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女奉行捕物帖  作者: 浅井
夏風に咲く徒花
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待乳山聖天

 桜の花も散り、江戸は梅雨になった。


「柳生殿は筋がいいですね。この二月ほどで見事に上達されました」


 忠景らは折を見て佐々木道場に通っていた。

 奉行所の方はというと、長崎商館の江戸出府だかなんだで大忙し。忠景も国定にそそのかされて、野次馬根性で異人の警固役に立候補しようとするも、こちらの仕事があるために断られた。

 この日は梅雨の切れ間なのか晴れ。いつもであれば、しとしとと雨音のみが聞こえる道場前の通りからは、今日は町人達の話声がかすかに聞こえて来る。

 そんな風情を楽しみながら剣術に勤しんでいると、陽は傾き始めて浅草寺から時の鐘が聞こえてきた。

 秋も鐘の音に気がついたようで面を外した。


「ふぅ、もうこんな時間ですか。今日はこんなものでいいでしょう。御苦労さまでした」

「……ありがとうございます」


 そう言うと秋は防具を外しに道場の奥へと下がっていく。

 面具をつけて、一心不乱に竹刀を振っていた周作だったが、素振りを止めて忠景の元に寄った。


「……なぁ、いつまでこんな事を続けてるんだ? この二月何にも掴めていないぞ」


 耳打ちで周作が話しかけてきた。

 ここ二月ほど道場に通っているのだが、前のように事件も起きず、これといった手掛かりがつかめていない。

 この際正直に身分を明かして、秋に尋ねた方がよっぽど早いのかもしれない。ということだろう。


「確かに。だが、間違いなくこの道場が奴連中と関係している。もう少し待っていようじゃないか」


 だからと言ってここに通うのを止めてしまえば、それこそ何にも掴むことは出来ない。忠景はまだ我慢が必要と考えた。



「わかったよ。俺も久しぶりに稽古に励むとしよう」


 周作は面越しに口角を上げると、素振りに戻った。


「しかし、お二人の上達ぶりは目を張るものがありますね。数年間通い詰めている弥七よりも間違いなく剣の腕がありますよ」


 秋は意地悪く微笑んだ。


「まったく、相変わらず意地の悪いことを言うんだな」

「だったらもっと腕を上げてね」


 弥七も負けてはいない。


「ったく、その口の悪さと意地っぱりだから、お前には貰い手が……」


 秋を意地悪く見つめながら弥七が言うと、秋の顔つきが変わった。


「べ、別にその話は関係ないでしょ? アンタって何にも分かってないのね。本日の稽古はここまでよ! さっさと道具をしまいなさい!」


 顔を赤らめながら秋はそう言うと、道場の奥へと下がって行った。


「弥七殿、ずっと気になっていたんだが、秋殿とはどのような関係で?」

「昔からの幼馴染みなんですよ。親父と秋の父親が仲が良くて、秋と共に主水殿に剣を習っておりました」

「なるほど、幼馴染みで共に剣を学んだ友ってことか」


 周作が言うと、弥七は頷きながら答えた。


「そうです。今年の早々に主水殿が突如亡くなって秋が道場を継いだんです。私も秋を支えるために……」


 弥七は流暢に話していたのだが、突然話を止めた。


「どうかしましたか?」

「……いえ、なんでもありません。秋の方が私よりもはるかに腕が良いですからね。道場へは昔の名残というか、なんというかでね」


 顔を赤くしながら弥七は語った。


「ちなみに、小十郎殿は主水殿と仲が良いというのは?」

「親父の話ですか。まぁ私が生まれる以前の話はよく知りませんが、親父と主水殿は暇さえあれば一緒に酒を飲み交わしていましたよ。私と秋を連れて行ってね」


 弥七は懐かしそうに話した。


「小十郎殿は町役人をやっていると聞いたのですが、仕事ぶりなどはどうなんですか?」

「まぁ、よくやってるんじゃないですか? 詳しい話は知りませんけど」


 弥七は困ったような顔で答えた。

 忠景も横にいる周作の顔を見ると、首を横に振った。これ話を聞いても収穫はなさそうだ。


「そうなんですか。同門の好として今度一緒に飲みに行きましょう」

「いいですね。時間があればぜひよろしくお願いします」


 そう言い交わすと、弥七は道具一式を担ぎ道場を後にした。





 弥七が自宅へと戻って行くと、道場には忠景と周作の二人だけが残された。

 久しぶりにそれらしい情報が掴めたのだが、いまいち踏み込んだ内容は得られなかった。


「なかなか掴めないな」

「これは困ったぞ……」


 忠景と周作が思案していると、秋が奥から戻って来た。


「どうかなさったんですか?」

「ああ、秋殿ですか」

「いやぁ、先程は上達をされていると仰られましたが、私が思うにあと一つ、あと一つだけ何か掴めれば次へと進めるような気がするんですよね」


 突然声を掛けられたものの、周作の嘘八百でなんとか悟られずに済んだ。

 周作の話を聞いて、秋は考え込んで言う。


「剣のことですか。もしも迷いがあるのであれば待乳山へ行きましょう」

「待乳山聖天ですか」

「そうです。一心に刀を振ることだけが解決の方法ではありません。たまには神頼みもいいでしょう」


 秋は優しく微笑んだ。


「なるほど。神頼みっていう発想は無かったなぁ。それに秋殿の案内ならばすぐさま解決するやもしれんな」


 周作は嬉々として言った。


「待乳山聖天はあるいてすぐです。柳生殿はどうなさりますか?」


 周作がああ言っているのは何かあるからなのかもしれない。

 忠景も頷いた。


「それでは私も行こうと思います」

「わかりました。それでは聖天様に行きましょう」


 三人は道場を出て待乳山聖天へと足を運んだ。





 浅草聖天町の由来ともなった待乳山聖天は隅田川沿いにある。

 浅草寺から東に8町ほど(800mくらい)進むと、木々に囲まれた小高い丘と青い屋根が見える。そこが待乳山聖天だ。


「ほう、ここが待乳山聖天ですか」

「樋口殿は初めてですか?」

「ええ。浅草の方にはあまり来ないものですから」


 周作は丘の頂に立つと、城の方を向いて言った。


「しかし、なかなか風光明媚な所ですね。江戸が一望できますよ」

「そうなんですよ。小高い丘になってますからね。両国の花火もここから見ると綺麗なんですよ」


 秋は墨田川の南方を指差した。

 ここからは本所・蔵前までもが一望でき、奥の方には両国の回向院も見える。わざわざ両国の花火の日に待乳山に来る人は少ないだろうし、かなりの穴場だろう。

 それに、江戸は高地が少ないため、ちょっと高い所でも遠くを見渡すことが出来る。隅田川の河口には海風を受けて帆を一杯に張った船が数隻見える。結構な絶景だ。

 そんな会話を無視して、周作は匂いにつられるまま、聖天脇の屋台に足を運んだ。


「ふうむ。この香ばしい香り。何があるのですか」

「これは大根餅ですね。聖天様と言えば大根ですから、それをお餅風に混ぜて焼いたものですよ」


 秋が丁寧に説明しているのだが、周作は目の前でキツネ色にこんがりと焼かれている大根餅に目が行っており、ろくに聞いていない。


「なるほど。一つもらえないかね」

「はいよ!」


 屋台の主人が威勢よく答えると、ササッと漆塗りの皿に大根餅を乗せて竹串と共に周作に手渡した。


「ありがとよ」

「ささ、秋殿も食べましょう」

「……は、はぁ」


 せっかく説明したのにと、秋は少々不満げな顔をしていたが、しっかりと餅を一つもらっている。


「いやぁ、新しい食感ですね。」

「大根餅はここでしか味わえませんからね。昔は父上や弥七と共に食べたものですよ」


 大根餅を一口食べ機嫌を持ちなおしたようで、秋は懐かしげに語った。


「弥七殿とはなかなか仲が良いのですね」

「アイツとは昔からの付き合いですから。腐れ縁みたいなものですよ」


 周作の目の色が変わった。


「またまたぁ、そんなこと言っちゃって、それ以上の仲なんじゃないんですか?」

「なっ、なんでもありませんよ!」


 周作は大根餅を口いっぱいに頬張りながら茶化した。意外にもにも、秋は恥ずかしいと言わんばかりに袖で顔を隠す。

 忠景も周作も、秋にこんな一面があるとは思いもよらなかった。ただ呆然と見ていた。


「……ハハハ、冗談ですって。それと、大根餅を食って聖天に願掛けしたら、何か気分が晴れたような気がします」

「そ、そうですか、お役に立てたのなら光栄です。それと冗談は慎むように」


 秋は顔を少し上気させながら言った。言葉の末尾の方はなかなか迫力あり、


「ハ、ハハハ……」


 と、調子に乗っていた周作が委縮する程だった。

 同じように秋がひと笑いし終えると、深いため息をついた。


「私も今年の始めに父が死んで、聖天に来たのはそれ以来です。やっぱり聖天様は良い場所ですね」

「よろしければ、その話を詳しく聞かせてもらえませんか」

「柳生殿、急にどうされたんですか?」


 とっさの判断で忠景は秋の両肩を掴んだ。秋も、突然の行動に戸惑っている。

 忠景自身もなぜ掴んだのか分からないでいる。顔を赤くしながら、しどろもどろになって答えた。


「い、いや、秋殿の父上はどのような方だったのか気になったもので……」

「そんな大それた話じゃないんです。今年の始めに父と聖天様に参拝した時に、急な発作が起きて死んでしまったんです」

「急な発作ですか」


 秋は目を落として言う。


「はい。特に病気を持っているそぶりは無かったんですけどね。その日の朝に、小十郎様の御屋敷に新年のあいさつに行った時は何にも無かったんですけどね。でも年には勝てなかったのかなって」


 秋は気丈に振舞っていたのだが、その目には涙が浮かんでいた。


「そうですか。お悔やみ申し上げます」

「いいんです。死んでしまったものは仕方がありません。それ以来、私が道場を切り盛りしているんです」

「それにしても、そんな思い出深い場所に私たちを連れてきても良かったんですか?」


 周作がたずねた。


「だからお呼びしたんですよ。あなた達二人は私が初めて取った弟子ですからね。それだけにね……」


 秋の言葉は途中で途切れ、涙目になりながら、苦しそうに笑顔を浮かべた。

 二人は嬉しさと同時に、何とも言えない胸の苦しみを覚えた。


「不肖樋口、秋殿に一生ついて行きます!」

「……いや、一生はいいですよ。適当に腕を上げたら免許皆伝を与えますので」

「何を言うんですか! こんな事を言われたら……」


 周作の言葉に、秋は顔を崩して笑った。

 そんな中、お社脇の茂みで何かが動いたような気配がした。

 周作と秋は気づいておらず二人して笑い合っていた。だが、忠景はその気配に気がついた。

 忠景は掴に手を置き、キッと茂みの方を睨みつけながら、一歩、また一歩と歩み寄った。


「おいおい、どうしたんだ?」


 秋と周作は、不思議そうに忠景を見ながら近寄った。

 すると、途端に気配が消える。


「……いや、なんでもない」

「そうですか。暗くなってきましたし、今日はお開きにしましょう。また来てくださいね」


 秋は忠景に微笑みかけた。


(むむむ、確かにあったはずだが……)


 忠景は釈然としないまま、秋らと聖天の参道を下りて行った。

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