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9/13

○ 白

 彼は走っていた。

 どこにいるのかわからない、彼女を探して。知らせを聞いたのは少し前。まだ、まだそう遠くには移動していないはずだったのに、どうして彼女は未だに見つからないのだろう。

『オレはあの小娘は気に入らない。生まれもそうだが性格も曲がっている。だが、お前はあれでなければいけないのだろう? あれと仲たがいしてから、お前はずっと笑顔が無い』

 そう言って、彼女の旅立ちを知らせてきた友人。

 彼女をやたら嫌っていた彼は、彼女を見送った唯一の人になっていた。


『小娘を、大事にしろよ。あれだけバカ正直で、子供のように純粋で。そして、お前だけを思っているやつを、オレは知らない。もし死ぬ気であれと一緒になりたいなら、協力する』


 走り出した彼に、友人はそんな言葉を投げてよこす。

 その一言は、彼の心の中にずっしりとした重みを与えてきた。言われるまでもなく、彼は彼女を誰よりも大事にしていたはずだった。手放したくない、ずっと一緒にいてほしいと。

 その純粋さだって、誰よりもわかっていた。

 男ばかりの魔術師の世界で、どこか少年のように育ってしまって。でも中身は、やわらかくて優しい女の子で。傷つきやすくで、子供だけど大人で。いつもこちらを見ていた少女。


 大切だった。

 失いたくなどなかった。


 なのに――手を離してしまった。


 縋るように、いつも彼の服を掴んでいた、その手を離してしまった。

 離してはいけなかったのに。彼の世界はあまりにも激流で、一瞬でも手を離せば彼女を永遠に失ってしまうと、幼い頃から嫌になるぐらいに身に染みて理解していたはずだった。

 ほんの少しの、些細過ぎる怒り。

 それにすべての感覚を奪われ、他を拒絶した。

 その結果がこれだ。

 どうして手を離してしまったのだろう。友人に言われるまで、どうして何も気づかなかったのだろう。彼女が傍にいるのが、自分にとって当たり前だったからだろうか。

 だから離れていかないと、思い込んでいた?

 よく考えればわかることだ。どうして異国の姫を自分にあてがうような、妙なまねをしたのかぐらい。彼女のことを考えれば、すぐにでも思い至るはずだった。

 愛する人に愛されていない――そんな怒りから、すべてから目をそらし、拒絶して。

 こんなにも、大事に想われていたのに。

 永遠に、自分は彼女を、最愛の人を失ってしまったかもしれない。


 嫌だ。

 彼女以外は、何も要らない。


 赤い姫も必要ない。

 ただ、欲したのはあの『黒』だけだ。


 何もかもを吸い込むような、あの黒が欲しい。

 あの日、一目見た瞬間からそう思って。だから周囲の反対を押し切るように連れ去って、連れ帰って、ずっと手元において、丁寧に育てたのに。腕の中に囲ったのに。

 もしこの感情に名をつけるならば、愛だった。

 紛れも無く、自分は彼女を愛していた。

 最初は、保護欲からくる愛だったのかもしれない。さすがに、四歳の幼子にそういう感情を抱ける年齢ではなかったから。でも今は、一人の男として彼女を愛しいと思う。

 きっかけなど今からではわからない。

 ただ自然と彼の中に、明確な恋の花が咲いていた。

 愛している。

 彼は、ヴェルネードは、オニキスだけを愛している。


「オニキス!」


 遠くに見えたその後姿に呼ぶ。

 彼女は振り返る。

 その黒曜石のような色彩の瞳に、涙をためているのが見えた。そうさせたのは、他ならぬ彼自身だったから、見た瞬間に胸がぎゅうと握りつぶされるかのように痛む。

 あの日から十年経って、初めての涙。

「お前は、どこにも行く必要なんて……ない」


 数歩の距離をはさんで向かい合う。

 オニキスは、逃げない。


「俺の傍にずっといろ。死んだら俺の隣で眠れ。家名がないのが気になるのなら、俺と同じものを名乗ればいい。家族が欲しいなら……俺がまず、一人目の家族になるから、だから」

 だから、ずっと傍にいてほしいと。

 たった一人の結婚相手を決めるならば、それは『黒』しかいないと。

 答えは聞こえない、でもちゃんと伝わっている。ヴェルネードは彼女に近づいて、その頬を指の背で撫でた。こぼれる雫をぬぐって、はっきりと彼女の顔が見えるように。

 それがくすぐったいのか、あるいは嬉しいのだろう。

 彼女は笑おうとしているらしいが、そのたびに涙が頬をぬらした。


「あのね、あのね……僕、ヴェルネードが」


 小さな声で、オニキスが言う。

 ずっと彼女が言いたかったであろう言葉を、ずっと彼が聞きたかった言葉を。

元某所の企画用。

5色使わなきゃいけないところ、4色でギブ。



後日談なんて考えてますが、メインの二人に口から砂やら砂糖やらをざらざら吐く周囲の図しか出ない件。


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