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女奉行捕物帖  作者: 浅井
梅雨のウェアフェリンド
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梅雨のウェアフェリンド

 ”三左は忠之一派”。この報は半刻(1時間ほど)も経たずに奉行所にも届いた。

 日中に忠春が執務をとっていると、息を切らした好慶が駈け込んで来た。


「忠春様! あいつが口を割りました! 政憲様の予想どおりでした!」

「そうなの。御苦労さまね」


 忠春は静かにそう言った。すると隣にいた義親が言った。


「忠春様、犯人が見つかったのに嬉しくないんですか?」


 義親の言葉に少々戸惑いながら言った。


「事件が解決したのはいいんだけど、いまいち腑に落ちないのよね」

「何がでしょうか」

「あの男も幕府の政道がなってないからああいう事をしちゃったんだろうからね。なんか申し訳ないなって思ってね……」


 忠春はため息交じりに言った。仮に政道が真っ当であればこの様な事件は間違いなく起きていなかっただろう。食い扶持の無い浪人の問題など忠春が奉行になる前からの課題であり、幕府は有効な打開策を打てていないでいた。その一端に自分自身が関わっていると考えると、忠春も少々気が引けてしまっている。

 そんな雰囲気を察したのか、義親が忠春の頬を叩いた。部屋に乾いた音が響き渡る。


「忠春様は何を言っているんですか! この事件が起きた原因には確かにそういう面もあるかもしれません。しかし、他の大多数の武士は食い扶持に困っていながらも必死に働いております! それなのにこのような事を仰るなんて、その者たちに申し訳が立たないとは思いませんか?」


 義親は目に涙を浮かべながら熱弁をふるった。

 滅多に見せないこの姿に、忠春は頬を押さえながら静かに言った。


「……確かにそうね。ごめんね義親。私が間違ってた」


 立ち上がり、縁側を歩きながら言った。


「取り締まるべき悪害悪は取り締まらなきゃね。私も本当に目が覚めたわ。食い扶持の無い者を煽って、人殺しをさせる忠之は大した悪人ね。絶対に潰してやるわ」

「その通りです。私どもの手で潰してやりましょう!」


 報告に来た好慶も目に涙を浮かべてただうずくまっている。





 それから二日ほどが経ち、ブロンホフは長崎へと帰る日となった。

 江戸の天気は梅雨の谷間に差し掛かり、久しぶりの雲の無い晴れであった。ここで一目見なければいつ見れるか分からない、その上に久方ぶりの晴れの日ということも相まって、長崎屋には大量の人でごったかえしている。長崎屋には既に景保と玄沢がいた。

 忠春と政憲がやって来ると、政憲の元にブロンホフが駆け寄って来た。


「いやぁ政憲殿。色々と貴重な体験をさせてもらったネ」

「いえ、私どもの不手際で申し訳ないことをさせてしまいました」


 政憲は申し訳なさそうに言うが、ブロンホフは相変わらずの上機嫌であった。


「何言ってるの? マサノリとブロンホフの仲じゃないの。それに、目の前で暗殺されるなんて、これほど面白い体験は無いヨ?」


 ブロンホフは大声で上げてケラケラと笑っている。その声量に周りの野次馬達がざわついた。


「次はいつ来ることになるの?」

「そうネ、来年来れればいいネ。確実とは言えないけどネ。ああ、そうだそうだ。それと面白い話があるヨ」


 ブロンホフは手を叩き思い出したように言った。


「次来る医者にオランダ語の下手クソな男が来るのよ。次来る時は楽しみにしててネ」

「ちなみに名前はなんて言うの?」

「えっとね、シエボルドかな、いやジィボルドだっけ? 私もまた聞きだっただからよく分からないネ。話じゃ日本のことが大好きで自分で志願したとかなんとか」


 記憶があいまいなようではっきりとしなかった。しかし、政憲らの興味関心を膨らませるにはそれだけの情報でも充分であった。


「それは興味深い男ですね。是非ともあってみたいですよ」

「確かにそうですね。自ら志願して日本に来るなんて、よほど向学心の強い男なんでしょう」


 景保も嬉しそうに言った。鍛え上げられた肉体を震わせて自分のことの様に喜んでいる。


「そんだけ喜んでくれれば私も嬉しいね。彼も連れて来るヨ。まあ、私のクビが繋がっていればだけどネ」


 ブロンホフはまたしても大声で笑い声を上げた。その声量にまたしても野次馬達がざわつきだす。 

 すると、ブロンホフはまたしても思い出したように動きだした。


「そうだそうだ。忠春殿。これあげるネ」


 そう言うと大きな背嚢の中から四角い革製の箱を取り出した。


「これは何?」

「本当は幕府へのケンジョウヒンだったんだけどネ。私を担当した男が嫌な奴でネ。ずっとこっちを睨みつけてるのヨ。その横にいた女の子も同じように睨みつけて来てね。ほんと怖かったよ。だから別にいいかなって思ってあげるのやめたのネ」


 ブロンホフは満面の笑みで語った。しかし、忠春らは暗い顔をしている。


「いや、それなら受け取れないわよ。ちゃんと渡しなさいよ」

「ジョークネ。うそうそ。ホントは江戸でもお茶を楽しみたかったから持ってきたのネ」


 その言葉が本当かどうかはも早分からないが、贈り物なら悪い気はしない。

 忠春が皮革細工のされた箱を開けると、小さなカップが二つ収納されていた。

 縁には金細工が施されており、明らかに未使用のものだった。カップの腹にはチューリップの花と風車が描かれていた。その染料は鮮やかな物で、発色は豊かで生の染料以上に鮮やかだった。


「これはかわいいわね。本当にもらっていいの?」

「いったでショ? 日蘭友好の証ネ」


 一目で気に入った忠春は、まじまじとカップを凝視している。


「ありがとうね。絶対に大事にするわ」


 ブロンホフは忠春の笑顔を見てしみじみと言った。


「娘にもいい土産話が出来たネ。それじゃ時間だし私は帰るネ。」


 そう言い残してブロンホフは役人と共に東海道へと歩いていった。

 歩きながら見ず知らずの町人達に手を振り、ときには握手をしながら歩く。その様は、正しく日本人であった。紅い毛と青い眼をした日本人。文は上手いこと書くんだな、と忠春はしみじみと感じていた。





 その夜、芝にある水野屋敷で忠邦と忠之が会談していた。


「お前、商人の暗殺に失敗した揚句、現行犯で奉行所の奴らに捕まったそうじゃないか」

「ああ、何か問題でもあるか?」


 忠之は悪びれずに言い返した。


「”問題あるか?”だと? お前、ふざけんじゃねえぞ!」


 忠邦は血相を変えて忠之を問い詰める。しかし、忠之は平然とし、いつもの軽い調子で言い返した。


「おいおい怒るなって。別にいいじゃねえか。長崎屋はたまたま外れたが、他の大店の店主はしっかり殺せてんだぜ? たまには失敗もあんだろ」

「ふざけるな! その失敗がでかいんじゃないか! わざわざ奉行所のいる所を狙いやがって。なぜ俺がお前なんかと心中せねばならんのだ。クソっ、もうお前なんか……」

「おいおいおい、今さら縁切りなんて冗談じゃねえぞ? 俺は死ぬ覚悟は出来てんだ。どうせだったらお前の悪行を全部奉行所に言ってやったっていいんだぜ? どうせ全部バレてると思うけどな」

「はぁ、何言ってんだ? そうしたらお前の命だって危ういんだぞ」


 忠邦が冷や汗をかきながら刀の柄に手を伸ばした。すると、忠之は大声で笑い始めた。


「ハッ! だから言ったろ? ”俺は死ぬ覚悟は出来てる”てよぉ。元から俺は死んだようなもんなんだ。それにな……」

「”それに”なんだ」


 忠之は不気味に微笑んだ。


「俺も大岡忠春を殺したくなったんだよ。てめえと一緒だよ!」


 不気味な笑顔を浮かべながら肩を組んでくる忠之に嫌気がさしながらも話を聞いた。


「まあいいだろう。それでどうする気なんだ?」

「今度教えてやるよ。それじゃあな」


 忠之は不気味に微笑みながら水野屋敷を後にした。

 すると、襖がするすると空き耀蔵がやって来た。


「忠邦様、お察しします」

「何言ってるんですか? 悪いが今日はそんな気分ではありません。部屋に戻っていいですよ」

「いえ、そうではありません」


 耀蔵は忠邦の正面から抱きついた。


「あの男を殺しましょう」

「耀蔵、あなたは何を言っているんですか?」


 忠邦の顔を上目遣いで覗いている。


「この調子でいけば忠春は間違いなく潰せます。それで忠春を潰した後は、間違いなく忠之が障害になります。そうすればアイツは何をしでかすか分かりません。そこで、あの男は早々に退場してもらうべきではないでしょうか」

「確かにそうかもしれないな。だが、大店潰しはどうなるんだ?」

「それは忠之に任せ無くとも問題ない案件ではありませんか? たかが商人を殺すなんて大した手間ではありません。どうせだったら私が大店潰しの指揮を取ります」


 耀蔵は忠邦に強く抱きつき、体を密着させ甘い声で耳元に囁いた。


「まあいいだろう。その件については考えておく。今日は下がってくれ」

「……わかりました。本日の所は失礼します」


 耀蔵は忠邦の口に軽く口づけをし、少し悲しげな表情のまま部屋を去って行った。

 一人、奥座敷に残った忠邦は「ふぅ」とため息を付くと煙管に火を付けた。


「ったく、幕府は本当に腐っているな。義貞、お前の為にも俺は必ずやり遂げてやる……」


 忠邦は言い切ると、煙管の火皿は揺れ、季節外れの蛍のように忠邦の口元でフラフラと飛行をした。


梅雨のウェアフェリンド(完)

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