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女奉行捕物帖  作者: 浅井
プロローグ
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「女武士令」

 享保六年(一七二一年)、八代将軍の徳川吉宗は江戸市民の生の声を聞く為に、市中に「目安箱」が設置された。

「あの同心は酒癖が悪い」「あの役人は人相が悪い」といった意見から「家柄のみで身が伴わない奴があんな高位にいても良いのか」「生活が困窮している為に医者に行けずに困っている者が大勢いる」といったものまで様々なものが送られた。

 そんな目安箱の中にこのような文書が混ざっていた。


「私の家は武士をやっております。俸禄も微少の粗末な家柄ですが、神君家康公の頃から続く家柄であります。しかし、私の父には一人の男子もおらず、娘の私 一人しか子がおりません。すでに老齢で子を産む事も出来ずに、養子を取るにも、父は若い頃に疱瘡を患い、親戚を含め人々は父を避けていた為に養子を呼ぶ家 もございません。この様な我が家を救っては頂けないでしょうか」


 吉宗はこの文書を見るや、南町奉行大岡忠相と詮議してある決断をする。


――女子にも家督相続の権利を与える


 この政策により、数多の武家で「女武士」が誕生した。それだけでは無く、町人の中からも女性が様々な職業に就き始め、社会進出が進んでいくことになったのだ。

 とは言っても、この施策はあくまでも「とりあえず」の面が強く、一代のみが女武士といった武家が多かった。


 それから百年が経った文政四年(一八二一年)。この頃より情勢は一変する。


 発足当初は好奇の目で見られていた「女武士」だったが、十一代将軍徳川家斉の代になると、先手組や奏者番などにも女性が進出したりと「とりあえず」ではなくキチンとした一人の武士として扱われる事案がポツポツと出だした。

 しかし、老中・勘定奉行、そして町奉行といった幕府の中枢に上りつめた女武士はこれまでにはいない。

そしてこの年の春、一人の女性が元服を果たす。彼女が江戸の町に旋風を起こすとはだれも予想していなかっただろう。


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