● 黒
真っ黒な髪に、真っ黒な瞳。
黒に、暗い灰色のラインが入った、フードの付いたローブ。ごつごつとした、絵に描いたような魔術用の杖。それが彼女――オニキスが普段その身に着けているもの。
首には黒いレースをあしらったチョーカー。
主から貰った、宝物。
オニキスにとってそれは、彼の所有物である証だった。
首輪、だった。
これを身に着けて、彼だけのモノになる。彼に所有されている感覚に浸れる。
そんな思いがあることを、ヴェルネードは微塵も感じてはいないだろう。チョーカーをくれたのだってきっと、ただアクセサリーの一つも持っていないからという理由に違いない。
でも、嬉しかった。オニキスは、この贈り物が嬉しかった。
彼と出会ってから十年経って、ヴェルネードは王族としての職務をこなす日々を送る。まったくもって浮いた噂の一つもない彼だが、それは彼が責任感の表れだと思った。
しかし、それは現在、この上なく彼の機嫌を悪くする要因になってしまっていた。
不機嫌を隠さない表情を常に浮かべる彼は、オニキスでも少し怖い。自分が怒られているわけではないのはわかっていても、それをどこの誰よりも近くで見ることになるために。
同盟関係にある国の王子がついに妻を迎えた、というとても良い話。
その話が城にもたらされたのは一昨日で、彼の機嫌が最高に悪くなったの同時期。むすっとした表情で机に向かう彼に、いったい何があったのか。魔術師オニキスは一瞬で理解した。
件の王子は、彼女の主ヴェルネードと同い年の二十二歳。
要するに周囲から、結婚はまだか孫はまだか、とたっぷりと急かされたのだ。
だがヴェルネードはこう言う。
――あれは第一王子だが、俺は第三王子だ。
一番上の兄には二人も息子が生まれているのだから、今更残り二人の下が、あれこれ焦って結婚する必要などなかった。ならば婿に、という話になるが、それを彼は断っている。
「知らないのかね、ヴェルネード」
「何が」
「あなたに、男色の噂があったりするんだよ。いやはや、色男は苦労が多いね」
「……ほっとけ、そんなの。いい女除けになる」
「そして知らぬ貴族においしくいただかれるのか。それはちょっとだけなんだけど、まぁ、それなりには面白い展開と末路のように僕は思うよヴェルネード。波乱万丈って感じかな」
どこが面白いんだ、と嫌がる王子に、オニキスは手にしていた杖を向ける。
無愛想どころではないほど愛想がない師匠から生前に譲られた、彼が若い頃に愛用していた魔術師用の杖。何でも、オニキスが持つには不相応なほどよいものだ、とのことだ。
その貴重な杖を使って、彼女は王子をおちょくり始めた。
「いい加減に諦めて結婚しないと、うっかり『貰い遅れ』てしまうかもしれないよ」
「別にいいよ。ムリに結婚したいわけじゃない」
くすくす、と笑いながら、オニキスは杖で彼の背中をつっつきまわす。
普通なら怒っていい行為なのだが、王子は何も言わずにされるまま。長い間、ずっと一緒にいたが故のゆるい関係は、これからも続いていく。彼が、オニキスを『捨てる』まで。
王子の背をつつきながらオニキスは、ぼんやりと思っていた。
早く――捨ててくれないかな、と。
けれど彼は、どうやら当分はオニキスを手放すつもりはないらしい。それがオニキスには少しだけ嬉しく思えて、でも悲しくも感じた。そのたび、彼の立場や評判が黒ずんでしまう。
ヴェルネードは、真っ黒なオニキスと違って真っ白だった。
銀髪に、うっすらと青い灰色の瞳。着ているのも、白っぽい服が多い。その傍に黒い自分が立ってしまうだけで、彼が薄汚れてしまうような気がして、濁った灰色になる気がして。
オニキスは、離れたかった。今すぐにでも、彼の傍から消えてしまいたかった。
彼が許さないから、ただ傍にいるだけ。
別にいたいわけじゃないんだと、言い聞かせていられる今のうちに。
「まぁ、それはいいとして。ヴェルネードは知ってるのかな?」
「何をだ?」
「縁談のことだよ、あなたの。お相手は……確か、隣国のスピカ姫だったかな」
はぁ、とため息をつくヴェルネードは、明らかに元気を失った。
彼女が気に入らないだとか苦手というわけではなく、縁談というワードがもう嫌で嫌でたまらないのだろう。かわいそうに、とオニキスは思ったのだが、ついつい笑みがこぼれていた。
もしかしたらこの縁談は、自分の願いを叶えるきっかけになるかもしれないから。
まぁ、それはまだ見ぬ姫次第。
今はもう少し、ヴェルネードの傍にいられる夢に耽る。けれど、いつかは失う。それはずっと昔からわかっていたこと。彼に拾われた日から、ずっとずっと『覚悟』していた未来。
だから彼女は、自分の中でつぼみをつけてしまったこの『想い』を。
身の程知らずの願いを。
跡形もなく燃やすことに、した。