表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
パンを買いに行く  作者: kumako


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/10

2.哲学的患者

哲学的な患者と関わることになる比那。

 比那は、病院に着くともともと薄着のTシャツは脱ぐことなく、その上から看護師の制服に着替えた。正看護師の制服は白、准看護師やアルバイトの看護師見習いの制服は青である。

 ナースステーションから一番近い病室に入っていくと、そこには「Rサン」という初老の男性の患者がいた。この部屋には、ほかに「Sサン」「Kサン」という2人の患者がいて、あと1つのベッドは今は空いていた。


 Rサンは、定年まで大学の文学部の教授をしていた人物である。彼の弟は、S市の市議会議員を6期務めた人物、彼の妹は、東京で写真家をしていた。

 Rサンは、ノートに図表を描きながら、こんなことを言う、

「このごろまた体重が増えてきてね……。食べるべきか、食べざるべきか、それが問題なんだ」

 看護師の多くは、

「またRサンたら、要するにダイエットしないといけないんでしょう? 食べすぎは逆に体にとっては毒なんですよ」

 と、軽くいなそうとする。

 それに対して、Rサンは、

「違うんだなあ、ソレが。わたしは食べ過ぎじゃないんだよ? これは純粋に哲学的な問題でね? この図を見てみたまえよ、ここが先週の時点でのわたしの体重、適正体重だ。ここが2週間前の時点でのわたしの体重、ちょっと軽いねえ。そして3週間前、ずっと軽くなっている。問題だねえ、問題だよ。標準体重よりも10キロも軽い。これは痩せすぎだよ、この年になるとねえ、痩せすぎは太りすぎより、なお悪いんだよ。気を付けなくちゃ。……しかしねえ、ここから2週間食事量を増やす、するとわたしはとたんに標準体重よりも10キロも太ってしまうんだ。食事量をまた減らして、わたしが標準体重に戻るのは、じつに4週間後だよ? わたしは、これを哲学的体重増減と呼んでいる」

「要するに、過食と拒食を繰り返すんですね? そういう人はいます」

「いや、違うね。これは純粋に、わたしという実存の問題なのだ。……君は、実存心理という心理学の分野を知っているかね?」

 Rサンは、その指で消灯テーブルをトントンと叩く。

「いやだわ、Rサンたら!」

「はっはは。講義はまた今度にしよう。わたしもいささか疲れたからね……」


 比那は、他の看護師のようにR氏を軽くいなすことはしない。

 必ずていねいにその話を聞く。

「それで、Rサンは今日は食べたい気分なんですか? 食べたくない気分なんですか?」

「食べたくない気分だねえ。ほら見給え、わたしは過食ではないだろう? しかし、これからわたしの体重はだんだん増えていくんだ。これは確実だよ、もう4年もこんな状態を繰り返しているんだよ」

「そして、4週間周期で痩せたり太ったりするの?」

 ──比那は、「痩せたり」という言葉を先に持ってきた。Rサンとしても、そのほうが気もちが良いだろうと思えた。

「……違うね、8週間だ」

「あらあら!」

「太ってから痩せるまでが4週間、痩せてからまた太るまでがまた4週間だよ。君は、単純計算ができないかね?」

「私、アタマ悪いんですよ?」

 その通りだった。比那は、数学の計算ができない。そして、人の話を注意深く聞くことも苦手だ……。

「おやおや、君は謙虚だねえ。いや、君が頭が悪いなんていうことはないよ。他の看護師さんよりもよほど頭が良い」

 R氏は白髪のヒゲをゆらしてカラカラと笑った。

「看護師<サン>なんて……Rさんこそ謙虚ですわ」

 比那もR氏にあわせて笑う。


 そういう比那に対して、同僚の看護師たちは、

「穂口さんって本当に我慢強いよねえ、私なんて単純計算ができないなんて言われたら、それだけでぶち切れますよ?」

「やだなあ、切れませんよ? 私」

「だから、我慢強いんだって、比那ちゃんは」

 そしてまた、比那はあいまいに笑う。そんなこんなで、比那の仕事は適度なストレスと適度な疲労とともに過ぎていく。

クセの強い患者です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ