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女奉行捕物帖  作者: 浅井
挿話・野良猫たちの空っ風
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消える男たち

 忠春と宣冬が現場でやりあっている最中、江戸市中を見回る小田国定・伊藤忠景の両名は甲州街道一番目の宿場町・内藤新宿のとある茶屋にいた。

 日が天に昇った午の刻。彼らは決してさぼっているわけではない。猫目一家とは別件でとある探索に赴いていた。


「今頃、忠春様らは山元町で調べまわっているころだろう。我々も参加したいところでしたなぁ」

「……まぁ、それは分からんでもない」

「なんといってもあの才媛の元で働けるとは光栄の至り。時代が時代であれば戦場に立つ一輪の白百合といったところでしょうな。首を落とせば見るものを悲しませ、日を浴びて上を向けば天へと誘わせる。現実の女などに興味を持てなかった私が言うのだから間違いはない。彼女の手となり足となることができて光栄の至りよ。軍配を振れば猫まっしぐらに戦場を駆けようぞ。まさしく、戦場に立っていれば……」


 そんなような実が無いようで本当に何もない話を延々と続けている。うるさいデブ猫だ。忠景はそう思ったが口には出さなかった。出したところでつまらない蘊蓄が飛び出すだけなのは明白だったし、今はそのような話を聞く気にはなれなかった。

 それに、二人が監視をする男も商家の主と立ち話をしたまま動こうとしない。

 監視対象の名前は〝ステゴロの又兵衛〟。スリや空き巣といった盗みを積み重ねているという噂の絶えない小男だったが、決定的な犯行現場を見たものは誰もいないという。

 だからこそ、辺りには中間や目明しも配備している。ほぼほぼ黒だが、口の立つ男だという報告がある以上、軽率に捕まえることもできない。何かが起きた瞬間、現行犯でしょっ引くという算段だった。


「聞いておりますか忠景殿。あの浮世に生きる女なんぞ糞がした糞とまで言っていた私が言うんですぞ。きっと忠景殿もそう思っているに違いない」


 茶をすすり、団子を頬張りながらベラベラと話す国定に対して、忠景は忠景でずっと黙ったまま又兵衛の一挙手一投足を見逃すまいと睨み続けていた。





 2刻ほど経ち、日はだいぶ暮れて夕焼けが富士の高嶺を赤く染めていた。

 傍らに置かれる湯気の立っていた茶も、秋風にさらわれてずいぶんと温くなった。それでも、又兵衛に動きはない。

 身をひそめながら状況を報告に来る目明しも焦りの色を隠せなかった。もちろん、忠景も同様である。少しでも人手の欲しいこの時期に、それなりの人員を割いている以上、何かしらの結果を出さなければ色々と苦しいところだった。

 それはベラベラとしゃべり倒す国定も同様だった。無言になる間がちょっとずつ増えてきている。


「……伊藤様、小田様、どうしやすか。そろそろ暗くなりますし、これ以上の探索は厳しいかと」

「……さて、どう、しますかな」

「……もう少し張ろう。それでもどうしようもなければ仕方あるまい」


 街道沿いのため人通りも多く、街道の左右に軒を連ねる安宿から漏れる明かりや、通行人の持つ手提げ提灯で全くの暗がりではないが、ここいらは飯盛女の客引きが酷いことで有名で、遠巻きに小男をまともに監視をできるような環境ではない。

 さらに、街道から一筋、二筋ほど路地を抜ければ、すぐに千駄ヶ谷の田んぼが広がっているし、大名の下屋敷もある。この時期は背の高いススキや穂波に紛れれば、小男の又兵衛であれば追手を簡単に撒けられ、壁をひょいと飛び越えれば奉行所の管轄外だ。

 そう考えると、そういう環境に身を置いている又兵衛自身も、誰かに尾行されていることには既に気が付いていたのかもしれない。完全にしてやられたと忠景は臍を噛んだ。


「……当たり前だが、ヤツの住処は掴んでいるんだろう」

「……へい。定宿は分かっておりやすが、三晩に一度戻るかどうかのところで、それ以外の寝所は分かりやせん。なんでも、袋小路まで当たってもいつの間にか姿が見えないんで」


 目明しの言葉に、さすがの国定も眉をひそめた。

 生きた人間が消えることなどできるはずもない。ここにきて謎が深まった。そんな折だ。


「……野郎、動きましたぜ」

「とりあえず追うぞ。住処が分かればそれでいい」


 又兵衛は辺りを見回してほのかに笑うと、内藤新宿から代々木方面へと足を進め始めた。





 忠景らは遠巻きに数名掛かりで追いかけるも、又兵衛は又兵衛で追われなれているらしい。

 一旦路地に入ったかと思えばすぐさま大通りに出て距離を稼ぎ、人ごみに紛れながら細い路地を行き来している。ここいらの土地勘はかなりあるようだ。

 そんなように付かず離れずの尾行を半刻ばかり続けると、日はだいぶ暮れて提灯のぼんやりとした明かりが道端に灯り始めた。こうなると、まともな尾行は困難なのは明白で、忠景・国定の両名も諦めがついた。

 しかしだった。二人に付き従う目明しの男が、又兵衛の動きを見てボソッとつぶやいた。


「あ、あそこは袋小路ですぜ」


 暮れる二人にとっては絶好の機会だった。


「……覚悟を決めますか、忠景殿。なりふり構っていられる状況にはありませんぞ」


 捕まえてから罪状の吟味となれば白洲場や捜査は荒れるだろうが、何もしないままこの日を終えて次なる疑惑を増やすよりかははるかにマシなのかもしれない。

 もっとも、その手のやり方を上司である忠春もそうだし、清廉さを求める内与力の小峰義親や、奉行所執務を取り仕切る与力筆頭ともいえる根岸衛栄が好むかは全くの別の話だ。

 国定はそういう意味でも批判を覚悟で灰色を塗りつぶす覚悟を決めたのかもしれない。珍しく簡潔に意見をまとめる彼の言葉を聞いて忠景はそう感じたし、実際、国定もそう思っていた。

 忠景は黙って頷くと先行する目明しに合図を送った。「ヤツを捕らえるぞ」と。

 足音を殺して袋小路手前の角に全員が出そろった。目明しは懐に忍ばせた暗器に手を伸ばし、忠景・国定の両名は腰に差す刀に手をかけた。シャキリとハバキの鳴る音がする。


「……出るぞ!」


 忠景の合図の元、全員が飛び出した。

 しかし、あるべき彼の姿どこにもない。


「……まさか、本当にいなくなるとは」

「すぐ横は大名屋敷。箱でもあれば登れないことはないが、これでは難しかろう」


 一行は袋小路を見回すが、あるのはせいぜい壁際に積まれた空箱と塀際を流れるドブぐらいのもので、姿を潜ませられるような形跡や、足場になるようなものは何もない。

 一度はついた諦めも、ちょっとした希望が生まれ、結果的に諦めとなってしまうと尚のこと行き場を失ってしまう。表には出ないが、忠景も今までかけた手間暇のことを考えると「してやられた」と頭を抱えたくなる。

 実際のところ、国定はそれを表に出して怒っていた。


「コソ泥一つ使えられぬとはどうしようもないわぁっ! 袋小路から消えていなくなるだと? そんな冗談のような話があってたまるか!」


 国定は小声で怒りを吐き出しながら、ドタドタと草鞋をすり減らしながら袋小路の先まで進んでいった。

 彼を止めるものは誰もいない。気持ちは痛いほどわかるからこそ、宥めすかさずに〝見〟に回るほかない。

 その時だった。


「まったく、ヤツは忍びか術師の類か? ありえない。ヤツはただのクソち……ほげぅぁっ!」


 怒りを露にする国定の巨体が一瞬にして消えた。

 まるで、又兵衛がいなくなったかのように。

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