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女奉行捕物帖  作者: 浅井
秋風秋葉原
32/158

豊国の真意

 奉行所に控えていた同心達の大半が捕り物に出たため、屋敷はいつも以上に静かだ。聞こえるのは外の風の音くらいだろう。


「北斎殿は昔っから頑固でした。そのくせ自由な人で私の憧れでもあったのです」


 静かに豊国は言う。


「私は豊春先生の元で絵を学んでおりました」

「豊春と言うと、歌川派の初代ですね」

「そうです。そこに勝川派の北斎殿は、よく歌川派の元に出入りをしていたのです」


 政憲の言葉に、豊国は懐かしげに言う。


「でも、他派で学ぶのはご法度のはずじゃ……」


 忠春が言う。明朝に忠愛が話していた事を覚えていたようだ。


「忠春殿の言う通りです。そのせいで北斎殿は勝川派を破門になりました」


 豊国の言葉に辺りの空気が凍りつくも、淡々と話は続いた。


「北斎殿が破門されて、同門の者は”馬鹿だ””愚かだ”なんて蔑んでいましたが、私は全くそうは思いませんでしたね」

「羨ましかったのですか」


 政憲がたずねる。


「”羨ましい”と言うよりもああいう風になりたかったんですね。門派やしがらみも関係ない。自由な人にね」


 豊国は遠くを見ながら言う。口調や顔を見る限り本心から言っているようだ。


「北斎殿とは会うたびに言い争いをしましたが、いわば愛情の裏返しかも知れませんね。敬愛というのでしょうか」

「なんとなくわかるような気がしますよ。私もそうですからね」


 忠愛は黙って頷きながら聞いていたが、唐突に言う。


「大事な者の前では正直になれない物なんですよね。はつなんか特にそうです」

「なんで私が出て来るのよ」


 忠春は即座に忠愛に突っ込む。その光景に豊国は乾いた笑いをする。


「しかし、私の不手際で北斎殿は死んでしまいました。こんな回想は不要ですね」


 やるせない表情で哀愁も漂っている。北斎が死んだことを本気で悲しんでいる。下手すればこの男は死ぬかもしれない。

 すると奥の部屋の襖が開いた。


「話は全て聞かせてもらったぜ」


 頬を少し赤らめ、北斎は少々恥ずかしそうにしながら奥の部屋から出てきた。


「北斎殿……! なぜここにいるのですか」

「詳しい話はお嬢ちゃんに聞きな。しかしお前も馬鹿な事をしたんだなあ」


 北斎は豊国の方を向く。豊国は何か言いたそうに必死に口を動かしているが言葉になっていない。


「ちょっと、アンタが出てきたら全部台無しじゃないの!」

「まあ、固いこと言うなってお嬢ちゃん。それに国貞よお、後世に名を残すなんて考えるんだったら、身を削って絵を描くことだな。俺だってまだまだだしな」


 全てをぶち壊しにされた忠春は、北斎の胸ぐらを掴みかかり怒りをぶつけるも、北斎はそれを意に介せずケラケラと笑いながら言う。


「善次郎の野郎は怒っちまうかもしれねえけど、豊重の件については不問にしといてやるよ。てめえらの問題はてめえらで片付けな」

「北斎さん、本当にそれでいいの?」


 忠春が問う。自分の命を狙われて、その身代わりに弟子が殺されかけた。本当にそれでいいのか。


「別にかまわねえよ。善次郎の野郎が四の五の言って来ても、俺が何とかしてやるさ」


 北斎が言う。


「北斎殿、本当に申し訳ないことをしました」

「俺はこうやってピンピンしてるんだ。それを言うなら、また今度、善次郎の所に行って詫びな」


 国貞が頭を畳に擦りつけて言うも、北斎は宥めるように返す。

 忠春はため息をついて言う。


「それならこの一件について、豊国さんの所罪は不問にして、豊重も叱責で済ませるわ。でも、二人とも数日はここにいてちょうだい。あなた達に危害が加わるかもしれないからね」

「そうですね。まだ豊重殿と水野忠之の一件があります」


 政憲も忠春の言葉にに同調する。下手人の


「という事よ。豊国さんと国貞さんも、当分はここにいなさい」


 豊国は頷き、国貞と共に奥の部屋へと下がって行った。


「それにしても、こんなにすんなりと解決するとは意外でしたね」

「ここまで順調だと嫌な予感しかしないわね」


 政憲の言葉に冗談めいて答える。


「はつ、縁起でも無いこと言うなよ。何事も穏便にすめば済むだけいいじゃないか」


 忠愛も呆れたように言う。


「冗談よ兄上。それと明日はどうするの?」

「贋作にしても歌川派の連中は白状したしな。豊重をどうするんだ?」

「予定が全部狂っちゃったからね。北斎殿も死に損みたいだし」


 忠春は考え込みながら奥の部屋を向く。すると奥の部屋から誰かの咳込む音がしてきた。


「忠春様、私に妙案がございます」


 政憲がニヤリと笑い言う。


「豊重殿一人を騙すのです。そうすれば彼から忠之について深く問いただせるかもしれません」


 忠春は素直に成る程と感じた。情報が無いのは豊重だけである。そう悪くない案にも思える。しかし、二本松の一件然り、追い込まれると何が起きるか分からない。怪訝そうな顔で答える。


「面白そうと言えば、面白そうではあるんだけど、そこまで追い込んだら何をしでかすか分からないわよ?」

「いやいや、忠春様。アイツに思い知らせて下さい」


 奥から豊国が出てきて言う。


「……ほんとにいいの?」

「よいのです。私は弟子を甘やかしていました。少しは灸を据えてやらねば」


 硬い表情のまま豊国が言う。鋭い目で凄まれては頷くしかない。


「豊国さんがそう言うならそれでいいわ。明日、ここにアイツを呼び出すわよ」

「承知いたしました」


 政憲が満面の笑みで答える。しかし、豊国の表情は硬いままだ。そこから察するに、豊国こういった作戦は好きでは無いらしい。この一本気というか、”正直さ”や”裏表の無さ”が彼の人気を支えているのかもしれない。その裏表の無さがこの事件を起こさせた点でもあるのだが。





「それにしても、捕り物部隊は遅くないか? 薬研堀なんてそう遠くないぞ」


 行燈の灯が大分低くなっているのを見て、忠愛が不思議そうに言う。捕り物組が出る前はほぼ新品だったロウソクも、一寸に満たない程の長さになっている。一刻程(約2時間)は経っているだろう。


「確かにそうね。送った隠密も帰ってこないし、何かあったのかしら……」


 忠春も腕を組み考え込む。全員で思案していると、門番の平梨が血相を変えて飛び込んできた。


「忠春様、捕り物に向かっていた者達が帰って来ました!」

「そうなの。それは良かったわ」


 忠春はホッと胸をなでおろす。しかし、平梨の顔は安心安全とは全く違った顔つきである。平梨の顔から血の気が引けている。


「……いつものふてぶてしいアンタの顔をしなさいよ。何かあったの?」

「その、それが……」


 平梨は廊下の方に視線をやった。


「も、申し訳ございません、忠春様……!」


 廊下から足を引きずった好慶らがやって来た。


「ちょっと、どうしたのよ! 何があったのよ!」

「船宿にいた忠之の仲間は全て捕らえたのですが、忠之はおりませんでした。しかし……」


 好慶が廊下に視線を移す。同心達に担がれて、袈裟状に斬られ傷を負った豊重の姿があった。


「ちょっと、なんでアンタがっ!」


 忠春は声を上げる。横にいた豊国も唖然としている。


「私にも分かりませんが、船宿の最上階にこの男が倒れておりました」

「こりゃ、間違いなく……」


 好慶の言葉に、思わず忠愛の口から悲鳴にも近い言葉が出る。男を見た忠春らは頭を抱える。


「忠之の仕業ね。先を行かれたわね」


 忠春は悔しそうに地面を叩く。


「それで、好慶の傷は何なのですか」

「捕らえた男達を、小伝馬町へと移送している最中に襲われたのです」


 好慶は肩の傷を押さえ、悔しそうに言う。


「”襲われた”って誰によ」

「暗がりでよく分からなかったのですが、かなり腕の立つ男でした。それに、赤い鞘に悪趣味な装飾を施した刀を指しておりました」


 好慶は拳を握りしめ、悔しげに言い放った。忠春らはまたしても頭を抱え込む。


「……本人ね。私たちも舐められたものね」


 好慶の言葉に忠春はため息をつく。好慶は男の正体が忠之という事を知り驚いた表情をとっている。


「それで、私どもの被害はどうでしたか?」

「幸いに死人と歩けないほどのけが人はいません。それよりも、この男の介抱をお願いします」

「政憲、医者を呼んで治療させなさい」


 そう言うと政憲は豊重を連れて、善次郎を治療した医院へと行った。


「好慶もご苦労だったわね。あなたも政憲と共に治療に行きなさい」

「大変申し訳ございませんでした。お心遣い感謝いたします」


 好慶も政憲の後を追い、奉行所から出て行った。


「それにしても、こうなるとはね……」

「水野忠之か、聞いたことのない名だが、相当な手練れなんだな」


 忠春もまったく聞いたことのない名の男だが、この一件で凄さを思い知った。色々と調べる必要があるようだ。


「そういえば、応為ちゃんが何か知ってるようだったわね。明日聞きに行きましょう」

「応為って言うと、北斎先生の娘の応為か?」


 応為という言葉に忠愛が目を輝かせる。


「そんなに有名なの?」

「そりゃ北斎先生の娘で、当代一の女流絵師だからな。相当数の好事家がいるぞ」


 忠愛が熱心に説明するも、忠春は興味なさそうにそっ気のない態度をとる。


「まあいいわ。今日は明日に備えて帰りましょう」


 忠春と忠愛は外桜田の屋敷へと戻って行った。

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