第8話 世界でいちばん贅沢な場所
祝祭の余韻が、まだ街に残っていた。
だが、城の中庭は静かだ。
昼間の喧騒が嘘のように、
風が木々を揺らす音だけが響いている。
フロナは、石畳の上に立っていた。
肩にかかる水色の髪を、
無意識に指で整える。
ここ数日、
「代表」「設計者」「象徴」と呼ばれることが増えた。
だが今は、
ただの一人の女性だった。
「……なあ」
少し離れたところから、
カイの声がする。
剣を腰に下げたまま、
妙に落ち着かない様子で立っている。
「話がある」
短い言葉。
だが、
その声に、いつもの余裕はなかった。
フロナは、彼の方を向く。
「はい」
それだけで、
カイは一瞬、言葉に詰まった。
やさしい静けさが、二人の間に満ちる。
それは重さのない沈黙だけど、
少しの緊張感もあった。
やがて、
カイは視線を外したまま、口を開く。
「俺は……
フロナを、英雄として見てない」
唐突だが、
嘘のない言葉だった。
「世界を救ったとか、
新連邦の象徴だとか……
そういうのは、正直、よく分からん」
フロナは、黙って聞いている。
遮らない。
急がせない。
「でも」
カイは、拳を握る。
「……フロナの言葉を、
誰よりも理解したいと思った」
声が、わずかに震える。
「考えが先に行きすぎるときも、
一人で抱え込もうとするときも……
隣にいて、止める役目なら、できる」
彼は、ゆっくりとフロナを見る。
真っ直ぐで、逃げ場のない視線。
「俺の隣は、
帝国の玉座ほど豪華じゃない」
少しだけ、自嘲気味に笑う。
「命令も、称賛も、
用意できない」
それでも、
言葉は続いた。
「だが――
あんたの思考を、
誰よりも大切にする」
そして、
はっきりと言う。
「一生、隣に立つ。
守るとか、救うじゃない。
一緒に、歩きたい」
フロナは、
一瞬、言葉を失った。
胸の奥が、
じん、と熱くなる。
かつて、
愛されることで救われたいと願ったことがある。
だが今、
差し出されているのは、
対等な場所、だった。
フロナは、
ゆっくりと息を吸う。
そして、微笑んだ。
「……本当に、不器用ですね」
その言葉に、
カイは少しだけ肩をすくめる。
「否定はしない」
「でも」
フロナは、彼の前に一歩踏み出す。
「その場所でいいです」
迷いはない。
「誰かに守られる場所じゃなくて、
一緒に考えて、
一緒に責任を持つ場所」
彼の目を、
初めて真正面から見る。
「それが、
世界で一番贅沢だと思うから」
カイは、しばらく何も言えなかった。
そして、
ようやく、小さく笑う。
「……そう言われると、
逃げ場がないな」
フロナも、笑った。
夜風が、二人の間を通り抜ける。
遠くで、
まだ祝祭の音が聞こえている。
だが、
この中庭には、二人だけ。
フロナは、
胸の奥に確かな感覚を覚えていた。
もう、
自分を差し出す恋はしない。
選ばれるために、
頑張る必要もない。
”選び、選ばれる場所”に、
自分の足で立っている。
カイが、手を差し出した。
指先は、
ほんのわずかに、ためらいを残している。
フロナは、
その手を、迷うことなく重ねた。
強くは握らない。
ただ、離れないと伝えるほどに。
それだけで、すべてが伝わった。
夜空の下、
二人は、同じ方向を見つめて立つ。
世界は、まだ未完成だ。
けれど――
この手を取って歩く未来だけは、もう迷いなく輝いていた。




