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女奉行捕物帖  作者: 浅井
秋風秋葉原
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笑顔と誇り

「義親様、火盗改が絶対にお迎えにあがります。ですので、お待ち下さいね」


 宣冬は顔を赤らめながら言う。さながら愛の告白だ。義親は苦笑いをしている。

 言い終えて「ふぅ」と一息つくと、いつもの氷のよう冷たいな宣冬に戻った。


「佐嶋、行くわよ」

「承知いたしました」


 火盗改与力の佐嶋も返事をして宣冬・佐嶋両名はこの場を去っていく。小十郎・大五郎も後を追うように去って行った。

 場は静けさを取り戻す。する音と言えば数少ない道行く人々の話声に足音に、神田川のせせらぎの音くらいだ。

 忠春らは火盗改の方を向いているが、政憲は袖に両手を通し脇の木陰にたたずむ北斎に近づき話しかける。


「しかし、あなたが高名な北斎殿でしたか」

「ああ、俺が北斎だ」


 北斎は言う。


「あなたの様な御高名な方がこの様なさびれた位置で店を出されているのですか」

「俺は人混みが嫌いでな。本当だったらこんな所に来たかねえんだけどな」


 北斎は吐き捨てるように言う。


「しかし、同人とはいえこれだけの人が来ます。それに北斎殿程の知名度で有れば、結構な儲けになるのではないでしょうか」

「馬鹿言うんじゃねえあんた、俺は金の為には描かねえんだよ」


 北斎は怒鳴るように言う。

 突然の怒号に政憲は常に微笑んでいる様な顔を崩す。


「これは大変に申し訳ありませんでした。失礼を承知で聞きますが、それでもここに出られる理由は何なのでしょうか」

「昔の馴染みの頼みだからな。こればっかりは断れなくてな」

「して、その馴染みは誰かお聞かせ願えませんか?」

「そこまでをアンタに言う義理は無いさ」


 北斎の満面に微笑む。言葉は嫌らしい言葉なのだが、嫌味は全く感じられない。底抜けに正直な男なのだろう。


「確かに。ごもっともです」


 政憲もつられて微笑んでしまう。北斎はそんな政憲の顔をまじまじと見つめて言う。


「ほう、アンタの顔は絵になりそうだな。ちょっとそこの川辺に座ってろよ」

「どうなさるのですか?」


 政憲は聞く。


「さっきの話に答えない代わりにアンタの顔を描いてやるよ」

「それは大変光栄な話ですね。ぜひともお願いいたします」


 政憲は微笑んで答える。


「その笑顔じゃねえな。さっきの笑顔を頼むぜ」


 北斎は真面目に言う。


「ハハハ、北斎殿にはお見通しですか。本当に嬉しかったんですけどね」

「その笑顔だよ。もう少しだけ保っててくれよ」


 胸元から紙と筆を取り出し腰に提げた小さな水筒に筆を浸す。提げていたのは墨だったようだ。

 流れるような筆先で線を描いて行く。白い紙に次々と線が描きこまれる。政憲は画の知識はほぼ無いに等しいが、目の前で描かれているこの男は間違いなく本物なのだろうと感じていた。

 時間にして四ツ半刻も無かったはずだ。北斎は額にかいた汗を手で拭き政憲に話しかける。


「ふう、こりゃ面白い物が出来たな。今度着色したやつを持ってってやるよ」

「もう終わったのですか」

「まあ、下絵だったらこんなもんだな」


 北斎は何ともない表情で言うが、政憲は呆気に取られている。まさしく職人芸だ。

 政憲は疑問に思った事をぶつける。


「もう一つだけよろしいでしょうか」

「おう、なんだ?」

「先程金のためには描かないと仰られましたが、なぜ北斎殿は絵を描いているのですか?」


 北斎は政憲の問いを聞くと大笑いをして答えた。


「奉行所の頭のいい奴がそんなことも分かんねえのかよ。簡単だ。絵がとてつもなく好きで、楽しいから描いてるに決まってんじゃねえか。なら、あんたはなんで侍をやってんだ?」

「私は……」


 政憲は言葉に詰まる。そんな政憲を見かねた北斎は腕を組み答える。


「まあ、今じゃそんなもんだろ。また今度答えを聞かせてくれよ。それにさっきの笑顔を大事にしな」


 北斎は歯を剥いて微笑んだ。知らない人が見れば愛想のいい山猿のようだ。

 政憲はまたしてもつられて微笑む。





 そんなやりとりの横で、善次郎が義親の手にした紙に気がつく。


「義親殿、その手に持ってるのは浮世絵ですか」

「ええ、そうですよ。豊国の絵ですね」

「ちょっと見せてもらえませんか?」


 義親はそう言いながら善次郎に手渡す。

 善次郎はまじまじと浮世絵を眺める。


「義親殿、あなたにこういうのもアレなんですがこれは偽物ですね」

「ちょっと、それはどういう事なのよ」


 忠春も横から口を挟む。


「線が違いますね。豊国の線はもっと違う線を描いています。彫師が手を抜いただけかもしれませんがね」

「アンタもそう言うのね」


 忠春も義親も驚いた表情をする。


「『アンタ』もということは、別の人にも言われたのですか」

「はい、そうなんですよ」


 忠春と義親は木陰に居る老人の方を向く。


「さすがは北斎様だな。だったら私が言う事なんかありませんでしたね」


 善次郎は軽く笑う。

 そんなやりとりをしていると、木陰の方から北斎が善次郎を呼ぶ。


「おい英泉、店に戻るぞ」

「はい、北斎様」


 善次郎が返事をする。

 側にいた忠愛と国定が驚いた表情をする。


「……英泉? ということは、あなたが渓斎英泉先生ですか!」

「池田善次郎、またの名を渓斎英泉と申します」


 善次郎は照れながら自己紹介をする。


「なるほど、だから銭湯で火盗改の人たちに突っかかったんですね」

「そりゃ、北斎先生の絵をコケにしたんだ。ああなって当然です」


 義親は納得し、善次郎は胸を張りそう答える。


「何カッコつけてやがんだべらぼうめ、てめえはただ気が短いだけだろ。それで俺の所に流れ着いたんじゃねえか」


 北斎は呆れ顔で言う。


「何かあったんですか?」


 義親が聞く。


「話すと長くなりますよ?」


 善次郎は気どって不敵に微笑みながら言う。言っている本人は気持ち良いのかもしれないが、傍で聞いている側には非常に不愉快な気分にさせる。

 忠春も善次郎の話し方にイラっと来た。


「だったら別に聞きたくないわ。早く歌川派の所に行くわよ」

「いやいやいやいや、そこは聞きましょうって」


 善次郎は忠春の素っ気ない態度に拍子抜けする。


「いや、私たちは急いでいるの。あんたの長話につき合っている暇なんかは無いわ」

「お願いしますって、聞いて下さいって!」


 善次郎はよっぽど聞いてほしかったらしい。六尺以上ある大男が目に涙を浮かべ鼻をぐずりながら忠春の肩を掴み懇願する。

 忠春もそんな姿を見せつけられたら聞かざるを得ない。というよりか、とんでも無い馬鹿力でこの場から切り抜ける方策が無いだけなのだが。


「ったく、仕方無いわね…… わかったわよ、だからその手を離しなさい」

「本当ですか? それは十年ほど前の話でした……」


 善次郎は忠春の言葉を聞くと、すぐさま泣くのを止めて自らの半生を語りだした。

『南町奉行と火盗改』 前回の続きです。よく刑事ドラマで、所轄と本庁で揉めてるようなシーンがあると思います。この様な事例が奉行所と火盗改で実際にあったようです。事件の際にどっちが主導権を握るか。どっちにもメンツはあるからどっちも一歩も引けない。そんな様な対立がちらほらあったようですね。そういうシーンも捕物帖の醍醐味だと思うんですけどね。私にはそんな小説は書けません。

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