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女奉行捕物帖  作者: 浅井
春風一両得
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お届け物

「それにしても、この豪華絢爛ぶりは相変わらずなのね」


 将軍家斉が控える間に近付くとつぶやいた。忠春の拝謁から一年経ち、その後も数度訪れてはいるが襖絵や柱、壁に至るすべての装飾の豪華絢爛ぶりはまえとさして変わりが無い。


「確かにそうですね。しかし、上様がこう言った物に金をかけているおかげで町人は潤っているとも言えますけどね」

「そういう見方もあるんだけどね。いまいち納得が出来ないわ。それに少し前には、南蛮の軍艦がやって来てるし、幕府の力を出している様な時期じゃないと思うんだけどね」


 政憲の言うことも一理ある。あれだけの装飾に金をかければ、かなりの額が江戸の町人に行き渡っている。しかし、国防の問題も山積しており、安穏と大金を使っている余裕は幕府には無い。

 忠春が熱を入れて言うと好慶が制する。


「忠春様のお説はごもっともです。それよりも上様の所に近くなりました。この様な話を大っぴらにしていては危ないですよ」

「……まあいいわ。そうしましょ」


 そうこうすると襖の前にやってきた。

 目の前に身なりの整った小姓が数名控えている。どれもキリリとした利発で頭の良さそうな子供たちだ。それが家斉の気まぐれに付き合わされていると考えると、少々不憫に感じた。だが、それが将来の良い経験になるのかもしれない。


「それではどうぞ」


 小姓の一人が襖を開けた。


「よう! 忠春に政憲! よく来たな!」


 襖が開くなり大声が聞こえる。奥の高座にいるはずの家斉が目の前に立っていた。これには二人とも目を丸くせざるを得ない。


「ちょ、何をされているんですか!」

「ええ? お前達が驚くと思ってな、ずっと待ってたんだぞ」


 顔を緩ませて嬉しそうにしている家斉は、二人と肩を無理やり組んで、部屋の奥へと向かって行った。





「それで、此度はどのようなご用件ですか」


 下座に座り、乱れた襟を正して政憲が言う。


「そうだな。お前達も知ってると思うけど、俺の息子を紹介したくてな。おい、家慶入って来い」


 家斉が言うと、奥から色白の中性的な少年がやって来た。


「徳川家慶です。お願いします……」


 二人とも、家慶を何度か見る機会はあったが近くで見る機会はほとんどなかった。背は低く、華奢な体つきをしている。


「こいつらが南町奉行の大岡忠春と年番方の筒井政憲だ。よろしくやってくれよ」

「お願いします……」


 家斉の紹介を受けると、家慶はちょこんと頭を下げた。月代も剃らず、肩ほどまでに伸ばした髪を一本にまとめている。頭を下げるとどう見ても女の子にしか見えないほどの華奢振りであった。


「いや、家慶様が頭を下げられることはございません。私は大岡越前守忠春と申します。そして、横に控えるのが筒井政憲です」

「そうだぞ、お前が頭を下げることなんてないんだ。どーんと控えてりゃいいんだよ」


 忠春はすぐさま頭を下げる。政憲もそれに続いた。家斉は家慶の背中をバンバン叩き言っている。


「そうですか父上、わかりました」


 家慶そう言って家慶は胡坐をかいて胸を張って見せるが、どこかぎこちない。無理してやっています、と言わなくても分かる。


「なんか違うけど、まあいいや。お前らは今晩は家慶につきっきりで、奉行所がどんなものか教えてやれ。市中の生の声を聞くのも将軍の務めだからな」

「わかりました。私どもが何もかもをお教えします!」


 忠春は元気よく答え、威勢よく頭を下げた。


「忠春よ。よろしく頼みます」

「おお、よろしく頼んだぞ」


 家斉はそういうとゲラゲラと大声で笑った。

 




 夕刻、定謙と良弼が使いを終えて城内に戻ると忠邦と耀蔵がいた。


「良弼、定謙、御苦労です」

「此度の使いは上様のお頼みだったのですか」

「アンタは知る必要は無い。さっさと下がれ!」


 今にも掴みかかろうと殺気立って耀蔵が定謙に食いかかるも、定謙は平然としている。耀蔵の姿を見たからか、隣にいた良弼は声を出して一歩後ずさった。

 今にも飛びかかろうとする耀蔵を見て忠邦はため息をつく。


「……耀蔵いいのです。そうですよ。これも上様の指示です。二人とも下がって結構ですよ」

「かしこまりました」


 定謙らは一つ頭を下げると、その場を後にした。

 トボトボと二人で廊下を歩いていると、良弼が定謙に話しかけた。


「ったく、俺はあの女は大っ嫌いだ。定謙はどうなんだ?」

「私も好きではありません。それに……」

「”それに”ってなんだ?」

「それに、どうやって忠邦殿に取り入ったのかよくわからない不思議な女です。用心しないと足元を掬われるかも知れませんね」


 それを聞いた良弼はなるほど、といった表情で頷いた。


「確かにそうだな。兄貴の所にいつの間にかいたからな。それに短い付き合いなのに、俺らの家中にまで口を出すしな。不気味な野郎だな」


 浜松藩の家老二本松義貞が死んで以降、耀蔵は忠邦にとり入るどころか藩の政治に口を出すまで取り入っていた。何か法令を通すにも耀蔵に申し立てをしなければいけないし、忠邦もそれを承認している。

 それを思い出して良弼は苦い顔で言うと、定謙は少々驚いた顔をする。


「……水野家中にまで幅を利かせているのですか。なら、良弼殿も用心された方がいいでしょうね」

「そうだな。アンタの言う通りだよ」


 そういうと、二人は別れて江戸城を後にした。

 矢部定謙の屋敷は八丁堀にある。江戸城から八丁堀までは三十町程で、まっすぐ向かっても早くて半半刻(30分)ほどかかる。暮れ六つ(午後六時)に江戸城を出て、日本橋で夕食を済ませてた矢部が八丁堀の自宅へ着いたのは五つ刻(8時)であった。


「それにしても上様も困ったものだ。あのような者たちを重用されるとはな」


 定謙は愚痴りながら羽織袴から着流しへと着替えて始めた。その途中であった。どさっと巾着が地面に落ちる。


「ああ、そう言えば拾ったんだよな。何が入っているのだろうか」


 定謙は巾着を開いた。中には一枚の書状と財布が入っていた。

 サッと書状を広げると、事務的な伝達事項が書かれており、書状の末尾には忠春の署名がされていた。


「……これは南町奉行の書状か。あの男は南町の与力だったのか。まったく、不用心な男だな」


 書状を綺麗に折りたたむと、巾着へと仕舞った。


「明日は大した仕事も無さそうだし、登城後に南町へと届けに行くか……」


 そういうと定謙は着替えて床についた。





「兄貴、見つかりませんよ」


 飛鳥山はもう暗くなり、付近の寺から時を知らせる鐘が響き渡る。鐘を叩く数からして時刻は暮れ四ツを迎えている。真夜中と言って差し支えないだろう。


「……あのコソ泥を追っていたあの時なんだ。確か男とぶつかったんだよなあ」

「確か、真面目そうな男でしたよね」


 志郎も辺りを探りながら思い出したように言う。

 記憶が定かならば、髷も羽織袴も全てがきちっと整っていた。顔立ちもまずまずの男振りで、メガネの奥の鋭い目つきが志郎の顔に浮かぶ。


「まあ、あの真面目そうな男だったらネコババしないで届けてくれますって。そんな大事な書状だったんですか?」

「俺も詳しくは知らないが、勘定奉行あてのものだから経費とか書かれたものだろう。過去の経験から言って、それほど重要な物でも無いんだけどな」


 幸生は雑草の生えた参道わきを這いつくばり、ため息をつく。


「それならここまでする必要は無いんじゃないですか? もう暗くなって探しようは無いですから八丁堀に帰りましょうよ」


 志郎も必死に探していたが、この暗闇では限界もある。


「……仕方無いか。俺は明日の早朝に来てまた探すよ。今日は付き合わせて悪かったな」

「気にしないで下さい。それじゃ帰りやしょう」


 仕方無い、と幸生は志郎の言葉にしぶしぶ従い、二人は八丁堀へと帰っていった。

用語解説


前回の分とまとめてやります。


『飛鳥山』 江戸の花見の名所。他の場所では許されなった「酒宴」「仮装」が許されたただ唯一の花見スポット。山と言っても緩やかな丘に大量の桜があります。8代将軍吉宗が指示して桜を植えたそうです。さすが暴れん坊。


『矢部定謙』 やべさだのり。小姓時代に先輩にからかわれて、逆ギレしたら上司に認められて出世した人。堺町奉行、大坂西町奉行、江戸南町奉行を歴任。


『跡部良弼』 あとべよしすけ。水野忠邦の実弟。跡部家に養子に行きました。中々の経歴を持っていて、堺町奉行、大坂西町奉行等を歴任。ちなみに、良弼が大阪西町奉行所時代に大塩平八郎の乱が起きます。矢部といい、気が向いたらこの辺の話を書くかもしれません。


『仁杉幸生』 ひとすぎゆきなり。通称五郎左衛門。先祖代々南町奉行所の与力を務める家系。結構有能な人だったらしく、年番方も務めちゃいます。後々に権力抗争に巻き込まれて獄死。

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