導かれる二人
「……しかしまぁ、華麗に盗んでいくものなのね。殺しもせずに蔵の中身全部だなんて、さ」
事件発覚後、一週が経ち、また一週が経つもこれといった成果は上がらず、被害者らの話を聞けば聞くほど猫目一家の盗みには無駄がない。そんな彼らの手口に対して、忠春は感嘆すらも覚えてきていた。
義親以下、奉行所総出で調べても彼らの足跡一つ残っていない。被害に遭った商家に聞き込みをしてみても、その姿を見たものは誰ひとりとしておらず、過去に起きた事件のいずれの蔵も同じように暴かれて金物のものは跡形もなく持っていかれているという。
さらに、調べていくうちに、被害に遭った商家にはとある共通点があった。
「まぁ、北町の時の店も全部そうだったし、今回の店だって、聞けばあの店もあくどい高利貸しをやってたんでしょ。盗まれた金はほとんどその手の金だっていうし、そんなんだったらこの事件も文字通りお蔵入りしたって……」
「駄目です忠春様。これ以上はいけません」
そこですかさず義親が止めに入る。忠春は苦笑しながら言葉を続けた。
「もちろん冗談よ。いくら非道とはいえ、盗みは盗み。当然正当に裁くし捕まえるに決まってるでしょ」
「それにしても、この2か月で8軒もの商家が襲われています。それはあまりに早すぎる」
今でこそ事件は止んでいるが、ほんの少し前までは猫目一家の勢いは留まることを知らなかった。そういわざるを得ないほどに事件は頻発していた。
しかし、ここ数週はどうか。事件は再びぱったりと止んでいる。その理由も定かではない。
それに、調査の最中に一家に関する噂話の類は嫌なほどに目にした。そういった話を書いて回っている瓦版業者をいくつかしょっ引いて話を聞いたが、いずれも情報の出どころは書いた本人の脳内で事件解決に繋がりそうなものはほとんどなかった。
「事件はぱったり止だのはいいとしても、連中の動きも全くつかめない。打つ手なしね」
盗んだ金を両国や本所の貧民街でばら撒いている、江戸城金蔵を狙う為に力を蓄えているなど、さまざまな風聞が市中を飛び交ったが、いずれも有り得ない話であり、そのような動きは実際には無いように見える。
とにかく間違いないのは、もはや何もせずとも猫目一家の評価は上がって行くということは変えようのない事実であり、市中を守る忠春らにとっては耐え難い屈辱でもあった。
その後も与力・同心を問わない詮議が続く中で脇息に肘をついて頬杖をつく忠春の表情は当然のことながら浮かない。
「これだけ事件が起きて警戒されているというのに不思議な話ですよ。特に豪商らの間じゃ相当警戒されていたというのに」
冷え切った御用部屋内で、そう漏らす与力もポツりと出始めた。町を見回る与力・同心らの話では、名のある商家からそうではないところまで蔵の守りを固めているらしい。
それどころか、錠前屋は過去最高の売り上げを誇っているという噂話まであった。だが、錠前屋による犯行ではないかという話もあったことから、忠春は政慶らに指示を出してその線で調査をさせたがいずれも空振りに終わっている。その時分かったが、北町も同様にその線で探っていたらしい。
「確かに妙ですね。蔵を守るためにかなりの力を注いでいるはず。それなのに簡単に暴かれてしまっている」
「……考えるだけ無駄よ。荒事抜きで蔵が暴けるはずないでしょう」
忠春は、腕を組んでちょっとの間、天を仰いで考え込むと、小気味よく鼻で笑った。
「イラついてても仕方ないわね。ここまで来たら興味が沸いたわ。義親、現場に行くわよ」
「え、今からですか?」
「善は急げよ。早く支度を!」
こうなった忠春を止められるものは誰一人として奉行所にはいない。
義親以下、「やれやれ」と言いたそうにしながらも、出立の準備に向かっていった。
○
訪れたのは半蔵門から甲州へと延びる街道を半里ばかり歩いた先、山元町の卸問屋「谷崎屋」。北町の月番から数えて7件目、南町の月番になってから1件目の事件に当たる。
暗い顔をする主に案内されて蔵へとやってきたが、暴かれた蔵は、様々な報告通りの現場だった。
錠前もしっかりとした複雑なものだったし、無理やり開けたような形跡も無く、さらに言えば漆喰の壁には傷一つと付いていない。
「……これは、なんとも、まぁ、ね」
百聞は一見に如かずと古来より言われているが、まさしくその通りだと忠春は痛感した。
金目の物が取られた事実以外、平穏そのものといっていいのかもしれなかった。商店の店主から丁稚に至るまで起きて初めて気づいたのも道理だろう、と忠春も思った。
商家の周りは騒然としている。忠春の来訪どこで知ったのかは知らないが、江戸を騒がす注目の人物が登場するということもあり、 辺りに住む旗本から大名屋敷の家人に至るまで、武士から町人問わず人だかりができ、いつも以上にざわついている。
衆人環視の中、忠春一行は報告以上のものを見つけようとあたりを探るも、これといった新たな発見は無さそうだった。壁・屋根・床板問わず壊された形跡はない。鍵は事件当時には主が持っていたし、事件後に家中も番頭から丁稚まで詮議したというが、猫目一家の繋ぎの類も居なかったという。
分かってはいたが、聞けば聞くほど光がさしてこない。やりずらそうに現場を見て回っていると、忠春は目を細めた。見知った顔が人ごみの中にある。
「……ったく、何の用なのよ」
「まさかお奉行様が直々に来られるとは。ねえ」
厭味ったらしく口角を上げるのは、火盗改・長谷川平蔵宣冬と、その与力・佐嶋忠介らだった。
「アンタたちには関係のない話でしょう。さっさと自分らの持ち場に戻りなさい」
忠春の威嚇に対して悠然と鼻で笑う宣冬の言葉に、場の空気が一段と張りつめた。
連れ出された同心は肝をつぶした思いだっただろう。義親ですらもあわあわと二人の顔を見ることしかできなかった。
「市中警護が我らの務め。こちらはこちらの仕事をしているまでだ。それよりも佐嶋、どうだった」
「……長谷川様、どうやらその通りだったようです。長居は無用です」
「ちょっと、何の確認なのよ」
宣冬は意味ありげに微笑むばかりで奉行所の連中のことなど意にも介さない。申し訳なさそうに俯く佐嶋に対してのみ、自らの感情を吐き出すように肩に手を差し伸べた。
「カラクリは分かった。まぁ、我々が蒔いた種でもあるからな。気にすることはない。戻るぞ」
「ちょっ、何変なことを……」
くるりと踵を返すと追いすがろうとする言葉を背中で一蹴し、そのまま商家を後にしていった。