筋肉(マッスル)がなければ、化学で作ればいいじゃない
「……キレてる。キレてるよ、大胸筋ッ……!」
それが、四十五歳独身、世界的化学メーカーの研究員であり、週末はボディビル大会の常連だった俺の最期の言葉だった。
深夜のラボ。
疲労困憊の俺は、プロテインシェイカーと、試作中の強力な筋弛緩剤(※実験用)を間違えて飲み干したのだ。
馬鹿か。俺は馬鹿なのか。
意識が遠のく中、俺は思った。……次があるなら、もっと年上の美魔女に「ヨシヨシ」されながら、筋肉を育てるだけの人生がいい、と。
「……様。……リリアーナ様!」
ふと目が覚めると、そこは見たこともない豪華な天蓋付きベッドの上だった。
視界に飛び込んできたのは、心配そうにこちらを覗き込む、黒髪のキリッとしたメイド。
(お、美魔女……? いや、若いな。二十歳そこそこか……だが悪くない)
俺は起き上がろうとして、異変に気づいた。
「ふにゃにゃにゃにゃっ!?」
体が、羽毛のように軽い。いや、軽すぎる。
まるで骨と皮だけになったかのような無力感に襲われ、俺はシーツの上に再び沈没した。
「リリアーナ様! 無理をなさらないで!」
「……りりあーな? 誰だそれは」
慌てて手を見ると、そこには白磁のように白く、今にも折れそうなほど細い指があった。
鏡を手に取り、俺は……いや、私は絶叫した。
「……筋肉が、一グラムも……ない!?」
そこに映っていたのは、銀色の髪に吸い込まれそうな碧眼を持つ、絶世の美少女だった。
だが、その肩のラインはあまりにも華奢。腹筋など豆腐よりも柔らかそうだ。
「すまない、サーシャ……。今の私には、重力に抗うための『速筋』が絶望的に足りないようだ……」
「お、お嬢様? ソッコン……? きっと古の言葉で『精霊の守護』が足りないとおっしゃっているのね! ああ、なんて神秘的な目覚めかしら!」
メイドのサーシャが涙ぐんで祈りを捧げている横で、私は己の絶望的なスペックを把握した。
伯爵令嬢リリアーナ、十四歳。
絶世の美貌と引き換えに、スクワット一回で力尽きる「虚弱の極み」体質。
「(……だが、私は諦めんぞ。私には前世の『化学』の知恵がある。筋肉がないなら、作ればいいだけだ!)」
その時、バタンと勢いよく扉が開いた。
「リリアーナ! 私の愛しい妹よ、気分はどうだい!?」
現れたのは、黄金の甲冑を纏った、絵に描いたような騎士様系イケメン。私の兄、カシアンだ。
「……カシアン兄様。少し離れてください。あなたの熱気で私の『アミノ酸スコア』が乱れてしまいます」
「アミノ……なんだって? よく分からないが、そんな冷たい瞳で見つめられるなんて……! くっ、ゾクゾクするほど可愛いよリリアーナ!」
この兄、暑苦しい。筋肉はいいが、中身が苦手だ。
だが、その後に続いた人物を見て、私の心臓は跳ね上がった。
「リリアーナ、加減はどう?」
部屋に入ってきたのは、私の母、ベルシュタイン伯爵夫人。
三十代後半だろうか。だが、その肌は艶やかで、ドレスの上からでも分かる凛とした立ち姿。まさに、私が夢にまで見た年齢不詳の美魔女……!
「お、お姉様……ッ! 好きです、大好きです! その僧帽筋から溢れる気品、まさに『神が設計した完璧な化学反応』です! さあ、私を思う存分ヨシヨシしてください!!」
「まあまあ、リリアーナったら。うふふ、可愛い子」
私は這いずるようにして母の膝に頭を乗せ、芳醇な美魔女の香りに包まれながら、幸せに白目を剥いた。
(決めたぞ。私はこの美魔女たちを守るため、そしてこの豆腐の体を鋼に変えるため……この世界に『美容』と『プロテイン』の革命を起こしてやる!)
これが、後に「帝国の聖女」にして「美の破壊神」と呼ばれるリリアーナ・フォン・ベルシュタインの、波乱に満ちた第二の人生の幕開けであった。




