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女奉行捕物帖  作者: 浅井
後の祭り
105/158

縦横無尽


 船宿の捜査が行われた翌日、奉行所の蔵では捕らえた浪士達の尋問が明朝から行われていた。

 時刻は夕刻。日も落ちつつあったので暑さは和らいだものの、奉行所内はそれと関係ないぐらいに白熱していた。


「それで小菊さん、旦那の八重介が殺された事に関して思い当たる節はないのですか」


 平八郎は奉行所内の一室で浪人たちから保護した小菊の調書を取っている。

 しかし、かなり難航していた。


「……知りません。主人は生真面目一本の男だったもので。なぜ死んだのか私の方が知りたいぐらいです」


 小菊は誘拐されたと言うのに平然としている。喚き散らすような事もなければ喋り倒すこともない。平八郎が何を聞いても先のような反応が繰り返されるだけでこれといった収穫は無い。

 これには平八郎も困り果てたし、同席していた忠春と義親は平八郎と同じように首を傾げた。

 常識的に考えれば自身の旦那を殺した犯人に目星があれば少しでも多くの情報を話すだろう。これが平八郎らの抱いた考えであり願望だった。

 しかし、現実は違っていて、小菊は何も話さない。

 痺れを切らした同心らが脅しを掛けようも、それを取り成したかのように平八郎が甘く囁いても結果は変わらない。罪人に対する尋問紛いの事をする次第にまで陥っている。

 これには平八郎らも大いに困った。


「昨日の今日で気が立っているのかもしれませんね。今日はこれまでにしましょうよ」


 見かねた義親が一歩出て肩をすくめて出て来た平八郎の耳元で囁いた

 成果の出ない長時間の尋問に同心達もやれやれといった表情で、夏の暑さと相まって傍から見ても分かる通りに消耗していた。情報漏洩を防ぐために窓という窓を閉め切った室内で行われているので無理もない。


「そうかもしれません。今日はこれで……」


 平八郎も消耗していた。台本通りに仕掛けても効果が薄い。


「……ちょっと待ちなさい。私に話をさせて」


 遮ったのは忠春だった。

 部屋中の視線が忠春一点に集中するも気にすることは無い。毅然と言った。


「本当によろしいのでしょうか。かなり難儀しますよ」

「そうですよ。何を聞いても大した返事はありません。これ以上の尋問は不要なのでは」


 義親と平八郎が声を掛けるも忠春は揚々としている。


「大丈夫だって。私に任せなさい」


 立ち上がると襖を勢いよく開ける。忠春は自信に充ち溢れていた。





 薄暗い土塀の中に一人。小菊は俯いていた。


「長い時間付き合わせちゃって悪いわね。これも少しだから安心して」

「……どなたでしょうか」

「大岡越前守忠春。大阪西町奉行よ」


 名乗ると小菊の目の色が変わる。幾分だけ背筋もピシッと伸びたかも知れない。


「ご奉行自ら何の用でしょうか。話すことなどございません」


 それでも小菊の意思は固い。目は蝋燭の小さな火に照らされて心の中に何かを秘めているようにも見えた。


「何も話す内容が無いって言うの?」

「そうです。八重介が死んだ理由なんて知る由もありません」


 だが、決定的におかしい。数十年来、共に店を切り盛りしている夫婦で、それも旦那がどこかに毎週のように会合しに出て行っている。

 それに、八重介が殺されたのは会合に出て行った後。知る由が無いと言い切るにはいささか不十分すぎる。


「んなわけないでしょ。出かけた理由ってのは株仲間の会合なんでしょ。それも知らないって言うの?」

「そんなことですか。株仲間の会合に行っとったのは知ってます。それがどうしたんですか」


 小菊が言い返す。忠春はほのかに口角を上げると言葉を続けた。


「そうなると八重介は会合に行ったっきりみていない。そうなるわよね」

「まぁ、そうなりますよね」

「そうなるとさ、まずあなたが知る由も無いなんてことは無いでしょ。それは認めるわね?」

「……ほんまになんなんですか。細かいことばっかり突いて来て。つまらんことばっかり言うならさっさと帰して下さいよ。店のことだってありますし」

「なんであなたは殺されなかったの。浪士を雇ったのは株仲間の連中なんでしょ。こうやって生きている理由が見つからない」


 誘拐されてから捕まるまで猶予はかなりあった。本当に邪魔であれば夜のうちに始末するに決まっている。しかし、小菊はこうやって生きながらえている。

 なおも小菊は何も喋らない。


「あなたと同様に私たちも暇じゃないの。この一件だって株仲間の連中を適当に引っ張って自白させればそれでお終いに出来る。そうなればあなたの身は保証できないな」

「んなことはさっき散々言われたんでどうにも思いませんよ。好きにしてください。潰したければどうぞ」

「そう。分かったわ。平八郎、ちょっと来なさい」


 忠春はやっと口を開いた小菊を一瞥して立ち上がると襖を開いた。すぐそこに平八郎が控えている。


「どうかなさいましたか」

「今から株仲間を全員しょっ引いて。否定も肯定もしないのは肯定したのと同じ。浪士達を雇ったのは株仲間の連中だってさ」


 意外な言葉に平八郎は眼を丸くさせた。背後にいた義親も目を点にして口を開けたままこちらを見ている。


「ちょ、いいんですか?」

「構うこと無いわ。疑わしきは罰する。違法だなんだっていいたい奴には言わせておきなさい。気にすることなんて無いわ」


 義親の返事を聞くと忠春は鼻で笑ってみせた。周りにいる同心たちも呆然としながらやり取りを見ている。


「橘屋も容赦しないわよ。殺されるような男だったって喧伝していいし、怪しい商売に手を出したってことにして潰すんだから。何もしゃべらないってことはそういうことよ。覚悟は出来てるの?」


 平然としていた小菊も忠春の態度に怒気を強めた。


「……上等ですよ。好きにすればええ。潰したきゃ潰せばええやないですか」

「それじゃそうさせてもらうわ。平八郎に義親、一斉に踏み込むわよ。店の中から塵一つ残さないでね。全てを奪い去って」


 平八郎と義親は顔を見合わせて戸惑いながらも返事をした。同心達も慌てながら部屋を後にする。

 忠春は襖を閉じると再度小菊と向かいあって話し合う。


「あなたが浪人に誘拐された様に八重介だって殺されるにふさわしい男だったんでしょ。話してくれれば私たちは誠心誠意協力するわ。でもあなたはそれを断った。せっかく雪辱を果たす絶好の機会だったのにね」


 小菊が息を呑むと忠春は言葉を続ける。


「橘屋だって二人で築いたんだろうけどあなたが終わらせるのよ。これで八重介は無駄死よ。生真面目だろうがなんだろうが関係ない」


 八重介が死んだ一件に株仲間が関わっているのであれば、彼女にとって奉行所の捜査は渡りに船といっていい。

 そして、忠春が捲し立てて話していた通り、小菊は八重介の妻とはいえ、八重介殺害の一件に関わっていないとも言い切れない。

 それにこうやって口を噤んでいるということは、何か秘めたいことがあるという証拠だとも解釈できる。そうやって論理を立てれば椿屋強制捜査もそれなりの策となるだろう。

 忠春は笑いを堪えられなかった。半笑いになりながら小菊の肩を何度も叩く。


「つまらない意地張って何もしゃべらないあなたが悪いのよ。つまらない店と旦那の遺体を跡形もなく消してあげる。感謝しなさい」


 小菊は、ため息交じりに俯きながら答えた。


「……分かりましたよ。お奉行様自らこうやるなんて思いもしませんでした。本当に事件を解決しようと熱心な方なんですね」

「分かってくれてありがとう。ほら、話してみなさい」

「あの誘拐は謂わば脅し。連中に私を殺す気なんてものはサラサラありませんよ」


 仮に店に押し入りの強盗が襲ってきたのならその場で殺されているか、金品を強奪して蔵の中に縛られていただろう。

 しかし、小菊が連れ去られたという以外、店の方は何も問題が無かった。そうに決まっている。内心で忠春はそう確信していた。だからこそ、こうやって色々と演ってみせた。

 やっとのことで口を開いてくれた小菊の言葉を聞いて、忠春は安堵したように小さく息を吐いた。


「ということは、この誘拐ってのは身内同士で仕組まれた誘拐ってことになるのね」

「かいつまんで言えばそういうことですね。普通、仲間内の稼ぎ頭の店をわざわざ潰そうと思いますか?」


 それについては異論は無い。忠春は苦笑いするしかなかった。

 平八郎からの報告を受けて橘屋が株仲間に所属しているのは知っていたし、店の景気が良いということも知っている。


「私だって事情は大体掴んでるわ。どうせ、八重介さんは株仲間同士の揉め事で殺されたんでしょ」

「さすがは切れ者の大岡様や。それなら知ってますか?」


 会話が続くと小菊は饒舌になり始める。黙り込んでいた先ほどとはえらい違いだった。


「無尽ですよ。もちろんこれも知ってるんですよね?」

「ちょっと待って。無尽で?」


 これは初耳だった。即座に忠春が聞き返すと、小菊は目を丸くさせてしまったといいたそうな表情で吐き捨てるように言う。


「なんや、知らんかったんですか。 ……それやったら言わなきゃよかったわ」

「冗談はやめて。聞いてしまった以上話してもらうわよ」


 忠春が見つめると、今度は小菊が苦笑をし、仕方なさそうに再度ため息を吐いた。


「私らが中心になって町人相手に無尽をしとったんですよ」


 元は無尽は掛け金を供出しあって何かあった時に備える物だった。

 しかし、年を経るごとにその仕組みは複雑化して行き、一部では高額の掛け金を設定し、最後には抽選して掛け金以上の利益を得られる富籤のような博打にまで発展していた。

 橘屋らの無尽はこういった類のものだろう。


「たぶん、無尽って言っても結構タチの悪いヤツなんでしょ。博打みたいに勝ち負けが出てくるような」

「大体そうです。主人は博打めいた無尽に深く関わってました。ここに至るまで色んな苦労がありましたけどね」


 小菊は言う。そしてか細い声で自身の過去について語り出した。






「主人……その、八重介は私の父の店で10の時から丁稚奉公をやってました。ずっと下積みをやっていて20年前にやっとの思いで独立をして自分の店を持ったんです。それが橘屋でした」


 商人世界の最下層からの文字通りの成り上がりだ。忠春も大したものだと素直に感心する。


「私は三女だったので、彼には遊び相手にもなってもらってました。優しい人やったし信頼できる人でした。私はそれに惹かれていって結ばれたんです。ほんま、真面目でええ人でした」


 八重介については誰に聞いてもいい評判しか聞かなかったと報告書に書かれていた。生真面目だからこそ信頼され、店を持つまで成功したのかもしれない。


「今回の一件は生真面目が祟ったんやろうな。あんまりええ話やないんやろうけど、お奉行様がこっちに来てから、主人は株仲間の会合の方に顔を出さんようになったんです」

「私が来てからってどういうこと?」

「これまでは持ちつ持たれつでどうにかやってこれたけど、奈良奉行所の横領やらに対する処分を見て、先の無尽を取り締まられると思ったんでしょう。だからこそ無尽との関わりを絶とうとしてました」


 事態は重苦しいとはいえ、忠春は内心で喜んでいた。こういった不正が無くなれば世はいい方向に動くかもしれない。それが将軍家斉のためにもなると思っている。

 自身が率先して世直しをすることで、その影響を受けた人間が自発的に浄化の道に進んで行く。これよりも良い筋書きなどは無い。


「天神祭の暮れ、主人は何も言わへんで行きよりました。気遣いの塊のような人です。きっと株仲間の連中にでも呼び出されてなんかされるんやないかと思いましたけど、どうすることもできません。なんとなくですけど、私はこうなるって分かりました」


 八重介は話せばわかると思ったのかもしれない。株仲間の中心にあって大阪御用商人としての矜持と客観的な視野。八重介が持ち合わせていた者を他の商人は持っていなかったのかもしれない。

 それに、忠春自身も誰かから情報提供があれば確実に摘発していただろう。


「結局、その通り主人は帰って来ませんでした。それで察したんです。ああ、殺されたのか、って。それに、今までのことを考えたら、失礼かもしれませんが奉行所なんかに話したところでなんにもならんと思ってました。なんたって、主人が告発しようとした相手が来たって話せるわけもないでしょうし」


 気丈な小菊の目に涙が浮かんだ。薄ら明かりの密室でも分かる。目尻から一筋水滴が垂れ落ちた。


「それから何度か主人について話を聞かれました。たぶんやけど西町の同心か与力なんやろ?」

「まぁそうなるわね。どうして分かるの」

「身なりこそ町人風やけど、商売上手な店主ならなんとなくお侍やろなって分かりますよ」


 夫婦で店を切り盛りしてきただけのことはあるらしい。忠春は苦笑するしかない。


「その場では何も答えんかったからお侍さんは帰っていきましたが、変装したのがウチの店先に何度も来てるのに連中も気が付いたんでしょう。それで一昨日の夜、それで店仕舞いの後に帳簿の整理をしとったら浪人が押し入ったんです」


 浪人の雇い主は平八郎らの捜査をどこからか見ていたらしい。

 結局、殺されずに大阪中を連れ回されただけ。そして平八郎らの手柄で潜伏先が見つかり、こうして忠春の目の前で事情を話している。


「つまりこの誘拐ってのは『旦那が死んだからといって変な気を起こすんじゃない。これからも従え』って意味ね」

「そもそも押し込みにしては手際が悪すぎるし私を殺す気配も無い。それで感じました。会合の誰かが差し向けたんやろうなとね」


 誘拐そのものが狂言に近いのかもしれないが、相手の肝を冷やさせるには十二分の効果があるだろう。

 脅し目的にしては手荒過ぎる行動ではあるとも言えるが。


「急いては仕損じるって言うけど、まさしく意味の無い行動ね。抜けた仲間を持ったあなたに同情しちゃうかもしれない」

「何も喋っとらんことは考えれば分かることやし、私も端から付き従う気ですからそんなん無くたってええのにな。浪人を雇ったヤツはほんまにアホやわ」


 今度は本心から言っているのだろう。誘拐犯が居なかったらこの一件は解決していなかったのかもしれない。


「それで雇い主について何か思い当たる節は無いの?」

「まぁ、無いと言えばウソになるな。多分やけど……」


 数秒唸ると小菊は言った。


「無尽に参加しとったどこか藩やろうな。それも、かなり抜けとるところがそうでしょう」


 小菊の話では上方のほぼすべての藩が参加していると言っていた。

 その中のかなり抜けている藩、ちょっと考えただけでも一つ二つほどが簡単に思い当たる。

 忠春は頭の中に浮かんだ藩の名前を言おうとした時だ。

 閉じられていた襖が音を立てて開き、大声を上げながら浪人の尋問を行っていた同心がやって来た。


「忠春様! 尋問中の浪人が吐きました。連中の後ろにいたのは西条藩だそうです!」

「お奉行はんの言う通りや。確かにやつらならやりかねんわ。先祖だけが取り柄のアホやったしな」

「やっぱり連中は何かしら関わってたのね。ごくろうさま。こっちも済んだから」


 西条藩も違法無尽に負い目を感じていたのだろう。だからこそ急な来訪に慌てていたのかもしれない。


「とにかく小菊さん、あなたの身柄は私たちが責任を持って守り抜くわ。それだけは安心して」

「ま、これだけ早く私を見つけられたんだから信じます。よろしゅう頼みます」


 忠春に頭を下げた。忠春も満更でなさそうに笑みを浮かべた。

 それと同じくして平八郎らが装備を固めて戻ってきた。和やかに話している忠春と小菊を見て再度目を丸くしている。


「平八郎、橘屋に同心を一人派遣して。無尽に関係する書類一式を押収しなさい」

「わ、分かりました。株仲間に入ってる店の方の準備も万端ですが、浪士を雇ったという西条藩の方はどういたしましょうか」


 相手は武家であり、それも親藩大名なだけに勝手に手を出すことは出来ない。処分するにはしっかりとした手続きを踏まざるを得ないだろう。


「この一件のことを目付に報告してから対応策を練るわよ。それよりも今日の夜までには関係してる店に乗り込んで店主をしょっ引きなさい。一刻……いや半刻後には出られるようにして。詳しい話は後で聞かせるから」

「ははっ! すぐに人員を選抜します」


 待ちに待った捕物に平八郎は顔を緩めるとすぐに飛び出して行った。

 トタトタと走る小さな背中を見送ると小菊が小さくつぶやいた。


「あの女の子が大塩平八郎ですよね。話に聞いてましたけどホンマに小さい子なんやな」

「へえ、平八郎って有名なのね。色んな人からあの子の話を聞くんだけど」

「そりゃ大阪で初めての女武士やからな。ここ最近活躍しとるやないですか。ほら、新光門の一件とか有名ですよ」


 忠春も大阪人の耳聡さに恐れ入った。小さな情報も大事にするからこそ、この町が日の本一の台所と呼ばれるまでに成長したのかもしれない。

 再度感心しているとあることを思い出した。それも重要なことだ。


「それと、大して気にしてないけど『奉行所なんか』とか『本当に事件を解決する気があるのね』みたいに、ちょいちょい奉行所のことを小馬鹿にしてくれたわよね。それにもなんか意味でもあるの?」

「当り前やないですか。こんなんなったのは奉行所のせいや。そういえば言ってませんでしたっけ。ほら、アレですよ」


 小菊は何でもなさそうに言った。


「株仲間の会合の中心におったのは東町奉行所与力の弓削新左衛門です。この10年来、ヤツが商人達を取り仕切ってもらってました」


 忠春はこの場に平八郎が居なくて安心した。要らぬ気遣いをする必要が無いだけまだマシだった。

 そんな安堵感も一瞬にして消え、事の深刻さに拍車が掛かったことに気を重くする。


「詳しく話して。今さら隠し事なんて意味無いでしょ」

「これも知らんかったのですか。ま、しっかり話しますんで、そんな焦らんでください」


 東町奉行所の与力の名前を聞いて忠春は自然と身を乗り出していたらしい。小菊にたしなめられるとすぐさま座りなおして聞き直した。


「教えて。弓削がアンタ達とどんなふうに関わってたのよ」

「入ってる株仲間は私らみたいな商人が集まったのはしっとるでしょう。そんなパッと出が御用商人になれるはずなんてありません」

「そりゃガチガチに固まってるしそうでしょう。それで無尽を思いついて弓削を胴元に祭り上げたの?」


 小菊は宙を向いて首を傾げるとぎこちなく首を縦に振った。


「半分は当たりです。実際に行われてたのは付け届け代わりの無尽です。それに無尽にしろって言い出したのは弓削様です」

「……なるほど。付け届けよりも無尽のほうが聞き触りはいい。あの男もなかなかタチが悪いのね」

「弓削様は奉行所の与力やから大阪に顔が利きます。人も簡単に集まりましたよ」


 奉行所の与力であれば信頼も効く上に、弓削自身が取り締まる側の人間だ。人が集まらなければ成り立たない無尽の胴元にはこれ以上ない人材だろう。

 それに無尽そのものは違法ではない。掛け金の額を高くして射幸心を煽ったことも容易に想像出来る。


「一回につき掛け金は5両。週一に抽選して全8回。全部で100口あるんで総額で4000両になりますね」


 想像をはるかに超えた途轍もない額だった。奉行所の役金以上の額が二月で動いていることになる。


「……それでどれぐらい粗利が出るの。胴元が5割ぐらい持っていくの?」


 忠春が聞くと小菊は首を横に振った。


「そこが弓削様の賢しい所で、自身は2割半しか持っていかないんですよ。それに初参加者には掛け金以上が還ってくるように仕組んでましたし」


 3割弱であれば胴元の利率としては確かに少ない。とはいえ4000両の2割半は1000両ほどなので、町奉行である忠春の役金以上の額を二月毎に受け取っていた計算になる。

 1年換算で6000両。それを10年来続けている。少し考えただけでも頭が痛くなった。


「そりゃ他の株仲間は八重介の死について隠したがるわね。これで合点がいったわ」

「明るみになったら株仲間は剥奪。それに御用商人も下ろされますからね。主人と作った店です。それを潰したくは無かったので隠そうとしていました」


 高い金を払って手に入れたお得意様を取られるのだから、商人からすれば溜まったものじゃないだろう。

 同様に奉行所からしても裏でこそこそやられるのも溜まったものではない。それも、病床にいる実徳の腹心とも言える与力が行っているのだから尚更だ。


「主人はほんまに生真面目すぎたんですよ。三割じゃ違法性なんて無いようなもんや。それなのに……」


 一応掛け金を集めて再配分しているので無尽の範疇であるとも言えるので、町奉行が別の人物であれば問題視しないかもしれない。

 しかし、忠春にはそれは許せなかった。


「残念だけど、それには同情しないわ。あくまでもアンタ達がやっていることは全くの違法よ。このご時世に博打は禁止だから」

「内心では分かっとります。主人が自分から奉行所に申し出ようとしたように、いずれこうなる手筈だったのかもしれません。先立たれた妻みたいに振舞っとりますが、主人を見殺しにしたんは私らですよ。何も言えません」


 小菊は眼に涙を浮かべる。これも前のものとは違う。薄ら明かりの下の表情はどこか安らかだったかもしれない。

 隣の部屋で待機していた同心を呼ぶと、小菊を別の部屋で休ませた。


「忠春様はどうなさいますか。高麗橋へはすぐにでも行く準備は出来ておりますが」

「……ちょっとだけ一人にさせて。小菊さんを頼んだわ」


 同心は一礼して小菊の手を引いていった。

 蒸し暑さの残る部屋に一人残された忠春は深くため息をつく。


「……ったく、私にどうしろっていうのよ」


 ただ、泣きたいのは忠春だったかもしれない。

 この一件が明るみに出れば盟友の東町奉行高井実徳のクビは飛ぶ。忠邦が同じように推挙したい人物について聞いてきたところで推すべき人物などいない。続いて着任する奉行は、自然と親忠邦の人間になるに決まっている。

 そして、話を聞いたのは忠春だけとはいえ、捜査を担当している平八郎に無尽について話さない訳にもいかない。

 宗門改の一件で、運よく手柄が上がったことにすら、あれだけ怒るような人物だ。隠し通せるはずもないし、そんなことをしたら後に響くのは間違いない。それも非常にまずい。

 さてどうやって伝えようか。

 平八郎が株仲間の面々を連れてくる間、私室に籠もった忠春はその内容を必死になって考えるしか無かった。

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