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第7話 翻訳者のいる夜

 夜のヴァルシュタインは、騒がしかった。


 街路には灯りが溢れ、

 酒場からは笑い声が零れ、

 即席の演奏に合わせて、人々が肩を組んで歌っている。


 祝祭だった。


 今日は新連邦の成立を祝う、

 初めての夜だ。




 フロナは、少し高い場所、

 城壁の上から、その光景を見下ろしていた。


 風が心地よい。

 昼間まで張り詰めていた空気が、

 ようやく、ほどけていく。


「……すごいな」


 隣で、カイが呟く。


「数ヶ月前までは、

 ここでこんな夜が来るとは思ってなかった」


 フロナは、静かに頷いた。


「私もです」


 嘘ではない。

 彼女自身が、いちばん驚いていた。




 眼下の街には、

 魔法石を持たない庶民の家にも、

 同じ明かりが灯っている。


 帝国の時代には、

 考えられなかった光景。


 それを見て、

 胸の奥が、じんわりと温かくなる。


「……世界は、救われたと思うか?」


 カイが、ふと聞いた。


 剣を置いた夜の声は、

 いつもより低く、柔らかい。


 フロナは、すぐには答えなかった。


 少し考えてから、首を振る。


「いいえ」


 正直な言葉だった。


「救われた、なんて言ったら……

 どこかで、また誰かを切り捨てる気がして」




 カイは、何も言わずに聞いている。


 遮らない。

 結論を急がせない。


 それが、

 彼の一番の才能だった。


「でも……」


 フロナは続ける。


「食べるためだけに生きる人が減って、

自分の人生を選べる人が、増え始めた気がします」


 夜風が、髪を揺らす。


「それだけで、

 私は、十分です」




 カイは、ゆっくりと息を吐いた。


「……フロナの描いた地図は、

 世界を救ったよ」


 断言だった。


 迷いも、誇張もない。


 フロナは、思わず小さく笑った。


「いいえ」


 彼の方を見る。


「あなたがいなければ、私の描いた世界は、ただの夢のままだったわ」


 その言葉は、

 感謝であり、

 信頼であり、

 告白に限りなく近い何かだった。




 カイは、少しだけ目を伏せる。


 照れたわけではない。

 言葉を、選んでいる。


「……翻訳者ってのは、

 案外、悪くない役目だな」


「ええ」


 フロナは微笑む。


「私一人では、

 きっと、途中で壊れていましたから」


 それは、弱さの告白ではない。


 共に立っているという事実の確認、だった。




 遠くで、花火が弾けた。


 夜空に咲いた光が、波紋のように広がり、

 一瞬だけ、寄り添う二人の影を溶かし合わせる。


 だが、

 どちらが前に出ることもない。


 並んで、

 同じ景色を見ている。


 それが、

 今の二人の距離だった。




 フロナは、胸に手を当てる。


 そこにはもう、

 恐れも、焦りもない。


 あるのは、

 この夜が続いてほしいという、

 ささやかな願いだけ。


 世界はまだ、不完全だ。


 だが――

 一人ではない。


 それだけで、

 歩いていける。


 城壁の上で、

 二人はしばらく、

 何も言わずに夜を見つめていた。


 祝祭の穏やかな光が、

 静かに、彼らを包み込んでいた。




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