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女奉行捕物帖  作者: 浅井
後の祭り
103/158

原点


 大塩平八郎は触れば弾け飛ぶそうなぐらいにに殺気立っている。

 頭に銃弾を受けた死体から始まった事件も絡まった糸は手繰られるようになり、後は小菊に事の次第を訪ねれば終わると思われた矢先の出来事。

 右手で艶のある前髪を根本から握るとそのまま黙り込んだ。


「その、平八郎様、申し訳ございませんでした」

「まさか連中が強行手段に出るとは。まったく思っていなかったもので……」


 松橋主税と新藤三郎の両名は恐る恐る声をかけるも反応は無い。

 平八郎はわなわな握り拳を震わせて俯くのみだった。


「いつなの……」

「ど、どうか」

「いつ消息を絶ったの! 早く報告しろ!」


 悲鳴にも似た一喝で老同心二人は背筋を伸ばして言葉を発した。


「店にいたのを確認出来たのは橘屋の店終いの時です。せやから暮れ六つかと」

「それで、翌朝です。高麗橋を廻っていたのですが、橘屋に顔を出したところいつも居たはずのカミさんの姿が無かったんです」


 今の時刻は日が宙天に昇った明け九つ。半日以上も経っている。


「居なくなってから刻もかなり経っているか。とにかく手隙の同心を総動員だ。絶対に見つけ出せ!」

「目明かしも小間使いも何でも使います。すぐさま準備を」

「最悪でも今日中。半刻ごとに奉行所へ使いを送って来て。居場所を見つけたら一斉に踏み込んで対処だから」


 捜査員も直属の配下3人以外に目明かしを含めば30人にはなるかもしれない。


「せ、せやけど、人数が足りません。ワシら含めて30じゃ取り逃がします」


 三郎の震える声に平八郎は落ち着こうと深く息を吐いた。

 大阪三郷ですら南北に30町・東西に20町ほど、鄙を含めれば更に数里は増すであろう大阪市中を探し回るにはこの人数が足りなかった。


「そんなことは分かってる……義親殿や他の与力に応援を頼むか。それに仕方無い。忠春様にも相談しなければいけないな」


 とにかく人手が欲しかった。在所している与力に片っ端から声を掛けるほかない。


「既に目明かしには話を通してあるんで問題ありません。御用絵師に小菊の人相書も書かせとります」

「こう言う時に限って準備がいいのね。 ……とにかく行って来て。必ず探し出すのよ」


 主税や三郎に一言二言こぼしたい平八郎だが事態はそんな猶予を残していない。

 すぐさま発破をかけて同心らを送り出すと、紛糾する平八郎らの元に忠春がやって来た。


「なんか慌ただしいわね。どうかしたの?」


 忠春は荒れる平八郎へ怪訝そうに目を向ける。

 重い顔つきのまま平八郎は一礼すると、細く息を吐きながら気を落ち着けて事の仔細を報告した。


「……分かった。詳細は伏せて指示を出すわ。私の方からも指示を出す」

「このようなことになって申し訳ございません。同僚の与力方に頼もうと思っていたところです」

「それがいいわね。あなたに義親を付ける。存分に使ってちょうだい」

「平八郎殿、よろしく頼みます」


 忠春の横に控えていた義親は深々と一礼する。荒れていた平八郎も少しずつ落ち着きを取り戻して来た。


「何より心強いです。私の代わりにお願いいたします」

「私は与力を廻って指示を出してくるから。義親、平八郎をよろしく頼んだわよ」


 平八郎も同じように一礼すると忠春は袖を翻して廊下を行った。





「岡部又兵衛組下の三太郎でございます。曽根崎村、目標の姿はございませんでした」


 日が傾き始めた明け七つ半(2時頃)。

 奉行所を総動員して送り出した同心たちから返事はあっても芳しく無いものばかりだった。


「まだなのか。居場所はまだ特定できないのかっ!」


 平八郎は荒んでいた。壁一面に広げられた地図の中に報告のあった場所へバツ印を付けるたび、自分自身に烙印を押されるような強い痛みを感じていた。

 時が経てば経つほど八重介の女房を誘拐した連中に分が生まれる。奉行所の後援もあって町筋という町筋に与力同心を送り込んだが、10名という少人数で行動されるとキリが無いと言ってもいい。


「平八郎殿が焦っても何の意味もございません。とにかく落ち着きましょう」


 焦る平八郎を宥める義親。忠春の指示で平八郎の元に付いてからは、こんな光景がずっと続いている。

 義親としては、攫われた小菊捜査の難航振りも十二分に気分を重たくさせたが、気の立った平八郎を押さえるのにも気が滅入った。二重の意味で彼の表情は重たい。


「市中では100名ほどが居場所を探っています。なんとかなるでしょう」


 忠春の指示もあって小菊捜索のために西町奉行所与力の半分を動員した。その組下である目明かしや岡っ引きを含めればその倍はいるかもしれない。

 それだけに義親は信じるしか無かった。


「もちろん信じています。なんたって私の組下なんですから。でも、私には……」


 こめかみに青筋を立てていたと思えば、平八郎はそう言って突然俯いた。


「わ、わたしは、わたしに失敗は許されないのです! 父上のようにはならないためにも!」


 義親も平八郎の表情に面を食らった。

 いつも強気に見せていた顔つきでは無い。左右の腕は義親の袖をガッチリと掴み、涙を溜めた大きな丸い目はしっかりと見据える。泣いて縋る一人の乙女と言えた。そして義親も、あれだけ強気に出ていた彼女に目の前で泣かれてしまった以上、適当にあしらう訳にはいかなくなったし、そうしなければならないと素直に思ったことだろう。


「……平八郎殿がそうやって弱気になってしまっては元も子もありません。しっかりして下さい。何かあったのですか」

「私の父は与力でした。町で大捕物を演じたりと威厳があった。そんな父に憧れてました。昔の話ですけどね」


 大塩家は大阪奉行所で与力職を代々受け継ぐ家で、平八郎は初代から数えて8代目となる。


「確かに働く父の背中ってのは綺麗に見えますよね。私の父は国許の西大平で大岡家の家老をやっているので、平八郎殿の思いはよくわかります」


 平八郎の父・敬高は西町奉行所の与力として職務に奮闘していた。その一人娘であった平八郎は、仕事に励む父の姿にいくつか尊敬の念を覚えたに違いない。

 そして、対する義親の父は、忠春の父・忠移や兄・忠愛を支え導くべく家老職を務めている。そうやって憧れる姿に強く憧れたし、背中に憧れる平八郎には共感を覚えた。


「まさしくその通りです。本当に格好良く見えたし、元服したら町人のために働こうと決意させました。しかし、元服前に父の伝手で東町奉行所で与力見習いをやっていました。そんなころ、奉行所内でとある噂が流れました。とある与力が中心となって不正蓄財をしているという話です」

「……不正蓄財ですか」

「幕府への口利きを図るとか何とかで目明かしを使って必要以上の付け届けを受け取っていたんです」


 義親が聞き返すと平八郎の口調が強くなる。


「『付け届け』と言葉こそ綺麗かもしれませんが、結局やっているのは町人への強請りやタカりの類です。まったくもって度し難いふざけた話だと今でも思います」

「確かに酷い話です。しかし子供一人が頑張った所でどうしようもないでしょう。それに付け届けは当たり前の行為であって、善悪の判断は難しい」

「残念ですが義親殿の言う通りです。所詮は見習いです。いくら私が主張したところで、身の回りの大人に言ってもまともに取り合ってくれませんでしたからね。町奉行の高井様に報告してもまとも取り合ってもらえませんでしたし」


 付け届け自体はなんてことの無い行為だった。多少の便宜を図ることぐらいは平気であったし、重大事件でなければ金銭で解決した事案もザラにあった。

 行為そのものの不当さについて約定を定めるとするにしても、ある一定の基準を設ける判断は非常に難しいし、かといって何もかもを厳格に処罰するとなると奉行所の腕は全く足らなくなる。上手く仕事を回すにはいくらか目こぼしをしなければならないし、その目こぼしの基準となるのに金はもってこいの材料だ。

 だからこそ実徳を筆頭に、過去の町奉行らは取り締まろうとは思わなかったのだろう。


「私一人でどうこう出来る問題で無いと気が付いたので、とにかく父上に仔細を報告しました」

「それで噂についてどうなったのですか」

「数日後には『全てカタが付いた』と父上は言ってましたし、確かにカタはつきました。東町奉行所が西町奉行所からの告発が請けたという話なので父上が絡んでいたのだと思っていました。とはいっても結局、その一件の処罰は目明かし数名の首が飛んだだけ。『そいつが勝手にやったこと』。最近になって知ったのですが、幕府への報告書はそれで終わりだったようです」


 結局のところ、この処罰だってトカゲのしっぽ切りなのだろう。町人半分罪人半分ともいえる目明かしなど、探そうと思えばいくらでも用意できるので切られたところでなんら問題は無い。告発があった以上、握りつぶす訳にもいかないという体面を考えるならば、ここら辺が適当に収めるにちょうどいい塩梅かもしれない。

 そよ風が吹いて縁側の風鈴がチリンと鳴る。夏の暑さを忘れさせる涼やかな音だ。なおも平八郎の言葉は続いた。


「それから、この事件が終わって父が東町奉行所にやって来たんです。その一件についての報告が色々とあるとかなんとかで」

「仕事とはいえ大した人ですね」

「父は身内を告発したというのに敵陣に堂々と乗り込むだなんて大した度胸だと感心しましたよ。ただ……」


 ことの仔細を知らない者が聞けばその光景は誇らしかったことだろう。しかし平八郎の語尾は重たい。


「ただ?」

「その時の父の目を忘れることは出来ません」


 義親が「どういうことでしょうか」と聞くと、平八郎は嘲るように薄い笑みを浮かべる。


「告発されるべき弓削に向けられたのは媚び諂った、負け犬の目ですよ。普段から怒鳴り散らした男がこれか。あの顔には呆れてものが言えなかった。その時に私は子供ながらに察しました。『これじゃダメだ。内から糺していくしかない』と」


 素直に育った平八郎にとって、敬愛してやまない父の顔はあまりに醜く見えたのだろう。平八郎が負ってしまった傷はあまりに深かった、のかもしれない。

 義親も掛けるべき言葉が見つからなかったのか、ただただ黙って次の言葉を待つことしかできなかった。


「もっとも、その後も父は仕事を続けていました。なんだかんだで西町奉行所の年番方にまで上り詰めたようです。数年前に隠居したらすぐに逝きましたけどね」


 吐き捨てるような言葉に感情はこもっていない。淡々と言葉を並べただけだった。


「私は父のような与力にはなりたくない。見逃すべき悪なんてものは存在しませんし、そのためには誰が見ても清廉潔白でなければならない。だからこそ私に失敗は許されないんです」


 拳を固めた平八郎を見て義親は悟った。

 これまでの言動・行動・抱え持っている信条、全てはここで育まれたものなのだろうと。

 過激とも言える生真面目さは父への愛情にも似た憎悪から始まった。


「それに周りの与力達は私の事を嫌っている節がある。特に髭なんかはそうだ。私の言葉に事あるごとに噛みついて潰そうとしている」

「い、いや、衛栄殿だって幕府のことを思っての言葉で、そんなことは無いと思いますけど……」

「だからこそ忠春様には感謝してもしきれない。この一件を手柄にあの男を追いおとしてやるんだ」


 平八郎は言葉を遮ってこれ以上ないぐらいはっきりといった。

 自信と怒りに満ちた平八郎の表情を見ると、義親はぎこちなく頷く。


「やはり私が見込んだ殿方だ。義親殿もそう思いますよね?」


 平八郎の表情がすぐさま変わる。またも義親は返答に困った。

 適当に肯定すればいいのか、今までの話を振り返ってみて『違う。そうじゃない』と答えるべきなのか。


「だからこそ義親殿は素晴らしい男です。今まで奉行所で勤めていて初めて見ました。正義に溢れて市中の平和を守る。全ての与力は義親殿であるべきとも言えます」

「その、私はそんな清らかな男では……」


 義親が苦笑して俯きながら小さくこぼした時だった。廊下を踏み抜くんじゃないかというぐらいの音を立てて一人の男が走り込んできた。


「新藤三郎組下の三七です、平八郎様っ! 連中が見つかりました!」

「よくやった。どこだ。どこなんだ」

「平野口町、猫間川沿いの船宿です。数は10名ほど。」


 城東にある平野口町は西町奉行所からもそう遠く無い。


「呑気な連中め、即刻捕縛してやる。義親殿、行きましょう!」


 平八郎自身が奉行所内を大声で号令をかけながら廻ると、陣笠を被って厩舎に乗りこんで馬に飛びのった。その背後に刺又を携えた同心達が駆けて行く。


『助かった』


 これが義親の率直な感想だっただろう。実際、義親は半七の報告を聞いた直後に小さく呟いていた。

 それに、今の義親が何より嬉しかったのは小菊の居場所が見つかったということではない。

 平八郎との密室から解放されたことだった。

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