発破
作戦内容は簡単なものだ。
そもそも御城へと通じる隧道は、桜田門から虎ノ門、神谷町、高輪台となど大動脈である東海道付近を沿うように南へと延びていくもの、大手門から日本橋方面を網目状に走り、大川を越えてさらに北東の水戸街道第一の宿場・千住方面へ延びるもの、北の丸から水道橋・飯田橋と北へ延び、最後は小石川や王子の飛鳥山付近まで至るもの、半蔵門・麹町・四谷・内藤新宿と甲州街道に沿って西方に延びるものの4本のみで、起点となっている地点は江戸城本丸御殿のどこからしい。
どれだけ街道を沿って市中へ枝分かれしていようが、御城への侵入経路は4つしかない以上、猫目一家が正面突破を図らない限りは東西南北に走る隧道のうち、いずれかの道を通ることになる。
つまり、御城への侵入を防ぐためには本丸付近の起点となる付近を張っていればよく、両奉行所並びに火盗改で人数を分担して守ればいいということになる。実際、南北奉行所と火盗改による詮議は簡単にケリがついた。城中で捕り物を行うわけにもいかないので、起点となる地点付近を閉塞して、面食らって引き返してくる猫目一家を城外にてひっ捕らえるというものだった。
それぞれの分担は、北町奉行所が飛鳥山方面の隧道、火盗改が千住方面の隧道、南町奉行所が高輪方面の隧道を担当し、3者合同の班が内藤新宿方面の隧道を担当することとなっている。
「まぁ、無難なところよね。これもアンタのところの長官様が地図を提供してくれたおかげよ」
冬の訪れを感じさせる寒風が隙間から部屋へと入ってくる。脇息にもたれながら火鉢に当たっている南町奉行・大岡忠春は、腕の鳥肌をさすりながら言った。
南町奉行所ではなく、3者合同班を率いる忠春は、半蔵門から出てすぐ前に広がる麹町隼町の宿屋に根城を作った。
辺りを地上から調べるとこの宿の地下にちょうど隧道が走っているらしく、仕掛けた鳴子が動作するとすぐに現場へと直行できるという手筈になっていた。詳しいことは聞いていないが、ほかの班も同様の手法で行うと詮議の上ではそうなっていたので、きっとそうなっているのだろう。
「事件は解決しておりませぬゆえ、気を抜いている暇はございません」
忠春の側に従っているのは火盗改内与力の佐嶋忠介である。外に目を配りながら聞き流すようにそう言い返た。
隧道は木や土壁で塞いでおり、壊そうとすればするほど音が鳴る。ここを通るのであれば、壊そうとしたところで狭い空間ではどうすることもできないだろうし、忠春らはすぐに駆け付けられる場所にいる。
だからこそ忠春は決して気を抜いているわけではなかった。とはいえ、隧道の警備は万全を期しているという自負もある。
「別に気なんて抜いていないわ。そういえば、猫目一家について詳しく聞いていなかったんだけど、どういう連中が率いてるの?」
御庭番の子女子弟が関わっているという話は聞いた通りだし、3者で行われた詮議は政慶や義親に大部分を任せている。対策や作戦についての報告は受けていたが、猫目一家そのものに関する詳しいことはよく知らなかった。
「今の頭目は小次郎……いや、斑の寅次郎。私の一つ下の実弟です」
「因果なものね。理由は前に話した通りなんだろうけど、彼がアンタの諫言まで無視して上様の命にこだわる理由は何?」
「私はたまたまその場に居合わせなかったのですが、弟は父と母が刺された瞬間を目の前で見ています」
そのような話を聞いてしまった以上、忠春は黙るほかない。赤く燃える炭が少しばかり弾けた。
「頭は私のほうが切れましたが、弟のほうが武芸の腕は立っていて負けん気も強かった。それに、元服を翌週に控えておりましたし、烏帽子親となる者が刺したというのだから、だからこそ、という思いが強かったのでしょう」
佐嶋は諦めて足抜けして今があるが、本当は自身も居た堪れないだろうし、こんなことはしたくもないのだろう。
共に肉親を失い、共に死線を潜り、共に江戸を生きた実弟や同胞を自らの手で捕らえるなど、あまりに辛すぎる選択だ。窓から漏れる提灯の明りで、彼女の頬が煌めいたような気がした。
「……それで、今は何人ぐらいなの?」
「詳しくは分かりませんが、私が抜けた頃に居たのは10名弱でしょうか。いずれも私と同様に幼いころから御庭番の訓練を受けてきた子らです。足取りを追っていても人数が増えた形跡はないので、固まった人数でやっているのでしょう。何分、人に明かせるような目的ではないゆえ」
忠春は目を丸くした。そんな少人数で、よくもまぁやってきたと思わざるを得なかった。
もちろん、それには佐嶋の手腕もあったはずだし、誰も知らない地下隧道を使ったということもある。しかし、南北奉行所および火盗改が数年掛かりで総力を結集しながらも、その糸口すら掴めなかったことは、情けないの一言に尽きた。
結局、その糸口だって元頭目の協力が必要だったわけだし、悪く考えれば幕府は無策に終わったわけだ。色々と反省をしなければならないだろう。
「そういった経緯も全て知りながら宣冬様は私のことを受け入れてくださった。それに、偽りの戸籍まで用意をし、子がいなかった家人の養子にまでして下さった。宣冬様への御恩は未来永劫語り継ぐほかありません」
浮世絵の一件で強い主従関係にあるということは分かったが、こういった話があるのであれば当然だろうと、忠春も感じざるを得ない。
もちろん御庭番の子女で、奉行所らからの追撃を逃れて義賊・猫の目として一世を風靡するだけの才覚もあるのは事実だが、謂わば毒にもなりかねない人物を家中に組み込むのには、本当の意味で覚悟がいるのだろう。
そういった行動の一つ一つを知れば知るほど、忠春の中で長谷川宣冬という人物に対して、一種の憧れが芽生えてくるような気もした。火鉢に細く息を吐きながら、こぼれる様に言った。
「本当はこんな話をしたくはないんだけど、アンタを見てるとアイツが羨ましく思えるわ。分かってたけど、大したヤツなのね」
南町奉行所の面子に不満を持ち合わせてなどいないが、これほどまでに強く主君を思える家臣を抱え、危険を冒してまで自身の信念を貫くことはそう容易いことじゃないだろう。
自分だってそうだ、そう思ってはきたが、いざ様々な話を聞かされると、その決意はどうしても揺らいでしまうような気がする。
そんなものは勘違いであり、深く考えること自体に意味などないことも分かっていても、忠春は雲に隠れて星の見えない果てしなく黒い夜空が、やけに身に染みてしまう。
「大岡様が気落ちするような話ではございません。確かに宣冬様は素晴らしいお方ですが……他言無用でお願いたいのですが、宣冬様は時々『ヤツにだけは負けてはいられん』とも漏らされています」
「慰めないでいいのよ……でも、ほんとなの?」
「もちろんです。逆に、私が大岡様を励ましたところで何になるのですか? 色々な思惑が絡んでいるにせよ、同じように市中を守る役職に歳の同じ者がいるというだけでも心強いのでしょう。私であればそう思いますよ」
佐嶋の物言いには若干引っかかったが、悪い気はしない。少なくとも夜空に心情を重ねるような傷心さからは離れることができただろう。
忠春が何も言わずに佐嶋へと笑いかけようとした、その時である。
「大岡様っ、佐嶋様っ、鳴子の音です。連中が下を通りましたっ!」
ふすまが勢いよく開き放たれ、階段を駆け上ってきた同心がそう言う。
「……いよいよね。覚悟はいい?」
「聞くに及びません。行きましょう」
そういうと、二人は立ち上がり、宿屋の階段を駆け下りていった。
〇
地下隧道内には無数の足跡が御城へ向けて延びている。閉塞した際に足跡は残していない。間違いなく猫目一家のものだろう。
腰を落としながらの駆け足は足腰に響きそうだったが、大捕物が控えている。そんなことは気になどしていられなかった。
そして、ほんの数十歩ほど進んだ先、忠春は猫目一家の背中を捉えた。
「南北町奉行所に火盗改よ。アンタたちの悪事はお見通しよ」
「やはり、付け狙われていたか。くそがっ」
整った顔立ちをする俊敏そうな男はそういった。目元は佐嶋にどことなく似ている。きっとこの男が実弟・斑の寅次郎であろう。
「小次郎! それに猫目一家っ! 貴様らは終わりだ。神妙に縄につけ!」
佐嶋も忠春に次いで凛と言い放った。
すぐさま寅次郎を筆頭に、その配下8名の目の色が変わった。
元頭目の声を忘れているはずもない。漏れるように鼻をすする音も聞こえてくる。
「さと姉……いや、公儀の狗め。もはやお前たちに俺らを止めることはできない! やるぞ、火打石を準備しろっ!」
「無駄な抵抗はやめろっ! さぁ、はやく得物を捨てて……」
「大岡様っ、皆の者伏せよっ!」
忠春は十手を構えながら、ゆっくりと寅次郎らのもとに歩み寄ろうとする。
だが、寅次郎は頬に汗を垂らしながら嘲笑うように微笑んだまま動こうとしない。すると、彼の背後で弾けるような音がした。
カチっと弾けるような音が鳴った数秒後、隧道の隅から隅まで響き渡るような大爆音が轟き、感じたことのない大風圧が忠春らを襲った。佐嶋が放った咄嗟の一言で、特段のけが等は無かったし、近くに隧道用の通気孔があったからかもしれないが、硝煙が晴れるまでに大した時間はかからなかった。
だが、隧道を閉塞していた障害物はものの見事に敗れ去り、猫目一家は発破と同時に御城へ突き進んでいったらしい。その背中は遠く、ほとんど見えなくなっている。
「……くそっ、火薬はこのために集めていたのか。壁を火薬筒で発破されたようです。急いで追いましょう!」
「勿論よ。さぁ、早く追うのよっ!」
勢いよく号令をかけたが、猫目一家との徒競走になったら勝ち目は到底無い。地下の騒ぎに地上を守る御城の警備兵も気が付くだろうが、隧道と城内の構造を知り尽くしている猫目一家の方に分があることだろう。
となると、上様の命は……
そんな一念がよぎってしまうほどに、事態は切迫していた。だが、それでも忠春らは追いつくために、どこか湿っぽい地下隧道を必死になって走り抜けるしかほかなかった。