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第7話 親の理論と、娘のバグ

  夜会の翌朝、ドレイクハルト公爵家は、いつも通り静かだった。


 庭の噴水は、決められた高さで一定のリズムを刻み、

 剪定された木々には、余計な枝ひとつ見当たらない。


 鳥のさえずりすら、誰かが構成魔導で配置したんじゃないかと思うほど、整った「静けさ」だった。


 その中で、フロナの足音だけが、ひどく場違いに響いている気がした。


(……眠れてない顔、バレてないといいけど)


 鏡を見る勇気はなかった。


 せめて、と水色の髪だけはいつも通り整えてある。

 混ざり物で役立たずの色だと蔑まれてきたその色を、今日はいつもよりきっちりまとめた。


 それだけが、ぎりぎりの見栄だった。


 向かう先は一つ。

 屋敷の奥、魔導研究室。



「父様。少し、お話ししたいことが」


 分厚い扉を二度叩くと、

 すぐに中から、聞き慣れた低い声が返ってきた。


「入れ」


 軋む音とともに扉を開けると、

 冷たい魔素灯に照らされた、壁一面の式と図面が目に飛び込んでくる。


 積み上がった魔導式の紙束。

 魔素循環モデルの立体図。

 人の気配より、数字の方がよほど濃い部屋。


 その中心に立つのが、ヴァルター・ドレイクハルト。


 帝国随一の構成魔導の権威であり、

 青髪の公爵であり――


 そして、フロナを「究極の演算機」にしようとした張本人だった。


「珍しいな。お前から私の時間を要求するとは」


 父は視線を式から離さないまま言う。


「魔素循環の新モデルなら、そこに資料を置いておけ。後で見る」


「いえ。今日は、そのことでなくて」


 フロナは、胸の奥でそっと息を整えた。


(聞くだけ。ちょっとだけでいいから、確かめたい)


「私の、魔法のことです」


 ペンの動きが止まる。


 紙の擦れる音も、魔素灯のわずかな唸りも、一瞬だけ遠くなった。


「……今さら何だ」


「父様。私が“魔法を放てない”のは――」


 何度も頭の中で並べ直した言葉を、ひとつずつ口に出す。


「二つの術式が互いに干渉しあっているからではないでしょうか」


 構成魔導アーキテクトと、霊素魔法エーテル・フェアリー。


 理論と感覚。

 規則と揺らぎ。


構成アーキテクトの式と、霊素フェアリーの流れ。どちらも単体なら感覚できます。

 でも、同時に動かそうとすると――必ずどこかで“絡まる”んです」


 フロナは、指先で小さな光の粒を描いてみせた。


 片方の手で構成式、もう片方で霊素の粒子。

 ふたつの軌跡が触れ合った瞬間、ぱちん、と不穏な音を立てて弾ける。


 青と銀がぐしゃりと押し潰され、煤けた霧になって消えた。


「こうやって。

 それが私の“呪い”なんだと思います」


 ヴァルターはようやく顔を上げた。


 冷たい青の瞳が、娘を値踏みするように細められる。


「……つまり、それが“できない理由”だと言いたいのか?」


「理由、というより構造です」


 フロナは、自分の胸元あたりを押さえた。


「私という器に、二つの術をそのまま詰め込んだから、内部で競合が起きている。そんな感覚です。

 もし術式を分離できれば――」


 言葉を選びながら続ける。


「構成を使うときは霊素を静めて、霊素を使うときは構成式を休止させるような仕組みがあれば、少しは――」


「お前は、自分の無能を“理論の欠陥”のせいにしたいのか」


 ばっさりだった。


 頭から真っ二つに斬られたような感覚。


「ち、違います。父様の理論が間違っているとは――」


「間違っていない」


 ヴァルターは椅子から立ち上がり、

 壁一面の魔導式を、誇らしげに顎で示した。


「構成魔導の理論は完全だ。

 霊素魔法など、本来は“誤差の塊”にすぎない」


(誤差って言い切っちゃうあたりが、父様らしいけども)


 喉まで出かかったツッコミを、フロナは飲み込む。


「お前に二つを叩き込んだのは、両者を統合する“証明”のためだ」


 ヴァルターの瞳に、わずかな熱が灯る。


「世界は数式で記述できる。

 ならば霊素の揺らぎも、いずれ構成で押さえ込める」


「……“押さえ込む”のが、正しい形なんでしょうか」


 口が、勝手に動いた。


「精密に枠を作ることと、揺らぎを殺すことは違うと思います」


 ヴァルターの目が、カチリと冷たさを増す。


「フロナ」


 名を呼ぶ声音に、

 幼い頃から馴染んだ圧が宿っていた。


「お前は“演算機”だ。感情で理論を語るな」


 心臓が、どくんと強く打つ。


「お前の魔法がうまくいかないのは、二つの術式がどうこうではない」


 淡々とした声が続く。


「お前の努力が足りないだけだ。

 構成を完璧に理解すれば、霊素などねじ伏せられる」


 それは、何度も聞かされてきた決め台詞だった。


 十歳の頃から、睡眠時間を削り、吐きながら式を回していた少女に向かって放つには、なかなかの台詞だと思う。


(はい出た、“努力不足”)


 しかしそれも、心の中だけで呟く。


「……父様。私、自分が“壊れている”自覚はあります」


 夜会で、セドリックに不良品と評された夜から。

 その言葉は、もう心のどこかに根を張っている。


「でも、それが全部“努力不足”だと言われるのは、さすがに――」


「事実だ」


 ばっさり二回目。


「お前に施した教育は、帝国最高峰だ。教師も、教材も、時間も」


 ヴァルターの声には、わずかな苛立ちが混ざる。


「それでなお結果が出ないなら――

 原因はお前自身にあると考えるのが、最も合理的だ」


「“設計ミス”の可能性は?」


 言ってから、自分でも驚いた。


 父の理論に正面から疑問を投げたのは、

 もしかすると初めてかもしれない。


 一瞬だけ、ヴァルターの表情に「意外」という色がよぎる。


 けれど、すぐに消えた。


「……フロナ」


 彼は静かにため息をついた。


「感情が混ざると、お前はすぐ馬鹿になるな」


 石を投げつけられたような言葉だった。


「設計に問題はない。私の理論に穴はない。

 “失敗作”が出たとすれば、それは材料の質の問題だ」


 材料。


(今、さらっと娘を材料って言ったよね?)


「お前は稀有な資質を持っている。

 しかし同時に、脆い。想定した出力まで到達できなかっただけだ」


「それって……」


(やっぱり“壊れた試作品でした”って意味では?)


 喉がうまく動かない。

 言葉が、胸のあたりで詰まる。


「父様。

 私、“正しく壊れてる”ってことですか?」


「壊れているかどうかは問題ではない」


 ヴァルターは再び机上の式に視線を戻した。


「重要なのは、結果だ。

 お前がいつか構成を完全に体得し、霊素の揺らぎをねじ伏せてみせれば――」


「“ああ、私の設計は正しかった”って、父様の証明になる?」


 静かな声で問いかける。


 ヴァルターは、答えなかった。


 ――答えなかったことが、答えだった。



「……わかりました」


 フロナは、形だけ頭を下げた。


 足元が、少しだけふわふわする。

 床に立っている感覚が薄い。


「私の努力が足りない。

 そういうことにしておきます」


 これ以上ここで何を言っても、式は一つも書き換わらない。


 ヴァルターの世界は、すでに完成した数式で埋まっている。

 そこに「フロナ」という変数はあっても、“ひとりの娘”としてのフロナは存在しない。


(父様にとって私は、まだ“証明が完了していない定理”みたいなものなんだろうな)


 そんな予感が、妙に冷静に胸に落ちた。


「失礼します」


 研究室を出ようとしたとき、背中にひとつだけ言葉が飛んできた。


「次の試験までに、この式を頭に入れておけ」


 壁から剥がされた、新しい魔導式の紙束。


 フロナは振り返らずに扉を閉めた。



 次に向かったのは、母エリセのサロンだった。


 レースのカーテン越しに柔らかな光が差し込み、

 香り高い茶葉の匂いがゆるやかに広がる部屋。


 窓辺の椅子に座るエリセは、いつも通り完璧だった。

 銀髪は一筋乱れず、

 姿勢は絵画のようにまっすぐ。


 帝都の貴婦人たちが憧れる「理想の令嬢像」を、そのまま大人にしたような人。


「まあフロナ。顔色が悪いわね。夜会で飲みすぎたの?」


「……飲めるほど、余裕はなかったわ」


 エリセの視線が、娘の全身を一瞬でなぞる。

 裾の長さ、姿勢、指先の動き――すべて査定されているような感覚。


「ドレスは似合っていたわ。

 水色の髪と合わせるなら、もう少し淡い色でもよかったけれど」


(色の話から入るの、母様らしいな……)


「母様。私の魔法の話をしてもいい?」


 そこだけは、はっきり言った。


 エリセの手が、ぴくりと止まる。


「今さら何の話?」


「父様は、“構成を極めれば霊素をねじ伏せられる”って言ったの」


 フロナは、心の中で組んだ疑問をそのまま口にする。


「でも霊素魔法って、本来“押さえつけるもの”じゃないわよね?

 流れを感じて、寄り添って、導くものじゃなかった?」


 エリセは、少しだけ眉をひそめた。


「そう教えたつもりだけれど」


「私の中では、その二つがずっと喧嘩してるの。

 構成の枠で霊素を締めつけると、霊素フェアリーが暴れて構成を壊そうとする」


 指先に、再び小さな光を集める。

 青と銀の粒子が触れ合った瞬間、今度もやはりぐしゃりと潰れた。


「これって、やっぱり“詰め込みすぎた”からじゃない?」


 エリセはしばらく黙っていた。


 その沈黙に、フロナはほんの少しだけ期待してしまう。


(もしかしたら、“そうね、ごめんなさい”って

 一言くらい――)


「……フロナ」


 母の声は、ひどく静かだった。


「そういう“みっともない失敗”を、人前でしないでって、何度言ったかしら」


 胸の奥が、きゅっと縮む。


「違うの、母様。これは失敗を見せたいんじゃなくて――」


「言い訳は聞きたくないの」


 エリセは、優雅にため息をついた。


「霊素魔法は、心の鏡よ。

 うまくいかないのは、心が濁っているから」


「心が……濁ってる」


「不安、恐れ、劣等感。

 そういうものを抱えたまま魔法を使えば、霊素フェアリーはあなたから離れていくわ」


 エリセは、見えない埃を払うような手つきをした。


「あなたが“壊れている”と感じるのだとしたら――

 それは術式の問題ではなく、あなた自身の内面の問題よ」


(はい出た、“心の問題”)


 フロナは内心で、乾いた拍手を送る。


「じゃあ、構成と霊素を同時に叩き込んだのは?」


「その方が“完璧な宝石”になると思ったからよ」


 エリセは、悪びれる様子もなく言った。


「理論も感性も兼ね備えた令嬢。

 帝国の誰もが羨むような才女。

 そうなれば、あなたは常に“選ばれる側”に立てる」


「……誰に?」


「皇太子に決まっているでしょう」


 当然のように返されて、フロナは言葉を失う。


(今、その皇太子様から“不良品”って言われてきたばかりなんだけどな……)


「今さら“壊れていました”なんて言ったら、どうなると思う?

 どれだけ噂になるか、想像できるでしょう」


 エリセの声が、わずかに強くなる。


「これはあなたのためでもあるのよ。

 自分から傷を見せて回るなんて、愚かだわ」


「でも、壊れているなら直したくて」


「直す必要なんてどこにあるの?」


 即答だった。


 フロナは、思わず目を瞬く。


「あなたは十分美しくて、

 十分“皇太子の婚約者らしく”育っている」


「魔法は?」


「人前で盛大に失敗さえしなければいいわ」


 エリセは軽やかに笑う。


「構成の細かい話は父様に任せておきなさい。

 霊素がうまく扱えないなら、その分、立ち居振る舞いを磨きなさい」


「……中身は?」


「中身が見える距離に、あなたを近づける必要がどこにあるの?」


 その一言で、

 フロナの中で何かがすっと冷えた。



「母様は、私が“どういう気持ちで”殿下の隣に立っているか、考えたことはある?」


 自分でも驚くほど静かな声だった。


 エリセは、少しだけ目を細める。


「愛情の話なら聞きたくないわ」


 即答二回目。


「娘が恋で人生を台無しにする話には飽き飽きしているの。

 あなたには“正しい位置”に立ってもらうだけでいいのよ」


(正しい位置=飾り)


 言葉にしなくても、意味は痛いほど伝わる。


「……そう」


 フロナは立ち上がった。


「ありがとう、母様。だいたい、わかった」


「何が?」


「私がどういう“前提条件”で設計されたのか」


 水色の髪が、静かに揺れる。


「父様は“理論の証明”が欲しくて、

 母様は“完璧な宝石”が欲しかった」


 小さく笑ってみせる。


「そこに“私自身”が入る余地は、最初からなかったんだね」


 エリセは、何も言わなかった。


 言い訳も、否定も、謝罪も。

 そのどれも、口にされることはなかった。



 屋敷の廊下に出ると、

 霊素を帯びた風が、ひゅう、と肌を撫でた。


(……セドリック様にも“不良品”って言われて、

 父様には努力不足と材料の質の問題って言われて、

 母様には心が濁ってるって言われて)


 頭の中で並べてみると、なかなか見事なフルコンボだ。


「笑えないジョークだなあ、これ」


 苦笑が漏れる。


(でも――)


 胸の奥は、もうあまり痛くなかった。


 痛みが一定を超えると、逆に感覚が麻痺するのかもしれない。


(ここまで揃って“お前が悪い”って言われると、逆にちょっと冷静になる)


 構成魔導の頭が、勝手に動き始める。


 セドリック。

 父。

 母。


 三者の言葉と行動を並べ、共通点と差異を整理する。


(みんな、自分の“理想のフロナ像”しか見てない)


 皇太子の婚約者としてのフロナ。

 究極の演算機としてのフロナ。

 完璧な宝石としてのフロナ。


(そこに、“私が私としてどう生きたいか”は入ってない)


 その事実に気づいた瞬間、

 胸の奥で、何かがひっそりと音を立てた。


 ――多分、期待だ。


 誰かに理解してもらえるはずだという、かすかな期待。


(まだ、セドリック様は違うと思ってた)


 昨夜の夜会で、

 その期待にはかなり大きなヒビが入った。


 けれど今、両親の言葉を聞いてしまったあとでは――


(……あまり、変わらないのかもしれない)


 そう思ってしまった自分が、一番怖かった。



「……疲れた」


 廊下の端の窓辺に、そっと背中を預ける。


 外の庭は、相変わらず美しい。

 噴水の水飛沫も、花壇の色合いも、

 「誰かの理想通り」にきっちり配置されている。


(私も、その一部のつもりだった)


 みんなが描いた理想の中に、自分を合わせて。

 そこに収まっていれば、それが幸せだと信じていた。


「でも、その“幸せ”って、誰のためのものだったんだろう」


 ぽつりとこぼれた独り言は、

 霊素の風にさらわれていく。


(父様のため? 母様のため? セドリック様のため?)


 ひとつだけ、欠けている名前があった。


(“私自身のため”って選択肢)


 そこに思い当たったとき、

 胸の奥で何かが、ゆっくりとひび割れ始める。


 まだ崩れはしない。

 けれど、確実に限界が近づいていた。


(……このまま行ったら、どこかで全部壊れるな)


 構成魔導の脳が、

 自分の心の未来図を勝手に描き始める。


 予測結果は、あまりにも見たくないものだった。


「せめて、壊れる場所くらいは自分で選びたい」


 フロナは、小さくそう呟いた。


 それが、

 彼女が精神的な限界に到達する前夜の宣言になっていることに、


 このときのフロナは、まだ気づいていなかった。


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