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女奉行捕物帖  作者: 浅井
別れの旋風
125/158

乱・結

 午の刻を過ぎて、高麗橋周辺の火の手は大分落ち着いた。

 平八郎らの軍勢は散り散りになり、洗心洞配下の者たちが組織的に撤退する以外は、その場で捕縛・または逃散していった。

 組織的な撤退とはいったが、物見の話では洗心洞のほとんどが避難民に紛れての逃避行であり、潰走したというほかない。


「暴徒を鎮圧した今、避難民の救助が先決よ。東町奉行所にもそう伝えないと」

「逃走する洗心洞の面子はどうしましょうか」

「散り散りになって逃げてるんだから追いようが無いわ。そんなことで時間を潰すぐらいなら火消し加わった方が遥かに有意義よ」

「分かりました。すぐに手配します」


 周りを見渡せば暗い顔をしながらひたすら南へと足を進めて行く人々の群れ。

 大飢饉で先行きの見えない状況の中、彼らは数少ない財産を一挙に失った。


「……義親、救うべき貧困に苦しむ町人を救えず、暴利をむさぼる商人たちが助かるだなんて皮肉な話ね」

「貧しい町人も裕福な町人も等しく救うべき相手です。そういうことは言うものではありません」


 これから彼らをどうやって助けなければいけないのか。

 それらは忠春の双肩にかかっているが、そんなことは幕府の誰に聞いたところで分からないだろう。

 ただ、希望もあった。


「あ、あの馬に乗っとんのは大岡様やないか?」

「よう分かったな。あんな泥まみれになって頑張ってん。ワシらも気張らんといかんな」


 避難民とは逆方向に進んでいく一団から威勢のいい声が上がった。

 よく見たら忠春らにとって見覚えのある顔ばかりだった。

 大阪相撲の力士の一団に、天神祭で騒いでいた男たち、派手な恰好から察するに遊廓関係の一団の姿もあった。

 最初は銃声に恐れ慄く町人達だったが、その主が奉行所の面々ということを知ると、心なしか表情が落ち着いたように見えた。


「……希望を失っちゃいけないわね。私がしっかりしないといけないんだから」

「その意気ですよ。東町奉行所の一団も高麗橋に向かっているとの話ですし、そろそろ到着することでしょう」


 忠春ら幕府方はそれからすぐに隊列を組み直し、陣を敷き直して後続の到着を待った。

 半刻もしないうちに東町奉行所の軍勢も到着。

 討議の結果、東町奉行所が反乱軍の掃討をすることとなり、そのまま高麗橋筋を西へと進んで行った。





 南へと進んでいた平八郎らだったが、幕府方との交戦の後に北へと進路を変更していた。


「救うべき人を救えず、倒すべき相手を倒せなかった。こんな酷い結末を迎えるだなんて傑作だな」

「……は、はぁ」


 ほんの一刻前までは三百人近い人が居たものの、幕府軍との交戦により大筒方の大男が死亡。

 鬨の声が上がる槍の先にその男の首が掲げられたのを見た途端、その半分以下の百人足らずが付き従う程度にまで減った。

 その光景を見た洗心洞の門弟達は意気消沈。大塩格之助ですらも顔を青くさせて息を呑んだまま言葉を発しなかった。


「平八郎、これがお前の望んだ結末なのか」


 そんな沈黙を破ったのは常に横に付き従っていた瀬田済之助だった。


「何を言う済之助、今まで語って来たことがすべてだ。大阪を救い、日の本を救う。これ以上の事は無いさ」

「嘘付け。そんな大それたことは、たかだが一介の与力風情が考えることじゃない。それに、正しく在り続けたお前の取る選択肢では無い」


 大川を望む船場の船着き場で、平八郎は小さく息を吐くと小さくいった。


「格之助は門弟達を連れて先に行け、済之助、私たちは次の船で行こう」

「し、しかし平八郎様……」

「気にすることは無い。落ち合う場所は堂島新地だ。すぐに追って行くさ」


 釈然としないまま格之助らは船に乗った。

 残されたのは平八郎と済之助の二人のみ。

 川べりからは黒煙の登る天満の街並みがよく見えた。


「なんだ、お前は分かっていたのか」


 その折、平八郎は黒煙を見つめながら小さくつぶやいた。


「他の連中は知らないが、俺は分かっていた。それに、俺が唆したりハッタリをかましただけで簡単に動くほど軟な人間じゃないことも俺が一番よく知っている」

「……一度でいいから大岡忠春を超えたかった。年も幾ばくも変わらないと言うのに、私に無いものを何もかも持っていた」


 何かに観念したかのように、平八郎の言葉が続いた。


「あの江戸で町奉行を勤め、左遷されても私の上に常に立ち続けた。その評判も悪く無い。いくら私が頑張ったって届かないものを簡単に掬いあげている。こんなに羨ましいことが他にあるか」

「確かにそうだな。機転が利くし、打つ手打つ手は正しい。あの将軍に寵愛される訳だよ」


 鹿政談を見て平八郎はすぐに理解した。

 自身、燃え上がる正義感は誰にも負けていないと思っていたが、誰とも知らない輩に着任早々に大手柄を挙げられた。

 彼女の熱意・心持ち・そして立ち位置。

 全て平八郎自身が目指して望んでいたものであり、彼女は平八郎のことを知らずとも、それらを全て兼ね備えていた。


「どれだけ優れようが、やはり見逃すべき悪などは存在しない。与力という立場に居る以上、それは一緒だと思う」

「それに触発されてお前も燃え上がっていたのか。確かにそうかもしれんね」

「間違ってはいない。私だって大岡様は大したものだと思っていた。だけども……」


 すぐ側で見ていた平八郎にはすぐさま理解が出来た。

 譜代大名の元に生まれ、将軍のお眼鏡に適って常に良き道を進んできた忠春。

 それに対して、大阪の町奉行所の与力の元に生まれ、平八郎。

 抱えていた志は大して変わらなかっただろう。人々の常により良い暮らしのために奔走してきた。その自負は誰よりも強いと思っていた。


「だけれど、歪みも見えて来た。やはり、あの判断は許すことは出来ない。政敵を牽制するためには仕方無かった、と誰もが言うだろう。だけど、それは本当にそうなんだろうか。私の憧れたあの正義感はつまらない政争の道具でしかなかったのか? そんな虚仮威しなどに何の価値も無い。だとすれば、彼女に付き従う者も同じだ。あの髭男の正義漢ぶった態度もそうだ。古株の与力達も前任の頃は適当にやっていたくせに、忠春様がやって来てからは簡単に身を翻した。それに、それに……」


 すらすらと流れるように言葉を紡いだ平八郎だったが、ここで途切れた。

 人を束ねるという立場にある以上、多くのしがらみを抱えてしまい、それによって清濁を併せ飲むことはどうしても必要になって来る。

 どれだけ正しいことに身を焦がそうとも、人が付いていくとは限らない。

 それがこの有様だった。

 清く正しい政治を志し、私財や命を賭して戦っても、待っていたのは散り散りなって幕府の追手から逃れる日々。

 平八郎はとてつもなく悔しかった。

 横に座る済之助は、ふと気が付いたように言った。


「なるほどな。最期の決定打は小峰殿か」

「い、いや、そう言う訳じゃ……」


 煤塗れの顔を赤くした。

 済之助は人目もはばからず大声で笑った。


「何もかもを先んじて越され、最期の最期には好いた男までもを軽々と攫って行った。そりゃ怒るよな」

「だから違うってのに……」


 口ではそう言っていたが、平八郎の表情は間違いなくそう物語っている。

 平八郎は上目遣いで睨みつけると、済之助も観念したのか鼻で笑って答えた。


「別に責めやしないさ。俺だって似たようなもんだからさ」

「知ってるよ。なんとなくだけど、分かっていたのかもしれない」

「なんだって惚れた方が弱いのさ。 ……分かったよ。ヤツと差し違えてでもお前の望みをかなえてやる」

「もういいんだ。負けは負けだ。きっと私には無い何かを忠春様が持っていただけの話だ」

「そう言うもんじゃない。お前にしか無い魅力だってあるさ。最期に腹を割って話してくれたんだ。その魅力を垣間見られただけで俺は満足だよ」

「本当に減らず口の減らない男だな。まったく、本当に馬鹿なヤツだ」


 格之助らを乗せた船が戻って来たらしい。

 顔を青くする船頭の横に、格之助の姿があった。


「平八郎様、洗心洞全員渡り終えました。さぁ、瀬田様も早く行きましょう」

「悪いが俺はここに残らせてもらう」

「で、ですが、しかし!」

「格之助、平八郎を頼んだぞ。生きながらえてこの国の終わりを見続けてくれ」


 済之助はそう言い残し、平八郎の背中を押すと、桟橋に一人残り続けた。

 船に乗った格之助は心配そうに済之助の背中を眺めている。

 平八郎も同様だった。今にも泣き叫びそうに目を潤ませている。

 だが、何も言わなかった。

 何も言わず、遠くなっていくその背中を見続けていた。





 奉行所らによる鎮火活動は夜更けにまで及んだ。

 高麗橋以南の建物を壊し、延焼を防ごうと体を動かし続けている。

 避難民のためのあばら屋造りも並行して行った。惨状を見かねた豪商らも協力し、ひとまずの糧秣は確保できた。


「被害状況はどんなものなの」

「一部では火災が続いているものの高麗橋以南の被害はほぼありません。幸い、死者はそれほど出ていないと」


 そんな折だった。

 もくもくと黒煙が登り続ける天から冷たい雨が降り注いだ。


「……この雨でこれ以上火が広がることはなさそうね」

「ええ。後は秩序を取り戻さなければ」


 時刻は日付が変わろうとしている子の刻を迎えている。

 早朝から続いた平八郎らの騒乱自体は簡単に片付いた。

 しかし、彼女が最後に残した爪痕はあまりにも大きすぎ、深すぎる。

 燃えた家屋は2万軒弱。被災者の数は4万人を超えているとの話もある。


「一回奉行所に戻りましょう。色々とまとめて報告しなきゃいけないわ」

「ええ。同心・与力はここに残って指揮を続けてください。忠春様、行きましょう」


 馬に乗る忠春は義親らと共に奉行所へと戻ろうと半町ほど進んだ時のことだった。


「大岡忠春っ! ご覚悟を!」


 ちょうど高麗橋を渡りきり、ふと馬が足を止めた瞬間。

 道の両脇に積み上げられた瓦礫・木炭の山から一人の男が忠春らめがけて飛び掛かって来た。


「せ、瀬田なの!」


 この1日で消耗しきった忠春が、それに気づいて反応するには遅すぎた。

 済之助が携えた槍が一筋、忠春の脇腹へと一直線に伸びる。

 その刹那、脇から一人の男がそれを遮ろうと飛び掛かった。


「忠春様、身を御隠しに!」


 横に控えていた小峰義親だった。

 忠春らと同様に、反応が遅れた分だけ済之助へと刃を向けるが遅かった。

 しかし、義親の剣先はしっかりと済之助の体を捉えていた。

 燃え上がる黒煙のせいで黒い雨が滴る中、赤い筋がくっきりと左の肩口から右の脇腹へと残っている。


「くっ、外したかっ!」


 済之助が小さく漏らすと、降りしきる雨すらも音を失った。

 義親は馬ごと忠春の眼前に躍り出ると体を以てして凶刃を防ぎきり、済之助に一撃を与えた。

 ただ、それと同時に、義親の胸元を槍が貫いていた。


「義親殿っ! 大丈夫ですか」

「それ、それよりも、忠春様の身を……」

「馬鹿言え! 人の身を案じている場合か! 医者だ、医者を呼べ!」


 ぐったりとしながら馬上から落ちた義親を見て、忠春はその場にうずくまっている。

 済之助は斬りつけられた肩を押さえたまま、顔をひしゃげてぬかるんだ地面に押さえつけられている。


「く、くそっ、くそがっ!」

「うるせえ馬鹿野郎が! この野郎、なんてことをしてくれやがったんだ!」

「権力に日和ったお前らには一生かかっても分かるまい! くそ、届かなかったか」

「馬鹿言ってんじゃねえ。どれだけの思いを残して、くそ、くそったれが!」


 衛栄らも涙を流した。

 済之助の槍の穂先は義親の胸骨の中心をしっかりと捉えている。助からないことはまず間違いないだろう。

 義親の顔も黒い雨に打たれ、徐々に生気を失いつつある。

 それでも、義親は忠春の身を案じ続けた。


「もり、ひ、で殿、忠春さ、さまは、大丈夫です、か」

「安心しろ義親殿、嫌ってほどにピンピンしてやがる。お前さんもそうだろ、なぁ」

「良かった。忠春様は、大岡家、いや、日の本の宝です。死んでしまっては困ります」


 喋るたびに出血が激しくなった。


「……んなのよ」


 馬上で呆然としていた忠春だったが、小さくそう漏らした。

 すぐ後、馬上から飛び降りると、言葉が席を切ったかのように流れだす。


「なんなのよ! どうしてこんなことになったの? 何が悪いのよ。義親があんたに何かしたの? 平八郎だって、あんたに私たちが何かしたって言うの? ほんとに、ほんとにな、なんなのよっ……」


 忠春の問いに対し、その場に居た誰も何も喋らなかったし、喋れなかった。

 それからすぐ、奉行所の同心がやって来た。

 天満・高麗橋の火は鎮火出来たらしい。

 首謀者である平八郎の捕縛、焼け落ちた町の復興、避難民の対処、幕府への説明責任など、両手では数えきれないほどの案件が残っているにせよ、とりあえずは乱は終息した。

 しかし、そんな些事の羅列では忠春の大きく開いた穴をふさぐことは能わない。

 大声を上げながら涙を流し続ける忠春は、ただただ、冷たくなってゆく義親の手の平を握りしめていることしか出来なかった。

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