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女奉行捕物帖  作者: 浅井
エピローグ
151/158

どこ吹く春風ぞ


 天保16年。不安定な幕府にまたも事件が起きた。江戸城天守の火災である。

 将軍家慶は江戸城天守の再建を望んだ。

 しかし、老中首座は土井利位が成っていたが、政争に次ぐ政争を重ねていたため、諸大名からの資金集めに苦難。元より将軍からの信頼も薄かったこともあって、老中首座を自ら辞した。

 将軍みずから選んだのは水野忠邦であった。異例中の異例である。

 しっかりと報復人事を敢行。鳥居耀蔵は南町奉行の座を解かれ、讃岐藩預かりとなった。彼女はその余生を讃岐藩で過ごし、江戸の町へは東京と改名されるまで戻ることは無かったという。





「それでさ、なんで私に目を付けた訳? 別に父上の馴染みだからとかそういう理由じゃないんでしょ?」


 弘化元年3月。大岡忠春は横を歩く筒井政憲に問いかけた。忠春自身、この一年ほどで白髪が大分増えた。耳元に掛かる一部は完全に白く染まっている。未だ、「年の割には若い」と家中で褒められるが、それが社交辞令だということにそろそろ気が付く時分である。


「前にお話しした通りですよ。幕府は凝り固まり過ぎました。男所帯ではつまらない面子に固執してしまう。だからで女武士令が発令され、忠春様がお選ばれになった。いや、本当によくやって下さいました。吉宗公も忠相公もお喜びになっていることでしょう」


 翻って、政憲は長く伸ばした顎髭以外は出会った頃と変わらない。艶やかな黒髪で髷を結っている。受け答えにも腹が立った。不敵に微笑む顔を見ると、忠春はなぜだか突然憎たらしくなった。

 忠春は歩みを止め、羽織を翻しながら政憲の元にドタドタと歩み寄った。


「そもそもアンタが矢面に立てばいいのよ。それで全身で巷の意見と言う名の矢を受け切ってみなさいっての」

「まぁ、そうなんですけど、所詮、私はは一旗本。家柄がそれを許しませんので申し訳ございません。もっとも、私も過去に南町奉行からは罷免されましたよ。そう言う意味では忠春様と一緒です。しかしまぁ、早く引退させてもらえませんかね。流石に疲れましたよ」


 こちらがどれだけ毒づこうが、その文言は彼の想定内にあるんだろう。

 悔しそうに押し黙る忠春を見たからかもしれない。政憲の笑みが止むことは終始無かった。


「ほんとに口が減らないのね。ま、それは私も一緒なんだけどさ……それで桐の調子はどうなの」

「貴様と違いよく働く。父親に似てよかったな。愛娘が自分に似て、義親様もあの世できっと喜ばれてるだろうよ」


 背後にいた長谷川宣冬は最後に「当たり前であろう」と付け加えて小馬鹿にしたように鼻で笑った。当然のことながら、その笑みは忠春の気に障った。


「人相も口も悪いとなると、貰い手は絶望的ね。本所の屋敷で一生独りで暮らしなさい」

「貴様も似たような境遇だろう。牛込御門に戻ったところで屋敷の中には誰一人おるまい。そう言う意味では役宅である以上、いつ戻っても貴様の娘もいる。こちらの方が上だな。どの口が言うのか」

「ほんとに可愛くないのね。道理で義親も私を選ぶ訳だわ。いいや、アンタは選択肢の一つにも無かったと思うから、選ぶも何も無いかも知れないけどね」

「……抜け。城中だろうがなんだろうか関係無かろう」


 宣冬はためらうことなく刀を抜いた。慌てて側に居た北町奉行・遠山景元と火付盗賊改方与力・伊藤忠景が両腕を押さえようとする。


「落ち着いて下され長谷川様、その、盗賊の吟味もございますので……」

「そうだぞ平蔵。今日は忠春様の晴れの日だ。どうにか我慢してくれよ」


 二人掛かりで抑えにかかってやっと落ち着いたらしい。乱れた長い髪を簡単に整えると、忠景を連れて凛と踵を返した。


「……二人に免じて今日は許してやろう。だが、このままでは私の気が済まない。近いうち本所に来い。ケリをつけてやるからな」


 颯爽と去って行く宣冬と忠景を見送っている時だった。廊下をドタドタと慌てながら根岸衛栄が駆けて来た。


「忠春様っ! 御老中から書状が届きました」

「なんだ。またこちらに厄介事を持ちこんできやがったのか?」


 書状を手渡されると封を切り、ハラハラと文書を開くと次のように書いてあった。


“先の茶の礼だ。こちらから上様に推挙した。南町奉行の職、有り難く就け”


 書いてある内容も、整った筆致は相変わらず水野忠邦そのものだった。

 覗き込む景元も政憲も衛栄も苦笑しかしない。当の忠春だって同じだ。きっとこのまま生き、前の時のように罷免されることだろう。自身で選んだ道だ。それはそれでいいのかもしれない。


「……本当に面倒な男だな。人に善意を伝えるのにそうしなきゃなんないのか」

「ここまで来ると逆に愛しくなってきますね。この可愛げに気づけば違う道もあり得たのかもしれません」

「ま、別にどうでもいいんじゃない? それよりも南町奉行だからね。しっかりとやるわよ」


 再び、大岡越前守忠春は、南町奉行所の白州場に立った。

 懐かしい風景だ。横には吟味方の与力が控え、平伏する下手人の奥には多数の観覧者。見知った顔も多数あった。

 それぞれが息を呑み、忠春の下知を待っている。

 懐から扇子を取り出すと、勢いよくぴしゃりと開いた。


「下手人は表を上げよ。それじゃ吟味方、仔細を述べて。大岡裁きを始めるわよ!」



女奉行捕物帖(完)

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