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女奉行捕物帖  作者: 浅井
梅雨のウェアフェリンド
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異人との遭遇

 翌日の江戸は曇っていた。雨雲は通り過ぎたのだが、分厚い雲は通り過ぎてくれなかったようだ。

 梅雨のせいなのか日本橋付近の人通りはいつもよりも少ない。それどころか、店じまいをする商家もあった。


「よお、久しぶりだなお嬢ちゃん」


 閑散とした道から懐かしい声が聞こえた。


「なんだ、北斎さんじゃないの。こんなとこでなにしてるの?」

「そりゃ決まってるだろ。異人見物にやって来たのさ」


 北斎は誇らしげに言う。


「そんなに有名なのね。しらなかったわ」

「まあな。なんせ数年ごとに来るんだからな。興味が沸かない訳が無いだろうよ」


 北斎は懐から筆を取り出し、年齢を感じさせない白い歯を見せた。


「それもそうね。まあでも……」


 忠春が何か言おうとすると、後ろから文の驚きの声を上げた。


「あああっ! 葛飾北斎先生ですね! ずっと探してたんですよ!」

「……なあ、このお嬢ちゃんは何なんだ?」


 北斎は怪訝そうな顔で政憲に聞いた。


「瓦版の記事を書かれている屋山文殿ですよ」


 政憲に耳打ちで聞くと、北斎は納得した表情


「ああ、これが屋山のじじいの娘御か。話に聞いていたけど、想像以上だな」

「なに、文ちゃんの父親と顔見知りなの?」

「まあな。屋山の……」


 北斎が口を開こうとすると、文がそれを遮った。


「そうなの。父上の時から瓦版に挿絵を描いてもらってるのよね。なかなか評判がよかったから私も書いてもらおうとずっと探してたんだけど、まさかここで出会えると


 文は一人で舞い上がっている。


「”想像以上”って言ってたけど、何が想像以上なの?」

「ああ? 見りゃわかるだろ。お嬢ちゃんになくて、屋山の娘にあるものだよ」


 忠春は文の姿を見た。第一に目が行くのは程良い肉付きの体に、西瓜程もある胸だった。


「なかなか文ちゃんの父親もゲスいのね。……ったく、余計なお世話よ」


 忠春は少し悔しそうに言った。

 すると、北斎は大声で笑った。


「おいおい、お嬢ちゃん。何言ってんだ? 俺が言いたかったのは”よく喋る”ってこったよ。だいたい、お嬢ちゃんのもそんなに小さくはないんだから気にすんなって」


 北斎は、同情するように忠春の肩を叩き意地悪く微笑んだ。してやったりといった表情でいる。

 その言葉を聞くと忠春はハッとなった。まんまと嵌められた。顔を赤くして、肩を小さく震わせている。

 文はその表情を見逃さず、忠春の元に近づいた。


「なになに? はつちゃんは小さいのを気にしてるの? いやいや、大きいと肩がこっちゃって大変なのよねぇ」


 文は忠春の肩を抱き、意地悪く囁く。


「な、なによ! べ、べ、別に、き、気にして何かないわよ!」

「まあ、小さいほうが良いと言われる方もいますから、気になさることは無いですよ」


 政憲も文らに乗じて忠春をからかう。


「ったく、アンタまで余計なことを云わないでいいのよ。それと、北斎さんもあんまり騒ぎすぎないでね。」

「ああ、分かってるって。それとな……」


 北斎は忠春の元に近づき、真剣な表情で耳打ちで話をした。


「どうしたのよ」

「知り合いから聞いた話なんだが、忠之が異人を狙っているって話だ。用心しろよ」


 忠之と言う言葉を聞くと、忠春もいつになく真剣な顔に変わった。


「ええ、ありがとう。北斎さんも気をつけてね」 

「ああ。そうするさ。それと、屋山の娘も良い記事を書くんだぞ」

「はーい! 北斎先生も挿絵の方、よろしくお願いしますね」


 文は北斎の手を取り上目遣いで話しかけた。


「おうよ、気が向いたら書いてやんよ」


 北斎は文の手を振りほどき、ケラケラと笑いながらそう言うと、本石町へと忠春らと向かって行った。





 日本橋本石町は大変な賑わいだった。どこから話が漏れたのかは知らないが、カピタンの泊まる手筈となっている長崎屋の周りは見物人でいっぱいであった。祭り好きの性なのか、店を閉めて長崎屋にやって来ているであろう町人の姿が多々あった。

 長崎屋の軒先を見ると「高麗人参」と書かれた看板が立てかけられていた。元々、長崎屋は舶来の薬種を扱った店で、高麗人参の他にも葛根湯に冬虫夏草などの薬種が揃っていた。とはいっても、店構えもいたって普通の商家で、なんの面白みも無い。


「忠春様、お待ちしておりました」


 店の前で待機していた景保が話しかけてきた。

 奉行所であった時は二人組だったが、今度は一人しかいない。不思議に思った忠春が聞いた。


「あれ? アンタの弟はいないの?」

「どうやら遅れてくるとの話です。まったく、困った弟ですよ」


 景保はやれやれといった表情で、ため息交じりで言った。


「まあいいわ。それにしても、普通の商家じゃないの」

「いやいや忠春殿、ここからが面白いんですよ」


 何の変哲もない純和風の店を見て、忠春は素っ気なく言ったが、景保はニヤニヤとしている。

 すると、店の奥から小男がやって来た。


「景保様、忠春様。お待ちしておりました。長崎屋の主人を務めています、源右衛門と申します。ブロンホフ殿はほんの半刻前に到着されています。ささ、奥へどうぞ」


 男の服は普通なのだが、


「え、ええ。お邪魔するわよ」


 忠春はどこか異様な男の雰囲気に少したじろいだ。店の中を覗くと、廊下に沿うように赤いペルシャ絨毯が敷かれていた。

 初めて見る幾重にも折り重なった幾何学模様をまじまじと見つめていると、奥から声がした。どことなく日本語の発音がおかしい。


「ちょっト、長崎屋サン、このお茶美味しくないネ。いつも出涸らしを出すケド、それは私のことが嫌いだからなノ?」


 奥の小部屋から縮れた紅毛の男が顔を出した。


「あれが、オランダのカピタンなのね……」


 忠春は初めて見る異人に背筋が伸びた。


「おヤ? 長崎屋サン、このカワイイお嬢サンは誰なのネ?」

「この方は南町奉行の大岡越前守忠春様です」


 紅毛の異人は長崎屋の説明に、腰をかがめ大きな目で忠春の顔をまじまじと見た。


「ナント! 江戸では役人に女性が勤めているのですか! やはり面白い国なのネ。わたしブロンホフ。よろしくデス」


 ブロンホフは満面の笑みで忠春に近付いた。

 忠春も大柄な男は何人も知っているが、根本的に違った。骨格からして違うのである。ブロンホフの方が善次郎なんぞよりも数十倍は威圧感があった。


「よ、よろしく」


 忠春は委縮して返事をした。初めて見る異人に戸惑っているようだ。


「アラ? 私嫌われちゃった?」

「いや、ただ驚かれているだけですよ。気になさらないで下さい」


 横にいた景保がすかさず


「まあ、みんな最初はそう。とりあえず、このカステラでも食べて元気出してネ」


 ブロンホフは少し悲しげな顔をし、忠春にカステラを手渡した。忠春は握りこぶし大のカステラを無言で受け取った。

 それと同時に、軒先から政憲が入って来た。それを見てブロンホフは大声を上げる。


「あああああ! マサノリーっ! 久しぶりなのネ!」

「ブロンホフ殿、お久しぶりですね」


 ブロンホフは大柄な体を揺らして一目散に政憲の元に向かった。忠春は、飼い主の元へ大型の猟犬が飛び付いた場面を思い出した。そんな無邪気さがブロンホフにはあった。


「いやいやいやいあいや、何年振りダッケ? あいかわらず男前ネ。ゲンキしてた?」

「ええ、お陰さまで。ブロンホフ殿もお元気そうでなによりです」


 二人は熱い抱擁をかわした。


「へえ、中々仲がいいのね」

「そうですね。政憲殿は長崎奉行ですからね。それなりに深い親交があったのでしょう」


 政憲とブロンホフの熱い抱擁を見て、忠春はもらったカステラを齧りながら景保と話している。


「まあ、立ち話もアレね。忠春様もカゲヤスも奥へきて話そうね」


 ブロンホフは満面の笑みで部屋へと案内をした。





 部屋は全て欧州の家具で統一されていた。桐箪笥や行燈は無く、ガラス張りの箪笥、透明なガラスの器の中でろうそくがともっていた。

 長崎屋の奥には、見たことも無く名前も全く想像のつかないような調度品でいっぱいであった。ただ、部屋の中央にはちゃぶ台が置かれていた。だが、その上には麻製の布が敷かれていた。


「へえ、これは中々凄いわね。始めてみる箪笥ばかりね」


 忠春は素直に驚いた。欧州風の調度品など見た事は無かった。


「そうでしょ、そうでショ? これを江戸で作るのは大変だったのネ」

「はい。知り合いの箪笥職人に頼みこんでやっと出来ましたからね。大事に扱ってほしいですね」


 ブロンホフと長崎屋は感慨深そうに言っている。長崎なら別だろうが、江戸では南蛮から送ってもらう訳にもいかず、硝子張りの戸棚のような大きなものだと自作しかない。


「いやあ、実に凄いものだね。そう言えばブロンホフさんって奥さんとかいるの?」


 忠春の横にちょこんと座っていた文がブロンホフに聞いた。


「はい! お嬢さんに似た大変な美人よ。今は母国にいますネ」


 ブロンホフは満面の笑みで答えた。家族の姿を思い出したのか、目には少々涙が浮かんでいるように見えた。


「私似だなんて、照れるなあ。それと、”今は”ってことは出島にもいたの?」

「中々鋭い人ネ。ちょっとだけ出島にいましたよ。かしこい人好きだから、私好きになっちゃいそうなのネ」


 ブロンホフは文に抱きついた。文もまんざらではないような顔をしている。この姿を衛栄が見たら卒倒するかもしれない。


「いやあ、そう言われると困っちゃうなあ。それと色々と聞きたい事があるのよね……」


 文とブロンホフは意気投合して話しこんでいる。ブロンホフは厳ついように見えたが、大型犬のような可愛らしさもある。


「ん? これは……」


 忠春は鏡台に置かれた杖の様なものを手にした。柄の部分は握りやすいように指の位置に合わせて窪みが数か所ついている。


「ああ、それはピストルよ。日本でいう火縄銃ネ。護身用に持ってるのネ」

「ええ? こんなに小さくても撃てるの? それに火縄だって付いてないし……」


 ブロンホフは大声で笑った。


「ハハハ、今時マッチロック式なんて時代遅れですよ。今はパーカッション式が主流ネ」

「そのパ、パーカッション式ってのは何なの?」


 忠春の言葉にブロンホフはどう答えようか考え込んでいる。横にいた景保らも上手く説明が出来ずに困っていた。すると、奥から老人がやって来た。


「パーカッションとは、このハンマーで弾丸の底を叩くと発射できる弾丸のことなんですよ。まあ、ブロンホフ殿に聞いた話だと、向こうでも最新式なんだそうですってね」


 老人はそういうと、忠春の手を取って動作を教えた。親指でピストルのトリガーを引いた。


「おお、玄沢先生も来たんですか。お久しぶりですネ」


 ブロンホフはまたも笑顔になり玄沢を迎えた。


「玄沢先生も来られたのですね。どうぞこちらへ」


 景保は座布団を玄沢へと渡した。

 隣で銃をくるくる回しながら文に耳打ちで聞いた。


「この人は誰なの?」

「大槻玄沢先生だよ。蘭学じゃかなりの権威なのよ。芝蘭堂って知らない?」


 文が聞くも、忠春は首を横に振った。まったく聞いたことのない名前だった。

 そんな会話とは別に、景保は玄沢を接待している。


「わざわざすまんね景保くん」

「いえいえ、お気になさらないで下さい」


 景保は常に低姿勢で玄沢に対応している。忠春にはよく分からないが、すごい蘭学者なのだろう。

 すると、襖が勢い良く開いた。


「ったくクソ兄貴が、天下の天文方がいつから町人のパシりになったんだ?」


 景佑は景保に向かって吐き捨てるように言った。目線は玄沢に向かっており、敵対心をあらわにしている。


「おい景佑! それは玄沢先生に失礼だろ! それにだな…… 蘭学は開かれたものになるべきなんだ。一部の人間が独占するものではない!」


 景保は毅然と言い放った。色々と思う所があるらしい。


「なにが失礼だぁ? 町医風情が武士向かってに偉そうな口を聞きやがって、手前みてぇな町人が学ぶ代物じゃねえんだよ! 俺達のよう武士が学んで管理すべきものなんだよ! 身の程を弁えやがれ!」


 景佑も一歩も引かない。景保の胸ぐらを掴みかかった。


「いい加減にしろ! 弟といえども容赦はしないぞ!」


 景保の顔から余裕は消え、キッと景佑を睨みつけている。普段の穏やかな表情とはうって変わり獲物を殺す目をしている。

 景佑も同じように睨みつけている。


「景保君も落ち着きなさい。これは景佑君のいう通りだ。藩医といえど、所詮は町人だ。少々出過ぎたまねをしたかもしれないね」


 玄沢は大人であった。顔は少しいらついているように見えたが、この場を上手くやり過ごそうとしている。


「何が言う通りだあ? 偉そうな口ききやがって!」


 景佑は頭に来たのか、景保の胸ぐらから手を離し、玄沢へ殴りかかろうとした。

 すると、背後から空気を引き裂くような轟音が鳴り響いた。外の喧騒は轟音と共にかき消された。


「い、いや、悪気は無かったのよ? ただ引き金を引いたら……」

「あラ? 弾を抜いといたと思ったら入ってたのネ。それにしても忠春様は運がいいネ。最先端といってもまだ試作品らしいからネ。下手したら即死だったヨ」


 よく分からないが銃が暴発したらしい。忠春はガタガタと膝を震わせて突っ立っている。

 畳には大きな穴があき、硝煙の焦げた匂いが漂う中、ブロンホフは青ざめた忠春に向かって親指で首を掻っ切る仕草を取った。


「ったく、銃もろくに扱えないガキが奉行とは恐れ入ったよ。 ……白けちまったな。俺は帰るぞ」


 景佑は吐き捨てるように言うと、長崎屋から出ていった。


「まったく困った弟だ。どこで拗らせてしまったのやら」

「私ガ思うに、景佑サンは根っからのサムラァイ。自分の生まれに誇りがあるからああ言うのネ。悪いことじゃないヨ」


 景保は頭を抱えているが、ブロンホフはうんうんと頷いて言った。面白い見方をする男だった。普通なら景保と同じく激昂しても良い場面だが、どこか冷静に物を見ている。

 忠春もその場で立ち上がった。異人との遭遇に満足したようだ。


「それじゃ後は同心達に任せるわ。ブロンホフさん、色々と面白い物を見せてもらったわ。ありがとう」


 忠春はそういうとブロンホフに向かって右手を出した。


「オオ、シェイクハンズね。忠春様もナカナカわかってるネ」


 ブロンホフは頬を緩ませ、忠春の小さな手を握った。忠春の手が小さいというよりもブロンホフの手が異様に大きかったのかもしれない。


「それじゃまたネ。政憲も元気そうでよかったヨ。娘にも伝えとくよ」

「それではお邪魔いたしました。警固の方はしっかりとやり通しますので」


 忠春らは会釈をすると長崎屋を後にした。

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