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女奉行捕物帖  作者: 浅井
春風一両得
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斬り合い

 南町奉行所の御用部屋は修羅場を迎えていた。

 三両の受け取りを拒否する定謙と、三両を受け取って欲しい幸生の二名が抜刀して向かいあっている。


「ちょっと、これはどうなってるんですか」

「実はですね……」


 志郎は義親に今まであったことを報告した。義親は、志郎から説明を受けるにつれてどんどん呆れ顔になっていく。


「まあ、気持ちは分からないでもないんだけどなあ……」

「本当にその通りですよね。しかし、どうしますか?」


 志郎は義親にすがるように言う。ここまで来てしまうと志郎一人にはどうしようもない。


「そう言われても、私にもどうしようもないよ」


 義親は弱気に言う。志郎と同じく、義親にも何も知恵が浮かばない。

 廊下で二人が話していると、大柄な男が歩いてきた。


「志郎に義親じゃないか。廊下でどうしたんだ?」

「衛栄殿! いい所に来て下さいました!」


 歩いてきたのは衛栄であった。外を廻って来たのか顔が砂埃で少し煤汚れている。

 志郎に腕を引かれて御用部屋を覗いた。


「おいおい、どうなってるんだよ」

「それが……」


 志郎は衛栄に説明をした。衛栄も同様に説明を聞くにつれて呆れ顔になってゆく。


「……ったく、分からなくもねえが、ここまでやる必要はねえだろ」


 衛栄もため息をついた。


「……と言っても、このままにしておく訳にもいかねえしな。とりあえず俺と義親で二人を押さえつけるぞ」

「いや、それは危険じゃないですか?」


 義親は不安げに答える。


「んなこと言ったって、抜き身で向かい合っている以上、そのままにしていく訳にもいかねえだろ。とりあえず、あの二人の刀を奪い取るんだ」


 衛栄もこれが危ない作戦だとは分かっていた。しかし、両者が斬り合う前に止めなければならない。そうすると、こうするしかなかった。


「分かりました。そうしましょう。私は定謙殿を押さえます。衛栄殿は幸生殿をお願いします」

「ああ。それが良いな。志郎は平梨と小浜を呼んで来い。その後には奉行所内の与力・同心を総動員だ。分かったか?」

「わかりました。そうします」


 三人は顔を突き合わせて話し合った。


「よし、それじゃ行くぞ!」

「「おお!」」


 威勢の良い掛け声とともに、三人は勢いよく駆けだした。 





 忠春は政憲と家慶を連れて江戸城を密かに出た。さすがに世継ぎを勝手に城外へ出すのも憚れるので、忠春は色々と苦労を重ねた。


「それにしても政憲、アンタのよく飲むのね」

「さすがに昨日は飲みすぎましたよ。ここまでひどい頭痛というのは初めてですね」


 政憲は頭を押さえながらフラフラと歩いている。

 顔は青ざめていて頬もコケており、目の焦点も定かではなく、足取りもおぼつかない。


「父上は”琉球から仕入れた泡盛っていうすげえ酒がある!”って喜んでましたからね。多分その影響じゃないですかね」


 家慶は苦笑いをしながら言う。忠春らは端でのんびりやっていたのだが、政憲は家斉に付き合わされて壺一本分飲まされたはずだ。

 そりゃ、酷い二日酔いにもなるはずである。


「ったく、しゃきっとしなさいよ」

「なんとか意識は保てています。多分大丈夫でしょう」


 政憲は引き攣った笑顔を見せた。足取りはおぼつかないがなんとか歩いている。


「奉行所に行くのは初めてです。世間知らずと思われるかもしれませんが、よろしくお願いしますね」

「そんなことは気になさらないで下さい。こちらです」


 忠春は家慶の手を取り歩いて行った。その途中で家慶がポツりと言った。


「そう言えば、忠春の祖先は大岡忠相だったのでしょう? 何か面白い話は無いのですか」


 ここで祖先の話を聞かれると思っていなかった。忠春は待ってましたとばかりに、嬉々と話しだした。


「忠相公の話で私が好きなのは”三方一両損”っていう話があるんですよ」

「どのような話なのですか」


 家慶も嬉しそうに話を聞こうとしている。


「3両を落とした大工がいたんです。それで、別の男がその財布を拾ったんですよ」

「それでどうなったのですか」


 子供のように目を輝かせて聞いた。


「落とした男は”財布は落としたんだ。この三両はお前さんにやるよ”って言うんですよ。でも拾った男は”私は金を目当てに拾った訳ではありません”って言って断るんです。それだから話がこじれちゃって、長屋で大喧嘩になるんです。でも、長屋の住人からすれば大迷惑なので、この一件を奉行に届けるんですよ。それで、ここからが忠相公の名場面です」


 忠春は少々興奮した口調で話し始めた。


「忠相公はその三両に自分の一両を加えて四両にするんです。それで、その四両を半分に割って二両ずつにして男に渡すんです。それでこう言ったんですよ。”お前達二人は三両もらえるはずだったのだが、手元には二両しか残らない。忠相もお前達に一両払った。三人とも1両損したんだからいいじゃないか”ってね」

「町人二人と忠相公が一両の損。それで”三方一両損”ですか。忠相公もなかなか粋な事をされるんですね」


 家慶は素直に感心したように言う。


「そうなんですよ。私もあのような名裁きが出来ればいいのですけどね」


 忠春はそう言うとため息をついた。


「いや、忠春ならできますよ。励んでください」

「ありがたいお言葉です」


 家慶と忠春は二人して微笑んだ。





 本丸の外に出てしまえば、忠春らが奉行所に戻るのにそう時間はかからなかった。坂下御門・馬場先御門を出るまでには半半刻(30分)もかからずに済んだ。

 忠春は南町奉行所の前に着いた。だが、いつもの冴えない男二人の姿は見えない。


「ちょっと、平梨と小浜はどうしたのよ」

「そ、そ、そう申されても…… ぞ、んじ、あげません……」


 政憲は青ざめた顔でそう答えた。元より知る由も無いのだが、どんどん二日酔いが酷くなってきているようで、真っ当な会話すらも困難な状態になっている。


「ったく、仕方無いわね。アンタは奉行所で休んでなさい」

「め、んぼく、ご、ございません」


 忠春はため息をつき、仕方無さげに言った。しかし、内心では政憲のこういった姿を見ることはほぼ無いので、地味に楽しんでいた。


「それでは、政憲は放っておいて私が案内いたします。それではこちらです」


 家慶の手を引いて奉行所内へと入っていった。

 奉行所内に入ると、中がやけに騒がしい。仕事の熱心さに関しては奉行所でも随一の小浜平梨が門前におらず、この奉行所内の喧騒。忠春に少々不安が募る。

 家慶も不思議がって忠春に話しかけた。


「奉行所は、いつもこう騒がしいのですか?」

「いや、そんなことは無いです。とりあえず、こちらにどうぞ」


 忠春は嫌な予感を持ちながら、家慶を御用部屋へと案内した。





「おい幸生! 落ち着けって!」

「うるせぇっ! 衛栄っ! 俺らにかまうんじゃねえ!」

「衛栄の兄貴! この馬鹿力はどうにかならないんですか!」


 平梨と衛栄が幸生と打ち合いをしている。二人掛かりで激しく打っているのだが、幸生も卓越した剣技を持っており、互角に持って行くのが精一杯であった。


「定謙殿、落ち着いて下され!」

「誰だか知らないが、私にかまうんじゃない! 私はこいつを斬るのだ!」

「っこいつ、細い腕の癖になんて力なんだ!」


 定謙には義親と小浜が相手をしている。部屋の隅へと追いやってはいるが、これ以上は進めない。

 早い話が衛栄の作戦は失敗に終わった。定謙・幸生共に思っていた以上に興奮をしていて、二人がかりでも手のつけようがなかった。

 二人が近づいて掴みかかろうとするも、二人に逆に斬り掛かられ。仕方無く義親も衛栄も抜刀せざるを得なくなってしまった。


「ちょっと! どうするんですか!」


 御用部屋内で数合打ち合い、鍔迫り合いをする義親は衛栄に問うた。


「俺だってどうすりゃいいのか知りてえよ!」


 衛栄も悲鳴に似たような声で叫んだ。幾つか修羅場をくぐりぬけてきた衛栄だったが、こういった事態は初めてであり、ただ応戦することしか出来なかった。


「だがなぁ! 流血沙汰だけは避けるぞ! さすがに洒落にならないからなあ!」


 奉行所内で殺傷沙汰だけは避けなければならない、ということは本能的に感じ取った衛栄はこう伝えた。


「確かにそうですね! このままの状態を保って、志郎君の増援に期待しましょう!」


 義親も衛栄も鍔迫り合いを保つこととなった。しかし、実力は伯仲でも気迫のある方が真剣勝負には勝つ。義親も衛栄らも、定謙と幸生の気迫に押され、この状況を保つことは厳しくなっていた。

 すると、御用部屋に二人組がやって来た。


「ちょ、ちょっとっ! アンタ達何やってんのよっ!」


 甲高い声が御用部屋に響いた。声の主は忠春だった。


「ああ! いい所に来ました! 忠春様、加勢をお願いします!」


 義親が安堵の声を出す。しかし、忠春にはこの状況がつかめておらず、何が何だか分からない。


「はぁ? 義親何言ってんのよ」

「お嬢ちゃん! 御託はいいから、さっさと助けてくれ!」


 衛栄も必死の形相で助けを求めている。衛栄と向かい合っている男は幸生と確認した忠春は、殺すのはまずいととっさに判断した。

 そして、猛禽類が小動物に直滑降して飛び掛かるかの如く、忠春は素早い動きでガラ空きの幸生の懐に潜り込んだ。


「よくわかんないけど、少し眠っててちょうだいね」


 懐に潜り込んだ忠春は、抜刀せず肘で幸生のみぞおちを一突きした。鋭い突きを受けた幸生は、うめき声を上げながらその場に崩れ落ちた。

 忠春はふぅっと一息ついた。その瞬間、部屋の外にいた家慶と定謙の視線がたまたま合い、定謙は目を見開き、叫んだ。


「い、家慶様! なぜここに居られるのですか!」


 この場に家慶がいると、定謙は露程に思っていなかったようだ。忠春以外の誰もがそう思っていただろう。結果的に、そこに一瞬の隙が生まれた。義親はすかさず、刀の柄部分で定謙のみぞおちを突いた。

 定謙は魂が抜け落ちたように、静かにその場へと崩れ落ちた。

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