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女奉行捕物帖  作者: 浅井
別れの旋風
123/158

乱・承



 明け四つ。

 大阪中の町火消しを総動員させて天満町へと向かわせて延焼を止めようとするが、火の勢いは一向に止まらない。

 それと時を同じくして西町奉行所の中庭には陣幕が敷かれ、急ごしらえの本陣を作られた。


「忠春様! 状況を報告いたします……」

「そう、御苦労さま。少し休んでなさい」


 その本陣の際奥では、陣羽織姿の忠春が事態の成り行きの報告を受けていた。

 しかし、時が刻々と過ぎて行けれども、北天満の状況は混迷を極めており、全体像が一向につかめない。

 中間や目明かし、同心に与力までもが敵勢を探ろうと天満へと足を運ぶも、燃え盛る炎に街全体を包みこむ黒煙、町人達の逃げ惑う姿のみが克明に報告されるのみで敵勢について聞くことは出来なかった。

 せいぜい分かったことと言えば、平八郎らはこの半刻ほど、天満の町をぐるりと回って味方を増やそうとしているぐらいのことでしかない。


「玉造口定番、坂本鉉之助と申す。危急の折、参上仕りました」


 そんな折の出来ごとだった。

 玉造口定番から、筆頭与力の坂本鉉之助以下三十八名が西町奉行所へと駆けつけて来た。


「よく来たわね。よろしく頼むわ」


 数は少なくとも頼もしい援軍だった。

 特に、坂本鉉之助という男は砲術士としても名の知られていた男であり、配下の将兵もそれぞれ火縄銃を携えている。

 城代が協力するのかと思う所もあったが、大阪勢の素早い反応に忠春も多少だが胸をなでおろした。


「して大岡様、この軍勢は誰が率いておられるのですか」


 そして、そんな折の話である。

 鉉之助は何食わぬ顔で忠春に向かって言い放った。


「……ちょっと意味が分からないのだけれど」

「そりゃぁ決まってます。誰が指揮を取るのかということですよ」


 本陣内がざわついた。

 ほとんどの与力は「何を言っているんだこいつは」と不思議そうに鉉之助を見つめている。

 そんな彼らの気持ちを代弁するかのごとく、忠春は口を開いた。


「そんなのは言わずもがなでしょ。月番は私たちなんだから、東町奉行所だって私たちの下に付いてるんだし、こうやってやって来たあなた達も私の下に付いてもらう」


 忠春も当然のように言う。しかし鉉之助は薄い顔を渋くさせると、唸りながら言った。


「……それは困りましたなぁ。全くもって大岡様のお答えには納得できません」


 与力達の怪訝そうな視線を跳ね返しつつ、言った。


「あくまで我々は定番の与力。誰かの下に付くとするのであれば、我らが主遠藤但馬守様はもとより、城代にも伺いを立てなければなりません」


 ここに来て忠春も鉉之助の言い分を察した。

 つまるところは、『我々の主人は遠藤但馬守であるので、大阪町奉行の指図は受けたくない』ということである。


「だったら城代の手勢が来たらそれに従えばいいでしょ。それまでは私たちの下に……」

「そうもいきません。我々の勝手で遠藤但馬守様に迷惑はかけられません」


 鉉之助の毅然とした態度を見る限り、悪意があって言っているようには見えない。

 しかし、大阪の北半分が灰へと変わろうとしている最中、奉行所で起きていたのは無用な主導権争いである。

 忠春は頭を抱えた。それでも鉉之助の言葉は止まらない。


「指揮系統というのは大事なものです。誰が上に立ち、誰が下になるのか。そして、誰の命令に付き従えばいいのか。これがはっきりしていなければ我々がいくら精鋭といえども、烏合の衆に過ぎません」

「アンタの言うことは尤もだと思う。だけど、この非常時にそんな道理は通らないわ」

「そのような非常時だというのに、辺りに集まっているのは我々を含めて百名足らず。その上、東町奉行所の人員は来ていないようですが」


 西町奉行所に集まっているのは武装した与力同心その他を含めた五十数名と、坂本率いる定番の手勢四十名弱。

 東町奉行所へは半刻程前に伝令を走らせたが、跡部らの姿は依然として見えない。


「更に言えば、これから京橋口定番や城代直属の手勢もやってきます。誰がいちばん上に立ち、命令を下すのか。これを蔑ろには出来ません」


 元より鉉之助の言葉に理が無い訳では無かった。

 大阪町奉行の直属の上司は将軍だが、各定番の直属の上司は大阪城代である。

 根本的に、指示系統が二つあるものを統合しようと言うのだから、それぞれに軋轢が生まれるのも同然だった。


「本音を言え馬鹿野郎が。どうせ城代の水野と折り合いの悪い忠春様の下に付きたくないと言えばいいものを」


 一刻を争う事態の中でも、じれったいもの言いをする鉉之助に、衛栄は拳を振り上げて、机をたたき割るほどの勢いで殴り付けた。


「何を言うか根岸殿、私はあくまでも物事の順序というものを申しているだけ。他意などございませぬ」

「ふざけるんじゃねえ! だったら月番の西町奉行所に従うってのが筋だろうが。そこを渋る理由が知りたいね。どうせ遠藤ってのも城代が怖くてロクに動けねえんだろ?」

「お戯れを。先ほども言っているが、我々の主は遠藤但馬守様。こうやってやってきたのもあくまで善意です。我らが主君へのそのような侮辱は許されるものではありません」


 忠春と城代である水野忠邦との不仲を知らない者はまずいない。

 先の事情の上、上司のその上司が忌み嫌う相手に向かって、「はいわかりました、町奉行に付き従います」なんてことを簡単に言えるはずもない。

 衛栄が口にしたことが事実かどうかは分からない。しかし、依然として配下に付くことを善しとしない状況を見ていると、そう受け取られても仕方が無くもあった。

 そんな鉉之助の口ぶりを黙って聞いていた忠春もただただ呆れた。


「……酷い有様ね。町が燃え、人々が逃げ惑ってる時に、つまらない面子争い。やってられないわ。別に主導権がどちらにあろうが知ったことじゃないし」


 手にした指揮棒を道端に向かって放り投げ、吐き捨てるように言い放つ。

 忠春の目には生気が宿っていない。仄かに緩む頬が不気味さをましていた。


「忠春様、落ち着いて下さい」

「落ち着いてられる訳ないでしょ。平八郎が嫌になるのも納得ね。今になっても意地の張り合いだなんて無駄だってのに」


 義親が勇めようとしても今の忠春には意味が無かった。

 投げやりに言い放つと、そのまま鉉之助の目の前へと歩み寄り、同じようにしゃがみ込んだ。


「坂本って言ったわね。別にいいわ。あんたが指揮をとればいいんじゃないの。んで、水野がやって来たらそれに従えばいい。東町の連中が文句を言ってきたら月番である西町奉行がそう言っていた、とでも言っとけば?」

「いや、しかし、私なんぞが指揮など……」

「町奉行の私があんたの下に入るって言ってるんだからそうしなさいよ。あんだけ順序を気にしてたんだからそうすればいいでしょ」


 鉉之助は弱った。

 今までの発言も別に戦闘を嫌がってという訳ではなく、あくまで物事には順序がある、ということを示したかっただけの話だった。

 それがどうだ。

 突然折れて自身に従うとも言ってきた。

 毅然としたものいいに陰りが出て、寒空の下にもかかわらず渋面に汗が噴き出した。


「衛栄、アンタも口を慎みなさい。アイツのもの言いに理が無い訳じゃないし私がこう結論を下したんだからそうするように」


 衛栄も弱った。

 小馬鹿にしたようなもの言いに屈し、なおかつ城代の下に入る、とまで言い出す主人に対して交わす言葉が見つからなかった。

 本陣内に居た堪れない冷たい空気が流れる中、一人の男が飄々とやって来た。


「なんともむさい。敗軍の将とはかくも虚しいものなのか」


 飄々と現れたのは、陣笠姿の大阪城代水野忠邦だった。

 そんな忠邦に対し、いつもであれば小馬鹿にするような視線に苛立ち、食ってかかった忠春だったが、この時は違った。

 つまらなさそうに小さく鼻で笑い、あくび交じりに言葉を飛ばした。


「ほら大阪城代様、さっさと指示しなさいよ。こいつらはアンタの命令を待ってるのよ」


 そんな忠春の姿に、忠邦も拍子抜けしたらしい。

 助けを求めるような視線を送る鉉之助に事の次第を問いただすと、話を聞いて多くを察した。


「月番はお前だろ大岡、だったらこいつの下に付くのが道理ってもんじゃないのか」

「あっそ、坂本某、城代様はそう言ってるけど」

「水野様御自らそう仰られるのであればそう致します。大岡様、どうぞ御下知を」


 周りで成り行きを伺っていた与力達は安堵のため息をついたが、忠春のつまらなさそうな表情は変わらない。

 道端に転がる指揮棒を拾うと、それを腰に差し直して大阪城の区割りの図面を机へと広げた。


「……天満橋を落とした今、敵勢は天神橋か難波橋を渡って南下するしか手はないけれど」

「城へ最短で向かうとすれば天満橋でしょう。連中の檄文から察するに城代や町奉行に対しての恨み辛みが決起の大部分を占めているかと」

「確かにそうかもしれない。でも、彼らが渡るのは難波橋じゃないの」

「ほう、面白いことを言うな。どういった理由だ?」

「連中の目的は救民なんだったら、憎悪が向くのは城よりも大商人に向くでしょ。あれだけの財貨を持ってるんだからさ。それに天満橋は東町奉行所の目の前。防備を固めている所に素人が突っ込むなんて愚の骨頂よ」


 忠春の言葉に皆が頷いた。

 西町奉行所の与力達はそれぞれ出立に向けて同心達を呼び出しに行き、鉉之助に対して代表して義親が声を掛けた。


「なるほどな。確かにその可能性は大いにある。坂本殿、行きましょう」

「者ども火種を絶やすな、高麗町へと向かうぞ!」


 まずは天神橋へと向かい、それから情勢を見つつ川を越えて高麗町へと向かう手筈となった。

 時刻は昼四つ半。

 鉛色の雲の切れ間から陽が出てきたが、北風は相変わらず強いままだった。





 明けの四つ半。

 北天満をぐるりと回り、町奉行所の与力達の家々を焼き払う平八郎らに数名の身なりの汚い男たちが駆け寄ってきた。


「ぜ、是非とも我々を隊列に加えてはもらえないでしょうか」

「ほう、どこから来た」

「茨田郡です。このままじゃわしらも暮らしてもいけねえ。平八郎先生の末席に加えてほしいんでさぁ」


 男たちは家財道具も持たず、着の身着のままでくしゃくしゃに握りしめられた書状を持つのみ。

 そのくしゃくしゃの紙こそ、精魂を込めてしたためた檄文だった。


「それは重畳。私たちの考えに同意する者は拒まない。武器を手にとりなさい」


 平八郎が緩やかに言うと、格之助らが加わった人々へと武器を差し出した。

 そんなようなやり取りが続き、天満から城へ目指そうとする頃には百人だった手勢が三百人ほどにまで膨れ上がった。


「平八郎様、天満の橋が落とされております!」


 物見に出していた門弟の一人が叫び声を挙げながら平八郎の元に駆け寄ってきた。


「逃げ惑う人々を見捨てて橋を落とすか忠春め。少しは見なおした」

「こんな時に大物ぶってる場合か。どうする。予定はめちゃくちゃだぞ」


 そもそもの予定では東西合同の市内巡検中に両奉行を討ちとり、その勢いのまま城内へと攻め込む手筈だった。

 それが露見し、計画を早めて城へと徒を進めることになったが、最短距離の天満橋を落とされたことにより更なる計画の変更が必要になった。


「……天神橋を渡るぞ。一刻でも早く両町奉行に鉄槌を下し、世を糺さなければならない」


 あくまで平八郎にあるのは城代らへの天誅であり、大阪の町を救うことである。

 落ちた天神橋が目に入る所まで来て、行き先を天満橋方面へと変えようとした時だった。


「いや、ちょっと待って下さい先生」


 門弟の一人が手を挙げた。


「あくまで人々を救うこと。だとするのなら果たして城代らを倒すことで果たされるのでしょうか」

「悪業を重ねた商人達の蔵を暴き、人々に分け与える。これも立派な救民では」


 一人に重なるように次々に言葉が発せられる。

 それから口を揃えてこう言った。


「更にその金米を施せば我々の勇名は日の本全土に轟き、賛同者が増えることでしょう」


 彼らの主張に済之助と平八郎は顔を見合わせた。

 それから違うに頷き合うと、済之助が大声で号令をかけた。


「……進路変更! 難波橋へと向かうぞ。高麗町に巣食う商人たちに鉄槌を下せ!」


 東にとるはずの進路を西に取った。

 その半刻後、平八郎ら暴徒と、町奉行所らの軍勢が衝突。銃撃戦となった。


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