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女奉行捕物帖  作者: 浅井
梅雨のウェアフェリンド
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 警固初日は景保と景佑の確執、ブロンホフの銃が暴発したこと以外は特にこれと言ったことは起こらなかった。問題が起きたのは次の日の夜であった。

 ”カピタンが来た”と、初日は特に盛り上がった。次の日も文の瓦版と北斎の挿絵によって大勢の人が長崎屋を訪れた。しかし、江戸の人特有の熱しやすく冷めやすい性格なのか、終日降り続いた雨なのかは定かではないが、出府3日目には流行も廃れたのか人通りはほとんど無くなった。

 この日の警固を担当していた政憲もこれと言った仕事は無いので終始ブロンホフとの会話を楽しんでいた。


「しかし、本日は特に来客が少ないですね」

「そりゃそうネ。こうジメジメしてて、雨が降っていると誰も外に出ようなんて思わないネ」


 煙管を吹かしながらブロンホフは外を眺めた。しとしとと雨が降り続いている。


「そう言えば昨日は大変だったようですね」


 政憲は窓を眺めながら言った。


「そりゃもう大変だったヨ。見ず知らずの人がたくさんやって来たからネ。部屋の調度品をじっくり見たり触ってみたりで、元の位置に置き直すのが大変だったヨ」


 ブロンホフはそういいながらガラス張りのケース、ガスランプを指差した。様々な人が触ったためにガラスに油がこびりついている。


「それは大変でしたね」

「でもみんなまあ楽しかったそうだからいいんだけどネ」


 ブロンホフはため息をつき、両手を広げるが、どこか楽しげでいる。根っから人づきあいが好きな男なようだ。


「それは文殿の書かれた瓦版が大きいみたいですよ」


 政憲はそう言いブロンホフへ一枚の瓦版を渡した。富商が何人も変死を遂げる事件が頻発、飼い猫が帰って来たなんて話が書かれていたのだが、特に目に行ったのは長崎屋にカピタンが来訪のいうことで、ブロンホフのことが面白おかしく書かれている。

 瓦版を隅々まで読みこむと、ブロンホフの顔はほころんだ。


「これは中々面白いネ。私のことを”紅い髪で青い眼をした武士”だなんてね。そんな風に言われたのは初めてヨ。嬉しいネ。それに、江戸の人たちが長崎屋の窓を覗いているっていう挿絵も面白いね。それにしても私はこんな顔に見えるの?」


 ブロンホフは挿絵を見ながら笑った。


「まあ、あながち間違ってはいないと思いますよ。髪型なんかはそっくりですからね」

「確かに、私この美しい紅毛は上手く書けているネ。それに、こうやって書こうって考え方が面白い。これの作者に一度会ってみたいネ」


 政憲の言葉を受けて、ブロンホフは自身の紅毛を触り、鏡を見て挿絵と見比べている。


「それでしたら明日にでもお呼びしますよ。似顔絵でも書いてもらったらどうですか?」


 それを聞いたブロンホフは顔をくしゃくしゃにして喜んだ。


「そりゃ楽しそうネ。ぜひともお願いするネ!」

「それじゃ、明日北斎先生の所にお願いに行きます」


 そんな会話をしていると、長崎屋の玄関から奉行所の同心がやって来てこう言った。


「政憲様、ブロンホフ殿、来客がやってこられました」





 男は編み笠を深くかぶり、合羽もつけずにずぶ濡れのまま立っていた。


「よく来たネ。初めて見る顔だけど蘭学が好きなノ?」

「ええ、まあそうです……」


 ずぶ濡れの男はそう言ったままその場に立っている。


「わざわざ来ていただいたんです。どうぞ座って下さい」


 政憲が座布団を差し出すと、編み傘を脱いでその場に座った。

 


「若いのに蘭学に励むなんて偉い男ネ。とりあえず紅茶とカステラあげるネ」


 ブロンホフはちゃぶ台に置かれていた陶磁器製のポットから紅茶を注いで手渡した。


「すまない」


 男はそう言って一杯すすった。どうやら口に合わなかったようで一杯すすいだきり手をつけようとしなかった。


「ところでお名前は何と言うのですか?」

「鈴木三左。歳は18」


 無愛想に三左は答えた。政憲は三左はわざわざ来た割には調度品類にあまり関心が無いようなので怪訝そうな目で見ていたのだが、ブロンホフは初めて見る男に興味を持ったようで身を乗り出して話を聞いている。


「初めて聞く名前なのネ。どこかの蘭学塾に通ってるの?」

「いや特に」


 素っ気なく答えるが、ブロンホフは驚嘆の声をあげた。


「ジィィィザァス! まさか独学で蘭学を学んでいるとは思ってもいなかったネ。中々見上げた若者なのね。ご褒美に金平糖もあげちゃうネ」


 満面の笑みで背嚢の中から金平糖を数粒陶磁器の更に載せて渡した。色とりどりの砂糖菓子が乳白色の皿に出される。


「は、はぁ」


 黙々と食べるも、三左はまたも面白くなさそうに答えた。それどころか腰に差している刀を弄っている。

 三左の一連の行動に政憲は不審に思い、ブロンホフへと耳打ちで話しかける。


「あの若者、この部屋に入って以来調度品にも目をくれず、ただひたすら刀を気にしております。それに、あの若者から密かに殺気も感じられます。注意された方がいいですよ」


 ブロンホフは政憲の話を聞くと一瞬顔を厳しくした。しかし、すぐさまいつもの温和な表情へと戻し、わざとらしく大笑いし、三左に話しかけた。


「ハハハ、オランダの食べ物は口に合わないみたいだネ。それじゃ軒先から煎餅でも持ってくるヨ」


 そう言って三左の横を通り過ぎようとすると、三左は即座に立ちあがってブロンホフへと斬りかかった。





 政憲と同心は刀を抜き、三左の刀を弾こうとした。しかし、政憲らが刀を弾こうとするまでも無く、三左の刀は、部屋を斬り裂く銃声と共に地に落ちた。


「やっぱりそうだったのネ。まあ、私の方が一枚上手だったネ」


 三左の行動をあらかじめ予想していたブロンホフは、政憲らよりも三左の行動に早く対処し、懐からピストルを取り出して三左の手へ銃弾を放っていた。


「く、くそ!」


 落とした刀を拾おうと三左は動いたが、ブロンホフはもう一発銃弾を放った。


「抵抗はやめろ。潔く罪を償え」


 ブロンホフの放った銃弾は落とされた刀に向けてのものだった。金属同士の激しくぶつかり合う音が部屋中に鳴り響き、銃弾は刀身を貫通して真っ二つに折れた。

 反撃しようとも、刀を使い物にならなくされた三左は、その場にへたり込み同心らによって縛りあげられた。


「こういう咄嗟の時にはパーカッションは便利ネ。それでも、もっと使い勝手が良くなってくれるといいんだけどネ」


 ブロンホフは人差し指で器用にピストルを回転させて懐にしまい込んだ。





 それから少し経つと、南町奉行所から増援がやって来て三左を小伝馬町へと連行した。

 政憲とブロンホフが三左の連行されている姿を見ていると、ブロンホフが政憲に話しかけた。


「あの若者はこれからどうなるのネ?」

「まずは牢に入れられて審議に掛けられます。その後に裁決が下りますが、遠島になるでしょうね」


「オランダでも金持ちを襲う事件がよくあったネ。襲った人ってのはだいたいは貧困に喘ぐ人が多いネ。さっき瓦版で読んだけど、商人が襲われているって事件があったけど、これも三左クンのような若い食い扶持に困る人がやってるんだろうネ。少しは多めに見てやってヨ」


 ブロンホフの言葉に政憲は何も言い返すことが出来なかった。

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