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ジェイの前に現れたオニキスは、泣きはらした目をしていた。
さすがの彼も驚いた様子を見せるが、何も言わずに少し後ろをついてくる。
これから、オニキスはこの城を出て行く。城の中は静かだ。みんな、バルコニーの下にでてしまっているからだろう。誰だって、祝い事を真っ先に耳に入れたいものだ。
見送りは、つまりジェイただ一人ということになる。
そもそも――彼以外に、出立のことを伝えてすら、いないけれど。
本当は、ヴェルネードにも言おうと思った。それで意を決して近寄ったけど、彼はスピカ姫のドレス選びで急がしそうで、とても近寄ったりできなかった。
……いや、そんなのはいいわけだと、今のオニキスはわかっている。
見てしまったのだ。
あれから城の中で何度も、何度も何度も何度も。
幸せそうに、寄り添って微笑みあう二人を。
誰が見ても幸せそうな二人を。
お似合い、だった。
嫉妬する気にもならないぐらい。あの二人は一緒にいるべきだったのだろうと、オニキスは改めて確信して、そして静かに彼らの世界から消え去ることにした。それが最善だから。
「ん、もういいよ」
バルコニーが見える場所で、オニキスは足を止めた。
ここは城を出て少しした路上。
周囲に人影は無い。
ここから城は、バルコニーはとてもよく見えた。
わぁわぁ、と騒ぐ民衆に手を振る国王夫妻。それから各王子や、その伴侶。そこにスピカ姫がいるということは、ヴェルネードの隣にいるということは、つまりはそういうことなのだ。
遠くにいる、ずっと好きだった人。
もう、二度と会うことは無い。
オニキスはただの魔術師になるから、城なんて縁も無くなる。彼女より優秀で、しかも能力が安定している男が、すでに城にいるから。つまり、オニキスはもう用済みというわけだ。
二度と会えないと思ったからだろうか。
いろいろと、どうしようもない後悔が沸き起こってくる。
せめて最後に、おめでとうぐらいは言えばよかったのかもしれない。
「ヴェルネードには、本当に何も言わなくていいのか」
「言うだけ無駄だと僕は思うよ。だって、もう彼の一番は僕じゃない。元々、僕ですらなかったと思うけどね。まぁ、暫定の一番? でもほら、あそこにちゃんとしたお姫様がいるよ」
赤いドレスをまとう赤の姫。
彼の隣で優雅に手を振るその姿に、僕は目を細める。
「僕の出る幕はなかった、たったそれだけのことなんだよ」
あれに割り込もうなど思う方がおかしい。あれだけ似合いの二人、邪魔などしたら、ソレがたとえ仕事など重要な案件であっても、情け容赦なく呪われるかもしれない。
だが、ジェイは少し違う意見のようだった。
あれだけオニキスとヴェルネードの繋がりに異を唱えた彼は、なぜかオニキスを引き止めるような目で彼女を見ている。一緒にいたがったオニキスが、一番離れようとしているのに。
「最近のあいつは覇気が無かった。どこか遠くを眺めたりすることが多くなった。全部、お前が傍から離れてからだ。……オレが言うのも何だが、最後に会った方がいいんじゃないのか」
「ほんと、緑の癖に何を言ってるんだかねぇ」
くすくす、とオニキスは、いつも通りに笑ってみせる。
「それはただの恋煩いさ」
言い聞かせるように、決め付けるように。
オニキスは言い、もう一度――最後に、彼らの姿を視界に入れる。
これで、よかったのだと思う。この満足感があれば、きっといつか。いつかは、身に着けてしまうチョーカーを、外すこともできるだろう。燃やすことも、破り捨てることも、きっと。
その頃には、彼には子供が何人かいるかもしれない。
誰からも認められる伴侶との間に、宝物のような家族を得て、幸せになって。
「彼は、ここれでやっと、幸せに繋がる道に『戻れた』んだよ」
オニキスとの出会いで歪んだものが、元通りになる。
ゆがみを産んだ張本人は消え去り、残るのは幸せが約束された若い二人。本当は、そこに自分こそが立っていたいという思いが残るけど、それにそっと、オニキスはふたをして。
家族と、そして彼女と共に城の中へ戻る。
その白い姿に。
「好きだよ」
ずっと言えなかった、言うわけにはいかなかった言葉を。
でも、何より言いたかった言葉を。
――眦から零れていく涙と共に呟いて、オニキスは背を向けた。