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女奉行捕物帖  作者: 浅井
春風一両得
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春風一両得

 御用部屋はボロボロになっていた。部屋の畳は禿げ、障子は破れ、壁や柱には無数の傷がついた。はっきり言って酷い有様である。

 忠春もとりあえず幸生と眠らせたが、この惨状を見て理由を聞かない筈が無い。


「ったく、何があったのよ」

「それが……」


 義親は忠春に事の顛末を話した。忠春は、話を聞くにつれてどんどん呆れ顔になってゆく。


「……ばっかじゃないの。気持ちは分からなくもないけど。二人を白州に引き出しなさい。決着をつけさせるわよ」


 忠春はそういうと自身の部屋へと戻って行った。


「二人を裁かれるのですか」

「当たり前じゃないの。このまま有耶無耶にしたって何の意味も無いわ。二人を連れてって、起き次第始めるわよ」


 忠春は裃を羽織り、白州へと向かって行った。





 白州場には二枚の御座が敷かれ、その上に幸生・定謙の二名が正座をし、平伏をしている。

 忠春は高座に座り、その横に吟味方を勤める衛栄が座っている。衛栄が口上を上げた。高座の端には家慶も座っている。


「南町奉行与力、仁杉五郎左衛門幸生、並びに小姓頭番頭、矢部定謙の二名、面を上げい!」


 衛栄の言葉に従い、二名が顔を上げた。両者共に不服そうな顔をしている。


「罪状、南町奉行所内での抜刀沙汰、並びに南町奉行所の損壊。異論は無いかっ!」


 幸生も定謙も黙ってうなずいた。


「それでは、忠春様。お願いします」


 衛栄は忠春の方を向き一礼をした。


「アンタ達も馬鹿な事をやってくれたわよね。せっかく畳だって新調したって言うのにさ。まあ言い分もあるでしょうし、二人とも述べていいわよ」


 忠春の言葉を受けて、幸生は姿勢を正して言った。


「私は巾着を落としました。それで、この男が巾着を届けてくれたのです。巾着の中には忠春様から預かった文書も入っておりました。それを届けてくれた礼にと、財布の中に入っていた三両を彼にあげようとしたのです。しかし、彼は頑なに断りました。私は武士です。渡そうとした三両を自らの財布に戻すなど、出来るはずもありません」


 幸生は堂々と述べた。忠春も何度か頷いて話を聞いている。


「幸生の言い分はわかったわ。それじゃ定謙、あなたはどうなの」


 定謙も幸生と同様に、膝に手を置き、背筋を伸ばして話した。


「確かに私が、彼の巾着を拾い奉行所へ届けました。しかし、その行為には一抹の私心はございません。落としたものは届ける。それが世の道理だからでございます。それなのに彼は謝礼と言って三両を渡すと言って来られた。これを受け取っては、”謝礼目的で届けた”と世に受け取られてもおかしくございません。私はそれが嫌なのでその謝礼を断りました」


 堂々と話す定謙の姿に、忠春も何度か頷いていた。


「定謙の言い分もわかったわ。二人とも言っていることに嘘は無さそうね。それ以上に、こんな立派な志を持った武士がこのご時世にいるってのも感動したわ」

「忠春様、どうなさるのですか」


 腕を組んで感動をしている忠春に、衛栄が問いただした。すると、忠春は意外な話をした。


「あんた達、三方一両損って話は知ってる?」


 白州にいる二人も頷いた。衛栄も頷いており、全員が知っているようだ。


「はい、大岡忠相公の話でしょう」

「そうよ。私はその話が一番好きなんだけど、ちょっとだけ気になったことがあるのよね」


 ポツリと忠春は言う。


「あの話の大工も町人も忠相公も立派な人なのよ。でも、最後には一両だけ損をしているのよね。それがずっと気になってたのよ。それに迷惑をかけたとはいえ、せっかく良いことをしたのだからそれ相応の褒美を受けなきゃいけないと思うのよね」

「それでは、どうなさるのですか」


 衛栄が聞いた。


「幸生の落とした三両を全員で一両ずつ分けましょう。二人とも受け取ることの無かったはずの一両が手に入って、私も一両手に入る。”三方一両得”でどうよ」


 周りにいた衛栄らから驚きの声があがり、白州がどよめいた。それは、背後にいた記録係の同心も驚きの声を上げた程であった。

 あまりの驚かれっぷりに忠春も少々恥ずかしくなる。細い指で赤く染まった頬を掻いた。


「まあ、私の一両に限って言えば、奉行所の修繕費に消えるんだけどね。これで異存は無い?」


 忠春が二人の顔を見回す。


「忠春様、名裁きでございます」

「これ以上ない素晴らしいお裁きでございます」


 二名ともそう言い、平伏をした。


「それと幸生」

「何でしょうか」


 忠春は幸生の名を呼んだ。


「これが終わったらすぐに文書を届けて。それが終わったら私の部屋に来なさいね。それ相応の罰は個人的に受けてもらうわよ」


 忠春は笑顔でそう言った。口は笑っているのだが、目は全く笑っていない。幸生に握りしめた拳を見せた。それを見て幸生も察したようで、引き攣った笑いを見せている。


「それじゃそういうことで。本日の白州はこれまで!」





 裁きも終わり、夕方には御用部屋に畳屋が来て、銭勘定をしている。

 忠春がその作業を眺めていると、家慶がやって来た。


「忠春、よい裁きでしたね」

「家慶様、ありがたきお言葉でございます」


 素直に褒められて、忠春は頬を赤くして喜んでいる。


「幕府をよろしく頼みましたよ」


 家慶はそう言うと、フラッと出て行った。外に送りに行くと、羽織袴を履いた若い侍数名と、籠が門前に付けていた。


「それでは、江戸の治安をよろしくお願いします」


 家慶はニコッと微笑み、籠に乗って江戸城へと帰って行った。

 忠春が家慶の帰りを眺めていると、背後から衛栄が声をかけてきた。


「いやあ、名裁きでしたなあ、忠春様」

「別にそんなでも無いわよ」


 衛栄がおだてるが、忠春は素っ気なく答えた。


「それにしても、留守を任せたのによくも問題を起こしてくれたわね」

「い、いやあ、これに関しては私では無くて、幸生に言って下さいよ」


 衛栄は一歩ずつ後ずさっている。


「まあいいわ。今日は御苦労さまね。仕事に戻っていいわよ」





 定謙は足取りを軽やかに江戸城へと戻って行った。

 身近にいる幕臣はロクでもない人間しかいないが、自身より一回りほど若いながら、しっかりとした考えを持った幕臣がいて、意外な所に光明があったと感じていて、一人でうきうきした気分でいた。

 詰め所に戻ると、良弼が一人寝そべって待機していた。そんな浮かれた気分もどん底に落ちていく。


「定謙、帰りが遅かったね。なんかあったの?」

「南町奉行所に寄っていたんです。大したことではありません」


 良弼と話していると、耀蔵がやって来た。横にいた良弼は、情けない声を上げて条件反射的にに定謙の背後に隠れた。耀蔵のことがよほど怖いらしい。


「耀蔵殿、どうかなさったのですか」


 突然の来訪に、定謙は少々驚きながらも聞いた。


「定謙、今お前南町奉行所に行ったって言ってたよな」

「ええ。そうですが」


 定謙がそう言うと、耀蔵は不気味に微笑んだ。


「ちょっと詳しく聞かせろ。いや、話せよ」


 耀蔵は定謙を睨みつけながら言った。定謙にはこれを特に断る理由も無い。


「別にかまいませんが……」


 定謙は不思議に思うも、耀蔵に事の顛末を全て話した。


「……へえ、そうなのか。その場には家慶も居たのか。これは、面白い話を聞けたな。忠邦様にご報告せねば」


 詰め所の襖をバタンと閉め、耀蔵は微笑みながら詰め所を後にした。


春風一両得(完)

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