが、これらは積もりに積もって対立を生んだ。

 それに草紙会での一件がある。一応は円満にカタがついたのだが、忠春には思う所があったし長官の長谷川宣冬にも思う所があっただろう。

 

「私たちが頼むという形より、老中の方々から話を通してもらうのが無難かもしれません」

「でも、相手は忠成の犬ばっかじゃないの。裁可が下りるはずが無いわよ」


 旗本奴を辿れば忠邦にたどりつき、その上には忠成がいる。

 彼らの権勢は旗本奴が水野一派の為に働いている所にあるため、やすやすと忠之らを売り渡すとは思えない。


「忠春様の言う通りです。しかし、彼らを納得させるのに一人だけ良い候補がいます」

「誰なの?」


 政憲は言った。


「老中の大久保忠真です」

「なるほどね。確かに大久保様は金権政治の中で数少ない真っ当な人だしね」


 忠春の頭に忠真の顔が浮かぶ。確か幼少期に一度会っていたような気がする。

 白い肌で眼鏡の奥には優しい目をした、武士と言うよりかはやり手の大店の主人といった感じの男だったはずだ。


「それに忠真は昌平坂時代の学友です。私に任せてもらえませんか?」


 政憲が重ねて言う。

 こういった幕閣との折衝ごとは、忠春が動くよりも政憲に任せた方がいいだろう。

 忠春は二つ返事でいう。


「それなら心強いわ。大久保様の件は政憲に任せるわ」

「わかりました。今度奉行所にも連れてきます」





 そんな会話をしてから数日が経った。

 政憲は話し通り、忠真を奉行所へ連れてきた。

 忠春は旗本奴の一件を説明する。


「忠春殿の言うことは至極もっともな話だ。しかしねぇ……」


 血色のよい白い顔が曇る。


「忠之の良くない噂は私も聞いています。しかしあの男は忠邦と忠成殿の肝いり。そうなると私の手には負えない」

「そ、そんな……」


 期待に満ちていた忠春の顔も、徐々に曇り始める。


「私は若輩の身だ。表だって水野一派を潰そうなんてことは出来ないし、協力者もいないだろう」


 忠真は拳を握りしめて悔しそうに言う。


「だが、手をこまねいていることはしない。私の方でも色々と動いてみるよ」

「大久保様、よろしくお願いします」


 忠真の言葉に忠春の顔は晴れてゆき、恭しく頭を下げる。


「ああ。あまり期待せずに待っていてくれ」


 満面の笑みで忠春は起き上がると、嬉々として部屋を去った。





 そんな後ろ姿を見つめ、忠真はため息をついた。


「それにしても、南町の奉行は素直ないい子だ。忠移はよい親なのだな」

「ええ。その通りです」


 政憲は自分が褒められたかのように顔は綻ばせた。


「いつまでこんなままごとにつき合ってうつもりなんだ?」

「何の話ですか」


 政憲はニッコリと微笑み言うのだが、その目は笑っていない。


「君はあの子のお守をする器ではないだろう。昌平坂一の頭脳が、奉行所なんぞの年番方だ。満足なはず無いだろう」

「……というと?」


 政憲は微笑みを崩さずに問う。忠真は言った。


「君があの子に取って代わるんだ。幕閣連中にも押さえが効くし能力もある。なぜ爪を隠すんだ?」


 忠真はそう言うが、政憲は微笑みを浮かべて何も言わない。


「あの子の前で言った通り、私では水野一派には口を出せない。出せば今までの地位が全て消えてしまうからな。君ならあの子のように理想を追わずに現実が見える。町役人の汚職なんて日常茶飯事じゃないか。大した問題では無いことは君も分かっているんだろ?」


 政憲はただ黙って話を聞き、時折相槌を打つだけだ。


「そういうことだ。君なら大所高所に立てる。青臭い正義感など、とうの昔に捨てているはずだからな。小田原ですら藩主の私の意見が通らないんだ。幕府の中は魑魅魍魎だ、どうしようもない」


 ずっと黙って話を聞いていたが、政憲は口を開いた。


「話すことはこれだけですか?」


 忠真は、政憲の鋭い目つきにたじろいで言い返した。


「あ、ああ、話し足りないがこんなものだ」


 政憲はため息をついて冷たく言った。


「……アナタも変わりましたね。いや、新十郎の言う通りかもしれません。私たちは無茶をするような歳ではありませんからね」

「一体何が言いたいんだ」

「この話が浮かび上がった時点で、だいたいの察しはついてましたよ。私たち武士には武士の道理があるように、町人達には町人の道理がある。その範疇の事件なのだろうってね」

「そういうことだ。旗本奴だって必要悪なんだ。外からやって来る連中から町を守ってもらっている部分だってある。食らった被害は用心棒代として考えれば安いものだろう」


 忠真は襟を正して平静を装うのだが、言葉づかいが少々荒くなる。


「しかしアナタは大きな勘違いをしている」


 冷たく喋っていた口調も柔らかくなり、口角を上げる。


「忠春様が『やる』と言われたらそのために最善を尽くす。それが私に求められる役割です。それに……」


 政憲は続けた。


「忠春様を指名したのは上様だ。彼女の中に光るものを見つけたんでしょう」

「上様が……」


 忠真は驚きの色を隠せない。汗が額から頬へ伝わるのが見える。

 一呼吸置き、政憲は話を続けた。


「それと、私は忠春様の行動を青臭いとも思いませんし、理想だなんて思いませんよ。江戸の市中を守り、幕府を守る。それが、本来あるべき姿です。どこが理想なんですか?」


 嫌味っぽく言い忠真に微笑みかける。


「……まぁいいだろう。俺だって動くだけ動いてみるさ。話が通った所で北町奉行所や火盗改が協力するなんて思えないがな」

「ほう、どういうことですか?」


 忠真はうんざりしたように言う。


「そりゃ、君たちばかりが手柄を立てているからな。北町じゃ如何に南町を追い落とすのかって躍起にって話だ。全く、馬鹿げた世の中だよ。お宅のお奉行様に、そういった折衝が出来ないと後々に苦労すると伝えてあげな」

「ありがとう。”忠真”殿」


 政憲の言葉に眉をひそめて、忠真は苦笑して露骨にいやな顔をした。


「その嫌味ったらしもの言いは相変わらずだな。それと一つ忠告だ……」

「どうかしましたか?」


 忠真はきょろきょろと辺りを見回して誰もいないことを確認し、政憲の耳元で言った。


「忠邦らの様子がおかしい。どうにも鳥居とかいう女とツルんで何か事を起こそうとしているようだ」

「つまりは私たちに何かしようとしてるのですか」

「そうなのかもしれないし、違うのかもしれない。だが、矛先が向くとすれば当然君たちだ」


 幕府の中枢は水野一派が握っている。拳を振り上げれば、当然敵対勢力に向く。そこにいるのは忠春・政憲らの勢力だ。


「……忠告ありがとう」

「ああ。君は幕府を背負う人間なんだ。死ぬには早いぞ」


 忠真はそう言い残して奉行所を去っていった。

用語解説


『大久保忠真』おおくぼただざね。小田原藩主で老中。政憲の同い年。藩政改革に、銅像でおなじみの二宮尊徳を重用します。ただ、実績はあるけど農民出身の尊徳を登用するのはハードなことだったようで、家臣の反対により一度断念。しかし、粘り強い交渉が実ったのか、二宮尊徳を登用することに成功し、改革も順調に進んでいきます。しかし、忠真自身が改革成就の前に死去。後ろ盾を失った尊徳は失脚。バッドエンドを迎えます。

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