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女奉行捕物帖  作者: 浅井
風再び
132/158

白紙

 忠景が抜き身で斬りかかっても刺客らはいずれも無言であった。

 鉢金に黒布で口元を隠した出で立ちだったが、その両目はしっかりと忠景の剣先を見据えている。桐・佐嶋の両名のことはほとんど相手にしていないことを、少しだが、察せられた。


「んぐっ、んがぁっ!」


 忠景が振り下ろした一刀は、刺客の一人が受け止めた刀・額に巻いた鉢金ごと真っ二つに割った。

 激しい衝撃とともに血飛沫が舞った。

 忠景自身、筋骨隆々といった訳でなくどちらかというと細身な男だと思っていた。しかし、先ほど見せた上半身、見えないが下半身や脚絆部も、そうだろう。

 彼の肉体は全て剣技のために磨かれたものである。そう思わざるを得なかった。


「……次はどいつだ。掛かって来い」


 一刀で斬り伏せた後そう呟き、刀をぴしゃりと振るって血を拭った。

 それから向かいあう3人を睨みつけ、背後から来ている3人には背中で睨んだ。

 対面の3人は見つめ合い、動けないでいる。背後から来ている刺客のうち、一人が叫んだ。


「女だ、女を狙え!」


 刺客たちもハッとして、脇を駆け抜けようとしている桐らに気が付いた。

 すぐさま忠景と向かいあうのを止め、標的を移した。


「……気にするな! そのまま駆け抜けろ!」


 前方から大声が聞こえた。その言葉に焦りは無い。

 桐らは忠景の言葉従った。というよりも、そうするしか無かった。

 しかし、である。


 刺客の動きは素早かった。忠景の叫びとほぼ同時に、桐らに向かって刺客の一人が飛び掛かって来た。

 それからすぐさま刺客は脇差を抜き、袈裟切りに振り下ろした。


「わ、私だって火盗改、その誇りに賭けて!」


 佐嶋は足を止めると鞘から抜いてその刃を受け止めた。

 だが、佐嶋の刀は急いで引き抜いたからか、刃が鞘から抜けきっていない。

 刺客はすぐさま一歩引き、佐嶋の態勢が整う前に再び前へと跳躍して斬りかかって来た。

 佐嶋の受け方は上手かったが、鍔迫り合いになればじりじりと圧力をかけられて塀際へと押し寄せられてしまう。

 佐嶋の背中が白漆喰にもたれ掛かったと同時に、刺客は半身になって押し当てている刃を脇へと流した。佐嶋も突然の相手方の対応に体を崩し、相手に背を見せながら前へと突っ伏そうとしていた。


「佐嶋殿、私も助太刀します!」


 今度、刀を抜いたのは桐だった。肩で息をして、わなわなと両腕を震わせている。

 勝負は決していた。桐自身も分かっていた。

 どう足掻いても勝てない。

 忠景は5人相手にほぼ互角に渡り合っているが、彼らが居る以上、桐らを手助けする余裕は無い。

 一人は一刀に斬り伏せられているので、残りは6人。1対1の勝負でも、桐に勝機は一縷も無いのは間違いなかった。

 桐が刀を抜いたことで、佐嶋に向かっているうちの一人がこちらに向かってきた。

 すぐさま向かいあい斬り結ぶが、一合合わせただけで力量の差は歴然だった。

 屋敷でやっている道場剣術ではない。打ち合ってから互いに一歩引き下がった時、手へに感じた重みが今までのものとは明らかに違う。痺れるような、引き裂かれるような、確実な痛みである。桐にはそれがひしひしと伝わっている。


「ま、まだまだっ!」


 ただ、覆ることの無い劣勢でも、声だけはいつも以上に出た。

 それだけで、少しだけでも自身が強くなったような気がしていた。それも、虚勢でしかなかったが。


「くそっ、まだだ、私もまだ終わってはいないぞ!」


 近くから同じように凛とした大声が聞こえた。佐嶋は急場を逃れられたらしく、体勢を立て直して刺客と再び打ち合っている。それだけでも桐の力にはなった。

 それから桐らは数合打ち合ったが、やはり力量差は埋まらない。それどころか、大きく水を空けられている。

 一合、もう一合と打ち合ううちに、壁際へと簡単に追い詰められていた。

 すぐ横では佐嶋が歯を食いしばって耐えていた。横目でそれを見て、やはり、どちらも時間の問題というのは簡単に理解できた。

 必死に防戦するしかない。相手の動きに合わせて刀を会わせるのが精いっぱいで、打つことなど出来るはずもない。

 たび重なる剣戟に、桐らのは両腕は限界だった。

 道場剣術では触れることの無かった一刀の重みが、じわじわと効いてきた。あと一合も打ち合えば刀を握る握力すらも失われると次元にまで来てしまった。


「北町奉行所だ! 天下の御城で乱痴気騒ぎたぁ、太え野郎だなぁ! てめえら覚悟しやがれ!」


 曲がり角かたやって来た声の主は北町奉行所年番方与力・根岸衛栄だった。

 背後には捕方20名ほど。手には得物を携えている。これを見て、初めて刺客らの表情に動きが見えた。


「……助かったな」

「大丈夫か忠景、相変わらず無茶しやがる」

「……大したことは無い。それよりも桐様と佐嶋殿を」


 ドタドタと駆けて来た衛栄に忠景が桐と佐嶋を見ながら言うが、その視線の先にあるのは肩で息をしながら塀にもたれ掛かる二人のみ。

 春の暖かな日差しが降り注ぐ白昼の出来ごとなのに、影一つ残らない。刺客らの姿はどこにもなかった。


「桐様、大丈夫ですか」


 それからすぐ、忠景と衛栄が桐らの所に向かってきた。

 極度の解き放たれたからか、はたまた初めての真剣勝負が終わったからなのかは分からない。


「よかった、よかった……」


 忠景・衛栄の声を聞いてからすぐ、桐らは足の力が抜け落ちて、そのまま地面へと崩れ落ちた。





 桐は時の鐘の音と共に目を覚ました。地平線が茜色に染まっているのを察するに時刻は暮れ六つ。二刻ほど寝ていた計算になる。

 ふと左に目をやると隣に佐嶋がいた。自身と同じように佐嶋も目覚めてからすぐだったらしく、怪訝そうな目で桐のことを眺めていた。


「……なんだその目は」

「いや、私は何も言っていませんけど」


 桐に自覚は無いが、目の前にいる佐嶋と同じように彼女を見つめていたのかもしれない。

 切り傷があるわけでもないので、大した傷を負うことは無かった。横で睨みつけている佐嶋も同様だったのが不幸中の幸いだっただろう。


「お前だって心の底では私を馬鹿にしているのだろう」

「いや、だから何も思って……」

「あれだけ大きいことを言っておいてあの無様な様だと笑っているんだろう! ああ、笑いたければ笑え! 貴様の好きなようにすればいい!」


 佐嶋は桐の肩を掴み思い切り言い放つと、急に顔を枕にうずめて布団の中にもぐりこんだ。

 薄い布団の下からはすすり泣く声が聞こえた。

 やるせない。

 相手が達人とはいえ、二人して何も出来なかった。

 そんな無常感は桐だって嫌なぐらい覚えさせられた。だからこそ、何かを言い返すことなど出来るはずも無かった。


「おいおいおい、どうしたどうした」


 突然沸いた大声を聞いたからか、衛栄が慌てながら襖を開けた。

 そいて、泣きじゃくる佐嶋を見つけると、呆然としている。


「……桐様、何かなさったんですか」

「……私が知りたいぐらいですよ。なんなんですか佐嶋殿は」


 泣きたかったのは桐のほうだったのかもしれない。

 布団を上から被り啜り泣く佐嶋。桐は目を潤ませながら衛栄に助けを求めた。

 しかし、当然のことながら衛栄には返せる言葉など持ち合わせてはいない。

 衛栄に出来ることと言えば、ただただ首を傾げながら、薄くなりつつある頭をかくしか技が無かった。


「……今回は悪かったな。桐に佐嶋。色々と予定が狂った」

「まったく、連中の動きは全く読めやしねえ」


 それからすぐことだった。

 部屋へやってきたのは長谷川宣冬と遠山景元だった。


「どういうことなのですか。事情をお聞かせ下さい」


 桐の少し怒りを含んだような言葉に、宣冬が景元の顔に目線をやった。明らかに不機嫌そうなに彼を見ている。

 景元もバツが悪そうに、一つため息をつくと言葉を放った。


「桐、懐の文書を開いてみろ」


 そういえば、そのような役回りだった、大きな災厄に振り回され、そのことを忘れかけていた。

 厳重に閉じられた文書を封切る桐は、言葉を失った。


「そもそも文書には何も書いていない。お前さんら二人を使って相手方の動きを探っていたんだけどな」

「……はぁ?」


 文書にはなに一つとして文字は書かれていなかった。手にしているのは漉かれて切られたままの紙ぺら一枚のみである。

 これには布団に籠もっていた佐嶋も口を揃えて言い放った。


「いや、本当に、悪かった。幾分か予定が狂っちまった。刺客の一人や二人は来るとは思ってたけども、まさか、城内で堂々と襲ってくるなんざ考えられなかった」

「そのために忠景を付けていたが、遥か上を行っていた。本当に申し訳ない」


 なぜここまでするのかと疑問はあった。

 たかだか文書を渡すだけなのに、なぜ忠景殿が付いてくるのか。今思えば全てが繋がったような気がしていた。桐も佐嶋もそう思っている。

 大名小路に居並ぶ諸大名に対しても、既に根回し済みだったのを見ると、水野らの権勢は遥かに上へ行っていた。

 これが、権力者に刃向かおうとする人の置かれている厳しさなのか。桐の身にも事の甚大さが流れるように伝わってくる。


「い、いいえ、全く問題ございません。火盗改の一員となった以上、命のやり取りは覚悟の上です」

「その心意気は頼もしい。しかし、後少しでも遅ければ今頃お前たちは首と胴が離れていたことだろう。まったく、連中もやることがえげつない」


 それでも、桐の心は折れていなかった。

 母の成しえなかったことを成すということもそうだが、前へと進む方が牛込御門前の屋敷に引きこもっているよりも得難いものを得られるのではないか、そんな風に思っていた。


「それで佐嶋、どうする。私の考えでは桐と二人で組んでもらうはずだった」

「まぁ、桐も女一人では心許ないだろうしな。歳も近い佐嶋でもいれば気が楽になると思っていたんだが」

「私の横に居たお前の母はどのような苦難にも気持ちを持って立ち向かっていった。それでいてお前が見下している桐はこのような壁はいくらでも乗り越えていくことになる。お前はどうだ?」


 景元、宣冬の両名は語った。

 佐嶋が隣に居てくれれば、時折見せる千尋の谷のような感情の起伏のを除けば心強いかも知れない。

 持っている熱い心は感じたことの無い激情である。桐も反対する理由はまず無い。

 それでも、佐嶋は無言のまま視線を下へ落としていた。


「お前が望むのならば私の横に控えていればいい。別に暇に出すようなことはしない。すぐに答えは出さないでいいからな」


 間違いなく、宣冬は佐嶋の背中を押そうとしていた。相当とも言えるぐらいに佐嶋に嫌われている桐も、それがどこか嬉しかった。

 宣冬もはっきりと言うと、羽織りを翻して部屋を出て行った。


「ヤツなりに色々と考えているんだ。桐に佐嶋、今回の一件は本当に悪かった。ま、ゆっくりと休んでいてくれ」

「私も失礼します。あれだけ真剣で何重合と打ち合ってたんだ。養生なさってください」


 そういうと景元・衛栄も部屋を後にした。

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