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女奉行捕物帖  作者: 浅井
挿話・野良猫たちの空っ風
156/158

猫の目が向く先

「わざわざ僻地の本所まで町奉行自ら来られるとは珍しい。この度はどういったご用件で?」


 忠春が通された部屋の先には、三つ指を立てて恭しく平伏する火盗改長官・長谷川平蔵宣冬の嫌味顔があった。

 彼女の執務室は火鉢と書棚と書机以外には物らしいものは置かれておらず、書机の端に見慣れない薄い桃色の花が一輪だけ挿されているだけである。いろどりの無い宣冬らしい寒々しさがあった。


「猫目一家の件だけど、アンタたちは知っていたんでしょ?」


 忠春のぶっきらぼうな物言いに宣冬は微笑した。


「ああ。しかしこちらも空振り続きだ。わざわざ協力を仰ぐ必要はないと思っていたからな」

「へえ、言ってくれるじゃない」

「つまらん面子に拘って足を引っ張りあう文官どもと馴れ合う気はない。貴様らが御城で繰り広げる政争は見るだけで辟易とするし、歴代の町奉行は如何に大目付となるのかを考えるだけの凡愚しかいない。そして、それを取り仕切る老中やその他は、幕府の利益を垂れ流し続ける弁の壊れた雪隠だ。クソほどの役にも立たない」


 彼女のすがすがしいほどに堂々とした物言いに、余裕をかましていた忠春も黙り込むほかなかった。


「貴様にはそれだけの覚悟があるのか? 私が信頼足りうるのは、命を賭して現場で戦う志士のみ。それだけだ」


 歯に衣着せぬ物言いはどうかと思う点が多々あるが、特段おかしな話ではない。火盗改や幕閣として奉公に励む祖父・父や姿を見て悟った話であるんだろうし、忠春自身よりも長く現場で戦い抜いてきたからこそ見える景色もあるのだろう。

 それに加えて、仕事量や幅に差異があるとはいえ、南北奉行所は月替わりで問題ごとに当たっているので負担は半分といえるかもしれない。

 しかし、宣冬率いる火付盗賊改方は一つしかない。南北奉行所がかりでもどうしようもなかった猫目一家の行跡に対して、一人で立ち向かっている。今の物言いはこれからも南北奉行所の応援は必要ないと言っているようなものだ。

 火のような言葉を涼しげに放つ宣冬を見て、呆れを通り越したからか忠春に笑いが生まれた。


「ほんと、変わってるのね。それでも、私はアンタたちと組むほかない。月番の変りも近いし、長引かせるわけにもいかないからね」


 忠春は声を上げてひと笑いすると、足を組みなおして三つ指を立てた。


「……何のつもりだ」

「面子とかそんなつまらない話はどうでもいい。色々な物を背負ってるんだろうけど、本音のところじゃ、私は城での政争なんてものにはもっと興味がない。この一件だって市中じゃいろいろと言われてるけど、義賊だろうがなんだろうが、盗みは盗みよ。だからこそ、私は解決しなきゃいけない。そう思うの」


 火盗改と江戸町奉行。役職を比較すれば江戸町奉行の方がはるかに格上の存在だ。

 しかし、そんなことは忠春には関係がなかった。

 年番方として活躍すると同時に、自身の目付け役でもある筒井政慶にも色々と言われて火が付いたという部分もある。彼が抱えている思惑対しても、同意する部分は大いにあった。

 だが、それ以上に市中に蔓延る不平や不満を解決する先祖の姿に強い敬意と共感を覚えていたし、大いなる力には大いなる責任が伴うという厳しさがあれど、その絶好の機会を貰ったからには存分に腕を振るう覚悟は持ち合わせていた。

 現状、猫目一家はどこにでも盗みに出られ、尚且つどこにでも逃げられる状況にある。

 そういった最悪の状況を打破するには、もはやそうするほか無かったし、そうしたいとも忠春は思っていた。


「……お願い。私たちに協力していただけませんか」


 枯れるような声で忠春は頭を下げた。

 平静を保っていた宣冬だったが、軽く息を吐くと、苦笑しながら忠春の方にてをやった。


「戻ってくれ。そこまでされたらこっちの調子が狂う……貴様の覚悟のほどは伝わった。いいだろう。協力してやる」


 物言いは実に横柄だったが、宣冬のほうが忠春に向けて平伏をする。


「恩に着るわ。それで、今後の話なんだけど……」

「その話をする前に、見てもらいたいものがある」


 そういうと、宣冬は懐から一通の書状を忠春に差し出した。

 差し出したのは絵図だった。中央にあるのが千代田の御城であることは分かるし、新宿から千住にいたるまでの市中の町割りが描かれていた。しかし、ただの江戸絵図ではないのだろう。

 町割りが描かれた黒線の上には、体内を走る血管のように、朱色の線が幾本も引かれている。


「……何なのよこれ。上水の地図とかか何か?」

「近いが違う。連中が盗みに使っている隧道の絵図だ。若干改良はされているだろうが、概ねこの通りだろう。合戦などの緊急事態が起きたことを想定して、大御所様の時代に地下隧道を掘削してこられていたらしい。まぁ、そのようなことが起こりえぬ今、知るものは日の本でも指先で摘まむほどだろうよ」


 平然と言ってのける宣冬に、忠春は混乱せざるを得なかった。


「ちょ、なんでこんなのを持ってるのよ!」

「気持ちはわかるがまずは落ち着け。ちょっと待ってろ。事情を説明する。佐嶋っ! ちょっと出てこい!」


 すぐさま忠春はつっかかるが、宣冬に適当にいなされた。そして彼女はすぐに立ち上がると、大声で常につき従っていた佐嶋を呼び出した。





 呼び出された火盗改与力・佐嶋忠介は、宣冬に負けず劣らず冷めた空気を纏いながら黙って平伏していた。

 宣冬は煙管を取り出すと火をつけ、天井に向けて煙をひと吹きした。


「早い話が佐嶋は猫目一家の元頭目。訳あって火盗改の元で与力となった。これでいいか」


 忠春には宣冬が放つ言葉の意味が分からない。


「……いや、そんなんで納得できないでしょ。それとこの地図がどう繋がるのよ」


 いらだちを隠せず身を乗り出す忠春に、宣冬は再度煙管を吸ってみせた。


「佐嶋の親は御庭番。だが、御庭番内の派閥争いによって両親を失った。事の由来はそこにある」


 御庭番は8代将軍徳川吉宗によって創設された、市中や地方の諜報を司る役人で、主に紀州出身の吉宗直属の武家がその任に当たっていた。

 ほかの役職同様、世襲によって引き継がれていくが、訳あって途中で人員を増やした時期もあったというし、逆に減っていたこともあったという。その例に佐嶋の両親が含まれているのかもしれない。


「御城には讒言の類は溢れているからな。それなりに功績があって周りに慕われていたという両親は同僚に恨まれたのかもしれないし、それが気に入らない上役の勘気に触れたのかもしれない。仔細は私も知らないが、その一件があった後の旗本武鑑を見ると、ヤツの家が消されているから理由は定かではないが事実ではあるんだろう」


 当然、有能であれば将軍とも近い存在の御庭番は重宝がられるし、旗本としても美味しい思いをそれなりにするだろう。

 だが、逆に言えば将軍の周囲にいる幕府閣僚の面々からは煙たい存在ともいえる。御庭番は江戸市中から遠国の諸大名の世情にも通じているので、幕閣からすれば自身の懐を突かれる後ろめたい話を抱えていたら、それを将軍に報告されることで自分の立身出世が滞る可能性だって大いにある。

 無論、そんなやましい話を抱えなければいいだけの話だが、それなりに偉くなるにはそういった類の話から逃れられないのも事実だろう。上手に付き合わなければならない相手であることには違いない。

 佐嶋の両親らが粛清された理由がそういった理由であるとは限らないが、老中首座の水野忠成など現在の幕府閣僚らを見ていると、有能な御庭番一派が消されたのは、そういった理由だったとしても何の不思議はない。


「理由はどうあれ、まぁ、ヤツの親は時代に見合わない硬骨の士だったのは間違いない。親と仲の良かった御庭番も同じように粛清されたらしいが、御庭番にもなるような御家人がむざむざ死ぬわけもない。様々なツテや機密だった件の地下隧道を用いて子だけを逃したらしい。そして、その生き残りの子らが猫目一家を創設した」


 事実、頭を下げる彼女はこうして忠春の目の前にいる。仔細は分からないが、御庭番の追撃を躱しながら逃げたのだ。佐嶋らもそれなりに鍛えられており、能力もあったのだろう。

 それなりに腕っぷしを持ち、江戸にぽんと放り出された子女十数名が行うことは一つしかない。


「……やっと理解できた。それからは、文字通り生き残るために、遺された地図を使って蔵を荒らしたのね」


 まともな伝手の無い孤児が生き延びるには盗むしかないだろう。御庭番は御庭番同士の絆が強いとも聞く。地図を利用しながら商家の家に盗みに入るのは道理と言えた。


「そういうことだ。昔は〝猫の目〟と言っていたらしく、父上やその他役人は難儀していたという。まったく、困った話だよ」

「その、申し訳ございませぬ。しかし、我々にも誇りがあり、掟を定めました。盗むのはあくどい商家のみで、必要以上の成果が上がれば恵まれぬ者らに配るというもの。身寄りの無いことほど、辛いことはございませぬゆえ」


 盗みとは言えども、正しい道を歩みたくとも歩めず、痛みを知ってしまったからこそ定めることの出来た掟なのだろう。その点に関しては忠春も殊勝に思えた。


「もっとも、そのようなことは私には関係のない過ぎた話だ。だが、盗賊としての活動を続けていく中で、連中も一枚岩ではなかったらしい」

「それなりに腕を磨いて金を稼いだから、昔の精神を忘れたとか?」


 元より力を持ち、貧しいものに撒いたとは言えども、懐に残らないものが全くないともいう話でもないのだろう。盗人とはそういうものだ。実際、忠春が裁いてきた盗人の類は口では達者なことを言うが、フタを開けてみたら博打だの遊郭だのと、火遊びの形跡がしっかりと残っている。

 どれだけ高い志を掲げようが、天道を浴びることの出来ない日陰にいる以上、全員が全員真っすぐになど育たない。そうやって組織は歪んでいくことは、よく理解できていた。


「察しが良くて助かるよ。当たり前だが、連中は幕府の命で両親や見知った者を失った。幕府を恨む心に火が付いたのだろう。どうやら連中は復讐を考えた」

「彼らが言っていたように、大義は我々にあります。しかし、そうしたところで何になる。自らを犠牲にしてまで逃して生き永うように祈った両親に対する答えは、これではないと思いました。しかし、私の声は届かなかったようです」


 それも仕方がないのかもしれないと忠春は感じた。肉親を殺されているのだ。それに犯人も誰なのか知っている。親は色々な思いを込めて子らを逃したにせよ、残された子からすれば今がすべてなのだ。

 さらに、彼らは盗みで自らの腕を磨き、隧道を駆使した戦略にも精通している。そうなったら復讐に走るというのも、一つの道理であろう。


「結果、佐嶋は組織の中に居場所を失った。それでも、彼らを思いとどまらせようと地図を持って足抜けした。とはいっても猫の目を騙れないコイツはただの無宿人。御庭番にも追われ、猫目一家にも追われ、身寄りの無かったコイツを私が縁あって引き受けたということだ」

「長谷川様は私の経歴を買ってくださり、戸籍を用意し、子のいなかった火盗改の与力の養子にまでしてくださいました。だからこそ、この一件は私の命に変えても終わらせねばなりませぬ」


 吸っていた煙管が空になったらしい。宣冬は煙管を火鉢に叩きつけて灰を落とした。表情一つ変えない彼女だが、火に当てられたからか、内なる部分が火照っているようにも見えた。

 相槌は打ちつつも黙って話を聞いていた忠春だったが、これまでは宣冬について生意気な年の近い女武士程度にしか思っていなかったが、それなりに深慮のある能吏なのかもしれないと思えてきた。

 そこでふと、ある事実に気が付いた。


「……ちょっと待って。え、なに、アンタのそれって罪人なの?」

「うるさいやつだ。だったらなんだって言うんだ」


 煙管の火皿を楊枝で磨きながら視線を寄こさないまま、そう平然と言ってのける彼女に呆れつつも、忠春は詰めるように言った。


「いやいや、一応、っていうかアンタは罪人を捕らえる火盗改の長官なんでしょ。理由はどうあれ幕府に追われている佐嶋を匿ったら……」

「言ったはずだ。これが私の覚悟だ。江戸の市中を守るためには何でも使う。それだけの話よ」


 宣冬ははっきりと言い切った。得意げににこりともしない超然とした姿を見る限り、これが偽りない本心なのだろう。忠春は苦笑せざるを得ない。


「……この話を聞いてしまった以上、口外すればアンタと同罪ってわけね。気にくわないやり方だけどまぁいいわ。それで、気になることがあるんだけど」


 もはや宣冬に何を言ってもまともな会話にならないことは明白だった。

 それに、猫目一家について、気になる話は山ほどある。忠春は佐嶋に問うた。


「佐嶋さん、今と昔では目指す方向性が違ってるって言ってたわよね。連中の目的は何なの?」

「名前を変えて今も義賊ぶって盗みを繰り返しておりますが、奪った金は武器等の購入に充てられています。金品を市中にばらまいている形跡はありません」


 思いがけない話に忠春は目を細める。話に暗雲が立ち込めてきたのが痛いほどに分かった。


「え、なに、どういうこと。今も金目の物を配ってるんじゃないの?」

「もはやそういう段階は過ぎたのだろうな。だからこそ盗みはこの数週起きていないと考えるのが妥当だ。それに、連中が市中内外で買い漁っているのは火薬からご禁制の火器まで様々らしい。佐嶋、話してやれ」


 宣冬が煙管を懐にしまい込むと、佐嶋は宣冬と同じようにはっきりと言った。


「復讐の矛先は上様の首。つまりは将軍暗殺でしょう」


 はっきりとした二人の言葉に、忠春は言葉を失わざるを得ない。

 ただの義賊気取りの盗みが、将軍暗殺という超非常事態に繋がっているなど予想だにしていなかった。

 目の前で嫌味っぽく微笑む宣冬は、互いに嫌いあっていたとはいえども協力すれば解決できたかもしれない奉行所を軟弱な文官どもと蔑み、将軍暗殺という幕府開闢以来の大事件を火盗改だけで抱え、さらにその陣頭指揮に御庭番に追われているであろう罪人を用いている。

 その豪胆なのか、完璧なる無謀というのかよくわからないその姿勢に忠春は眉間を寄せるも、絶え絶えになりながらゆっくりと話す。


「いや、いやいや、ちょ、そんな大事な話を誰にも言わずに……ったく、アンタの糞度胸はよくわかったからその件はまぁいいわ。んで、対策を打たなきゃね」


 忠春の背中には気持ちの悪い冷や汗が伝い、口を開こうとしたらため息しか漏れないが、少なくともこれ以上ない強力な協力者が現れたことは奉行所にとって喜ばしいことに違いはない。

 すぐさま南町奉行所から義親ら人員を本所に呼び寄せ、猫目一家掃討の算段へと入っていった。

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