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女奉行捕物帖  作者: 浅井
挿話・野良猫たちの空っ風
155/158

甲州街道を東へ往く

「……そういうことね。そっちの件は別にしょうがないわ。続けて監視するしかないでしょう」


 ちょうど翌日の話だ。

 伊藤忠景と小田国定の両名は、内藤新宿で起きた探索の話を南町奉行・大岡忠春に行っていた。


「気にするな、とは言わないけれど、挽回してちょうだい。下がっていいわよ」

「……面目ございません」


 深々と頭を下げる両名に忠春はそう労いの言葉を掛ける。

 慰めるわけでも、怒るわけでもない。そう言っている彼女自身も、蔵暴きの一件が八方ふさがりなこともあって、二人にかけた言葉はある意味で自分自身に対するもののようでもあった。

 肩を落とす二人を見送った忠春は、ふぅとため息をついた。


「下手人を取り逃したうえ、穴に落ちてずぶ濡れなんてよっぽどの話ね。消えた男ってのも気になるところだけど、しかしまぁ、袋小路にそんなものを作るヤツがいるなんてね」

「袋小路に落とし穴とは、ふざけた悪戯をするものですね」


 そばにつき従う内与力・小峰義親はそう重ねた。


「穴ねぇ。その、内藤新宿の袋小路ってのはそんなのばっかりなの?」

「見ていないので何とも言えませんが、あの辺りは商家や屋敷も多いので悪戯がてら掘っててもおかしくはないでしょう」


 内藤新宿は繁華街とはいえ、すぐそこには田畑の広がる田園地帯。つまりは鄙の土地だ。辺りに住む力強い悪ガキが侍や地方から江戸にやってきたお上りさんをからかうために掘っていても不思議ではない。

 だが、あまりにも都合がよすぎる。消えた男が元居た場所に、大きな穴が開いていた。忠春はハッとする。


「新宿って甲州街道沿いだし、あの辺りって玉川上水の辺りよね」

「ええ。どうかなさいましたか」

「完全な私の勘なんだけど、上水を引くために掘った地下水路跡とかって残ってる可能性、あるわよね」

「確かに掘っていてもおかしくはありませんが、どうでしょう」

「いずれの一件も川とか水路沿いの商家でしょ。もしかしたら、もしかしない?」


 義親も忠春の言葉にハッとさせられる。同じようにひらめいたような義親らの表情を見て、忠春の表情も晴れていく。


「どうせ八方塞なんだから行くとこまで行くしかないわ。あの二人をもう一度呼び寄せて穴の調査に向かわせて。そのあと、山元町の商家に行くわよ」





「忠春様、大当たりです。穴の先は、大街道を沿うように道が続いております」


 土まみれの同心の言葉に、忠春の顔は長梅雨から覚めた夏空のように晴れ渡った。

 彼女の勘は実に冴えていた。

 先の商家の蔵の床板をめくると、掘りたての穴が地下深くへと通じていた。

 隧道そのものはそれなりに小さく、くるぶしまでが水で浸るくらいに浸水していたらしいが、側部や上面を矢板で補強するそこそこ強固な造りであったという。5尺に満たない子供や小柄な大人であれば問題なく通れるし、それなりに大柄な者でも身をかがめながらであれば行き来することは可能だろう。


「本当にこんなのがあったなんて驚きでしかないんだけど、問題はこの穴がどこへ通じているかね。私たちが見つけたことを相手方に悟られたら捕まえるのは難しくなる」


 猫目一家が行ってきた盗みの手段は分かった。しかし、この穴がいずれへと通じているかも、そもそもどんな由来で出来たのかは全く分からない。

 それに、たまたま麹町界隈に穴らしき跡がいくつかあることが分かったが、北町の月番の時には日本橋や駿河町の辺りでも事件が起きている。そう考えると、この謎の穴はすべてがつながっているかは別としても、江戸市中に張り巡らされていると考えるのが妥当だろう。その全貌を明らかにするにはそれなりの時間がかかることは明白だ。

 穴に潜った同心が言うには真新しい足跡は無かったという。しかし、埋め直したはずの穴が再度掘り返されていたことが分かれば、猫目一家とて色々なことを察するだろう。


「二人が追っていた又兵衛とかいう盗賊は猫目一家の者なのでしょうか」

「……話では又兵衛自体は木っ端みたいな盗っ人らしいけど……その可能性も大いにあるわね。奉行所に付け狙われていたことを悟られると厄介よ」


 義親の言う通り、忠景や国定は又兵衛を見失ったのではなく、追手の存在に気が付きながらしっかりと逃げ切った。

 良く考えればたまたま穴の存在を知っていただけなのかもしれないし、悪く考えれば猫目一家の一味であることもあり得る。そうなると、穴の存在を知られた猫目一家の動きを予測することは出来なくなるし、文字通り猫の尻尾を掴むことすら難しくなる。

 どう考えるにせよ、奉行所らが穴を見つけたことは近い将来猫目一家に気が付かれる。奉行所を取り巻く状況が非常に厳しいことに変わりはないだろう。


「いずれにしても、残された時間があまりないな。連中の手段が分かったとはいえ、相手の狙いが分からない以上俺らだけで探るのは難しいか」

「確かに探れる範囲には限界がありますね。どうしますか。しっかりと北町に協力を仰いで一件について話をしますか」


 義親と付き添う根岸衛栄の会話に、忠春は苦い顔をした。信頼はできないし、これまでの彼らの行動を見ていると、話したことで猫目一家にこちらの行動を悟られる危険度が高くなるだけという懸念も頭に浮かんだ。


「……とりあえず彼らにも話はするわ。その前に、ちょっと寄りたいところがあるから」

「どちらへ行かれるんですか」

「大した場所じゃないから安心して。ちょっとした野暮用よ」


 そう言って立ち去る忠春に、義親らは何も言わずに頭を下げたが、彼女の浮かない顔は変わっていないだろう。

 忠春は町奉行の来訪に集った野次馬をかき分けながら、甲州街道を東へ進んだ。

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