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女奉行捕物帖  作者: 浅井
秋風秋葉原
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喧嘩

 薄暗い暗幕の中、忠春は贋作についての話をした。


「なるほど、ここで売られていたのは私の絵では無いと」

「その通りよ。さっさと白状しなさいよ」

「いやいや、白状しろと言われてもわたしは何も知りません!」


 一通り話をしたものの、豊国の反応は意外な物だった。きっぱりと言う。


「いや、知らない訳ないでしょ? これを見なさいよ」


 忠春は懐から一枚の浮世絵を取り出して豊国につきつける。先ほどこの店で買った浮世絵だ。大見得を切る松本幸四郎の勇姿が見える。


「これは……」

「これでも言い逃れする気なの?」


 忠春はニヤリと微笑む。忠春の中では、これで贋作は解決したと思い込んでいた。そこから出た笑顔だろう。しかし、忠春の目論見ははずれた。

 豊国は驚いた顔をするも、手にした浮世絵を忠春につき返す。


「確かにこれは偽物。私の書いたものではありません。しかし私には全く身に覚えが無い」

「だったらこれはどう説明してくれるのよ?」


 豊国の手から浮世絵をサッと奪い取り再び突き付ける。


「知らない物は知らないぞ」

「……しらばっくれちゃって、今のうちに白状すれば、罪だって多少は軽くしてもいいのよ?」


 予想外の反応に忠春は平静を失った。この言葉が豊国に火をつける。


「いい加減にしてくれないか! こんな云われを受ける筋合いなど無いぞ!」

「いい加減にするのはあんたじゃないの? さっさと認めなさいよ! だったらこれはどういう風に説明するのよ?」


 忠春も黙ってはいなかった。だが豊国も負けてはいない。


「知らない物は知らんぞ! 私だってこの道で生きてきた男だ。それなりの誇りや矜持は持っている」

「そんな男の癖に隠し通そうなんていい根性じゃないの? こっちにだって……」


 忠春が何か言おうとするも忠愛が口をふさぐ。このまま言い合っても埒が明かない。


「わかりました。ここの所は引き下がりましょう。豊国殿、貴重なお時間をありがとうございました」

「……ああ。わざわざご足労ありがとう。だが知らない物は知りませんよ」


 政憲がそう言うと、乱れた髪を直し豊国は言い返した。言葉は柔らかいものに戻ったが口調は激しいままだ。怒りは収まっていないのだろう。

 忠春が顔を赤くしてモゴモゴと何か言っていた。





 奉行所への帰り道、忠春は終始ふくれていた。暗幕での一件がどうにもしこりとして残っている。


「ったく、豊国の野郎はどうなってるのよ」


 小石を蹴飛ばしながら言う。その小石が前方を歩いていた町人にぶつかりこっちを振り返るも、忠春の不機嫌な顔を見ると何も言わずに早々と逃げて行った。


「まあ落ち着いて下さい」

「落ち着いていられるかってのよ。なんなのよ豊国の態度は!」


 政憲がなだめるも、忠春の不機嫌さに拍車がかかる。


「あのまま押し問答をやっていても進展はありませんでした。作戦を練り直しましょう。あるいは……」


 政憲の言葉に忠春は多少冷静さを取り戻す。


「もしかすると、豊国殿は本当に知らないのかもしれませんよ」

「ちょ、それは本気で言ってるの?」

「ええ。本気です」


 政憲は言う。口調からして冗談ではないようだ。


「本当に知っているのであれば何かしらボロが出てもおかしくないでしょう。しかし豊国殿は”知らない”の一点張りです。本当に知らないという可能性もあり得ます。あくまでも可能性に過ぎませんが」

「それはそうかもしれないけど……」


 忠春は口ごもる。暗幕の中でああは言っていたが、豊国のあの態度を見るとその可能性も十分にありうると薄々と忠春は感じていた。結果的にはああなってしまったが。


「しかし、その前の豊重殿への話は見事でしたよ。まさかあの場面でああいうなんて思いもしませんでしたよ」

「確かにな。はつも頭が回るようになったんだな」


 後ろを歩いていた忠愛が口を挟む。


「失礼ね。私だってちゃんと考えてたわよ。奉行所に戻ったら文ちゃんを呼ぶわ」

「それが良策でしょうね」


 政憲は納得する。


「おいおい、その『文ちゃん』ってのは誰なんだよ」

「そうね。兄上は知らないのよね」


 瓦版で忠春の記事は読んでいても屋山文の存在は知らない。


「……そんな記者がいたんだな。江戸ってのは広いな」

「何しみじみとしてんのよ。さっさと戻るわよ」


 ぶつくさと文句を言いながら一行は暗闇を奉行所に向けて進んで行った。





 空は完全に暗くなり江戸に月が雲に隠れてたり出てきたりとしている。奉行所に戻ったのは夜であった。

 暗がりでよく分からないが、奉行所の門前に五、六名の人だかりが出来ていた。そのうちの半数はひざまずいている。

 明らかに不自然な光景に、忠春は抜刀の準備をしつつ声をかける。控える政憲も忠愛も同様であった。


「ちょっとアンタ達何やってんのよ」

「大岡忠春、遅かったわね」


 その声は透き通るように冷たい。どこかで聞いたことがある声だった。ちょうど雲の切れ目から月明かりが差す。


「長谷川宣冬、火盗改よ。よく遅くまで捜索ごくろうね」


 門前にいたのは長谷川宣冬と火盗改であろう数名であった。宣冬は腕を組み門の前に立っている。


「いやいや、ここで何やってるのよ」

「面白い物を見せてあげるわ」


 宣冬は横にいる男の背中を蹴る。両手両足を巻かれている為に何もできずに男は倒れこんだ。遠くでよく分からないが、その顔はどこかで見た顔だった。


「私たちが菊川英山に話を聞いていたらこいつらが襲って来てね。まあ腕は大したことは無かったわ」

「え、ええ?」


 忠春は思いっきり言い返してやろうとたくらむも、いきなりの話に大したことが言えなかった。

 火盗改も忠春らと同様に浮世絵師に話を聞きに行っていたようだ。


「縛り上げてから私たちの方でも、コイツらに話を”ちょっとだけ”聞かせてもらったわ。結局簡単に吐いちゃったんだけど少しは楽しめたわよね」

「ええ、わたしは少々物足りなく感じましたが」


 宣冬が、隣にいた佐嶋に微笑みながら語りかけと満面の笑みとなる。宣冬の顔が月明かりに照らされてなおさら印象的に見えた。


「そ、そうなの……」


 無邪気な微笑みなだけに恐ろしい。その無邪気さに忠春は言葉を失う。火盗改の話にはついていけない。

 忠春の反応を見て宣冬の機嫌は増してゆく。


「といっても奉行所に届け出ない訳にもいかないし、こいつらを届けに来たってわけ。まだ使い物にはなると思うから適当に話でも聞きなさい」

「そりゃわざわざ悪いな。奉行所まで御苦労さんだな」


 言葉を失っている忠春の変わり忠愛が返事をする。忠春の姿を見て宣冬は満足げな表情となった。


「それじゃまた会いましょう。義親様によろしく伝えときなさい」


 長い髪を揺らして宣冬達は去って行った。忠愛が麻縄でかなりきつく巻かれた男の顔を覗き込む。顔には無数の切り傷が生々しく残っている。


「こりゃすごいな……」


 昼間に昌平橋ですれ違った時は高級そうな羽織袴だったが、いまの姿は。ボロぞうきんを羽織っているようにしか見えない。血反吐や胃液などに塗れた衣装と、生活の汚れに塗れた雑巾なら、ボロ雑巾の方がよっぽど綺麗に見える。

 忠春も男に歩み寄り顔を覗き込む。


「これは酷いわね……」


 忠春が倒れた男の顔をよく見ると暗幕にいた男の一人だった。だが、その面影はほとんどない。目や頬は膨れ上がり唇から血を流している。忠春らは火盗改の取り調べの過酷さに苦笑するしかなかった。だが今はそれが問題では無い。

 男が生きているか頬を数回叩く。すると男は涙を流し、かすれた声で喋り出した。


「も、も、も、もうやめて、く、くだ、ください……」

「だったら全部吐きなさい。そうすれば座敷牢に入れてあげるわ」

「わ、わ、わか、わかり、わかりました、た。は、は、はなし、しま、ます」


 壊れたカラクリ人形のようにたどたどしく話し出す。自業自得ではあるのだが、ここまでボロボロにされた男達の哀れな姿に忠春は少々同情をする。


「……ったく、さっさと運ぶわよ。適当に人を呼んできなさい」


 忠春はため息をつくと、男らを奉行所の中へ担ぎ込んで行った。

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