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女奉行捕物帖  作者: 浅井
秋風秋葉原
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兄来る

 忠春が義時を屋敷に招き入れると、玄関先に忠移の姿があった。


「おお義時か。先程飛脚が来たぞ。忠愛がこっちに来るそうではないか」

「はい、その通りでございます」


 忠移は義時の言葉を聞くと宙を見上げる。


「あいつと会うのは忠春の正月以来になるのか。どうだ忠春、兄に会えてうれしいだろ」

「兄上とは半年以上ぶりに会う事になるので嬉しいですよ」


「ははは、そうか。お前は幼い頃から忠愛を慕っていたからな」

「まあ、よい兄上であることは確かです」


 忠春は、幼い頃より忠愛の事を慕っていた。慕うと言っても特別に恋愛感情があったと言う訳でもない。ただ一緒に過ごす時が非常に長かった。剣術の稽古も、読み書きの勉強も何もかもが一緒であった。明るい兄の存在は忠春にとっても大きい存在であった。


「ははは、そうか。それで、どうなんだ義時。忠愛は少しは成長しておるのか」

「はい、普段から粛々と職務をこなされております」


 忠移は話を聞くと顔をほころばせる。


「おお、そうか。それは重畳だ。今後も忠愛の補佐を頼むぞ」

「ははっ、承知いたしました」


 義時は深々と頭を下げる。すると、忠移はふと思い出したように言う。


「そうだ忠春。そう言えば、義親はどうなんだ」

「え? 義親?」


 突然の言葉に忠春は目を丸くする。


「何を驚いている。義時が義親の父親という事はお前も知っているだろう」

「いや、それくらいは知ってるわよ。なんで今義親の話になるのよ」


 忠春は焦ている。


「いやいや、義親の親父がいるんだからその話にもなるだろう。何を怒っているのだ」

「べ、別に怒ってなんて無いわよ」


 口ではそうは言っているが態度は違う。


「まさか、倅が何かしでかしましたか。もしそうであればすぐにでも国元へ戻らせますぞ」


 先程のしおらかな態度とは違う忠春の姿に義時は


「いや、別にそんな必要は無いわ。あいつは……」

「倅はどうなんでしょうか」

「いや……、まあ、ね。頑張ってくれてるとは思うわよ?」


 何故か質問口調になり顔を赤らめて答える。すると義親が奉行所から屋敷へと戻って来た。


「父上ではないですか! お久しぶりでございます。玄関先で何をなさっているのでしょうか」

「おお、義親か。元気そうで何よりだ。今、忠春様とお前の話をしておってな」


 義時がそう言うと、義親は忠春の顔を見つめる。忠春は、不意に現れた義親に見つめられて今にも顔から火が噴き出しそうになっている。


「まあ、そう言ってもでもまだまだね。一端の武士になるには程遠いわよ」

「そうですか。それでは至らない倅でしょうが、もっと鍛えてくだされ」

「ええ、それが主君の役目よ。私があいつをそこそこに武士にさせるわ」


 顔を赤らめながらそっぽを向く忠春を見ると、義時は笑いながら言う。


「ハハハ、それでは倅をよろしくお願いいたします。ほらっ、義親も頭を下げろ!」


 義時はそう言うと深々と頭を下げる。義時に頭を押さえられている義親も、釈然としない表情をしているが頭を下げた。


「さあ、お前たちもこんな所で話してないで上がってこい。積もる話もあるだろうしな」


 忠移がそう言うと全員は屋敷の中へと入って行った。





「それで、忠愛はいつここに来るのだ」

「はい、明日の明朝に西大平を立つとの話ですので、六日程後に来る予定でございます」


 義時と忠移の話を聞き、驚いた表情の義親が忠春に尋ねる。


「忠愛様が江戸に来られるのですか」

「ええ、兄上が来られるって話よ」


 よく分からないままに広間へ来た義親だったが、ようやくなぜ父親がここに居るのかを理解したようだった。


「なるほど、だから父上がいるんですね。忠愛様と会うのは国元に戻った時以来になります。私も楽しみですよ」

「そう言えば義親も一緒になって遊んでたわよね」

「そうですよ。また忠愛様の絵を見てみたいですね」

「そういえば、兄上は本当に絵が上手だったっけね」


 忠愛は昔から書画は得意であった。年が十四、五の頃になってからは市中に出かけては写生をする日々を送っていた。その姿は二人も目にしており、二人も忠愛の脇に来て一緒になって楽しんでいた。


「昔は色んな人から、末は狩野永徳か長谷川等伯だ、なんて言われてたわよね」

「今も絵は描かれているのですかね」

「それは知らないわ。前に会った時も全然話さなかったし」


 忠春と義親は天を仰ぎ考え込む。いくら考えても答えは出るはずもない。数十秒ほど唸っていたが考えるのを諦めた。


「まあ、会ってみるまでの楽しみとして残しておきましょうよ」

「確かに、それもそうですね」


 忠春はそう言うと部屋の方へ戻って行った。

 思えば兄がまともでなかったお陰で念願の武士となったのだ。そう考えると面と向かって話をするのは少々気まずい。久しぶりに仲の良い兄に会うのは楽しみなのだが、どういう顔をすればよいのであろうか。

 そうこう考えている内に忠春は眠りについた。





 翌日の江戸の天気は雲一つない快晴であった。これがいわゆる日本晴れなのだろう。落ち着いていた気温も上昇し夏日で、片付けかけていた夏物を箪笥の奥から引き出さなければいけない程であった。

 異様な暑さにより、殆どの屋敷の者は一刻程早く屋敷の広間へと集まっていた。


「今日は暑いわね」


 着物の胸元をひらひらとさせながら忠春がやってきた。


「忠春も早く起きたのか」

「この暑さじゃ眼も覚めるわよ。ああ、喉が渇いたわね」


 髪をかき上げながら忠春が屋敷の中庭にある井戸へと向かった時であった。


「おお、はつじゃないか! ずいぶんと成長したなあ!」


 塀の脇の茂みから男が飛び出して来た。余りの突然の出来事に忠春も驚かされて悲鳴を上げて尻もちをつく。


「どうした、何事か!」


 異変に気が付いた忠移や義時が中庭へと集まる。すると男は朗らかに微笑みながら大声で話し始めた。


「おお、父上! お久しぶりでございます」

「お、お前は忠愛じゃないか、なぜ今お前がいるんだ」


 茂みから出て来たのは忠愛であった。誰もが目を点にして驚いている。しかし、忠愛は屋敷の人々とは対照的に、忠春に似た端正な顔立ちを崩して高笑いをしている。


「そんな風に言うことないじゃないですか。最愛の息子が帰って来たんですよ? もうちょっと良い出迎えをして下さいよ」

「いやいや、義時の話では昨日、西大平を出発したのではないのか」


 義時の話では本日の明朝に西大平を出発していたはずであった。忠移の疑問は至極真っ当だ。

 庭に集まる3人の疑問をよそに、忠愛はケラケラと笑って答える。


「昨日、東海道を歩くのは面倒だと思ったので桑名まで行き、知り合いの船で江戸まで来ました」

「ふ、船だと?」


 忠移らは仰天している。まさか船で来るとは思いもよらなかった。


「だって十日近く歩くのは面倒でしょ。それに、歩きだと宿代も馬鹿にならないしね」


 忠愛は満面の笑みで答える。忠移も忠春も少々納得した面持ちになる。

 東海道を歩いて江戸に行くよりも海路の方がかかる時間は遥かに少ない。その分、道中でかかる旅籠代などの費用は少なくなる。忠愛の言っていることはあながちおかしな話ではない。

 しかし、義時は表情を変えずに叱責をする。


「確かにそうかもしれません。しかし、忠愛様の気まぐれに付き合わされる我々の身にもなって下され」

「まったく、相変わらず爺はうるさいなあ」

「そう言われても、これが私の役目なのです。お聞き下され」


 忠愛は下を向き面倒くさそうに答えるも、義時は一向に食い下がらない。それを見かねた忠移が助け船を出す。


「まあ良いではないか。だけど、あまり無茶だけはするなよ。お前は大岡家の跡取りなんだからな」

「それはわかってるって。それじゃ荷物を置いてくるよ」


 そう言うと忠愛は屋敷へ上がっていった。忠愛の姿を見送った義時は、ため息をつき忠移に平伏する。


「大変申し訳ございません忠移様。これは全て私の不手際でございます」

「気にするな義時。話では藩政はしっかりとやっているし、それならば、あいつを多めに見てやってくれ」

「そうよ爺。父上は少々甘いかも知れないけど、兄上は元気そうにやっているからよかったじゃないの」


 二人して平伏する義時を慰める。忠春は、兄と義時がこのようなやりとりを毎日のように繰り返していると考えると身震いがする。あの厳しい指導の反動によって、ああなったのかもしれない、そんな風に考えていた。


「忠移様に忠春様、誠にありがたきお言葉です。それでは拙者も失礼いたします」


 義時は言葉でそう言うも覇気は無い。赤坂の中屋敷へと戻る義時の背中は暗かった。


「それじゃ父上、兄上の所へ行ってきます」

「おい、ちょっと……」


 忠移の言葉は届かなかったようだ。忠春は忠愛の後を追い庭から去って行った。忠移が中庭に一人取り残される。

 そこに先程の騒ぎを聞きつけた、忠愛と忠春の母で、忠移の妻である大岡みつが通りかかった。


「なあみつよ」

「どうしたのですか」


 忠移の呼びかけにみつは足を止める。


「私は子供らに甘いのか?」


 少し低い声でみつに問いかける。どうやら忠春の『父上は少々甘い』という言葉に傷ついていたようだった。みつは顎に手をやり首をかしげる。


「自分の胸に手を当ててお考えください」


 みつは忠移を見据え、上品に微笑みその場を去って行った。忠移は庭に一人取り残される。数秒後ため息をつきブツブツと独り言を呟きながら自室へと戻って行った。





 忠春が部屋に着くと、忠愛は汚れた旅装束では無く紋付き袴に着替えていた。襖の柱に寄りかかり、背後から忠春が声をかける。


「兄上も元気そうにやってるのね」

「まあな。お前もどうなんだ? 話では大捕物を演じたなんて聞いているぞ」


 春に起きた話のことを言っているのだろう。どうやら文の書いた話が伝わっているようだ。忠春は少々苦笑いをしている。


「まあね、やっと落ち着いてきた感じよ。そう言えば兄上は何をなさりに江戸に?」

「俺も大岡家の次期当主だからな。幕府のお偉方と会いにね」


 そう言うと黒羽織を羽織る。忠春はよくよく考えればこんなきっちりとした服装の忠愛は見たことが無かった。

 忠春は物珍しそうに忠愛の全身をまじまじと見る。


「へえ、兄上も仕事をするんだ」


 忠春は少し意地悪く言う。


「おいおい酷い事言うな。俺だって仕事はするさ」


 忠愛は苦笑いをする。


「冗談よ。でもよかった」


 そう言うと忠春は背後から兄に抱きつく。いきなりの行動に忠愛は驚きを隠せない。


「おいおい、どうしたんだ」

「兄上が元気そうでね。向こうで爺に叱られっぱなしで凹んでるんだと思ってたんだけどさ」


 少々口は悪いが忠春なりに忠愛を気づかっているのだろう。


「ハハハ、爺も俺や家の為を思って言ってるんだ、別に凹むなんてことは無いさ。それに江戸にはこれがあるからな」


 忠愛はそう言うと忠春の手を振りほどき、荷袋から一枚のチラシを取り出す。


「へえ、兄上もこれに行くんだ」

「なんだ知ってたのか。はつもこれに興味があったんだな」

「いや、私はそうでもないわよ」

「なんだ、好きな男にでも誘われたか?」


 忠春の頭には国定の顔が浮かんだ。無意識のうちに首を大きく横に振る。


「それは絶対に無いわ。でも同人草紙って面白そうじゃない」

「ハハハ、はつらしいな。それなら一緒に行くか、義親でも連れてさ」


 突然の単語に過剰に反応をする。


「なんでそこに義親が出てくるのよ」


 忠春の態度に驚く。


「いやいや、昔から仲がよかったから言っただけだよ。何ムキになってるんだ」

「別にムキになんてなって無いわよ。だって今はあいつは関係ないじゃないの」


 顔を赤らめながら答える。心なしか大声にもなる。


「なんだなんだ? そんなに言うなら別に義親を誘わなくてもいいんだけどな」


 忠愛は意地悪く微笑みながら面白がって忠春をじらす。そうすると忠春は、心なしか焦ったような表情をする。


「まあ、兄上がそんなにって言うんだったら? 別に誘ってやってもいいんだけど」


 忠春は腕を組みそっぽを向き答えた。よく見ると顔には動揺が浮かび、額には冷や汗が浮いるように見える。


「いや、俺はどっちでもいいよ。その口ぶりだと誘わない方がいいのか?」


 忠愛の口元はいやらしく歪んでいる。忠春はそんな姿をを横目で確認すると、意地を張り続ける。そのまま十秒ほど無言の時が過ぎたが、忠春の意地は長くは続かなかったようだ。忠愛の手を握り、捨てられた子イヌが私を拾ってくれとせがむかの如く潤んだ瞳で忠愛をじっと見つめる。

 そんな姿でせがまれては否が応でも忠春の期待に応えるほかない。


「……素直になれよな。俺は義親にきてほしーなー。どうだ忠春。お前はどうなんだ?」


 忠愛がそう言うと、腕を組みそっぽを向いて答える。


「まあ、兄上がそう言うんだったら仕方無いわね。その日は義親にも来てもらうことにするわ」

「……ったく、面倒な妹だな」


 忠愛はボソッとつぶやいたのだが、忠春に聞こえていたようだった。忠愛の頭を叩く。


「面倒って何よ、失礼ね」

「いててて。いや俺だって嬉しいよ、お前がそうやっていろんな経験をしているってのはさ」


 忠春は含みのある言い方に喰いつく。


「私はそういう言い方が一番嫌いなの。それで『いろんな経験』って何よ」

「そりゃ南町の奉行になった事とかだよ、当たり前じゃないか、それにな……」


 忠春の追及を適当にはぐらかす。


「それにって何よ」

「はつは自慢の妹で、俺の誇りだよ」


 叩かれた頭を押さえながら忠愛は忠春に向かってニコッとほほ笑む。そして忠春の頭をなでた。不意の出来事に忠春は何も言い返せず素直になる。


「……ありがとう。それじゃ、兄上も仕事頑張ってね」

「おう、ありがとうな。忠春も仕事を立派にこなせよ」


 忠愛は微笑みながらそう言うと屋敷を颯爽と出て行った。

解説


『船旅について』 当時は海運も盛んでした。桑名もそこそこ大きい港だったので、波止場はきっとあったはず。ちなみに早い船だと2~3日もかからないで大阪―江戸を航海しきったとか。

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