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女奉行捕物帖  作者: 浅井
秋風秋葉原
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顎と美人画と大男

「そうだ、忠春様。ちょっといいですか」

「急にどうしたのよ」


 屋敷を出て日本橋に差し掛かった時だった。義親がふと思い出したように忠春に話しかける。


「本日に備えて色々と調べていたのですが、面白い事がございましてね」

「義親が話を切り出すなんて珍しいわね、話してみなさいよ」


 ただ黙って歩くのも面白くない。忠春はそんな風に感じたのだろう。義親の言葉に興味を惹かれる。


「昨日、銭湯であった事なんですけどね……」





―――



 義親ら町奉行所の同心は基本的に八丁堀にある組屋敷に住んでいる。義親も例にもれずそうであった。風呂や水道設備は家には無く、井戸や銭湯を利用していた。

 それは、義親が風呂から上がり涼んでいた時のことだった。初老の二人組の同心が話をしていた。一人は背は低く小太り気味で、もう一人は背は高いがガリガリの男だった。その男たち二人も団扇を扇ぎ涼んでいる。


「小十郎氏、そう言えば、明日は同人草紙会ですな」

「おお大五郎氏、私は行きますよ。もちろん小十郎氏も行きますよね?」

「そりゃそうですよ大五郎氏。行かない訳が無いじゃないですか」


 どうやら明日の同人草紙会に行くようだ。近くで夜風に当たり涼んでいる義親の耳に自然と入る。

 


「それはそうと大五郎氏、今年の目玉は何といっても歌川豊国ですな」

「おお小十郎氏、やはりそう思っていると思ってましたよ」


 二人は形容しがたい笑みを浮かべる。


「やはり、浮世絵は美人画に限りますな」

「歌川派の美人画こそ至高で、葛飾派のような美人画ならぬ不細工画なんぞ考えられませんな」


 一人がそう言うともう一人は手をついて大笑いする。どうやら彼らは歌川派の浮世絵の好事家らしい。

 二人組に大柄な男が近寄る。近寄る男の額には青筋が浮かび上がっている。


「お前、今なんて言った」


 二人組は振り返らずヘラヘラと笑いながら話をしている。


「そりゃあ、歌川派の至高の美に比べれば、葛飾派の美人画なんぞは美人画などと呼ぶに相応しくないとの話をしてたのですよ」

「特に『なんとか英泉』とか言う絵師は酷いですな。あんなしゃくれた女が美人だなんて何を考えているのやらさっぱりですな。北斎の娘も相当なしゃくれているらしいから、そんな女と過ごしていると描く絵までしゃくれてくるんじゃないのですかな?」


「大五郎氏、やめて下され、面白すぎます」


 二人組は周りをはばからず大笑いをする。背後にいる大男は肩を震わしながら近づいてくる。


「なあ、あんたもそう思うよな?」


 背の高い男の方が振り返りながら、青筋を立てる男の肩を叩き話かける。

 すると大柄な男は、肩を叩き笑うガリガリの男のこめかみを掴み持ち上げた。額には青筋を立てている。


「もう一回言ってみろよ! ああ?」

「お、おい、や、や、やめろお」

「だ、大五郎氏! 大丈夫ですか」


 ガリガリが悲鳴にも似た声を上げて足をじたばたとさせる。ガリガリの蹴りが大男の胴体に何発か当たるがビクともしない。


「き、貴様! 俺たちは天下の火盗改の同心だぞ? 手を出したらどうなると思っている」


 小太りの男が精いっぱいの虚勢を張る。どうやら火付盗賊改方の同心のようだ。

 大抵の人間なら「火付盗賊改方」と聞けば、震えあがり頭を下げて平伏する所だろう。しかし、この大男には通用しなかった。


「んなことは俺は知らねえよ。てめえ、歯あ、食い縛れ」


 大男はニヤリと微笑み頭を離す。ガリガリの男はようやく解放されたと思い安堵した表情をする。だが大男は右拳を繰り出した。どうやら落ちて来る顔を殴る算段だ。落ちて来る所を殴った方が、普通に殴る以上に威力は伝わる。


「ちょっと、待って下さい!」


 そこに義親が飛び込み、大男の拳を受け止める。予想以上に拳の威力は強く、義親の態勢が少々崩れる。しかし、受け止めきれないほどのものでは無かった。


「おい、何をする!」


「まあまあ、落ち着いて下さいよ。そばで聞いていましたが、殴りたくなる気持ちも分かります。でも手を出しちゃだめですよ」


「うるさい! 黙れ!」


 大男は興奮して取りつく島が無い。すると、ガリガリの男が立ち上がり、義親に話しかける。


「そこの若いの、ご苦労だった。さあ、こいつをこちらに引き渡したまえ」

「そうだ、俺たち火盗改に逆らったんだ。厳正な処罰をしてやるよ」


 ガリガリと小太りがニヤニヤ笑いながら近づいてくる。


「あなた達は下がって居て下さい。話がややこしくなります」


 義親は二人組を止めようとする。


「そこのガキ、さっさと手を離せ! そこの二人をぶん殴ってやる!」


 二人組の態度が大男に火をつける。その言葉に二人組はひるむ。どうやら平和的な解決は望めそうにない。そう悟った義親の顔つきが変わった。


「あなたはちょっと黙ってて下さいよ」


 そう言うと義親は大男の拳を握りしめる。


「くっ、いてててて」


 大男はその場にうずくまる。


「さて、そこの二人組もお引き取り下さい。大体、大の大人が何をやってるんですか。あなたたちも言い過ぎです。それぞれの趣味や嗜好があるんだから、けなしちゃだめですよ」


 ため息をつきながら二人組をなだめようとする。だが、これは逆効果だったようだ。


「ああ? 天下の火盗改に失礼な口をききやがって。さっさと表に出ろ! 無礼討ちにしてやる」


 ガリガリの方が威勢よく義親に噛みついた。義親はまたため息をつく。


「せっかく助けたのに、なんでこうなるんだろうな…… 斬り合えば満足するのですか? だったら、いくらでもお相手しますよ」


 義親が表に出ると江戸湾は夕焼けで赤く染まっている。表は仕事を終えて長屋へと帰る武士が多数歩いている。そんな中、白昼堂々で刀を抜き見合う二人の周りに人だかりが出来るのには時間はかからなかった。

 義親は念を押す。無駄な争いだけは避けたい。

 

「ホントにいいんですか?」

「うるさいガキめ! さっさとかかって来い!」


 ガリガリは自信があるようだった。片手で刀を持ち、もう片手で義親を挑発する仕草をとっている。義親の願いは届かないようだ。


「はあ、わかりましたよ」


 義親はため息をつきながら斬りかかる。勝負は一瞬だった。


「っぶふあ」


 低い音がして、泡を吹きガリガリの男がその場に倒れこんだ。周りで歓声が起きる。


「もう、これで満足ですか? さっさと引き上げて下さいよ」


 義親は目を据えて睨み付ける。


「クソっ、お前の顔は覚えたからな。か、か、覚悟していろよ!」


 小太りはガリガリを引きずりながら人混みをかき分け逃げるように去って行った。


「ほら、見世物じゃないんですよ。早く帰って下さい」


 ため息をつきながら集まって来た野次馬達を引き上げさせる。そこに先程の大男がやって来た。





「そこの若侍殿、止めていただきありがとう」

「ったく、気をつけて下さいよ? わざわざ火盗改に手を出すなんて、正気の沙汰じゃないですよ。まあ、気持ちは分かりますけど」


 あそこまで趣味を馬鹿にされれば誰だって手を出すだろう。義親は大男に同情する。


「ほう、そなたも顎が好きなのですか。私と同じくいい趣味をしていますな」


 ニヤリと微笑みながら大男が義親を見つめる。


「いやいや、顎じゃないですよ。あなたのせいでこうなったんですよ? 何をふざけてるんですか!」


 義親が真剣に怒る。あの時止めていなければ間違いなく敲刑モノであろう。

 あまりの剣幕に大男は苦笑いをし、反省したような仕草をする。


「冗談が過ぎ申した。私は池田善次郎と申します。先程は止めていただきありがとうございました」

「善次郎さんですね。もう、ほんとに気をつけて下さいよ。そう言えば、善次郎さんも明日の草紙会に行かれるんですか?」

「ええ、行きますよ。ええと、あなたは……」


 善次郎が戸惑った様子になる。よくよく考えれば自己紹介がまだであった。


「小瀬義親と申します。私も草紙会に行きますよ」


「おお、お若いのに素晴らしい御趣味をされているのですな。もしよろしければ、私どもと共に行きませんか?」


 善次郎は嬉々とした表情で義親に話す。


「せっかくのお誘いなのですが、連れがございまして……」

「ほう、そうなのですか。それは仕方ありませんな。もし明日お会いした時は、是非お連れ様共々で話をしましょうぞ」


「ええ、その時はよろしくお願いいたします」


 義親はにっこりとほほ笑むとその場を去って行った。



―――

用語解説


『火付盗賊改方』 江戸時代の警察のようなもの。町奉行所とは別物。火盗改の捜査はかなり荒かったらしい。町奉行所と違って白洲裁きは出来ないが、ちょっとした刑罰なら独自に行えた。


『敲刑』 杖で叩かれる刑罰。五十回と百回の二種類ある。

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