chapter 1
「ちょっと君たち、名前は」
有栖川学園の正門をくぐったところで、警備員のおじさんに声をかけられた。
「佐藤栞里です」
「佐藤亜矢子です」
「佐藤栞里と佐藤亜矢子?…そんな生徒、いたっけなあ」
「はい。あの、あたし達、転入してきたので」
「ああ、転入生か。それじゃあ、仕方ないな、うん。もういいぞ」
そう言うと、おじさんは守衛室に入っていった。
わたしは今日から、有栖川学園中等部の第一学年生として、ここに通学する。姉は、高等部第三学年生。転校の理由は、父の転勤だ。
「初めまして、佐藤亜矢子です」
始業式の後の、ホームルームの時間。わたし達のクラスでは、自己紹介が行われた。
「それでは、皆さん」
全員の自己紹介が終わったところで、担任の先生が話し始めた。
「今日の放課後に、今年度第一回目の生徒会が行われます。それに出席するのは、各クラス1名ずつなんですが、誰か生徒会役員になってくれる人はいませんか」
こういう時、挙手する人なんて、ほとんどいない。わたしは、そういう空気や沈黙が、大嫌いだった。早く終わらないかな、と思う。
「佐藤さん」
不意に名前を呼ばれて、わたしは我に返る。
「はい」
「推薦されましたが、どうですか」
その言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。
推薦?わたしが?誰が推薦したんだろう。
そんな余計なことが頭の中を一瞬で駆け巡り、わたしは教室を見渡した。全員の視線が、わたしに注がれている。わたしのように、「早く終わらせたい」というような目をしている人も数人いることに気付いて、わたしは頷いた。
「やってみます」
「本当ですか?それじゃあ、このクラスの生徒会役員は、佐藤さんでいいですか」
先生の声には、誰も反応しなかった。けれど、安堵を含んだ吐息が漏れたことは確かだった。
「それでは今から、生徒会を始めます。起立、礼……」
放課後、わたしは生徒会に出席していた。まず始めに、生徒会長、副生徒会長、書記2名の紹介があった後、今度は学年代表を決めることになった。
「あの、学年代表って、何をするんですか?」
わたしは思い切って、そう尋ねてみた。
「さあ。そんなの、誰にも分からないわよ。だってみんな、初めてでしょう」
やわらかくアクセントのついた話し方だった。
「というより、あなた、どこの人?」
「えっと、わたしは…東京から来ました」
「東京!?それじゃあ、学年代表やってくれない?」
「え、どうして?」
「だって、都会の人でしょ?だから」
「え……」
「東京の人」や「都会の人」が、彼女にとってどういう存在なのかは分からないけれど、上手に言い包められて、結局わたしは学年代表を務めることになってしまった。
生徒会が終わった後、学年代表だけが残された。
「えっと…これ、俺の連絡先。学年で何かあった時は、連絡して。…以上、解散っ」
生徒会長の笹部昴は、そう言って小さなメモを手渡した。そこには、彼のアドレスと、携帯電話の番号が記されていた。
「佐藤ちゃんっ」
帰ろうとしたわたしを、誰かが呼び止めた。振り向くと、そこには生徒会長が笑顔で立っていた。
「何ですか?」
「佐藤ちゃんてさ、お姉ちゃんいるよね?俺の学年に」
「…はい、それが何か」
「やっぱり!俺、同じクラスなんだよんね」
「そうですか。宜しくお願いします」
「そこで!佐藤ちゃん。俺と、一緒に帰らない?」
「はぁ!!?」
わたしはつい、大声を出してしまった。幸い、室内に残っていたのは、わたしと彼だけだったので、わたしは安心して息をついた。
そして、半ば強引に、わたしは彼と帰ることになった。
「佐藤ちゃんて、よく見ると可愛いよね」
「そんなことないです、全然」
「いやいや、もっと自身持てばいいのに」
「別にいいです。笹部先輩は……」
「昴」
「え?」
「俺のことは、昴って呼べ。いいな?」
「…はい」
年上の人を呼び捨てーーしかも名前ーーで呼ぶのには、少し抵抗があった。でも、「この人には従ったほうがいい」と、わたしは瞬時に判断していた。
「そうだ。アヤなら、用事がなくても、メールくれていいから」
「へ?」
「え、何?アヤって呼んじゃ、だめ?」
「いえ、別に…。でも、いきなりだったので…」
「そっか。じゃ、アヤって呼ぶから。あと、敬語禁止な」
「どうしてですか?」
「だって、そのほうが気楽じゃん?お互い」
そう言って、昴は笑った。わたしも、一緒に笑った。すると、昴はわたしの髪をくしゃくしゃ、としてから、耳元で囁いた。
「アヤ、彼氏とかいんの?」
「え…」
一瞬、どきっとした。彼氏なんて、わたしにいるわけない。いないけど、「います」と、わたしは嘘をついた。どうしてか分からないけれど、昴を遠ざけたかったのかもしれない、もうこれ以上、関わってほしくなかったのかもしれない。だからきっと、わたしは嘘をついた。
その嘘が、後々自分を苦しめることになるなんて、その時は思ってもみなかったーー。