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第8話 終わりそうな夢のかたち

 翌朝の宮廷は、相変わらず規律正しく動いていた。


 侍従の足音、紙の触れ合う音、澄んだ鐘の余韻。

 まるで昨日も、昨夜も、何ひとつ変わらなかったかのように。


(……壊れてるの、私だけか)


 皇太子執務室の机に書類をいくつも並べながら、

 フロナはぼんやりと、そんなことを思う。


 指は迷いなく紙を整理し、印章欄にしおりの魔素を忍ばせる。

 構成魔導アーキテクトの仕事は、もう反射だった。


 軍の補給線。穀物流通。税率の微調整。

 小さな数字の積み重ねが、帝国の足元を支えている。


(これ全部、殿下のためって思ってやってきた)


 その前提に、初めてぐらりと疑問が刺さる。


(……本当に、全部?)



「フロナ! 今日も仕事が早いな!」


 勢いよく扉が開いて、あの声が飛び込んできた。


 セドリック。

 帝国の青髪が朝日を跳ね返し、室内が一瞬明るくなる。


「おはようございます、殿下」


 声は、いつも通り落ち着いていた。

 自分で不思議なくらいに。


「今日の予定は? 例の書類、出してくれたか?」


「はい、こちらです」


 フロナは淡々と書類の束を差し出す。


「北方補給線の再編案と、中央倉庫の在庫調整です。

 どちらも殿下の御決裁をお待ちしています」


「最高だな、ほんと助かる」


 セドリックはいつもの調子で笑った。


 その笑顔が好きだった。

 胸の奥がふっとほぐれた日もあった。


 ……でも今は、少し遠い。


(“助かる”って言葉も、

 聞こえ方が変わるんだなあ)


 今の自分の中に残っているのは――

 セドリックではなく、帝国を守りたいという感覚。それだけ。



「おはようございます、殿下。フロナ様」


 遅れて入ってきたのは、完璧な赤。


 リリアーヌ・フレアライト。

 炎の加護を纏った純血の侯爵令嬢。


 ここ最近は、朝の執務室に彼女がいるのが当たり前になっていた。


「おはよう、リリアーヌ。

 今日も“明るい話”頼むよ」


「もちろんですわ、殿下」


 二人のやりとりが滑らかに噛み合う。

 フロナは、その横で静かに資料をまとめる。


 昨夜、聞いてしまった言葉が

 どうしても脳裏から消えない。


『顔だけはいいから飾っておくにはいいが、妃としての価値はない』


(……飾りとしても、最近出番ないけどね)


 皮肉が浮かんで、乾いた笑いが喉の奥にこびりついた。



「フロナ?」


 名前を呼ばれ、肩がびくりと跳ねた。


「は、はいっ」


「ぼんやりしているぞ。寝不足か?」


 セドリックが軽く覗きこむ。

 青い瞳に映った自分は――

 薄い影だ。


(便利な幼なじみ。陰の補佐。……それが今の立ち位置)


 もう、名前に期待しないように心が動く。


「少し、眠りが浅かったようです」


「働きすぎだ。ほどほどにしておけよ」


(それ、子どもの頃に言ってほしかった)


 胸の中で崩れて、跡形もなく溶ける。


「では殿下。倉庫の在庫推移を確認して参ります」


「頼んだ」


 セドリックはすぐにリリアーヌへ視線を戻した。


 炎と笑顔のペアは、今日も眩しい。



(……逃げたな)


 不要な確認だと自覚しながら、

 フロナは廊下へ出た。


 誰もいない渡り廊下。

 霊素フェアリーの風が、涼しく頬を撫でる。


 それなのに、胸の奥のざわめきは鎮まらない。


「整理、しなきゃ」


 ぽつり、声が零れた。


「構成魔導みたいに……

 全部いったんバラして、見るところから」


 窓辺に腰を下ろし、膝を抱える。


 水色の髪が、ひとしずく揺れた。



(まず最初に置く前提は――)


 心の中に黒板を浮かべ、大きく書く。


> **私はセドリック様を愛している**


 間違いない。

 事実そのもの。


(でも、その“愛”の形は?)


 幼い日の記憶が蘇る。

 泣きながら構成式を書いていた自分に、


『フロナ、君は特別だ』


 その手を差し伸べた少年。


(あれで私は救われた)


 存在理由ができた。

 だから決めたのだ。


(殿下が正しい場所に辿り着けるなら、

 私は影でも、道具でも、何でもいい)


 それがフロナの“役割”だった。



(でも今の殿下は――)


 黒板に、現実のセドリックを並べて記述する。


 炎を選ぶ。

 風の声を嫌う。

 暗い数字を拒む。


 そして。


『飾っておくにはいい』


(……私が知ってた殿下と、違う)


 理想と現実の一致率。

 構成魔導が無慈悲に弾き出す。


(たぶん、半分ない)


「そっか」


 呟いた声は、驚くほど落ち着いていた。


「私が愛してたのって――

 現実の殿下じゃなくて」


 窓の向こう、広がる空。


「**私が勝手に作った理想のセドリック様**なんだ」



 認めた瞬間、胸が少し軽くなった。


(だからあんなに傷ついたんだ)


 理想にしてきた姿から外れた言葉を聞いて、

 心の奥で組んでいた“未来図”が崩れてしまった。


(現実の殿下は――

 光る人だけど、影もある)


 そこを見ないふりをしていたのは、自分だった。


「面倒くさいなあ、私」


 自嘲の笑いが落ちる。


「勝手に設計図を作って、

 そこに殿下を押し込めようとしてた」


 それを愛と呼んでいた。

 違和感に目をつむって。



「じゃあ――今の私は殿下を愛してる?」


 問いを立てて、自分に向けて放つ。


 ひと呼吸。


「……まだ好きなんだと思う」


 拗らせてもなお残る情は、簡単には剥がれない。


「でももう、**信頼してるか**って言われたら――」


 言葉が喉の奥で震えた。


「――**違う**」


 きっぱりと声に出した瞬間、

 胸の奥でひび割れていた何かがぱきんと砕けた。


 理想像が消えた空間に、現実が落ちてくる。


(殿下を中心に置く必要は、もうない)



 霊素フェアリーの風が、そっと頬を撫でる。


 まるで、「それでいい」と囁くように。


(帝国はまだ好きだ)


 構成が見せる国の血流。

 霊素が伝える大地の息づかい。


 それは、セドリックとは関係なくフロナの大切なもの。


「民が飢える未来は絶対に嫌」


 ゆっくりと立ち上がる。


「殿下がどう動くにせよ、

 私は私の“最適解”を選ぶ」


 やっと、そう言えた。



 その瞬間――

 遠くの中庭からざわめきが起きる。


 視線を向けると、

 侍従たちが帝国紋章の大旗を大広間へ運び込んでいる。


 見覚えのある光景。


(全貴族招集。

 重大発表)


 フロナの周りの霊素フェアリーが、鋭く鳴いた。


(――来る)


 残酷な未来へ続く裂け目が、確かに口を開け始めていた。


「セドリック様」


 ここにはいない愛しい人の名前を、

 思わず呼んでしまう。


「それ、誰の未来図?」


 父の理論でも、母の虚栄でもなく。

 フロナが描いた理想でもなく。


 今のセドリックが、自分で選ぶ現実。


 それが、彼女の恋の最終判断になる。



「限界、近いな」


 小さな呟き。

 でもそこには、昨日までになかった芯が宿っていた。


 フロナは執務室へと歩き出す。

 水色の髪が、迷いを捨てたように軽く揺れた。


 その背中は、ほんの僅か――

 セドリックという重力から離れ始めていた。


 このあと起きる大広間の出来事が、

 その距離を容赦なく断ち切るとも知らずに。



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