腹筋(アブドミナル)を求めたら、美肌(スキンケア)が爆誕しました
前世の記憶を取り戻してから三日。
私は伯爵家の物置を強引に改造し、秘密の『マッスル・ラボ』を設立した。
「……計算は完璧だ。前世の『アミノ酸合成理論』に、この世界の『魔力触媒』を組み込む。ターゲットは、飲むだけで腹筋をバキバキにする超高濃度プロテイン……名付けて『アブドミナル・ボム(腹筋爆弾)』!」
私は震える手で、羽ペンを走らせる。
【聖域ノート:試作01号 配合式】
理論上、以下のエネルギー平衡が保たれるはずだ。
ΔG = -RT ln K + Magic_Energy(Me)
「魔力濃度(Me)を限界まで高めれば、筋線維の超回復は一瞬で完了する。ふっふっふ……見ていろよ、豆腐のような私の腹筋。すぐに鋼鉄の板に変えてやるからな」
私はフラスコの中で怪しく発光する、ドロドロの紫色の液体を見つめた。
……が、その時だ。
「リリアーナ様、おやつを持ってまいりまし……あら? まあ、お嬢様、またそんな難解な『聖域の古文書』を綴っておられるのですか?」
専属メイドのサーシャが入ってきた。彼女は私のノートに書かれた化学式を、何か神聖な預言か何かだと勘違いしている。
「サーシャ、ちょうどいい。この『腹筋爆弾』の蓋を開けてくれ。今の私には、このネジ蓋を回すための握力が残っていないんだ」
「ふにゃにゃにゃにゃ……」と力なく笑う私。情けない。握力5キロくらいしかないんじゃないか、この体。
「お任せください。……あら、随分と甘い香りがしますのね?」
ポンッ、と小気味いい音を立てて蓋が開いた瞬間。
魔力が混じったプロテインの飛沫が、ほんの一滴、サーシャの手の甲に跳ねた。
「あっ、いけない! サーシャ、すぐに拭うんだ! それは未完成の劇物、下手をすれば君の手がゴリゴリのマッチョになってしまう!」
「えっ? ゴリ……? お嬢様、何を……あら?」
次の瞬間。
サーシャの手の甲が、眩い光を放った。
光が収まると、そこには――。
「……何、これ。私の手、こんなに白かったかしら? それに、昨日の水仕事で荒れていたあかぎれが、跡形もなく消えて……ツヤツヤですわ!」
「…………は?」
私は絶句した。
サーシャの肌は、まるで加工アプリを突き抜けたかのように発光し、毛穴という毛穴が消滅していた。
「お嬢様! これ、凄いですわ! 手だけが二十歳若返ったみたいです!」
「違う……。俺……いや、私が作りたかったのは、皮膚のターンオーバーを加速させる『美容液』じゃなくて、腹直筋を肥大させる『劇薬』なんだ……!」
「『肌の天国』……とおっしゃったのですか!? なんて慈悲深い命名でしょう、リリアーナ様!」
サーシャが感動で震えていると、廊下から聞き慣れた「暑苦しい」足音が聞こえてきた。
「リリアーナ! 健やかに励んでいるかい!? ……おや、エカテリーナ様(公爵夫人)もご一緒だったのか!」
兄のカシアンが、これまた私の「年上美女ハンター」のアンテナが反応する公爵夫人を伴って現れた。
「あら、リリアーナ。研究中だったのかしら? ……まあ、サーシャ、その手はどうしたの? 宝石のように輝いているわ」
公爵夫人の鋭い美魔女の目が、サーシャの手を逃さなかった。
私は冷や汗を流しながら、力なく首を振った。
「あ、お姉様……。それは、その……実験の失敗作でして。筋肉を……筋肉をバルクアップさせようとしたら、なぜか美肌成分だけが暴走したゴミなんです……」
「ゴミ? リリアーナ、あなた今、これをゴミと言ったの?」
公爵夫人が、見たこともない真剣な表情で私に詰め寄る。その距離、わずか5センチ。
芳醇な香りと、圧倒的な美貌。
「ひゃぅっ!? 好きですお姉様! でもゴミなんです! 腹筋が割れない薬なんて、ただの砂糖水と同じです!」
「……リリアーナ。この一滴で、私の指にある小さなシワが消えたわ。これがゴミなら、世界中の化粧品ギルドは廃業よ。……ねえ、リリアーナ。この『神の雫』、私にも試させてくださらない?」
「あぁ……お姉様に頼まれたら、断れるはずが……ふにゃぁ……」
私は夫人の美しさに当てられ、そのまま彼女の胸元で気絶した。
それを見た兄のカシアンが叫ぶ。
「リリアーナ! 羨ましいぞ、僕もその液体を塗って、君に膝枕を……!」
「黙ってなさい、カシアン。これは女の戦いよ」
公爵夫人の冷たい一喝。
こうして、リリアーナの「マッチョへの道」は、最初の一歩から「美容の聖女」への道へと強引に軌道修正されたのである。
本人の絶望を余所に、ベルシュタイン伯爵家の地下室から、世界の美容概念をひっくり返す光が放たれようとしていた。




