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女奉行捕物帖  作者: 浅井
秋風秋葉原
33/158

奴さん

 大名小路から日比谷御門を抜けた時には四つ刻(10時)を迎えていた。両脇に大名屋敷が連なるこの通りには、人通りは全くなく、風だけが広い道を闊歩している。


「それにしても、忠之って何者なのかしらね」


 忠春がつぶやく。


「確かになあ。俺もまったく聞いたこと無いぞ」


 忠愛も言う。


「水野って言うくらいだから、やっぱり忠邦と関係するのかしら」

「関係するとしても傍流だとは思うが、そんなならず者を飼っておく必要は忠邦にあるのか?」


 忠愛の言う通りなのかもしれない。


「そうなのよね。わざわざ問題を起こす男を支援する必要なんてないと思うんだけどね」


 二人して考え込む。忠愛は下を向き、考え事をしながら歩いていたからか、対面から歩いてきた男とぶつかってしまう。


「おっと、ごめんよ。ちょっと考え事を……」


 忠愛が顔を上げると。編み笠を目深にかぶった男が立っていた。


「気を付けなよ兄さん。ここいらは危険だからな」

「ほう、どう危険なんだ?」


 忠愛は軽く会釈をして、目深にかぶった男の足元から眺めていく。

 小奇麗な草履に足袋、丁寧な折り目のついた羽織袴、腰には黄金造りの柄に真っ赤な鞘の刀を二本指している。


「ここらじゃ辻斬りが出るそうだぜ。なんせ、ド派手な刀を持った男らしい」


 編み笠の男は口元を崩して笑う。忠愛は刀の柄と鞘に気がついた。しかし、男の動きの方が忠愛よりも早かった。


「おいおい、お前は……」

「兄上、退いて!」


 忠春は男の動きを察し、とっさに刀を抜き、忠愛を突きとばして、忠之の刀に当てて一撃を防いだ。


「くそっ! 外したかっ!」

「……ったく! さっきは好慶によくもやってくれたわね!」


 怯む忠之に忠春は追い打ちをかける。甲高い金属音が誰もいない夜路に鳴り響く。


「聞いていたよりかは中々やるじゃねえか!」


 忠之はわざとらしく驚いたそぶりを見せる。真剣での打ち合い中に余裕を見せられて、忠春の闘志に更に火がついた。


「アンタみたいなやつに見直されたって何とも思わないわね! アンタの目的は何なのよ!」


 忠春は上段、下段と的を絞らせないように十合程打ちこむと、最初の数合は何とか防いでいた。だが、全ては防ぎきれず、最後の数合が忠之の体をかすめる。

 剣戟が忠之の袖口を斬り裂いたようで、忠之の足元に血が滴り落ちる。


「ハハハハハ! 目的だあ? バカな事言ってんじゃねえ! んなもんはねえよ!」


 そう言い捨てると、鍔迫り合いをしかける。忠之は力勝負に打って出た。忠春は一歩、また一歩と後ずさり、屋敷の壁際に追い詰められる。

 打ち合いでは互角以上の戦いを行えていたのだが、忠之とは対格差で大きな差があるため、力勝負では忠春に勝ち目は無い。忠之の力は凄まじく、忠春にこれを弾き返す力は持ち合わせていない。このままでは間違いなく斬られる。


「おいおいどうしたぁ? そんなんじゃ死んじまうぞ!」


 忠之はしゃがれた声で大声で笑っている。


「おい、そこのお前、何をしている!」


 路上での騒ぎを聞きつけたのか、道の両脇に連なる屋敷から男達がやって来た。当直の武士のようで、並の旗本よりも強いだろう。その数は十人を下らない。


「チィっ! 面白い所だったのになぁ! 大岡忠春よぉ! 今日の所は勘弁しといてやるよ!」


 形勢不利と見るや、忠之は一目散に駆けだした。忠之は忠春を殺せなかったことから、怒りの言葉を浴びせるのかと思いきや、どこか嬉しそうに吐き捨てた。

 大名屋敷の侍達が忠之を追いかけようとするも、忠之の足は速く、忠春らが瞬きし終えた時には姿を消した。


「はつ! 大丈夫だったか?」

「ええ、なんとかね……」


 突き飛ばされて難を逃れていた忠愛が、忠春の元に駆け寄る。見る限り特に怪我は無いようだ。しかし、忠春は腑に落ちない顔をしている。事件の張本人が目の前に居ながら、捕まえることも出来ずに殺されかかったのだ。

 忠愛は何を思ったのか、急に忠春に抱きついた。


「ちょっと、兄上っ!」

「いいんだ。忠春、お前はよくやったよ。ありがとう……」


 忠愛はそう言うと、忠春を黙って抱きしめ続ける。いつもならすぐさま忠愛を突き飛ばして、一つや二つ文句を言う所だが、忠春は不思議と忠愛を突き飛ばすことも、文句を言うことも無かった。事件の張本人を目の前にして、一太刀を浴びせるも殺されかけた忠春にはそんな力も残っていなかったのかもしれない。





 翌日の江戸は快晴だった。雲一つない日本晴れで、紅葉狩りをしようとする人も多く街中が浮かれ陽気でいた。

 そんな浮かれ気分の町とは違い、忠春の気分は落ち込んでいた。


「忠春様、昨夜は大変だったようですね」


 奉行所の廊下ですれ違った政憲が話しかけて来る。


「まあね。それにしても、よく分からない男だったわ」


 忠春が言う。これが素直な感想だ。


「それよりも、豊重の怪我はどうなの?」

「命に影響は無いようです。数日安静にしていれば大丈夫だとのことです」


 政憲が言う。


「そうなの。わかったわ」


 政憲の報告にも特に耳を貸さずに、忠春はその場を過ぎ去ろうとする。

 いつもなら無駄話のひとつでもする姿とはうって変わって、心ここにあらずといった雰囲気であった。政憲はその異変に気がつく。


「どうかなされたのですか? 心なしか元気の無いようですが」

「別にいつも通りよ。それよりも応為ちゃんの所に行くわよ。色々と聞かなきゃいけないからね」

「わかりました。用意をしてまいります」


 政憲は不思議そうな目で忠春を見つめたが、特に詮索すことも無く、応為のいる医院へと向かう準備をするべくその場を去って行った。

 政憲がいなくなると、忠春はため息をついた。


「はぁ……」


 政憲にはああ言ったものの、どうにも行く気分にはなれず、白州を眺めながら膝を抱えて座りこむ。


「どうしたお嬢ちゃん。いつもの覇気が無いぞ」


 御用部屋から北斎がやって来た。


「いや、いつも通りよ。別に問題は無いわ」

「嘘言っちゃいけねえよ。昨夜、襲われたのが原因だな?」


 北斎はニヤニヤしながら言う。


「別に関係無いわよ!」

「そんなこたぁねえだろ。あまりの剣術にビビっちまったんだろ? 別におかしな話じゃねえよ」


 図星を言われて忠春はぐうの音も出ない。どことなく弱気に答える。


「忠之のことを知ってるの?」

「詳しいことは知らねえが、腕っ節だけは強い善次郎を熨したって話なんだろ? だったら大抵の男よりかは強いって事だ。そんな気にすることはねえよ」


 北斎はケラケラと笑いだした。並の侍だったら素手でも軽く捻る善次郎でさえも、忠之一人にやられていた。それだけ強い男だったのかもしれない。


「そうなのかもしれないわね……」

「そういうことだ。あんまり気にするなよ。お嬢ちゃんはいつも通り笑って、怒ってりゃいいんだよ」

「怒ってってどういうことなのよ!」


 忠春は怒って見せる。


「そういうことだ。お嬢ちゃんの活躍を期待してるぜ」


 北斎は大声で笑いながら軽い足取りで去って行った。天衣無縫とも言うべきなのか、アクはあるが憎めず、どこか人を惹きつけるような北斎の姿を見ていると、忠春の表情は少し和らいだ。





「忠春様、昨夜は大丈夫でしたか?」


 忠春らが、善次郎らのいる医院に入るなり、義親が忠春の元に駆け寄る。


「大丈夫よ。それよりも善次郎と好慶は大丈夫なの?」

「好慶殿は元より軽傷で、善次郎殿はもう動いても大丈夫との事です」


 義親の言葉を聞くと、一言「ありがとう」と答えて医院の奥へと進んで行った。

 奥の部屋へと向かう廊下を歩いていると、ドタドタと大きな音を立てて人が向かってきた。


「忠春様、あの時はありがとうございました」

気にしないでいいわよ。それにしても、あの爺さんってすごいのね。あんた達が心酔する気持ちが分かったような気がしたわ」

「ハハハ、今さら気がつかれたんですか」


 大きな足音でやって来た善次郎は満面の笑みで答える。その屈託のない笑顔に政憲はつられて微笑んだ。


「それと、応為ちゃんはどこ?」

「ああ、奥の部屋で休んでいますよ。義親殿が言うには、俺を付きっきりで看病されていたとか」


 善次郎は少々恥ずかしそうに答える。忠春は義親の方を向くと黙って頷いた。冗談で言っている訳ではなく、本当に必死の看病を受けたらしい。

 忠春は面白がって善次郎を茶化した。


「アンタも捨てておけないわね。でも応為ちゃんのアゴはシャクれてないわよ」

「いや、応為殿の、あのアゴが良いんです。あの自己主張していないながらも、張りのあるアゴが……」


 善次郎は熱心にアゴの魅力について語り出そうとした。意図しない方向に話が動き、間違いなく長りそうなので、横にいた義親の手を引いて善次郎の前の前につきだした。


「……その話は私じゃなくて、義親に話しなさい。実は、義親も前々からずっとアゴが気になっていたそうよ」


 忠春の口調は途中で変になるも、なんとか言い切った。義親は忠春に必死に助けを求めるような視線を送っているが、返って来た視線は義親を憐れむ目で見ている。義親には救いは無い。

 善次郎もその視線を無視して、嬉々と義親の元へと向かって行った。


「やはり、私が見込んだだ男だ! 義親殿も良い趣味をされていますな。それじゃ、向かいの茶屋にでも行ってじっくり話しましょう!」

「いや、ちょっと!」


 あのきびきびとした動きをみる限り、善次郎の傷は問題ないようだった。応為のつきっきりの看護が効いたのかもしれない。

 横で政憲が何か言いたそうに苦笑いをしているが、それを無視して奥へと進んで行った。





 奥の部屋へと行くと、部屋の中央には布団が敷いてあり、その横で正座をしていた。応為が忠春の姿に気が付き一礼する。


「忠春様、何ようでございますか」

「あの時の話の続きをしましょう」


 忠春はじっと応為を見つめる。応為は忠春の真剣な表情にたじろぐ。


「あの言葉には、特に意味はございません。私が聞いた話では、奉行といえども太刀打ちできない話だと思ったからです」

「その話を詳しく聞かせてもらえませんか」


 政憲も問う。


「はい。あくまで噂話に過ぎないのですが、あの男と当世の老中”水野忠成”と、家斉様の懐刀”水野忠邦”の二名と繋がっていると言う話です」


 応為の言葉に、忠春は、まさかと思っていたことが的中し仰天する。


「ちょっとどういう事よ!」

「一年ほど昔に聞いた話なのですが、忠之が殺生沙汰を起こしたんです。死んだ人が奉行所の役人だったと言う話だったらしいので、奉行所も躍起になって下手人を追っていたんです。でも、ある時を境にパッタリと下手人捜索が打ち切られてしまったんですよ」


 応為は政憲と忠春に耳打ちで話す。


「政憲、知ってる?」

「いえ、私も存じ上げません」


 忠春と政憲の両名は顔を見合わせる。


「その事件の直後、忠春様の先代の南町御奉行だった荒尾様が病気で解任されたんです。その役人は忠成様と忠邦様の不正を暴こうとしたとかなんとかで殺されたそうです。それが、あの二人の勘気に触れたという噂が立っています」


 応為は神妙な顔つきで話した。


「それに、忠之は旗本奴『黒柄組』の頭目でもあるそうなのです」

「旗本奴って、家光様の時代の話じゃないの」


 あまりの時代錯誤の話に、忠春は呆れた顔をする。


「私もそう思うのですが、市中では”旗本奴の再来だ”ともっぱらの噂です。それに、善次郎様を襲撃した時も、相手の男達の太刀捌きは素浪人ではありませんでした。間違いなく、武芸のたしなみのある男達です」

「働き扶持に困った旗本の次男三男が暴れまわっているのですか。またこういった事件が起きてもおかしくありませんね」


 政憲は宙を向き考え込むしぐさをとっている。実際に江戸では、小普請組に入れられた旗本が増えつつあると言うこともあり、あながち有り得ない話でもないようだ。


「忠春様もあの男に関われば危険な目に会われます。手を引かれた方が良いのでは……」


 応為は忠春に哀願する。嫌味でも何でもなく忠春の身を案じているのだろう。応為の目には涙も浮かんでいる。


「応為さんありがとう。でも私は絶対に引かないわ」


 忠春はにっこりと微笑みながら言った。


「私がここで引いたら幕府は終わりよ? あの二人には絶対に上様の天下を握らせないわ。政憲、そうよね?」

「その通りでございます」


 断固たる決意を表した忠春に、政憲も同じく微笑みそう言う。


「……そうですか。それならば私は何も言うことはございません。先日の非礼をお許しください」

「別に気にすることは無いわ。応為さんが私のことを思って言ってくれたんだからね」


 忠春は優しくそういうと、応為に抱きつき頭を優しくなでた。


「それでは奉行所に戻りますか」

「ええ、そうね」


 応為を抱きしめていた腕をほどき、最後に頭を一つなでると、その場から立ちあがった。


「そうだ。応為ちゃん」

「何でしょうか」


 忠春は医院の外に出ようとしていたが、足を止める。


「善次郎と幸せにね」

「ちょ、忠春様!」


 忠春の突然の言葉に、応為の頬は見る見るうちに赤くなり、両手で顔を覆う。

 その可愛らしい姿を見ると、忠春はニコッと笑う。


「政憲、行くわよ」


 政憲を連れて揚々と医院を出て行った。

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